46・一か月前、酒場にて(sideシリウス)
セレフィアと別れたあと、シリウスは一人、魔術省の受付を目指していた。
いつになく足早に歩くシリウスの様子に、廊下にいる人々が自然と道を開けていく。
シリウスの脳裏には、一か月前に見た光景がよみがえっていた。
それは、国王から結婚を押し付けられ、勝手にクラリッサを婚約者に宛てがわれた日の夜のことだ――。
◇◇◇◇◇◇
その夜、シリウスはやさぐれた気分のまま、場末の酒場へ向かっていた。
普段はたしなむ程度しか酒を飲まないが、この日ばかりは酔いつぶれるほど飲まなければやっていられそうになかった。
「店で一番強いものを」
「かしこまりました」
適当に注文し、カウンターへどさりと腰を下ろす。
(くそ、あのお節介な陛下め……。自分が結婚して幸せだからって、私にまで押し付けることはないだろう)
陛下は知らないのだ。
シリウスが長年セレフィアに片思いを続けていることも。縁談を断られ続けていることも。運命のいたずらか、セレフィアが半年前に自分の部下としてやってきてから、上司として距離を保ってきたことも。セレフィアへ接触したい気持ちを、シリウスが抑え続けていることも。何もかも。
知らないから、セレフィア以外の女と結婚しろだなんて、酷な命令を下したのだろう。
それともこれは、もうセレフィアのことは諦めろという神の啓示か。
(どうせ私は、彼女に嫌われている。何度断ってもしつこく縁談を送り続けてくる男なんて、気味悪く思っているに違いない)
頭ではわかっている。
それでも想いを捨てられない自分が、ひどく情けなくて惨めだった。
(いっそのこと、すべて忘れられたら楽なのに――)
かつてセレフィアからかけられた、「綺麗」という言葉が忘れられない。
彼女以外と結婚するくらいなら、一生独身で構わない。そちらの方がよほどましだ。
出された酒をシリウスが勢いよく煽った、そのときだった。
「いやー、いくら貴族っつったって、序列が低いと厳しいよなー。お前んとこはどうなんだよ、バクスター」
『バクスター』と聞こえた瞬間、シリウスはグラスを傾けていた手をぴたりと止めた。
バクスターは、確かセレフィアが引き取られた先の貴族の家だ。
喉が焼けるほどの強さの酒をごくりと飲みこむ。
シリウスは振り返らないまま、背後の会話へ意識を集中させた。
「俺のとこも厳しいよ。領民は逃げてくし、税は入らないし」
「またまたぁ! 俺見たぜ? バクスター夫人がドレスを新調してただろ。余裕あるじゃねぇか!」
「まぁ、義妹が稼いできてくれるからね。全部うちに入れさせているし、俺が管理しているから。楽なもんだよ」
声の主の片方はバクスターの嫡男・アルフレッドだろう。
漏れ聞こえてきた会話内容に、シリウスはわずかに眉をひそめた。
脳裏に浮かぶのは、半年間ずっと色の落ちた服を着て働いているセレフィアの姿。
魔術省は一般的に高給取りの部類に入る。
それなのに服を買い替えないのは、何か目的があって貯金でもしているのかと思っていたが――違ったのか。
(まさか……給料を全部バクスターの家計に入れさせられているのか? だから服も買えない?)
今の今まで気づかなかったことにも、下手に詮索してセレフィアから嫌われることを恐れて躊躇ってきた自分にもゾッとしてしまった。
「へぇ、有能なんだな! でももういい歳なんだろ? 結婚とかはいいのか?」
「何度か話が来てたし、中にはしつこく縁談を送り付けてくる物好きもいるね。でも、俺が全部断ってやったよ」
「なんでだよ?」
「あいつは、うちに必要な人間だからね。うちと……俺のために頑張ってもらわないと」
「じゃあもう、お前が娶ってやったらどうだ? 確か血が繋がってないんだろ?」
「ふ……それもいいね。あいつは俺のものだから」
アルフレッドもその話し相手も酒が回っているのだろう。下卑た笑い声が響く。
シリウスはぐっと机の上に置いたグラスを握りしめた。
水滴が、グラスを伝って流れ落ちていく。
セレフィアが幸せに暮らしているなら、自分の想いが実らなくてもいいと思っていた。
彼女が自分のことを嫌っていても、他の好きな男と添い遂げられるなら構わないと。
だが、現実はどうだ。
引き取られた家で、給料を全部取られている。
自分の送ったものだけではなく、その他の縁談もすべて潰されている。
それではまるで、家族ではなく所有物のような扱いではないか。
(許せない)
シリウスの胸の内に湧き上がっていたのは、耐えがたいほどの怒りだった。
(素直で心優しい彼女を、そんなふうに扱っていいはずがない。私が……セレフィアを幸せにしたかったのに)
そして同時に考える。
セレフィアはこの現状をどう思っているのかと。
もし、バクスター家から逃げ出したいと思っているのならば……真正面から救いの手を差し出せば、受け取ってもらえるのではないだろうか。
(それに……彼女をあんな家に戻すわけにはいかない)
きっとこれは、自分に与えられた最後のチャンスなのだろう。
自分のことを嫌っていてもいい。
理由なんてどうでもいいから、バクスターよりも自分を選んでほしい。
誰よりも大切にする。どんなことからも守ってみせるから。
(契約でも、なんでもいい。私は、ただそばにいられたなら)
シリウスは決意を固めると、会計を済ませ静かに席を立ち上がった。
去り際に、一瞬だけ振り返る。
薄ら笑いを浮かべて酒を飲むアルフレッドの顔を、しっかりと瞳へ焼き付けた。
◇◇◇◇◇◇
(あの夜に抱いた違和感はやはり正しかった)
アルフレッドと偶然遭遇した夜を思い出すだけで胸糞悪くなる。
セレフィアの腕に残っていた赤い跡が、シリウスの脳裏にちらついた。
(あの男は義兄の顔をしているが、中身は支配欲の塊だ)
アルフレッドの笑顔の裏には、どす黒い狂気が潜んでいる。
受付までたどり着くと、シリウスは足を止めた。
「アルフレッド・バクスター卿が来ても、今後は私が許可するまで通さないでいただきたい」
「かしこまりました、魔術師長」
短く返事を受け、シリウスは一度屋敷へ戻るために魔術省を出る。
(セレフィアに……あの男の本性を伝えるわけにはいかない)
セレフィアは優しい。
義理であっても、搾取された過去があっても、家族を悪く言われればきっと傷つく。
(だが、守らなければならない。あの家からも、あの男からも)
急いで空をかけて屋敷へ戻ると、シリウスはすぐにオリバーを呼びつけた。
「おや、お早いお帰りで……。どうなされましたか」
「オリバー。アルフレッド・バクスター卿の現状を調べてください。急ぎです」
「承知いたしました。なにか、ございましたか」
「少し、気になることがあります」
オリバーはそれ以上聞くことはなく、顎を引くとすぐに動き始めた。
屋敷には、昼下がりの穏やかな光が差し込んでいる。
(バクスター家はたしか、数日前に領地を返還するように言い渡されていたはずだ)
バクスター領地の惨状は、遅かれ早かれ陛下の耳に入ることだった。
シリウスもそれとなくバクスター家のことを陛下へ報告していたし、他にも証言があったのだろう。
陛下が領地返還を命じたことは、貴族全体へ通達されていた。
セレフィアへは、もう少し事態が落ち着いてから伝えたいと考えていたが……。
(アルフレッド卿がこの数日になって、動き始めたのが引っかかる。ただの杞憂であればいいが……)
シリウスの胸の中には、言いようもない焦りが巣食っていた。




