45・魔術師長は忠告する
翌日の昼下がり。
私は書類を抱えて魔術省の廊下を足早に歩いていた。
昼休憩まであと少し。
魔術研究者から頼まれたこの書類を事務室へ届けたら、午前の仕事は一区切りだ。
(お昼はアリスと食べる約束をしているもの。早く食堂へ向かわなくちゃ)
廊下を進みながらもほんの一瞬、昨日のアルフレッドの様子が脳裏をよぎった。
昨日は結局、アルフレッドは何がしたかったのだろうか。
アルフレッドの言葉通り、ただ挨拶と差し入れがしたかった?
(今更、そんなことってある?)
勤務したばかりの頃ならまだしも、すでに務め始めて半年だ。
私には、ただ挨拶や差し入れのために来たとは思えなかった。
(とはいえ、他に魔術省へ足を運ぶ理由が思い浮かばないんだけど……)
思案しながらも、人がまばらに行き交う廊下を歩いていく。
私が突き当たりの角を曲がったその時、見計らったかのように声をかけられた。
「やぁ、セレフィア」
「……お義兄様?」
はっと視線をあげれば、廊下の壁を背にしたアルフレッドが立っていた。
待ち構えていたような姿勢に、つい身構えてしまう。
「昨日ぶりだね。仕事は順調?」
「え、ええ。今日はどうしてこちらに……?」
「どうしてって……」
尋ねた私に、アルフレッドはわざとらしいほど穏やかに笑った。
「お前は大事な義妹だろ? 俺がお前の顔を見に来るのはそんなに不自然か?」
「い、いえ」
(不自然、とまでは言わなくても違和感はあるわ)
魔術省は、 官庁舎であり研究機関だ。
受付で用件と身分を提示し許可が降りれば立ち入ることはできるが、部外者が進んでやってくるような場所ではない。
それなのに、アルフレッドはまるで散歩のついでのような顔をして立っている。
「それにしてもお前、忙しそうだね」
アルフレッドは私の手元の書類へ視線を落とした。
「魔術師長と結婚するっていうのに、働かされているの?」
アルフレッドの言葉にムッとしてしまった。
その言い方では、シリウス様が私に働くことを強要しているみたいではないか。
「ち、違います! これは、私が好きで――」
「へぇ? あの男のために、好きで使い潰されたいの?」
「使い潰……? シリウス様はそんなことしません」
アルフレッドは、何が言いたいのだろう。
言葉の真意が読めない。
けれど、笑顔の奥で彼が苛立っていることだけは伝わってきていた。
胸の奥がなんだかざわつく。
昨日の違和感が、再び私の脳裏によみがえる。
「セレフィア。お前は本当に大事にされているのか?」
「え……」
問いかけと同時に、アルフレッドの手が私の方へと伸びた。
ぐっと、強く手首を掴まれる。
積んでいた書類の何枚かが、掴まれた衝撃でぱらぱらと床へ散っていった。
「いた……っ」
アルフレッドの指先がぎりと食い込むほどに力を込められ、思わず顔が歪む。
昼間の廊下のはずなのに、アルフレッドのまとう冷気が広がり、空気が冷え込んでいくような気がする。
「お義兄様、離してください……!」
「どうして? 俺たちは家族だろう?」
(怖い)
アルフレッドは笑顔だ。
まるで、雲一つない晴天のよう。
それなのに、影が見えないことが何よりも恐ろしかった。
「ああ、それとも……あの男も俺と同じタチなのかな?」
アルフレッドは私の顔を覗き込んだ。
息がかかるほどの距離に、背筋がぞわりと粟立つ。
「好きなものを、自分のために使い潰したいっていう」
アルフレッドが低くこぼしたその時、かつんと床を叩く靴音が廊下へ響いた。
「あなたと一緒にしないでいただきたい」
低く澄んだ声が割り込むと同時に、肩を引き寄せられる。
「シリウス様……」
隣を見上げれば、シリウス様が私の肩へ腕を回し、警戒するようにアルフレッドを強く見据えていた。
「アルフレッド卿、どうしてこちらに」
アルフレッドへ向けられたシリウス様の声は静かなものだ。
けれど、その静けさの奥に研ぎ澄まされたものがあるように感じられる。
アルフレッドは、シリウス様の視線をかわすように視線を逸らした。
「セレフィアの顔を見に寄っただけですよ。そんなに睨まないでください、魔術師長」
「そうですか」
シリウス様は一歩前に出ると、私を庇うように立った。
「それでは失礼してもよろしいですか。彼女はこれから私と、用事がありますので」
「えっ? シリウス様っ!?」
シリウス様は落ちた書類を魔術で拾い上げながらも、さりげなく私の手から書類の束を取り上げた。
反対の手は私の肩へ回したまま歩き出す。
「行きますよ、セレフィア」
アルフレッドの方を振り返らずに言うシリウス様は、いつもよりも少しだけ早足だった。
「し、シリウス様、あの……」
「後で話します。黙って着いてきなさい」
シリウス様の声がいつもよりも硬い気がする。
いつもと少し違うことに気づいてしまって、私はそれ以上の言葉を続けられなくなってしまう。
やがてひと気のない魔術書庫の前までたどり着くと、ようやくシリウス様は足を止めた。
アルフレッドの姿が完全に見えなくなったことにほっとしてしまった。
「セレフィア」
「は、はい」
振り返ったシリウス様の表情は、いつもとは少し異なっていた。
怒っているわけではない。
けれど、深い憂いと、押さえ込んだ焦りのようなものが滲んでいる。
「腕は痛みませんか」
「え……」
「あの男に掴まれていたでしょう。赤くなっている」
言われて自分の腕へ視線を落とせば、シリウス様の言う通り、腕に握られた跡がついていた。
まだアルフレッドに掴まれた感触が残っている気がして、私は誤魔化すように自分で手首をさすった。
「あ……大丈夫です。少し痛かっただけで、今はもう」
「あなたが平気でも……私は平気ではありません」
シリウス様はそっと私の腕へ触れた。
指先が、労わるように撫でて離れていく。
私以上に痛みを感じている瞳で見下ろされ、胸がキュッと締め付けられるような気がした。
「ひとつ聞きます。あの男があなたに接触してきたのは今日が初めてですか?」
「いいえ、昨日も挨拶だといってほんの少し……」
答えると、シリウス様は考え込むような様子を見せる。
それからゆっくりと私へ視線をうつした。
その瞳は、どこか気遣わしげに揺れていた。
「あなたにとっては、ただの義兄なんでしょう。けれど――」
シリウス様はそこで一度言葉を切る。
続きを言うかどうか、わずかに逡巡しているようだった。
だが、やがて真っ直ぐに私へオッドアイを向けた。
「――あの男は危険だ」
「き、危険? お義兄様が……?」
アルフレッドから妙な圧を感じることは今までに幾度かあった。
けれど、危険と言われるほどなのかいまいち実感が湧かずに戸惑ってしまう。
「セレフィア。指輪を貸してください」
シリウス様は言いながら私の左手を取った。
そこには、以前シリウス様から贈られた婚約指輪がはまっている。
シリウス様は静かに身を屈めると、私の指輪へそっと唇を落とした。
「指輪の魔術をかけ直しました。先ほどのような接触にも反応できるように、防御の魔術を強化しています」
「シリウス様……」
顔を上げたシリウス様の瞳は、いつもよりもずっと真剣な色をしていた。
「本来なら私が四六時中あなたのそばにいるべきなのでしょうが、そうもいきません。決して、一人にはならないようにしてください」
シリウス様は、どうしてそんなにアルフレッドを警戒しているのだろう。
もしかして、私には知りえないことを知っているのだろうか。
「私の方でも、アルフレッド卿の目的へ探りを入れておきます。あなたは、これ以上気に病まないように」
「……わかりました」
返事をしながら、ふと気づく。
アルフレッドと話していた時に感じていた恐怖はいつの間にか薄れていた。
きっと、シリウス様の声を聞いているからだ。
「この書類は、届け物ですか? 私が預かりましょう。あなたは、人が多いところへお行きなさい」
「はい。ありがとう、ございます」
「それから、帰りは私と一緒に帰りましょう。私が迎えに行くので、あなたは事務室で待っていてください」
シリウス様の言葉は、残っていた不安ごと包み込んでくれるようだ。
シリウス様は私を守ろうとしてくれている。その事実だけで、足元が確かになる気がした。




