灰色の帰り道Ⅰ
久しぶりに小説を書きました。この二人は一生付き合うことはありません。
「じゃあ幸福の魔女にお願いしてみたら?」
3限目の心理学概論の授業の時間。教壇で黒板に向かっている先生を他所に、隣の席の子がそんなことを口にしていた。
「幸福の魔女?」
「知らない? 最近大学ではやってるおまじない」
知ってる知ってる。幸福の魔女にお願いを口にすると叶えてくれるっていう噂だよね。もちろん、私が一番よく知っている。
「そんなのあるんだ」
「ま、お金持ちになりたいとかはかなわないっぽいんだけれどね。明日の小テストでいい点が取れますようにくらいだったら叶えてくれるんじゃない?」
そのくらい、幸福の魔女にとって造作もないことだ。本当ならもっと大きな願いだって叶えてくれるーー少なくとも私はそう信じている。
もっとも、それを知っているのは私だけで十分。
新しいルーズリーフを取り出して、真っ白な紙の上にシャーペンを走らせる。
テスト勉強は本来一夜漬けで行うものでもないけれど、ないよりマシなはず。何より、私にとっての復習にもなるので一石二鳥だ。
一通り小テスト範囲を書き出し、それからカバンの奥底で眠っていた小瓶を取り出す。
コルク瓶を開ければふんわりと優しいハーブの匂いが小瓶から漏れ出した。
急拵えだけれど、リラックス効果だけを期待するならこれで十分なはず。
最後に手帳に挟んでいるシールを、折り畳んだルーズリーフに貼ったらお手紙も完成。
幸福の魔女はきっとルーズリーフじゃなくて、ちゃんとかわいい便箋にシーリングワックスやリボンで封をすると思うけれど、今回は仕方ない。
あとはこれを隣の子のカバンに忍ばせれば幸福の魔女のお仕事はおしまい。
あ、でも、ちゃんと自分でも勉強しないと意味ないから、そこは頑張ってねと念を押したところでちょうど授業が終わった。
私の今日の授業はこれでおしまい。この後は行く場所があるのでカバンに教科書を詰めていると、別の席に座っていた子に声をかけられる。
「莉音、今日このあとみんなでカフェ行こうって話してるんだけれど、莉音も行く?」
「んー……行きたいけれどごめんね、今日用事あるんだ」
「えー? 今日から新作のパンケーキだよ? いこうよ〜」
新作のパンケーキ……確かカスタードプリンが乗っていたはず。どうしよう、かなり食べたい。食べたいけれど、今日はやっぱりやらないといけないことがある。
「明日……明後日なら行けたかな。誘ってくれてありがとね、今度絶対一緒に行こ」
「莉音が甘いものより優先するなんて……まさか男!?」
「あ、それは違う」
断じて違う。それだけはない。あいつは一生かかっても、天地がひっくり返ってもそんな対象にはならない。
そんなことになるくらいなら多分死んだほうがマシだと思う。……流石に言い過ぎだけれど。
また明日ね、とパンケーキに後ろ髪を惹かれつつ教室を出る。
6月のまだ日の高い空から溢れる光がリノリウムを照らす。
そろそろ帰宅する生徒と、まだ授業が続く生徒がまぜこぜになる廊下を進んで外に出れば、一足早い夏空と目があった。
「日傘持ってくれば良かった……」
日焼け止めはもちろんしているけれど、そろそろ日向にいるには暑いが勝ちそうな気温の中。
冷蔵庫の中身を思い出しながらスーパーへ寄り道をして、ついでにお菓子も買い足しておく。
こっちは課題をやりながら食べる楽しみとしてとっておきたいけれど、そのまま置いておいたら勝手に食べられてしまうかもしれない。名前でも書いておこうかな。
そんなことを考えながら予定外に重くなったビニール袋を持ち直して、鍵穴に鍵を差し込む。
その音に反応したのか、ドアを開けると靴の代わりに白猫と黒猫の双子がお出迎えをしてくれた。
「たつ、とも、ただいま。良乃は……」
いないよ。とばかりににゃあ、と返事が返ってくる。そういえば四限までだったっけ。薬学部って大変なんだな。
双子たちと一緒にリビングに向かえば、大将のおかかがおなかを出して寝ていた。
「おかか、お邪魔するね」
大将にはちゃんと挨拶をしておかないと。
猫たちの様子を見ながら冷蔵庫を開けると、相変わらず生きる気があるんだか無いんだかわからない中身と目が合う。
買ってきたものの中から、これから使うもの以外を冷蔵庫につめておなか一杯にさせておく。
どうせ良乃が帰ってくるまで時間があるのだから、作り置きの一つでも作っておいてあげよう。
「よし」
勝手に置いているお気に入りのエプロンを結んで気合を入れる。
今日はせっかくだから大皿グラタンでも作っちゃおうかな。
キッチンでリズミカルな音が続けば、たつとともが足元に寄ってくる。
「今玉ねぎ切ってるからこっち来ちゃだめだよ」
猫に玉ねぎは毒だからね。食いしん坊でなんでも食べちゃうんだから。
それでもうろうろしてる二匹の子守をおかかに任せると、おかかは二匹を一瞥したあとのっそりと起きだした。
子猫たちのことは大将に任せて、再びキッチンに戻る。
野菜を切りながらフライパンに火をかけ、バターを溶かしておく。
良乃は今のところ嫌いなものがなさそうなので、何を入れてもいいのが楽で助かる。
野菜やお肉をフライパンに入れながら、そういえば牛乳がもうすぐでなくなりそうだったのを思い出した。
まぁ飲み物は重いし、家主に自分で補充してもらうことにしよう。
バターのいい匂いを纏わせて具材たちを耐熱容器に移し、たっぷりのチーズとパン粉をかけたらあとはオーブンにお任せ。
この間に副菜でも作っちゃおう。この家に置いていたってどうせ大して使われないのは勿体無い。
色鮮やかなパプリカを炒めている頃、リビングで遊んでいたたつがピクリと耳を立てて玄関へと走り出す。
「ただいま」
声と共に片手にたつを抱えた家主が姿を現す。相変わらず夜みたいなニンゲンだな。
黒髪も、何を写しているのかわからない目も、静かな足音も。
「なんか作ってる」
「あ、ちょっと!」
味付けしたばかりの、それもフライパンに居座ったままの炒め物をひょいっとつまみ、口に放り込む。
「手洗ってからにして」
「これ美味しいね」
褒めても無駄なんだけれどな。でも美味しかったなら良かった。
「ほら良乃、手洗ってきて。ご飯できてるよ」
「はいはい」
良乃をキッチンから追い出して盛り付けをしていく。この時間なら私も一緒に食べてしまおう。
オーブンから取り出したグラタンはパン粉とチーズがいい感じに焦げてカリカリに仕上がっている。うん、今日も上手にできた。
二人分の食器を並べて、良乃用にフランスパンも切った頃に家主が戻ってきた。
「グラタンだ」
「うん。いっぱいあるから二日くらいは食べられるよ」
「そう。いただきます」
私もクッションを用意してから手を合わせる。
暖かな湯気と伸びるチーズを纏ったグラタンは、ほんの少し口の中を火傷しかけたけれどちゃんと美味しくできていた。
「熱いから気をつけてね」
「大丈夫、美味しい」
黙々と口に運ぶ良乃を眺めながら、時々かまって欲しそうな双子猫を構いながら食べ進める。
お皿が空になった頃、ふと良乃が口を開いた。
「またでたよ、幸福の魔女」
「ふふん、そうでしょ」
昨日は別れそうなカップルのすれ違いと誤解を解いた。今日幸福の魔女にお願いしたあの子も、きっとお願いが叶うはずだ。
「まだやってるんだね、幸福の魔女ごっこ」
買ってきたばかりのお菓子に手を伸ばしながら、感情の読めない声色で言う。
そこに含まれるのが軽蔑なのか嘲笑なのか、はたまた同情なのか憐憫なのか。きっと良乃から読み取れる日はしばらく来ないのだろう。
「でもそれで喜んでる人がいるよ」
「まぁ好きにしたら?」
もちろんそのつもりだ。良乃に止められたってやめないし、そもそも止める気はさらさら無いのだろう。
「じゃあマンションのゴミ捨て場も莉音?」
「ゴミ捨て場?」
思ってもいない単語に思わず聞き返してしまう。
どこのマンションか知らないけれど、少なくとも私はそんな場所で何かした覚えはない。
その反応を見た良乃は、あぁ。と一人納得した様子だった。人に話題を振っておいて自己完結しないでほしい。
「なんの話?」
「雨の日に××マンションのゴミ捨て場で、もう一度会いたい家族の姿が見れるって噂」
もう一度会いたい家族。
嫌でもあの人の顔がよぎってしまう。ずっと探している、会いたい人。
もしそれが幸福の魔女の仕業なのであれば。そうでないと言う可能性がゼロではないのなら、私は確かめなくちゃいけない。
「その話、どこで聞いたの?」
「大学。白乃が言ってた」
「白乃……?」
良乃の口から個人の名前が出てくるなんて思ってもいなかった。と言うか良乃って大学の人の名前覚えてたんだ。
「おれの高校からの知り合い」
「良乃って友達いたんだ」
うっかり本音が漏れた。でも今まで聞いた限りの良乃の交友関係なんて、せいぜい大学の同期止まりしかないと思っていたから。
そんな私の本音に良乃がカラカラと笑った。
「莉音はおれのことなんだと思っているの?」
「人付き合いレベルマイナス100」
本当は他にも何を考えているかわからなくて、感情が読めなくて、なんなら感情も無いと思っていたし、家で猫を飼っているだなんて誰も想像できないと思っている。うん、全部悪口だ。
「ひどいなぁ、傷つくよ」
「傷ついてないくせに」
私が悪態をつけば、まぁね。と返される。
ほらやっぱり。
「それで、白乃さんはなんて言っていたの?」
食べ終わった食器をシンクに運びながら良乃に先を促す。しょうがないので洗い物まではしてあげよう。
「そのままだよ。白乃も学部の人から聞いたんだって」
近くで幸福の魔女の目撃情報でもあればと思ったけれど、そう簡単ではないみたい。まぁ、簡単に見つかったらこんなに苦労はしないのだけれど。
「そのマンションってどの辺にあるの?」
「うちから近いよ。大学の途中」
ほら、と良乃がスマホのマップを見せてきた。どうやら丁度良乃の家と大学の間にあるみたい。
「私の家からだとちょっと遠くなるね」
するりとキッチンに入り込む良乃を横目に、泡まみれになった食器を洗い流していく。
そもそもその噂が本当なら、まず雨の日を待たないといけない。
「魔術って雨降らせられないの?」
「そんな簡単じゃないよ。そもそも私の専門外」
良乃は時々魔術を便利道具みたいに見ているけれど、魔術にできるのはせいぜい人間ができることだけだ。
もっと昔の時代だったらもう少し簡単にできたかもしれないけれど、神秘の薄れた現代においてそれは非常に困難なことだ。
「あ、アイス」
「ダメ! それ私が家に持って帰るやつ!」
せっかく奥の方にしまっていたのに。なんですぐに見つかっちゃうんだろう。
「帰りに買えば良かったじゃん」
「美味しそうだったから……つい」
良乃からアイスを取り上げて冷凍庫にしまい直す。
代わりに良乃用に買っておいた安いソーダアイスを押し付ければ、良乃は文句も言わずに袋を開けた。
「それで、行くの?」
アイスを咥えながらソファに寝転がる良乃をソファにするおかか。
どっちも相手にお構いなしなのはいつもの光景だ。
「勿論。着いてきてね」
「え、めんどくさい」
「お夕飯作ってあげた上にアイスまで買ってきてあげたのに?」
これはたまたまだけれど、とりあえずの交渉材料としておく。
もっとも、マンションの噂が聞けたのでこちらとしては棚ぼたなのだけれど。
「莉音の頼み事って基本碌なことないし」
「そんなこと無いよ」
「この間の幽閉空間騒動」
「あれは私のせいじゃないし」
「その前の魔術師との喧嘩」
「売られたケンカは買わないと失礼だよ?」
まずい。このままだと延々と過去の件を掘り下げられてこちらが不利になる。なんとか話を戻さないと。本当余計なことばかり覚えているんだから。
「お、面白いもの見れるかもしれないでしょ!」
そこでようやく良乃の減らず口を押し込むことに成功した。
実のところ、良乃はこの件にそこまで面白みを感じていないはずだ。
噂のことだって、もし興味があればもっと根掘り葉掘り聞き出して勝手に見に行っていたと思う。
強いて言えば、今回も私がやったのか否か。或いは、人の仕業として解明できるかどうか。そこにしか興味の矛先は向いていない。
それでも、私と良乃の間にある契約を加味すれば、髪の毛の一本くらいは興味を示してくれるかもしれない。
そして私の目論見は上手く働いた。もしかしたら良乃に見破られた上で乗っかられてるだけかもしれないけれど。
「じゃあつまんなくなったら帰るね」
棒だけになったソーダアイスを咥えながら、良乃の興味はもうスマホに移っていた。
「それでいいよ」
少なくとも、一人で行くよりうんとマシだ。最悪一人でなんとかすれば良いし。
最後に軽くシンクの掃除を終えて自分の荷物に手をかける。あとアイスも忘れちゃいけない。
「じゃあ雨が降ったらよろしくね。あ、あと今日の残り冷蔵庫に入れてあるから」
「はいはい」
流石にレンチンくらいはできるはずなので、次に用があるのは雨の日になるだろう。
玄関では家主の代わりに双子猫が私のお見送りに来てくれた。
「そういえば」
ドアノブに手をかけた時、ソファに寝転がったままの良乃が顔だけこちらに向けて声をかけてきた。
「なぁに?」
「今日うちに来たのってなんか用あったの?」
あぁ、そのことか。
「特には。たくさん料理作りたくなっただけだよ」
それだけ言い残して、夜の外へと足を踏み出した。




