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灰色の帰り道Ⅳ

 約束の日は思っていたよりも早くに来た。

 日曜日の午前。

 おかかたちと布団団子になっている良乃をたたき起こして引っ張りだし、例のマンションの近くでアミさんと合流する。

 アミさんの視線は、良乃(いの)が背負っている長物に吸い寄せられる。


「それ、何かに使うの?」

「あぁ、刀」

「刀」


 言葉の意味が分からなくて聞き返しているわけではないことくらい、良乃でもわかってほしい。

 その反応はごもっともだけれど、必要なものであることに間違いは無いのでスルーしてもらおう。


「それよりも、日曜の朝なのに来てくれてありがとうございます」

「うぅん、気にしないで。早く雨が降ってほしくて、柄にも無くてるてる坊主を逆さづりにしてたくらいだから」


 話を逸らすべくアミさんに声をかけると、雨の中だというのに遠足に行く子どもみたいに声を弾ませていた。


 「……きっと幸福の魔女が願いを聞き届けてくれたんですよ」


 そんな彼女にかける適切な言葉が見つからなくて、つい曖昧な顔をしてしまった自覚がある。

 けれど今のアミさんにはそんなもの、眼中にも無いのだろう。

 会いたいものにもう一度逢えるという期待と不安。

 日常では味わうことのない感情が甘い毒みたいに彼女の脳を支配しているように見える。


「それじゃあ行きましょうか」


 二人を連れてゴミ捨て場に向かう。

 ごみの回収日で無ければ本来ゴミがおかれるはずはない。

 空っぽのはずのその場所には、いくつものゴミ袋が積まれていた。


「いる?」


 良乃(いの)の問いかけに頷く。


「ペンダントしてるよね」

「してるけど、やっぱ見えないんだよね」


 本当つくづく、この手のと相性が悪いというかはなから見る気が無いのだろう。

 見ようとしなければ見えないものだとさんざん教えたはずなのに。


「まだ気配が薄いみたい。すぐ出てくると思うよ」


 一歩踏み出せば、そこが境界だったと言わんばかりに気配が一転する。

 不愉快な耳鳴りの奥に、やっぱり意味をつかみ取れない声がまとわりついてきた。

 目を閉じて意識を聴覚に集中させる。

 音の輪郭を探りながらその中心で手を手繰る。

 おはよう、おやすみ。おかえり、ただいま。

 音が意味となり忌みを表す。

 息が詰まりそうな暗闇のその中で。


「◾️◾️」


 記憶を掘り返す声がする。

 良乃とは違う、低くて柔らかくて温かい声。

 その声を逃したくなくて、手を伸ばした先。


「たろすけ!」


 【怪異】が降り立った。

 それと同時に纏わりついていた声が霧散し、そこには実態だけが鎮座している。


「アレがそう?」


 いつのまにか隣に立っていた良乃(いの)が指を刺した先には、前回見た時よりもさらに体積を増した【怪異】。

 そして、それに臆することなく手を伸ばすアミさんだった。

 私が頷いたのを確認した良乃は、引っ提げていた長物の袋から身を抜き出す。

 雨を受けてなお冷たい光を纏うそれを、何の躊躇いもなく【怪異】に向ける。


「斬っていいんだっけ?」

「うん、任せたよ」


 私のゴーサインを受けて良乃(いの)が走る。

 たろすけを見ているアミさんなんて目もくれず、真っ先に、寸分の狂いも無く影を斬る。


「あ」


 良乃(いの)の間抜けな声を嘲笑うかのように、影が再び形となって私たちの前に現れた。

 思っていたよりもまずいかもしれない。

 一つの想定外が起きれば、それはドミノ倒しのように最悪の連鎖を生み出す。


「何するの!」


 アミさんが今にも良乃(いの)を殴りそうな勢いで叫んだ。

 あの人の目にはきっと、良乃がたろすけを斬ったように映ってしまった。

 それは紛れも無い敵対行為。家族を傷つけられた者の憤怒。

 或いは、もう一度喪うという恐怖。

 だというのに、良乃は間違いなくこの状況の不味さを理解していない。

 否、斬れなかったという事実は理解しているだろうし、対処方法だってきっと考えている。

 良乃が理解していないのは、今までもずっと理解できていないもの。


「下がってなよ。巻き込まれるよ」


 それが間違いなくトリガーとなった。


「やめてよ! たろすけに手を出さないで!」


 彼女の悲痛な本音が雨音をかき消す。

 それを肯定するかのように影がアミさんを包み込む。

 どうしよう、全部間違えた? やっぱりアミさんを連れてくるべきじゃなかった。そうか私一人で無理矢理対処すれば良かった。

 思考の整理を間違えた脳が停止する。呼吸の仕方を忘れた喉が引きつけを起こす。

 苦しくて怖くて情けなくてそんなのじゃ無くてちゃんとしないといけないのに身体も頭も言うことを聞いてくれない。

 だと言うのに。


 「莉音、これどうする?」


 ただ一人、雨に濡れようが糾弾されようが【怪異】を前にしようが何も変わらない良乃(いの)が、今日の夕飯を聞くみたいに尋ねる。

 どうして良乃は平気な顔でいられるの?


「斬ったときの感触が違ったんだよね。何かとつながっている感じって言うのかな」


 雨みたいに冷たくてつるつるな声は、こちらの感情などお構いなしといわんばかり。

 私のショートした頭を冷やすように降り注いでいく。

 そうだ、ここでパニックになっている場合じゃない。間違えたなら軌道修正しないと。

 小さく息を吸って肺に湿った空気を取り入れる。

 大丈夫、大丈夫。

 自分に言い聞かせて、前を見る。

 アミさんにとってあれはたろすけなんだ。

 大好きで大切な家族であり、もう一度会いたいと願った存在。

 じゃあアミさんはどうして、もう一度会いたいと願ったのだろう。


「アミさん」


 一歩距離が近付く。


「来ないで! たろすけをいじめないで!」


 拒絶するようにアミさんが後ずさる。

 それでも私は知らないといけない。彼女のことを。


「アミさんはどうして、たろすけに会いたいと思ったの?」


 想像するなら簡単だ。

 寂しいから、ただもう一度会いたいから、また遊びたいから。或いは、見送れなかったから。

 理由なんていくらでも見繕えるけれど、本当の理由も感情も、全部その人だけのものだ。

 これだけは、きっと誰にも汚されていいものではないから。


「もしよかったら聞かせて欲しいな。貴方の思いを」


 しゃがみ込んで怯えと拒絶を滲ませた彼女と目線を合わせる。

 怖いものなんて映さなくていいように、私だけが映るように濡れた瞳を覗き込む。


「大丈夫だよ。誰もあなたもたろすけも傷つけないから」


 距離を詰められないよう突き出された手をそっと包み込む。

 雨で冷えた手が痛々しくて、だからこそ熱を込めるように一層握りしめる。

 そこで感情が一つ剥がれ落ちるように腕の力が抜け落ちた。


「……寂しかった」


 ぽつりと一言。瞳から溢れた涙と一緒に言葉が落ちる。


「私が家に帰ったらもう死んじゃってて……私、さよならもできなくて……っ」


 彼女の感情が留まることを知らずに次から次へとあふれていく。

 この人も私と同じなんだ。

 お別れができないまま、記憶にある幻影を引きずって前が見えなくなって。

 そうしてたどり着いたのがゴミ捨て場だったんだ。


「そっか。ちゃんとお別れできなかったんだね」


 でももし、今アミさんがたろすけを見ているのなら。

 例えそれが幻影なのだとしても、その人にとって意味があるのなら。


「じゃあ、今ちゃんとお別れしよう。そのためにたろすけもここに来てくれたんじゃないかな」


 彼女の背後に渦巻く【怪異】を見やる。

 それは相変わらず私には影にしか見えないけれど、きっと彼女の中には記憶と変わらないたろすけを見ることができるはずだから。


「たろすけ……?」


 彼女がそっと手を伸ばす。

 影の中に飲まれた手が、何かを撫でるような仕草を見せた。


「ごめんね、そばにいてあげられなくて」


 彼女の言葉に、アミさんのたろすけはなんて返すんだろう。

 でもそれは私が代弁するものではない。

 思い出は思い出のまま、誰にも邪魔をされずに保存されるべきだから。

 例えそれは【怪異】にだって汚されていいものではない。


「……うん、元気でね、たろすけ」


 彼女の手が離れると同時に、澱んでいた空気が吹き抜けていくのを感じる。

 きっとアミさんのたろすけが空に昇ったのだろう。

 ならここにいるのはただの【怪異】だけだ。


「良乃」


 名前を呼べば一閃。

 埃を払うノリで振るわれたそれによって、今度こそ影は姿を消した。

 いつのまにか雨が止んで、向こう側に久しぶりの蒼空が覗いている。

 ずぶ濡れの良乃はそんなこと気にしていないのか、刀を鞘に戻して一応こちらを気にしているように視線を投げてきた。


「ありがとう、莉音ちゃん。たろすけに会わせてくれて」


 少し赤い目のアミさんがようやくスッキリした顔で微笑んだのを見て、こちらもつられて顔が緩んだ。


「私じゃないよ。幸福の魔女が連れてきてくれてたの」

「幸福の魔女……?」

「心理学部の噂。小さなお願いを叶えてくれるんだ」

「へぇ、心理学部って面白い噂があるんだね」


 うん、と頷いていつのまにか放り出していた傘を拾い上げる。

 今日はもう帰ってお風呂にしよう。


「良乃、ちゃんとお風呂浸かりなね」

「んー、気が向いたら」


 これは入らないやつだな。風邪ひいても知らないんだから。


「それじゃあ帰ろっか」

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