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50話


夏弥と美月梓との関係を聞かされて、どう答えていいのやら、どっと疲れた。


『とにかく梓は隆平と入籍したみたいだし、俺の役目は終了だから。もう彼女が突然現れることもないしマスコミに俺が登場することもない』


あっけらかんと笑う夏弥は、これでわずらわしい話はおしまいだとでもいうように私にキスをした。

いつもなら、私もそれに応えて気持ちを交わすけれど、何がなんだか気持ちがついていかなくて、拒むことはないけれど、ただただ受け身のキスだった。


私の胸中のもやもやに気づいていたのか、夏弥はそんな私の様子に小さく微笑んだだけ。

そして『美月梓と隆平よりも幸せになろうな』と私の耳元に甘い声を落とすことを忘れなかった。

……ずるいなあ。その声だけで、すっかり気持ちが上向きになりそうな予感。


私って簡単な女だったんだな。


『とっくに幸せだよ』


ぽろっと零れ落ちた言葉が私の真意。そして満たされる想いすべてを表す言葉だ。

そんな私の言葉に赤くなった夏弥を見て、さらに幸せな気持ちになる。

さほど若くもない私たちなのに、どうしたものか。バカップルだと自覚して、さらに気持ちは温かくなる。


……なんてばかばかしく幸せな瞬間なんだろう。


私の左手に輝いている夏弥が選んでくれた大切な指輪の内側には


『SUMMER FLOWER』


と刻印されている。夏弥の『夏』と花緒の『花』を表す言葉。特に深く考えなかったと夏弥は言っているけれど、満足そうに刻印を眺める表情からは喜びしか読み取れなくて、なんだか照れくさい。

同じ文字がマリッジリングにも刻印されているから、結婚したら夏弥の指にもその言葉は寄り添う事となる。


私にとっては結婚なんて夢のまた夢で、現実になる事はありえないと思っていたし、その夢を打ち砕かれる悲しみも経験した。

ただ毎日を生きるだけの機械になろうと思ったこともあったけど。


夏弥に愛されて、自分の存在価値を感じる事ができるようになった。

そして私の愛を受け止めてもらえる喜びも知った。


遅刻しながらも、どうにか大通りを走る車内には、ふわりふわりとまるでピンクの空気が漂っていて、これから仕事だという事が信じられない。

このまま夏弥の側にいて甘えていたいな、と弱い私は誘惑するけれど、そんな気持ちを押しやって。


「会社まで送ってもらってごめんね」


と普段と同じ口調を意識しながら運転席の夏弥に声をかけた。

くすりと笑った夏弥は、


「このまま、どっかに行きたい気分だよな。会社なんか行かずに温泉にでも行くか?」


からかうような返事。


「いいな、温泉。夏弥とゆっくり出かけたい。若い子たちみたいに遊園地とかデートらしいデートもしたいな」


「遊園地か、何年行ってないだろ。大学生の時あたりから行ってないな。……今から行くか?」


「え?行きたいけど……今日はやっぱり無理。待ったなしの仕事が山積みだから這ってでも行かなきゃ」


「俺も、だな。今日は午後から病院と併設する家の打ち合わせに行くんだ。結構おしてるから俺も休めないか」


二人で小さくため息を吐いて、そして一緒に笑った。

私も夏弥も仕事に追われて忙しい。これから結婚式を挙げるのなら、時間的にも体力的にもかなりきつい毎日になるんだろうと、簡単に予想できる。仕事の合間に二人の毎日を送ることになるんだろうな。

夏弥にとって週末は休日ではなく営業日だから、二人そろっての週末もゆっくりできるとは限らない。


車に差し込むお日様の光に照らされて輝く薬指のダイヤが視界に入って、そんな未来を教えてくれる。


すれ違いに満ち溢れた結婚生活が控えていると、言ってるようだ。


住宅会社は週末が勝負だから仕方ないか。


だから。


「私、会社を辞めてもいいからね」


自然とその言葉が出た。今までやりがいを感じながら一生懸命に仕事をしてきたし、社長賞だってもらった。

次のプロジェクトに召集されることも内々に聞かされた。

忙しくなっていくことは明白で、それに伴う夏弥との擦れ違い生活は確実だとわかる。


「やれることはやったって思うから、区切りのいいところで辞めてもいいから。だから、その時は私の事ちゃんと養ってね」


「いいのか?仕事好きなんだろ?」


「好きだけど……夏弥の方が好きだし、大切だから。比べる方がおかしいし。

夏弥にとっての週末が世間での平日だから、私が合わせて一緒に色々行きたいし、楽しみだし」


「なんか……好きの安売りされてる気がするな」


にやにや笑いながら夏弥は嬉しそうに肩を揺らした。


「仕事の事は花緒が決めればいいけど、平日も週末も関係なく、仕事中もプライベートも分けることなく、指輪はつけような。週末に、お揃いの指輪をはめて手をつないで出かけるのが楽しみなんだ」


「……え?」


「二人でマリッジリングをはめて、俺たち夫婦だぞ、でも恋人時代のまま手をつないで出かけるくらいに仲がいいんだぞって見せつけたい」


「……」


恥ずかしげもなく語る夏弥に、言葉を失った。

私の事をとても大切にしてくれるし、愛してくれているとわかっていたけれど、ここまで浮足立っているとは思わなかった。かなり、結婚を楽しみにしてることがわかって、どうにも恥ずかしい。


「週末指輪をはめて出かけるのが楽しみだ。あ、温泉ってプラチナは大丈夫なのか?変色したりしないのか」


独り言を続ける夏弥の隣で、曖昧に相槌を打ちながら、どんどん私も楽しみになっていく。


週末、二人の薬指には愛し合う証がこの先永遠に輝くはず。


そして。


「愛してるよ、花緒」


甘い言葉も何度も繰り返されるはず。



【FIN】









これで完結です。

二か月間、お付き合いありがとうございました。


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