19・幕間1(sideアルフレッド)
セレフィアがバクスター家を出て行ってから、一週間が過ぎた。
アルフレッドは一人、散らかったリビングの片隅でいらいらと奥歯を噛み締めていた。
(やはり、あの時セレフィアの結婚を止めるべきだった)
セレフィアがいなくなって数日間は、まだよかった。
母は「やっと厄介者がいなくなった」と上機嫌で鼻歌まで歌っていたし、父は魔術師長からもらったワインを大切そうにちびちび舐めていた。
だが、流しには日毎に皿が積み上がり、リビングのソファには洗濯物の山が築かれ始めていた。
使用人がいた頃は使用人が、いなくなってからは家事の大半をセレフィアが担っていたからだ。
次第に母の機嫌は降下していき、ワインを飲みきったらしい父は安酒に手を伸ばすようになった。
今や、家の中の誰もが苛立ちを隠せない。
母が積み上がった皿の前で、父へ怒鳴り散らしていた。
「そもそも、あなたが領主としてだらしないからこうなるのよ! どうするのよ! このままじゃ領地として成り立たないわよ!」
今日もまた一人、領民がバクスターの領地から出ていったらしい。
父は安酒の瓶を握りしめたまま、情けないほど小さく縮こまっている。
その空気に耐えかね、アルフレッドは静かに立ち上がった。
「皿、……俺が洗っておくよ」
「あら、気が利くわね。でも、勘違いしてはいけないわよ、アルフレッド。あなたはセレフィアよりマシなだけだから」
「そうだね」
「ああ! せっかく魔力持ちを産んだと思ったのに期待はずれだわ! 私もあなたも期待はずれ!」
「うん、ごめんね」
笑顔を浮かべたまま、謝罪の言葉を口にする。
笑みを貼り付けるのは、アルフレッドのくせだった。
そうすれば、大体の面倒事は上手くかわせるから。
アルフレッドは蛇口をひねり、積み重ねられた食器へ手を伸ばした。
この国は、生活のほとんどに魔術が関わっている。
今蛇口から出ている水も、魔術でひかれているものだ。
魔力があるだけでもてはやされるのが、魔術国家アステリエ。
けれど、半端者には風当たりが厳しいのも事実である。
(……世間一般では魔力があるだけで魅力だとか言うけど、あれは嘘だ)
人はみな、より強いものや良いものを求める。当然だ。
アルフレッドは魔力を持って生まれたものの、微量でありほぼ無いに等しい。
それを一番気にしているのは、他ならぬ母だった。
本来なら話題に出すことすら避けられてきたはずのアルフレッドの魔力の話。それを母自ら口に出すとは、相当苛立っているらしい。
(母さんは若い頃に魔力持ちに振られたことがあると、父さんが酔った勢いで漏らしていたな。根に持っているんだろう)
生まれてすぐにアルフレッドへ魔力があると判明した時、母は「魔力なし同士が魔力持ちを産んだ。魔力持ちを見返せる」と喜んだそうだ。
けれど測定の結果、アルフレッドの魔力が雫にも満たないとわかった瞬間、母は激しい癇癪を起こしたらしい。
それ以来、アルフレッドはずっと腫れ物に触るように扱われてきた。
遠縁のセレフィアをこの家に引き取ることに決まった時、アルフレッドは身構えた。
魔術軍医の娘だなんて、優秀な魔力持ちに違いない。早く出ていって欲しいとすら思った。
だが、実際に家にやってきたセレフィアは魔力もなく、自分よりもよほど弱々しい女の子だった。
(今にも泣き出しそうな顔をして、うちへやってきたのを覚えている)
セレフィアの泣き顔を見た瞬間、アルフレッドの世界は変わったのだ。
弱くて頼りなくて、今にも壊れてしまいそうなその少女を。
――助けてあげないと。
――守ってやらないと。
そんな思いが、アルフレッドの心の奥へ根を張った。
セレフィアは、自分よりも弱くて可哀想で、庇護されるべき存在だ。
この家にずっといて、自分よりも不幸でいてくれるからこそ可愛い。
支配されているほうがセレフィアにとっても楽なはずだ。
何も考えずに、言うことを聞いていればいいのだから。
アルフレッドは本気でそう信じていた。
そのためなら、両親へセレフィアのあることないことを告げ口したし、彼女の縁談はことごとく潰して回った。
想定外だったのは、あの魔術師長だ。
(まさか、最初に握りつぶしたはずのセレフィアの縁談相手が、魔術師長にまでなるとは)
その後も、何度も何度も縁談を持ちかけてきて鬱陶しいにもほどがある。
(そもそも、セレフィアが働くことを許可したのが間違いだったのか)
ただの王宮事務なら、なんの接点もないはずだった。家に金が手に入るからセレフィアが働きに出ることを許したのに、まさか魔術省の事務官に配属されるなんて思ってもいなかった。
それだけでなく、これほど縁談を潰してきたにも関わらず、魔術師長が直接セレフィア本人と接触を図ると思わなかったのだ。
(あの男に恥という概念はないのか? 普通、縁談を散々断られている相手に、直接接触しないだろう)
挙句、そのまま自分の知らぬところで粉をかけられ、かっ攫われるとは。
(今回止められなかったのは俺が知るよりも早く話が進んで、俺が話を潰す前に両親へ話を持っていかれたからだ)
これは、自分の落ち度だ。魔術師長の執念を見誤っていた。
(きっとセレフィアは、魔術師長に言いくるめられている。あの男は狡猾で、執念深く、抜け目がない)
この家に引き取ったあの日から、セレフィアは自分のものだったはずだ。
自分が使い潰してやるはずだったのに。
(俺だけの義妹だ。セレフィアを一番理解して、愛しているのは俺だ)
「……ああ、そうか」
(取り戻せばいいのか)
奪われたのだから、奪い返す。
それまでだ。
(……でも、ただ奪い返すのは面白くないな)
セレフィア自身が「帰らなければ」と思わなければ意味がない。
そうでなければ、魔術師長に一矢報いることにはならないだろう。
皿を洗い終え、アルフレッドは手を拭く。
足早に自室へ戻ると、机の引き出しへしまったままだった古い便箋を取り出した。




