灰色の帰り道Ⅱ
その日は珍しいものがそこにあった。
調べものをしていたらすっかり徹夜してしまった代償に、ちゃんと寝坊してしまった日。
そのせいでお弁当を用意する暇も無く、おまけにいつも一緒にお昼を食べる友達は、今日は授業がないからと学校に来ていない。
仕方なく生徒と教員でごった返す食堂に行ってみれば、良乃が誰かとお昼を食べている姿が目に留まった。
同じテーブルをはさんで座っているのに、スマホを片手に黙々と食べている良乃と、そんな良乃にお構いなく楽しそうに話しかけている人。
白という言葉を擬人化したような人が例の白乃さんだろうか?
どうせならマンションのゴミ捨て場の話を聞きたいけれど、私初対面だしな……。
良乃に連絡して聞いてもらおうかとスマホを取り出した時、うっかり良乃と目があってしまった。
あんまり大学では良乃と話さないけれど、ここで目をそらすのも何か違う気がして、諦めて彼らのテーブルに近づく。
「良乃って食堂で食べてたんだ」
「莉音がここに来るなんて珍しいね」
「まぁ、ちょっとね。気分転換」
良乃と話していると、反対側から視線を感じてそちらを見る。
推定白乃さんが興味深そうに私を見ていた。
「良乃の友達?」
聞かれてから、そういえば良乃との関係ってなんていうんだろうと考える。
恋人は絶対違うし、友達なのかと言われたら微妙。かといって相方とかそういうのではないけれど、良乃の家にはよく行くし……。
「えぇと……後輩? です」
にこりと返せば、今度は良乃の方から何言ってるの? という視線が投げられる。
良乃の方が年上なので、後輩自体は間違っていないはずなので無視した。
「そうなんだ。僕は君島白乃だよ、よろしくね」
「白乃先輩ですね、初めまして。お食事中にお邪魔しちゃってごめんなさい」
「うぅん、気にしないで。席いっぱいだし、もし一人なら一緒にどう?」
当然のように椅子を引かれ、こっちが引くに引けなくなってしまった。
良乃は良乃で特にリアクションもないし。
「じゃあ、お邪魔しますね」
白乃さんからゴミ捨て場の話を聞く良い機会だと割り切って、二人の食事の中に加わることにした。
一度荷物を置いてから、注文だけ済ませていたパスタを取りに行く。今日の日替わりパスタはトマトとナスのパスタだった。
「莉音ちゃんも薬学部なの?」
席に戻るなり白乃さんに聞かれ、首を横に振る。
「私は心理学部ですよ。白乃先輩はどちらですか?」
「僕は神学部だよ。良乃とは高校が一緒だったんだけれど、まさか大学も同じになるなんて思ってなかったな」
「ほんとにね」
一足先に食べ終えた良乃がスマホから顔を上げて笑う。
良乃とこんなに長い間関係を保てる白乃さんはいったい何者なんだろう。
良乃とはまた違った違和感のような気配があるけれど、今のところ普通側の人にも見える。
「白乃先輩は良乃……先輩と仲がいいんですね」
「うん。お昼はよく一緒に食べてるよ」
「すごいですね、学部違うのに」
学部が違えば顔を合わせる機会なんてうんと減る。現に私は大学で良乃と会うことは本当に無い。
かなりの生徒数がいて、なおかつ普段使う教室はフロアから違うのでおかしな話ではないけれど。
「白乃からよく連絡が入るんだよね。今日はここで食べようって」
「でも誘ったら来てくれるよね」
「断る理由がないからね」
良乃が断らない相手、か。本当にただ仲がいいだけじゃないように見えるけれど、多分この二人の間に、私と良乃のような関係はない。
ただ本当に、お互い居心地がいいから一緒にいるだけなのかもしれない。
それにしても神学部か。
確か宗教について学ぶ学部のはずだけれど、そこでゴミ捨て場の話が広がっているって言うことなのかな。
「そういえば、神学部ってどんなこと勉強するんですか?」
私が訪ねると、白乃さんはあぁ、と快く説明してくれた。
「宗教のことを勉強する学部だよ。うちの大学だとキリスト教が中心だね」
「白乃先輩、そういうの興味あるんですね」
「うん、僕のいるところがそうだからね」
そう、ってどういうことだろう。家がキリスト教を信仰しているってことなのかな。
珍しいことではないとは思うけれど。
「神学部っていろんな噂あるよね」
コップに残った氷をカラカラ鳴らしながら良乃が会話に入ってくる。
「うん、最近だと××マンションのごみ捨て場の話とかだね」
そう、それだ。心理学部では聞かない噂話。
良乃の話では、そのマンションのゴミ捨て場で、雨の日に会いたい家族に会えるっていう話だったっけ。
「心理学部だと聞かない話ですね」
「そうなんだ。見たって言っている子がいるのはうちの学部だから、神学部が中心になっているのかもね」
「見た人がいるんですか?」
もしこれが本当なら、ただの噂ではなく輪郭があるものになる。
目撃者が多ければ多いほど、ソレは形を得て実態となり、より力を増す。
「うん。僕も人から聞いたくらいなんだけれどね。死んじゃったおばあさんに会いたいと思っていた子がそのおばあさんと会ったとか、あとはご家族が離散しちゃった子が、もう一度お父さんに会えたとか」
すでに二人も目撃者がいるのであれば、確かめる価値はあるかもしれない。
仮にこれが幸福の魔女によるものでないのだとしても、その条件なら――。
「でも、ちょっと変な話もあってね」
まだ続きがあるんだ。良乃はそんなこと言ってなかったけれど。まぁ多分、興味がなかったからここまで深堀しなかったんだろうけれど。
「その子たち、それきり大学に来ていないんだ」
なんてことが無いように。明日休校なんだのノリで白乃さんが言う。
「来てないって……体調不良とかですか?」
「うぅん、僕は聞いてないな。ただ、みんな最近見てないねって話しているのを聞いたから」
見た人が消されたのか、自ら失踪したのか、たまたま学校に来ていないだけなのか。原因はいくらでも考えられる。
本当なら目撃したという人に直接話を聞ければよかったのだけれど、いないのであれば仕方ない。
最近は雨の日が多いから、ただ体調を崩しているだけということだってあり得るし、まだ原因を断定するには早すぎる。
「それは心配ですね。早く学校に来るといいけれど……」
「うん、みんなもそう言ってた」
そう言いながら、白乃さんの視線が窓側に移る。
それにつられて外を見ると、いつもなら明るい光が差し込むはずの空が鈍色の雲に覆われていた。
窓に無数の雫が張り付いて、その一粒一粒に世界が映し出される。
「今日の天気予報って雨だったっけ」
「いや、急に降ってきたみたいだね」
スマホの雨雲レーダーを見ながら良乃が答える。
本当なら洗濯物の心配とかをするべきだけれど、今の私には全部些末な問題だった。
条件は思ったよりも早くにそろった。
食べ終えたお皿を持って立ち上がる。
「すみません、用事があるので失礼しますね。お邪魔しました」
白乃さんに挨拶だけして、それから良乃に行くよ。と視線を送る。
面倒くさそうな顔をしながらも、良乃も習って席を立った。
「あれ、良乃まだ授業あるんじゃなかったっけ」
「今日のはさぼっても大丈夫なやつだから。またね、白乃」
大学を出ると、外は静かな音に包まれていた。
アスファルトの湿った匂いと、少し冷やされた空気。
カバンから折りたたみ傘を取り出したところで、良乃が傘を出すそぶりを見せないことに気づく。
「良乃、傘持ってないの?」
「え、うん。家出た時雨降ってなかったから」
最近は天気の移り変わりが激しいんだから、折りたたみ傘くらい持っておけばいいのに。
仕方ないので大学内にあるコンビニでビニール傘を買わせ、目的地に向かう。
途中、じっとりした空気の溜まった路地に何かが潜んでいる気配を感じつつ、今は用がないので無視して歩いていけば、例のマンションにたどり着いた。
外から見た感じとしては、普通の七階建てのマンション。
駅前から近いこともあり、おそらくファミリー向けのマンションだろう。
こんなにも人の気配がありそうな場所だというのに、どこか違和感がぬぐえない。
それは視覚的なものでなく、空気的な、感覚的なもの。
間違いなくここには何かが居る。
「良乃、何かわかる?」
隣に立つすこし高いところにある視線に問いかければ、さぁ。と首を傾げられる。
「なんにも。こういうのは莉音の方が詳しいでしょ」
まぁそうなんだけれど。ちょっとでも良乃に期待した私がバカだった。
改めてじっとその場所を観察する。
すでにいくつかゴミ袋が出されている以外はいたって普通のゴミ捨て場。
特に施錠されているわけでもないので、部外者である私たちも難なく入り込める。
ぱっと見ただけでは何もない。これはもう少し踏み込んだ方がいいのかもしれない。
ローファーが道に薄く張った水を踏みしめ、水面が揺れる。
それに呼応するように、空気が、鼓膜が揺れる。
「――――」
誰かの声が耳にまとわりついて、辺りを見回す。
けれどそこにいるのは良乃だけで、もちろんそれは良乃の声ではない。
それならこれは誰の声?
一度その声を認知してしまったせいか、増幅するようにあちこちから声が聞こえる。
意味をなさない音、けれどそれは確かに声で。
私に向けられたものではないのに、私の意識から逸らせない。
誰かを呼ぶ声、笑い声、話し声。
「莉音」
息が詰まりそうな閉塞感を払ったのは、実態を持った声だった。
顔をあげれば、いつも通りの表情の良乃がそこに立っていた。
「なんかいるの?」
「わかんない、けど……声が聞こえたの」
「ふぅん。おれは聞こえなかったから、また【怪異】の仕業じゃない?」
あぁ、やっぱり幸福の魔女じゃないのか。
そうわかってしまえば、熱が雨に流されていく。
【怪異】が原因なら私に用はない。
今日はもう帰って、ゆっくりお風呂にでも入ろう。
ゴミ捨て場に背を向けた時、こちらに向かって歩いてくる一人の女の人が見えた。
多分私と同い年くらい。それだけなら特に気にも留めないけれど、歩いている様子がおかしかった。
ふらふらとした足取りで、どこかおぼつかない。
酔っぱらっているというよりは、心ここにあらずといった様子がぴったり当てはまる。
具合でも悪いのだろうか。家で暖かくして早めに寝た方がいいだろう。
そう思いながらすれ違ったとき、彼女の唇が動いた。
「たろすけ、ここにいるの?」
間違いなくそれがトリガーだった。
じめついた空気は一瞬にして音を失い、代わりに重圧となってその場に降り注ぐ。
直感が、ここは危険だと警告を鳴らし続ける。
とっさに振り返ったそこにいたのは、噂話がどれだけ脚色されていたのかを思い知らされるものだった。
影のようなものが獣の形を取り、こちらを捕食対象として見ている。
だというのに、女性はまるで迷子になっていた子犬を見つけたかのような声色でそれに話しかけている。
「やっぱりここにいたんだね。ほら、帰ろう?」
違う、それは間違いなく貴方が探しているものではない。
「良乃!」
カバンから青色の宝石がぶら下がっているペンダントを取り出して良乃に投げつける。
それを受け取った良乃が、そこでようやく声を漏らした。
「やっぱりそっちだったんだ」
「あの人連れて離脱するよ」
「はいはい」
場の空気に似合わないくらい軽くていつも通りの無駄の多い返事。
けれど今はそれを指摘している場合ではない。
女性の腕を引いて、彼女の意識を【怪異】から逸らす。
「え!?」
「話はあと!」
あれの危険性を説明するには今はあまりに時間が足りな過ぎる。
影の足元で、ふわふわな毛並みの豆しばの姿が反射する。けれどそれはすぐに良乃の靴が踏みしめて搔き消えた。
さしていた傘を閉じた良乃が、それを刀のように振りかざす。
敵対行為と判断されたのか、影の前足が安いビニール傘を簡単にへし折ってしまった。
「あ、ダメだった」
「当たり前でしょー!?」
やっぱ使えない。
仕方ないのでここは退散した方がいい。
「逃げるよ」
女性の腕を引っ張り、靴下が濡れるのを気にする間も無く住宅街を走り抜ける。
やがて駅前まで出てくれば、この雨の中ろくに傘もささずに走る私たちを怪訝そうな顔で見やる人の視線も増えてきた。
ここまでくれば大丈夫だろう。本当はどこかで一息付ければいいんだけれど。
そこでふと、この前話していたカフェが目に入った。丁度いい、あそこにしよう。
「え、えっと……」
声をかけられて、そういえば彼女に何も説明していないことを思い出した。
「ご、ごめんなさい! 私怪しい者じゃなくて、えーっと……」
一般人にどうやって説明をしようか思考を巡らせている間に、良乃が口を開く。
「様子がおかしかったから連れてきたんだよね」
「ちょっと!」
「でも本当のことでしょ?」
悪びれる様子も無く良乃が肩をすくめる。やっぱり気遣いとかそういうのを実家に置いてきたんじゃないかな。
私たちのやり取りに置いて行かれていた彼女が、ぽつりとつぶやいた。
「やっぱり、私おかしかった、かな」
その言葉に、つい私も口を噤んでしまう。
彼女が何を聞いて、何を思ってあの場所に行ったのか。
それを聞かないことには、肥大化した【怪異】をどうにかする術はない。
「えっと……もしよければすこしお話しませんか? あそこに丁度いいカフェがあるので」
私がカフェを指さすと、女性は少し迷ってから小さく頷いた。
カフェのドアを開けると、柔らかな明かりとコーヒーの香りに出迎えられる。
天気と時間帯のせいか、運よくすぐに席に通された私たちは角のボックス席に腰を下ろした。
各々好きな飲み物を注文し、待っている間に女の人が口を開いた。
「あの~……ところでどちら様?」
まぁそうなるよね。私がこの人の立場だったら多分良乃を不審者として通報していた。
「えぇっと、私近くの大学に通っているんですけれど、あのあたりで不思議な話を聞いて興味本位で見に行っていたんです」
嘘にならない程度に当たり障りのない部分を開示すると、彼女が私たちを見る目がぱっと変わった。
「え? この辺なら私も同じ大学だよ。神学部では見ないからほかの学部の人?」
あぁ、神学部の人だったんだ。それならいくらか話しやすいかもしれない。
「はい。あ、私喜多見莉音って言います。学部は心理学部。こっちは薬学部の簾良乃」
私に名前を呼ばれた良乃がメニューから顔を上げて、ようやく彼女の顔を見た。
「簾良乃です、どうぞよろしく?」
「莉音さんと良乃さん。私佐東アミって言うの」
そこで少し彼女--アミさんの肩の力が抜け落ちたように見えた。
ちょうどそのタイミングで注文した飲み物……と、多分良乃が注文したサンドイッチが運ばれてきた。夕飯前なのに食べるんだ。私はパンケーキを我慢しているって言うのに。
「アミさんはどうしてあの場所にいたんですか?」
アイスティーにガムシロップを絡ませながら訪ねると、アミさんは少し困ったように眉を落とした。
「神学部で噂になっているの。あのゴミ捨て場に行くと会いたい家族に会えるって。それがもし本当なら、たろすけ……えっと、飼っていたペットにもう一度会えるんじゃないかなんて思っちゃって」
そこでようやく、噂の言葉選びに納得した。
会いたい人ではなく会いたい家族である理由はちゃんとあったんだ。
「たろすけはまめしば?」
私が聞くと、アミさんは少し驚いた顔をした。
「なんでわかったの?」
「なんとなく……名前がまめしばっぽいなって思って」
水面に映っていた姿をあいまいに笑ってごまかす。
「たろすけは私が小さいころから一緒だったんだ」
壊れ物をそっと取り出すように、スマホの待ち受け画面をなでながらアミさんが話しだした。
「元気いっぱいで、私が帰ってくるとすぐ駆け寄ってきてくれて……手がかかるけれど本当に可愛かったんだ」
「……大事な家族だったんですね」
「うん。でも、もうおじいちゃんだったから……最後の方は全然歩けなくなっちゃって、先月死んじゃったんだ」
そんな時、ゴミ捨て場の噂がアミさんの耳に入った。
四十九日も経っていない頃合いだろうか。きっと私みたいにもしかしたらという願いを捨てきれなかったのだろう。
そして【怪異】はそんな隙間につけこむ。
噂と、必要としている人間。条件は十分だ。
「それで……たろすけには会えたんですか?」
返ってくる返事はさて、どっちの方がマシかを天秤にかけながら訪ねると、アミさんは怖いくらい穏やかな顔で答えた。
「うん、いたよ」
視線の行き場と返答に迷って、助け舟にもならない良乃の方へ視線をずらした。
いつの間にか食べ終えていた良乃は相変わらず興味なさそうな顔でパセリを咀嚼していた。パセリは別に食べなくていいからね。
「じゃあ……悪いことしちゃいましたね」
「まぁ、急に引っ張られてびっくりはしたかな」
氷だけが残ったアイスコーヒーをかき混ぜながら笑われる。
「でも、この噂を確かめに行った人がみんな学校に来ていないって聞いて、心配になっちゃって」
【怪異】の見せる幻想に浸っているだけならまだマシだ。
最悪あれに食べられたか飲まれたか。どちらも最悪なことに変わりはないけれど。
「うん、知ってる。でもやっぱり確かめたくなっちゃって……気づいたらあそこにいたけれど、いってよかったって思っているよ」
少し興奮気味に話すアミさんの目が少し濁ったように見えた。
あぁ、ダメだ。このままだとあちら側に吞まれてしまう。
元々用はなかったし、所詮幻覚を見せるだけの偽物なら猶更だったけれど、あそこまで育ってしまった【怪異】をほっておけば別の問題に発展する。
それが大事な友達に降りかかるのは、それはダメだ。
少し危険だけれど、確実に終わらせるなら彼女をもう一度あそこに連れて行かないといけない。
あの【怪異】を完成させたのは彼女の思いだ。
もう一度呼び出すには私や良乃だけじゃ足りない。
「じゃあ、次雨が降ったらもう一度行ってみませんか?」
「え?」
カラカラとなっていた氷の音が止まる。
呆けた顔をする彼女に、精一杯優しい声で――幸福の魔女ならきっとこういうから。
「私が、もう一度逢わせてあげる」




