薄青の魔女ごっこⅣ
図書館で二冊ほど本を読み終えた頃。
時計を見れば十九時前だった。そろそろいい時間だろう。
カバンを持って指定された201号室に向かう。
遠目からでも開けっぱなしのドアから明かりが漏れているのが見えた。
そのまま教室を覗けば、一番前の席でも喜多見莉音が何かを書いている姿があった。
彼女はおれに気付くと手を止めた。
「よかった、ちゃんと届いたんだ。流石幸福の魔女だね」
「君が置いたんでしょ」
「もしおやすみしてたらどうしようかと思いました。しないとは思ってますけれど」
「おれのこと詳しいね?」
おれが指摘すると、莉音は何でも無い風に答えた。
「もちろん、調べたからね」
そう言いながら立ち上がった彼女がこちらに歩み寄ってくる。
「簾良乃さん。薬学部の四年生で成績は優秀な部類。お母さんが薬剤師なんだっけ? 薬学部は欠席一個が命取りだからちゃんと出席しているんだろうなって思ってた」
つらつらと、どこで仕入れたのかわからない情報を口にする莉音。
「ストーカー?」
「ひどいなぁ、調べるのが上手いって言ってよ。まぁ、先輩がサエちゃんと接触してくれていて助かったよ。おかげで調べやすかったし」
そういえばそんな生徒と話をしたっけ。なるほど、情報源はあそこか。
「何でおれを呼び出したの?」
「知りたそうだったからって言うのと、証人になってもらおうかなって」
「おれを証人にして大丈夫?」
そんなことしたら幸福の魔女は喜多見莉音だとばらされるようなものだと思うけれど。
けれど莉音は気にした様子はなく、ただ目の前のおれを都合の良い装置と見ているようだった。
「大丈夫。大事なのは見たということだけ。あとはみんなが勝手に幸福の魔女がいたって思ってくれるよ」
「あの手紙を置いたのだって君でしょ」
「センパイがそうだと思ったと主張しても、みんなにとっては幸福の魔女を私と誤認した存在扱いになる。もうそういう土台はできているからね」
つまり、その土台を作るために噂を広めていたということか。
彼女にとって幸福の魔女か妖精かもどちらでもよかったのかもしれない。
ただ、何か幸せの象徴のような存在が願いを叶えてくれるという噂、認識、刷り込み。そういったものが目的だったと見て間違いは無さそうだ。
けれどやっぱり解決しない部分がある。
「なんでそこまで幸福の魔女に拘るの」
ここまでで一番残っている理解不能な部分。
喜多見莉音は何故こんなにも幸福の魔女に拘っているのか。
おれの問いかけに、喜多見莉音は当然のことのように笑顔で答えた。
「だって幸福の魔女に逢いたいから」
少なくとも本人は本気らしい。
逢いたいから、幸福の魔女の噂を流している。
噂があれば幸福の魔女に逢えると言っているのだろうか。だとしたらずいぶん変わった存在だな。
「噂があれば会えるんの?」
おれの言葉に、莉音は何故そんなことを言うんだとでもいいたげな顔を向けてきた。
「センパイってつまらない人って言われない?」
「今言われたね」
おれが肩をすくめて見せると、莉音はふいっと視線をそらせて荷物を手に取る。
「センパイは都市伝説って知ってる? 誰が言い出したかはわからないけれど、あると思われているものたち。あれだって噂が形作った【怪異】だよ」
「口伝とネット掲示板で存在しない出来事を、あたかも経験したかのように語るあれでしょ」
知らないわけでは無いけれど、興味があったかと言われたらなかった。
莉音は幸福の魔女がそれと同じ成り立ちであると語っている。
「でも大学のみんなは実際に経験した。経験した人と、それを見た人。二つの視点があればそれは確実なものとなる。そうでしょ?」
第三の目撃者がいればそれは事実となる。なるほど、他者を巻き込むことで噂の広まりと信憑性を強化したというわけか。
「じゃあ昨日公園で幸福の魔女を見たって言う目撃談は?」
もう一つのわからない部分を指摘すると、莉音の動きが止まった。
けれどそれは何か指摘されたくないことを指されたという気まずさではなく、想定していないものを目の当たりにしたような顔だった。
「大学以外で?」
縋るように、確かめるように莉音に尋ねられる。
「らしいよ。噂で聞いただけだけれど」
おれの返答を聞いた莉音は少し黙りこくったのち、急におれの手をつかんで部屋を出た。
「やっぱりセンパイを目撃者にするのは間違ってなかった。早く逢いに行こう」
声のトーンがさっきまでよりうんと跳ねている。
歩く速度が早歩きになり、おれより先を歩いていく。
「あれは莉音の仕業じゃないの」
莉音に引っ張られながら後ろ姿に声をかける。
彼女はおれには目もくれず、前を向いたまま答えた。
「うん。だってあの時間は私センパイとあの教室で話してたでしょ」
そこの認識は一致している。
それなら幸福の魔女を誰かと見間違えた可能性だってまだあるわけだけれど、莉音はそれを確かめに行こうとしているらしい。
片手におれの手、もう片方の手には少し長い何かを持ったまま、早足で例の公園にたどり着く。
駅前で普段なら子どもが遊んでいるような場所だけれど、この時間は誰もいなかった。
普段なら帰宅途中の社会人くらいいたはずだけれど。
「いないじゃん」
「いるって言ってないよ」
当然のことのように莉音が言い切る。
じゃあなんでここにおれまで連れてきたんだろう。家通り過ぎているし
「でもここに目撃情報があったなら、幸福の魔女がいたってことでしょ?」
「それが真ならね」
「じゃあ呼べるよ」
莉音は手に持っていた長いものから中身を取り出す。
「なんでそんなもの持ってるの?」
割と見慣れたものではあるけれど、他人が持っていると違和感ではある。
「なんかね、もらったの。魔力が籠っているから、いろいろ便利なんだよね」
その刀は包丁か何かの扱いなんだろうか。
「そんなもので呼べるんだ」
「うん」
自信を持って莉音が頷く。
「君はさ、何でそんなに幸福の魔女に会いたいの」
その存在を他者に植え付けるような自演をしてまで会いたい理由。
叶えたい願いがあるにしてもその執着は異常にも映る。
「会いたい人がいるから」
何かに頼ってまで会いたい人間。死者かなにかかな。
個人的にはおれに面倒が降り掛からなければ何をしてもいいとは思う。今まさに面倒に巻き込まれかけてはいるけれど。
もう帰っていい? と言いかけた時、不意に莉音が辺りを見回した。
「なんかいた?」
おれの問いかけに莉音は返事をせず、ただ周囲を気にしている。
仕方なく自分の目で確かめようとおれも周囲に視線をやってみたものの、何もいないし何も無かった。
駅前の公園。人がいないことも、遊具の一つが無いことも違和感だ。
「【怪異】……」
莉音がぽつりと呟く。
その声に反応したのか、どこからか女の声がした。
「貴方の願いはなぁに?」
莉音の声に近いけれど多分違う。
「願い?」
その声におれが首を傾げると、今度は莉音の方が反応した。
「聞こえてるの?」
「え? うん。女の声でしょ」
何をそんなに驚いているのか。同じ場所にいたら同じ声が聞こえるのは当然だと思うけれど。
けれどおれの返答に莉音は驚いた顔のままだった。
「【怪異】がわかるの?」
いや、それは知らないかな。
「何それ」
「今私たちを何かに隔離した存在……」
そう言って莉音が指差した方向を見る。
何もない空間の中、黒いモヤが集まりつつあった。
あれそう言う名前だったんだ。
「あぁ、たまに学校とかでも見るやつだ」
「……知ってるんだ」
「ここまではっきり見えるのはたまにだけれど」
なんなら埃か何かだと思ってたくらいだし。
「センパイにはあれ何に見えてるの?」
「なんか埃?」
「人型じゃなくて!?」
人によって見え方が違うんだ。
改めてそっちへ視線を移しても、そう言われてみればそうかも程度の何かであることに変わりはない。
「あれやばいの?」
「ヤバいに決まってるでしょ! こんなの普通じゃないし!」
早く出ないと。と焦る莉音だけれど、あたりは真っ暗で出口らしきものはない。
あるのはおれと莉音、それから莉音が【怪異】と呼ぶ黒いもの。
ゲームとかだと元凶を倒せば解決しそうだけれど。
「あれ倒さないの」
「そんな簡単にできたら苦労しないんだよね」
莉音あれ倒せないんだ。逆に今までどうしてたんだろう。
「じゃあどうしてたの?」
「えっと……魔術でどうにかしたり…たまにヤバい時あるけれど、一人だったら対処だけならできてたから……」
つまり一人なら対処できるのか。まぁ人を守りながら何かするのは面倒ではあるし、それもそうか。
そこでふと、莉音が握りしめている鞘が目に入る。
そういえばこれ持ってきていたんだっけ。
「貸して」
「え??」
莉音から鞘を借りて身を抜き出す。
刃こぼれは無し。長さも太刀くらいかな。
何処の誰が仕立てたものかはわからないけれど、とりあえず使うだけなら問題はなさそうだ。
二、三回振って重さを確かめる。
莉音は魔力を蓄えるとか言っていたけれど、真剣としての用途があることは知らなかったのだろうか。
まぁあれが斬れるのかは別の話だけれど。
「あれ斬ればいいの?」
「斬れるの?」
「さぁ?」
やったことないからやってみないとわからないし。
「な、なんでそんな平気な顔してるの?」
莉音が服の裾を掴んで困惑した顔でこちらを見る。
おれとしては何で莉音がそんなに慌てているのかが不思議だけれど。
「逆に何で莉音はそんな慌ててるの?」
「だって【怪異】だよ!? それに……」
尻すぼみになった莉音の言葉は聞き取れなかったけれど、多分おれにはあんまり関係のないことだ。
「莉音が何を気にしているのか知らないけれど」
莉音の手を払って前に出る。間合いは問題ないし、そもそも向こうが手を出して来ないのなら楽な方だ。
「あれどうにかしないと、出る方法も見つからないんじゃないの」
やることがあるのなら、先にそっちをやったほうがいい。
「……待って」
声をかけられて視線だけ後ろに向けると、何かを握った莉音の手が差し出されていた。
「センパイどうせちゃんと見えていないんでしょ。だったらこれかけて」
青い宝石のぶら下がったネックレスがおれの手に乗せられる。
「感覚補助のおまじない。これで少しは見えるようになるはずだよ」
言われた通りにネックレスを首にかけると、何もなかった空間でいくつもの視線を感じるようになった。
なんだ、何もないわけじゃ無かったのか。
もやの方はというと、確かに莉音の言う通りちゃんと人型をしていた。
少女と呼べそうな背丈と水色髪。
何処となく莉音に似ている気がする。
「あれ幸福の魔女? それとも【怪異】ってやつ?」
「あんなのが幸福の魔女なわけない」
即答だった。
まぁまずはあれを斬ってみないことには進まないんだけれど。
とりあえずそのまま近付いてみる。相手は動かない。
なら楽か。
刀を握り直して距離を詰める。
少女の形をしたそれは、ただこちらを見ていた。
敵意も無いし、生き物というよりは置物に近い。
まずは一振り、踏み込んで刀を振る。
手応えはあった。けれど肉や骨を断った感触ではない。
もっと軽くて、けれど確かに何かを斬った感触。
前に相手した時よりも手応えがある分やりやすい。
黒い靄が散って、同時に少女の輪郭が揺らいだ。
「速い……」
後ろで莉音の声がした。
「実は質量があったりする?」
「そっち?」
呆れた顔の莉音が近づこうとして、すぐに足を止めた。
まぁそう簡単にいかないか。
もやの方へ視線を戻すと、霧散した影が集まって再び少女の形を取る。
相変わらず表情は見えないけれど、口元に笑みを浮かべていた。
「前対峙した時は斬ったら消えたんだけれどな」
「わかっててやったんじゃないの?」
「何を?」
おれが聞き返すと莉音はため息をついて、それからあぁもう! と声をあげた。
「いい? 【怪異】には中心部分があるの。そこを砕けば無力化できるから」
あれってそうやって倒せばいいんだ。
中心部分って言っているし、やっぱり真ん中を狙って斬ってみるか。
最初より手に馴染むようになったそれを握り直す。
あれがいなくなったらどうなるんだろう。出られるのかな。
まぁ斬った後のことはその時考えればいいか。
一歩踏み込んで間合いを詰める。
少女の形をしたそれは両手を広げておれを受け入れる姿勢をとる。
なるほど、人を模しているのは外側だけなのか。
構えていた刀を水平に払う。
さっきとは別の手ごたえが刀越しに伝わる。
硬いものを砕いたような感覚。
「…貴方の願いはなぁに……?」
それはそれきり姿を暗闇に消え、気付けば人の足音が戻っていた。
「多分もっと簡単な方法があったね」
刀を鞘に戻して莉音に返す。
あれは願いを聞いてきた。もしそれを叶えられるなら、ここから出してとでも願うほうが楽だったかもしれない。
もっとも、正しく願いを叶えてくれるかという検証は必要になるだろうけれど。
「……今だって簡単に解決しちゃったように見えるけれど」
「だって動かなかったし」
動かない的を狙うのは簡単だ。相手が抵抗しないのなら尚更。
「本当に何も知らないんだ」
何か言いたそうな顔だけれど、直接言われない限りはその程度のことなのだろう。
「縁なかったからね」
おれの記憶にある限りは。流石に物心つく前のことなんて覚えてないし。
「それで、会いたかったものだったの?」
おれが確認すると莉音は首を横に振った。
「あれは幸福の魔女じゃない。その噂で形を得ただけのハリボテだよ」
ならもういいか。家に帰っておかかたちにご飯あげないと。
「そう、じゃあおれ帰るね」
おれが歩き出すと、待って。と莉音が着いてきた。
「お礼させて。巻き込んじゃったし、助けてもらったし……」
確かに巻き込まれてはいるけれど、莉音のこと助けたっけ? あと特にして欲しいこと思いつかないけれど。
「別にいいよ。して欲しいことないし」
「え? えっと……それは困る」
困る? 莉音が?
「何で?」
「だって……助けてもらったのに、私は何もできてないし……」
抱きしめるみたいに鞘を抱えて、視線を合わせないまま莉音が言う。
何かして欲しいからやったわけじゃ無いんだけれどな。
別にいい、と言う前に莉音があっ、と声をあげた。
「私、料理できるよ。こんな時間だし、お腹空いてるでしょ?」
スマホを見れば二十時を回っていた。ついでに、久しぶりに動いたからかお腹も空いている気がする。
「家近い? キッチン借りてよかったら私すぐに何か作るよ。食べたいものあったらそこのスーパーで材料買うし」
何やら必死な莉音を断るのも面倒になってきた。何となく、ここで断ったほうがもっと帰りが遅くなる気がする。
断る理由もないし、今から夕飯を用意するのも面倒に思ってたところだし、まぁいいか。
「……わかった。じゃあ何でもいいから作って。あ、でも冷蔵庫何もないよ」
おれが承諾すると、莉音はなぜかホッとした顔をした。
「じゃあちょっとだけスーパー行こ」
そう言って笑うと、高架下のスーパーに引っ張られた。
閉店間際の人がまばらなスーパーで莉音は楽しそうにカートを押しながら進んでいく。
「何もないって言ったって、卵くらいあるよね?」
「無いよ」
先週無くなってそのままだし。
「え? じゃ、じゃあご飯は?」
「無いかなぁ」
「……バター…」
「買ったことない」
自分で作る時は大体パスタだし、ソースはレトルトかたまに野菜を適当に切って入れるだけだしね。
「……何ならあるの? ていうかご飯食べてる?」
「パスタならあるし、食べてるよ」
おれの返事に莉音は疑いの目を向けてくる。
莉音はおれのことなんだと思っているんだろう。
「しょうがないなぁ」
カートにどんどん食材が放り込まれていく。
野菜、肉、その他諸々。
「あ、支払いは私がするから気にしないでね」
そこは別にどっちでも良いんだけれど。
会計を終えてみれば大きなビニール袋二つ分がいっぱいになっていた。莉音は一体どれだけ作る気なんだろう。
それぞれ一袋ずつ持って帰路につく。
莉音も特に迷う様子を見せることなく、知っている道を歩くように進んでいく。
「家近いの?」
「センパイよりは大学から遠いけれど、歩いて通える距離だよ」
しれっとおれの家も知ってるんだ。
そう思ったけれど、よく考えれば別に不思議でもない。
同じ大学に通っているんだから、帰る方向が同じなら見かけることくらいあるだろうし、何ならおれ自身あまり隠しているわけでもない。
それに多分、おれの素性を調べた過程で知ったんだろう。
「へぇ」
適当に相槌を打つ。
「興味なさそう」
「実際そんなに無いし」
知られたところで困るようなこともないし。
やがて見慣れたマンションに着いた。




