薄青の魔女ごっこⅡ
それを初めて聞いたのは去年の夏休み明けだった。
キッチンカーで買ってみたいという白乃についていった昼休み。
オムライスのランチボックスを食べながら白乃が言った。
「良乃は幸福の妖精って知ってる?」
「知らないかな」
子ども向けの絵本かリリースしてすぐ終了しそうなソシャゲに出てきそう。
サンドイッチを食べながら、勝手に喋り出す白乃を眺める。
「心理学部の方で噂になってるんだって。お願いが叶ったり、無くして困ってるものを幸福の妖精宛に手紙で伝えると、何日かしてそれが叶ってるらしいよ」
小学生女子が好きそうな話だな。
「本当にいるのかな、妖精さん」
「どうだろうね」
いるかいないかで言えばいない。
現代においてそう言ったファンタジーは、架空の話の中にしかいない。
或いは今みたいな噂話か、時々見るやつに類似しているか。
どちらにせよ実態を持たないことに変わりはない。
けれど隣の白乃はいたらいいね。とのことだ。
ただまぁ、小中学校ならともかく、大学でこう言った話が学部を超えて流れてくる理由は少し興味がある。
何故ただの根拠を持たない噂がここまでコンスタントに語られているのか。
「ちょっと興味はあるかな」
「妖精さん?」
「いや、噂の方」
「同じじゃない?」
違うよ、と流してゴミを捨てる。
「その話って心理学だけ?」
エスカレーターに乗りながら白乃に聞くと、白乃はうーんと考え出した。
「妖精さんが出るのは心理学部みたい。でも噂自体は他の学部の人も話してたよ」
心理学部か。その場合何かしらの実験の可能性もあり得る。
噂の広がり具合とか、口伝による噂の変化とか。
でもそうすると民俗学に寄るのかも。
出所としては心理学部で違いないはず。
「白乃、心理学部に顔見知りっている?」
「うぅん、いないよ」
おれより交友関係の広い白乃ならと思ったけれど、いないなら仕方ない。
エスカレーターを降りた先で白乃と別れて教室に向かう廊下でここまでの話を整理する。
おそらく噂を流行らせたい誰かによるものか、集団ヒステリーの類が外に漏れたか。
どちらにせよ心理学部の方を確認したいかな。
そこまで考えていると、誰かとぶつかった。
「ご、ごめんなさい!」
おれより頭一つ分は小さい水色髪の女子生徒。
「こっちもごめん」
背が低くて見えていなかった。
「莉音、行くよ〜」
友人らしき生徒に声をかけられた彼女がそれに返事をし、それからこちらに小さく会釈をしてから離れていった。
カバンの口から見えた教科書で推測するに、心理学部だろうか。噂のこと聞いておけばよかった。もし覚えてたら次聞いてみよう。
それまでの間に、とりあえず何人かに聞くことにする。
まず噂になっている事象が本当に起きているのかの確認からだろうか。
合わせて具体的な出来事の確認。もしあれば目撃情報。
いくつかのケースを確認できればある程度の共通点を見出せるかもしれない。
白乃のふわっとした話からだと具体例が無いしね。
そもそも薬学部にまで噂が届いているのかから確認してもいいかもしれない。
「というわけで、幸福の妖精って知ってる?」
「急になんて?」
たまたま隣の席に座った生徒に聞いてみる。
「幸福の妖精。なんか聞いたことない?」
「簾ってそういうの信じるんだ。なんか意外だわ」
「噂の出どころが気になってね」
そっち? と驚かれた。そんなに驚くことかな。
「で、知ってる?」
隣の男子が周りに知ってる? と声をかける。
すると、前に座っていた女子が振り返って口を開いた。
「心理学部の?」
「らしいね」
「それなら私の友達が叶えてもらったって言ってたよ」
「その人も心理学部?」
「うん。確か彼氏と仲直りできますようにだったっけ」
人間関係の改善か。例えば間に入って仲をとり持つとか? でも相手のことを知るか物理的に会わないと難しいか。
……いや、本人に問題があった場合はそっちのケアをすれば片方の対応だけで済むのか。
「その人はどこで幸福の妖精の話を聞いたの?」
「そこまでは……あ、でも、学部の一年の間で流行ってるらしいよ。みたことある人もいるんだって」
具体的な範囲が出てきたな。
それなら発生源も心理学部の一年か、それに近しい範囲に絞ってもいいかもしれない。
「そこ、うるさいですよ。私語は謹んでください」
教授に声をかけられて周りの生徒が前を向く。
もう少し聞きたかったけれど、一旦はここまでか。
続きは授業が終わったらだな。
脳内でここまでの情報を整理しながら教科書の文字列を眺める。
次は目撃情報を当たってみよう。
実体があるなら出所の特定も容易になるはず。
授業が終わり、心理学部がよく使う教室のあるフロアに向かう。
前の席の女子曰く、二階によくいるらしい。
丁度帰宅する生徒が多い時間、生徒の数もそれなりにいる。
これなら適当に声をかけても一人くらい知っているかもしれない。
「ねぇ、幸福の妖精って知ってる?」
「え……いや…知らないです……」
近くにいた三人組に声をかけると、知らないと言ってその場を去っていった。一年生っぽいと思ったんだけれどな。
次に一人でいた生徒に声をかけると、彼女はぐいっと顔を近付けてきた。
「もしかして貴方も幸福の妖精を探してるんですか!?」
「噂が面白そうだったからね」
「ですよね! やっぱり幸福の妖精気になりますよね! よかったら情報交換しませんか?」
この生徒はそれなりに噂に詳しそうだった。
これならある程度まとまった情報を得られるかもしれない。
「別にいいよ」
「やったぁ! あ、私南條サエって言います。心理学部の一年生です」
「簾良乃、どうぞよろしく?」
丁度いい人に声をかけたらしい。
「簾さん。先輩……ですかね? よろしくお願いします。とりあえず座って話しましょう」
サエに着いて大学を出ると、そのまま駅前のカフェチェーン店に入った。
少し待ってから席に案内される。
席に着くとサエはメニュー表を開いた。
「先輩は何にしますか?」
「じゃあコーヒー」
カフェなら大体どこもコーヒーはあるしね。
サエはしばらくメニューを見返して、それからクリームソーダとケーキを注文した。
「それで、先輩は幸福の妖精についてどこまでご存じなんですか?」
ルーズリーフと筆記用具を取り出しながらサエに聞かれる。
多分サエの方が詳しいだろうな。
「心理学部の一年生を中心に流行っている噂。願いを叶えてくれるんだっけ」
「はい! うちの学年の子が絶対提出しないといけないのに無くしちゃったプリントを見つけて欲しいってお願いしたら翌日カバンに入ってたとか、告白が成功するようお願いしたらお守りが届いて、無事成就したとか」
届いたクリームソーダを飲みながらサエが続ける。
「あとあと、夜の大学で妖精みたいなのを見たって人が何人かいるんです」
「へぇ」
目撃情報があるんだ。それも夜に。
「私の友達も見たって言ってて、この前私もみようと思って大学に残ってたんですけれど、その日は見れなかったんですよね」
「目撃情報の特徴は?」
「えぇと、背が低い女の子らしいです。あとは、手紙から薔薇の匂いと青い花びらの押し花が入ってたとか」
背の低い女子、か。
「その情報はどれくらいの数上がってるの」
「え? えぇと……一番多いのは手紙らしいです。青い便箋で、シーリングワックスだったりシールだったりがついてるみたいですよ」
シールとシーリングワックス。ここの違いに意図や理由があるのだろうか。
「なんなら、この手紙とかもお守りとして密かに欲しがってる生徒もいるとか」
手紙で何から守ってもらうんだろう。
「目撃情報は全部夜に集中している? 具体的な時間は?」
「えっとぉ……夜ってことはわかるんですがそこまでは……。あとこっちは手紙ほど目撃談があるわけじゃないみたいです。だから妖精の仕業なんじゃないかって」
夜の大学に残る人間の方が稀だろうし、そこは概ね想定通りか。
「妖精って人に見つからないようにこっそり活動するものって感じしません?」
「そうかな」
大学のセキュリティもそこまでザルじゃない。
夜――一度十九時以降と定義しよう――に大学の敷地に入れるのは大学の関係者で絞って間違いなさそうだ。
わざわざ夜に行動しているのはおそらく、人目につかない時間帯で演出の用意をするため。目撃してもらうことも含めているかもしれない。
そうやって不確定な現物を用意することで、あたかも不思議な話として演出したい。行動理由としてはこんなところか。
それなら何故わざわざこんな回りくどいことをするのか。
人助けをするのにわざわざ人目を避ける理由。
「わからないな」
「え?」
「どうして人目を避けているのか」
仮に人助けを目的とするなら、もっと別のやり方だっていいはずだ。
「妖精だからじゃないですか? ほら、人間を避けるみたいな」
「でも見られているんだよね?」
「それは……まぁ……」
人目を避けるにしてははっきりとした目撃談がある。
かと言って見てもらうには噂が曖昧だ。
「一番目撃情報が多い場所は? 心理学部がよく使う部屋とかじゃなくて具体的な場所とかない?」
「えーっと、私の友達は二階の一番奥……215号室ってわかります? 小さな教室が並んでるところの一番奥で見たって言っていました」
時計を見る。十八時半なら少し待てば夜と呼んでいいはずだ。
「わかった」
財布から千円札を取り出してテーブルの上に置き、席を立つ。
「え? どこか行くんですか?」
「見にいってくる」
もし何かがいるのなら、実物を見るのが一番確実だ。
店を出て大学への道を歩く。
最後の授業が終わるのは十八時。そこから一時間も経てば、少なくともほとんどの生徒はいなくなっている頃。
そんな時間まで残っているのは、その妖精を見たいと思った人か、妖精を演出している人。
どちらにせよ変人だけだ。
大学に着くと十八時四十五分。
見える範囲で電気が着いているのは上層階の幾つか。あのあたりは教授の部屋があるフロアなので除外していい。
自動ドアを通り抜け、階段で二階へ上がる。
さっきの話だと215号室で見た生徒がいるらしい。
「こっちか」
廊下を進んで目的地に近づくと、奥の教室のドアが開いた。
さてどちらだろうか。
立ち止まって遠目に観察していると、一人部屋から出てくるのが見えた。
それはそのまま広い教室の並ぶ方へと歩いていく。おれには気付いていない様子だ。
追いかけてみようか。これで噂の正体じゃなかったら妖精の噂を知っているか聞けばいいし。
少し距離を置いて追いかけると、今度は201号室に入っていった。多分二階で一番広い教室だ。
近づくと部屋の中を歩き回るような音がしている。
ドア越しじゃ何をしてるかまでは分からない。
少し考えてから、まぁいいかとドアを開ける。
その音に反応した一人の女子生徒がこちらを見ていた。
「えっと……こんな時間にどうしたんですか?」
「そっちこそ」
彼女の手元には青色の封筒が握られている。
教室を見渡すと、同じようなデザインのものが所々置かれていた。
「早く帰らないと明日に響きますよ。それとも……」
彼女が近づいてくる。それから、計算された表情で笑っていった。
「幸福の魔女を探しに来たんですか?」
「妖精じゃなくて?」
おれが確認すると、彼女はクスクス笑う。
「妖精なんかよりもっとすごいんですよ、幸福の魔女は」
「詳しいんだね」
幸福の妖精ではなく魔女と彼女は言い切った。どこかで噂の内容が変わった?
「もちろん。私が一番幸福の魔女のことを知っていますから」
「言い切るね」
ただ知っているだけじゃなくて一番とまで言い切る。噂の根源に近いとみてよさそうだな。なんなら。
「幸福の魔女本人だから?」
確認すると彼女はおれを見たまま黙った。
この無言は肯定なのか、それとも言い訳を考えているのか。
けれど次に出てきたのは曖昧な返事だった。
「どう思いますか?」
「わからないから聞いているんだよね」
「じゃあわからないままでいいと思いますよ。その方が素敵じゃないですか」
「素敵?」
わからないことをわからないままにすることを素敵だと言い切ってきた。
「その手紙は?」
「これですか? 幸福の魔女からのお手紙ですよ」
彼女は手に持っていた手紙を見せてきた。
「こっちは課題が終わらなくて困っている子向け。こっちは悩みがある子へのお返事です」
「なんで君がおいているの」
ほぼ答えは出ているようなものだけれど。
「幸福の魔女がいるからですよ」
返答の意味を理解するのに時間がかかる。というか理解できなかった。
いや、言葉の意味は分かる。
分からないのは、その説明でおれが納得できると思っているらしいことだった。
幸福の魔女と手紙の関係は理解している。
目の前の彼女が幸福の魔女と関係している――おそらく本人であることもわかる。
「なんで幸福の魔女がいると君が手紙を置くの?」
理解ができずにさらに質問すると、彼女は彼女でおれの質問の意味が分からないのか小さく首を傾げた。
「だって幸福の魔女がお手紙をくれるんですよ」
「みたいだね」
幸福の妖精――幸福の魔女の手紙の話はすでに何度か聞いている。
おれが知りたいのは、何故幸福の魔女の名を騙って、わざわざ人目の付かない時間に手紙を置いて回っているのか。
あとは、目撃者に対して自分がやっていますとは直接言わないところとか。
「なんで直接渡さないの?」
「そうしたら幸福の魔女じゃなくて私が渡したことになるじゃないですか。よく見てるのにそういうところ抜けてますね」
聞けば聞くほど彼女の目的がわからなくなる。
人に感謝されることよりは、噂を広めることが目的なのだろうというのは理解できる。
それなら何故、こんなにも幸福の魔女がやったという演出にこだわるのか。
「でも幸福の魔女は君でしょ」
同じ学部であれば、幸福の魔女なんて真似をしなくても彼女本人が直接渡した方が手っ取り早い。
相談に乗るのだって、見知らぬ誰かであるより知っている生徒の方が話しやすいことがあるはずだ。
何故? と思い指摘すると、彼女は笑顔のまま黙った。
「なんでこんな回りくどいことをしているの? わざわざ遅い時間に」
「だって幸福の魔女は夜に現れるものだよ?」
きっぱりと、絶対の自信をもって彼女が微笑む。
おれの方が間違っているとでも言いたげだ。
「さっきから君の理論が飛躍しているの気づいている?」
「そうですか? 理にかなっていると思いますよ」
そういうと彼女は手に持っていた封筒を机の上に置いていく作業を再開していく。
「あぁ、でも。ここに喜多見莉音がいたっていうのは内緒にしておいてくださいね?」
「幸福の魔女の正体がバレるから?」
「こんな時間に学校にいたなんて他の人が聞いたら、心配させちゃうんですよね」
そういいながら彼女はおいていたカバンを手に取る。
「貴方も早く帰った方がいいですよ。えぇと……」
そういえばお互い名前を名乗ってなかったな。あまり会話に支障をきたさなかったから気にしてなかったけれど。
「簾良乃」
「良乃さん。私は……」
「喜多見莉音でしょ」
おれが名前を口にすると、彼女――莉音は驚いた顔をした。
喜多見莉音がいたっていうのは内緒にしてと自分で言っていたんだけれどな。
「…じゃあ、良乃さん。さよなら」
そういって莉音は教室を出て行った。
噂の正体はおおよそ喜多見莉音だろう。
そして幸福の妖精もとい、幸福の魔女は喜多見莉音が演出している。心理学部を中心に実例が上がっていることにも納得がいく。
だからこそ余計わからなかった。
何故そんなにも幸福の魔女の仕業に見せたがっているのか。
とはいえ今日は考えても答えは出ない。
帰るために学校の中を歩いていると、一瞬黒い影が視界の隅で渦巻いた。
あぁ、久しぶりに見たかもしれない。学校の中にも湧くんだ。
とはいえ今日は何も持っていないのでそのまま無視して学校を出る。
家に帰れば猫が三匹、思い思いにくつろいでいた。
「ただいま。たつとともはいい子にしてた?」
おかかに声をかけるとにゃあ、と一声返ってきた。
なんて言っているかはわからないけれど、まぁ家の中が荒れていないのでいい子にしていたんだろうな。
適当なパスタを湯でながら今日手に入れた情報を整理する。
おそらく明日、心理学部の方で幸福の妖精が出たという話がそれなりに広まるだろう。
その時、喜多見莉音はどんな顔をするのだろうか。




