48・手紙を残して
事務室の窓から、鮮やかな夕日が差し込んでくる。
一人、また一人と同僚が帰っていく中、私は事務室でシリウス様を待っていた。
(シリウス様、まだかしら……)
静かな部屋の中には、時計の針が進む音だけが響く。
アリスと昼食をとったあとも、夕方になっても、私の胸の奥はずっと重いままだった。
『あの男は危険だ』
私の頭には、シリウス様の声が何度も何度も繰り返し再生されていた。
(お義兄様が危険って……どうして?)
確かに昼間、アルフレッドに突然腕を掴まれた。まだ、うっすらと痛みが残っている。
けれどアルフレッドは、私がバクスター家へ引き取られた時からの家族だ。
決して温かな家ではなかったが、それでもアルフレッドは義両親よりは優しく接してくれた。
底知れぬところはあったがいつも笑顔を浮かべていたし、なんだかんだと義両親と私の間によく立ってくれた。
事務官として働く時にも、義両親の説得を手伝ってくれた。
……長年共に過ごしてきたせいだろうか。情がどうしても捨てきれない。
私がため息をついた、その時だった。
事務室の外から、普段は聞かないような押し殺した声と強い口調が聞こえてきた。
(なにごと……?)
手持ち無沙汰なせいもあってか気になってしまう。
私はそろりと席を立ち、事務室の扉を開けて廊下の奥をうかがった。
声は魔術省の入口……受付の方から聞こえてくるようだ。
(こんな時間に来訪者なんて珍しい)
すでに終業時刻をすぎている。
来客受付だって、とっくに終わっている時間だ。
「どうして許可していただけないんですか!」
「どうして、と申されましても……。魔術師長から『アルフレッド・バクスター卿』を通すなとご命令されていますので……。そもそも、受付時間も終了です」
「セレフィアを呼んでくればいいでしょう!」
(お義兄様!?)
受付の職員は帰り支度の途中だったようで、対応に困り果てている。
『あの男は危険だ』
シリウス様の忠告が再び私の頭をよぎった。
しかし、義理とはいえ身内が私の名前を出して騒いでいる状況など、見て見ぬふりをすることも難しい。
少し迷った末、私は受付の方へ歩み寄った。
「お義兄様……受付の方が困っています。やめてください」
後ろから静かに声をかけると、アルフレッドは勢いよく振り返った。
「セレフィア……! よかった、まだ帰っていなかったんだな!」
向けられた赤い瞳には、焦りと切迫したものが入り交じっているように見えた。
アルフレッドの圧に押されるように、私は一歩だけ後ずさる。
「今日は約束があって……。お義兄様はどうしてまたこちらへ……?」
自分でも気付かぬうちに、わずかに警戒を含んだ視線をアルフレッドへ向けていた。
こんな短期間に何度も私を尋ねてくるなんて、さすがに不自然だ。
「セレフィア、落ち着いて聞いてくれ」
「……はい?」
対してアルフレッドは深刻そうに眉を寄せ、私の両肩へそっと手を添えた。
その仕草は優しげに見えるのに、どこか強引さが混じっていた。
「両親が倒れたんだ」
「……え?」
(あの人たちが、倒れた?)
言葉の意味を理解して、どくりと心臓が嫌な風に跳ねた。
動揺を押さえつけながら、どうにか口を開く。
「ええと、昨日も今日の昼間もそんなこと一言も……」
「突然だったんだ。きっと、心労がたたったんだと思う。お前が居なくなってから、うちはずっと大変だったから」
「そんな……」
「母さんも父さんも、お前に会いたがってる。ほんの少しでいい。顔を見せてやってほしい」
アルフレッドの言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。
義両親には、いろいろと思うところはあった。
バクスター家へ引き取られてからというもの、ずっと厄介者扱いされてきたし、彼らの金銭感覚も受け入れ難い。
それでも……どんなに冷たくされてきたとしても、倒れたと聞かされては見捨てることなんて出来ない。
(でも、シリウス様との約束が……)
『決して1人にはならないように』
『あの男は危険だ』
シリウス様の声が、まるで警鐘を鳴らすかのようにぐるぐると脳内を巡る。
心臓はどくとくと早鐘を打っていた。
義両親の様子は気になる。けれど、私一人で行ってはシリウス様に心配をかけることになってしまう。
「……シリウス様と一緒に向かってはいけませんか?」
「魔術師長?」
見つけ出した妥協案を尋ねると、途端アルフレッドは露骨に顔を歪めた。
「魔術師長はどこにいるんだ? 今すぐ来れるのか?」
「い、いえ……わかりません」
シリウス様は忙しい方だ。
約束した以上、必ず私を迎えに来てくれるだろうが、それがいつかは答えられない。
「こっちは、今向かわなければ明日死んでしまうかもしれない。それくらいあの人たちは体調が悪いんだ」
(私は……どうしたらいいの?)
義両親が、明日には死んでしまうかもしれない?
その言葉は、私の胸に重くのしかかった。
実の父を亡くした日の記憶が脳裏をよぎる。
流行病で亡くなった父。別れはあまりにも突然だった。
もし本当に、彼らが明日にも死んでしまうかもしれないような状態ならば、今いかないときっと私は後悔するだろう。
それが、今まで自分を厄介者として扱ってきたような相手だろうとだ。
行き場を失った私を、バクスター家に置いてもらったという恩はあるのだから。
「……少しだけ、待っていてください」
一言アルフレッドに告げ、私は事務室へ戻った。
机の引き出しから、紙を一枚取り出す。
シリウス様との約束を破ること。危険だと言われているのにアルフレッドへついて行くこと。
心はまだ不安でいっぱいだった。
震える指先でぎゅっとペンを握りしめ、私はシリウス様への手紙を書き始めた。
『シリウス様へ
義兄から、義両親が倒れたと聞きました。
あの人は危険だと、シリウス様が忠告してくださったこともわかっています。
それでも私は、義両親が心配です。
約束を破ってごめんなさい。
すぐに戻ります。
セレフィア』
(大丈夫。すぐに戻るわ。お義兄様だって、ほんの少しでいいと言っていたもの)
書き終えた手紙を机に置き、私は左手の指輪をそっと握りしめた。
シリウス様からもらった、婚約指輪。
ひんやりとした指輪の感触に、ほんの少し勇気をもらえるような気がした。
(……シリウス様、ごめんなさい。行ってきます)
シリウス様ならきっと、手紙を見つけてくれるだろう。
怒られるかもしれないけれど、理由を聞けば理解はしてくれるはず。
事務室を出ると、アルフレッドが貼り付けたような笑みを浮かべて立っていた。
「……行きましょう、お義兄様」
「ああ、もちろん。道中、お前がいなくなったあと俺たちに何があったか、ゆっくり話してもいいかな。今回こそは、邪魔も入らないだろうし……ね?」
アルフレッドは話しながら笑みを深める。
笑っているはずなのに、どこか冷たい影がさしているような気がした。




