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第七章「果て無き逆境のエグザート」~①~

最終章始まりました。そして、終わりました。残るはエピローグのみ。では、次回……物語は再びの終幕を迎えるでしょう。

第七章「果て無き逆境のエグザート」


―――???


 少し昔話をしよう。


 それは四年と三日十四時間三十二分前の事だ。


 神と呼ばれる存在が世界に現れた頃の奇譚である。


 世は事も無し。


 須らく平穏。


 相変わらず中東では大国間の諍いに宗教相違による内紛が起っていたし、世界の国の半分以上は不況で、恐ろしい独裁者の代わりに統治者不在という国々が四苦八苦していた。


 何処に行っても別に代わり映えしない。


 アフリカではテロ組織が跋扈していたし、核軍縮を謳う大国が最新鋭核ミサイルを敵国の国境に隣接する同盟国の基地に配備したりもした。


 移民問題に人種問題に宗教問題に何処から何処まで行っても何ら内実は変化に乏しい。


 とある国では厳然として人種差別が横行していたし、とある国では差別主義者のレッテルを張る仕事に忙しい人権団体のおかげで国益は損われていた。


 賄賂が横行する中進国では政治の清廉さよりも、大国から如何に利益を引き出すかが焦点となり、信頼を得る事も難しいだろう二枚舌な輩が通常運行中。


「………」


 何処に行こうが何をしようが、変わらない。


 いや、変わっていてすら、喜びに溢れるような出来事は無い。


 それが世界の在り様というやつに他ならなかったのである。


 退屈に違いない日々。


 別にこれから人類が消滅するなんてドラマティックな展開を期待していたわけではない。


 だが、遠くの国で戦争が起こったところで、それが何だと言うのか。


 その程度の事では明確な変化とは言えない。


 何も出来ない。


 何も変わらない。


 まったくもって暇だったから、神はこの奇妙な現実に見切りを付けた。


 こんなにも変化に乏しい世界が、暇で暇で何もかもに満足出来ない世界が、劇的である事を望んだ。


 ただ、それだけだ。


 マンガやラノベやアニメのように地獄のような天国のような、変化一つで終わってしまうような、指先一つで笑顔も泣き顔も溢れるような、そんな……世界に為ればいいと願ったのだ。


 そのあまりの傲慢さを糾す者達がやってきても、神は既に勝利条件を満たしていた。


 自分の想い通りになった世界がこれからどうなるか楽しみだった。


 悲劇が生まれるだろうか。


 感動秘話も捨て難い。


 軽快な喜劇も良いが、絶妙な現代劇も中々だ。


 そう。


 この世に核が生まれた日のような、この世に英雄が生まれた日のような、この世に未だ泥臭い戦争があった日のような、この世に無数迷信が生まれていた日のような、下らない程に非効率的で生産性に乏しく、無駄に流血や美談や差別や偏見や虐殺や悪に溢れた世界。


 物語に必要なものが揃った日々。


 観察したかったのである。


 胸を時めかせたかったのである。


 夢を追い求めたかったのである。


 グチャグチャの肉塊にされる最中も、首を太陽の中に放り込まれた最中も、神は信じていた。


 “全て消えればいい”と願った日々にもう一度、喜びが甦る事を。


 さぁ、始めようと。


 さぁ、殺し合えと。


 さぁ、慰めてみろと。


 ふふふ、と。


 ほくそ()んで。


 神は死んだ。


 正しく劇的な物語によって生み出された三人の怨み辛みに凝り固まった新たなる神の力で殺された。


 それなりに満足だった事は疑いようも無い。


 だって、面白かったのだ。


 少年漫画のバトル並みに頭を使った戦術。


 馬鹿みたいな難易度のクソゲーをやらされている興奮。


 一手間違えば、消し飛ばされていく四肢の痛み。


 啼きながら、怒りながら、憎みながら、迫ってくる者達の顔。


 ああ、生きていて良かった。


 この世が亡ばずに良かったと。


 その日、その時、その場所で、本当に人類諸子諸君には悪いが、神は本気で世界を愛した。


 この劇的な世界に倖在れ。


 かくあれかし、という心境だった。


 まず間違いなく聖人君子レベルの人類愛だった。


 狂った奴めと大概の人間は蔑むのかもしれないが、その事実は証明されてしまっている。


 何故なら、神を見ていた者はこの世の全ての人類を等しく観察していたからだ。


 その思考は確かに神の人類愛が世界で一番強かった事を記録している。


「………」


 今もその観測者たる身は健在。


 御使い。


 日本語ではそのように表現されるソレがとても的を射ている事を神は死ぬ直前に悟った。


 何故ならば、“御”とは神に属する者。


 そして、ソレは“使い”なのだ。


 ヤレヤレを肩を竦めたかったが、そのような時間も無かった。


 だから、“最初に到達した者”として、彼は唯一の権利を行使した。


 英語名エグザート。


 ようやく辿り着いたその一人として、“連なる者”にメッセージを遺した。


 ―――××を×せ。


 そう、それは、×かにア――――ル。


 コウジゲ――コウゾ――×××―――――シゲ―――ツラナ――――――×××××××――――――――――――――――――。


「ッ」


 一瞬のフラッシュバック。


 己で生み出した闇を少しずつ調節。


 光を内部へ受け入れながら、千四は自らの能力が順調に推移している事に安堵した。


(領域内部の光量を調節。引力の排除を加速。周辺の大気層はまだ厚い。いける……)


 己の拍動のみの世界。


 薄暗い球体状の能力内部で少年は頭に叩き込んだ地図の情報と今見えつつある大陸の光景を擦り合わせる。


 沿岸部が大幅に後退している大陸の地形が鮮明に見え始めていた。


 それと同時に今まで自分がいた場所が街が遠ざかっていく。


 沿岸部の一部に赤い沁みが確認出来る。


(あれか。まずはアレを排除する。上昇を一時停止引力に少し掴まる……周囲の気流に流されないよう逆向きに大気を排出―――)


 神経を磨り減らすような作業。


 自らの力の発動起点を複数作って、どの仕事にも気を遣いながら、高度を維持するのだ。


 一つでもミスが起きれば、例え能力で身の安全は確保出来ても、沢山の被害が出る。


(酸素はまだまだ持つ。焦るな……)


 酸素吸入用のマスクは使い始めたばかり。


 まだ問題は無い。


 背負ったボンベにも異常無し。


 ゆっくりはしていられないが、焦って作業を疎かにも出来ない。


(アレが使いだと過程して、肉体を使う【破常(オーバー)】だと推定する。ならば、暴走しているだけでアレは雷同泉。あの男と同じという事……ならば、倒せる)


 嘗て、彼を殺そうとした英雄のような男は千四に自分を殺せる能力をお前は持っていると言っていた。


(排出が可能ならば、起点に対する吸引も可能……イメージは圧縮。だが、周囲は弱く、中心に近付く程に強く。動物や人がいても、死なせるな……蘆夜さんとの訓練を思い出せ)


 初めて人間を殺して数週間。


 ずっと、少年は豊と訓練をしていた。


 自分の友人の仇とはいえ、それでも戦い勝ったのは事実。


 その相手を大切に思う誰かが再び襲ってくるかもしれない。


 命を掛けて挑んでくるかもしれない。


 そんな事が脳裏を過ぎってから、自らの力の習熟には力を入れていた。


『千四君の力の本質は真空だけど、使い方や特性を理解すれば、ただ使うよりも沢山の事が出来ると思う。排出は同時に内部へ何かを吹き込む。あるいは集める事だって出来るはず。例えば、一つの領域に二つの発動起点を作れば、圧縮する事も出来る』


(大きな球体の中に小さな球体を入れる。外側の球から内部の球へ排出。内部の球に能力の壁を働かせれば、事実上の圧縮)


 緩やかな風が赤い沁みの中心を呑み込んだ黒い球体内部へと周辺の血の泡を“排出”し、同時に中心となる二つ目の能力発動起点がその内側で起動する。


 内部にあるものを逃がさない領域。


 その一方的な流入に泡が抗おうとするものの。


 染みの全てが少年の眼下で一点に向かって引き込まれていく。


―――これは千四君!!


(思い出せ。真空を生む力。これには二種類有る。一つは何もかもを消失させる力。概念上の真空。そして、二つ目は物体を排出する力。現実の真空。物体を消失させる概念上の真空と物質を移動させる現実の真空。この二つを上手く使えば、あらゆる力を動かし、遮断し、消去し、運用出来る……畏れるな……あんなに訓練したんだ……)


 丁寧に丁寧に沁みを黒い球体内部へと押し込め、概念上の真空を生み出す内部の二つ目の球体へと隔離していく。


(よく見ろ……街一つが消える……どんな些細な異変も見逃すな)


 そうして、沁みが全て自らの力の内側へと治まった事を確認し、能力の外側の基点を解く。


 すると、沿岸地域一帯を覆う闇は失せ。


 残るのは使いが能力を暴走させたと思われる街を覆うもう一つの小さな球体だけとなった。


 ―――闇が晴れた……あの赤いのがいない!! センシがやってくれたアル!!


「圧縮、消えろ」


 グッと拳を握り込んだ途端。


 黒い球体と共に内部に呑み込まれた街が沁みごと消えた。


―――これはまたやらかしましたねぇ……千四君……。


 全てが消え失せた部分が剥き出しの半球状となって、茶色い岩盤を晒す。


「上昇を開始する……」


 染みが残っていない事を確認して、再び少年は空を上がろうと能力を慎重に運用し始めた。


 しかし、途中で薄い少年を包む黒い球体の領域が明滅する。


 能力の制御が僅かに甘くなったのだ。


 気を遣いながら、地表の広大な範囲を覆う排除を行ったのだ。


 脳裏が未だに極端な集中のおかげで霞掛かったように重く。


 千四は少しだけ深呼吸した。


(予想以上に集中力を使う……複数の能力発動起点を細かく調整、維持するのはかなり……疲れるみたいだな……)


 息切れしながらも、気を取り直して再度球体を上昇させていく千四は大陸の全景が見えつつあるのを確認し、まだ周辺の大気層が十分にあるか、移動が可能かを気流を生み出して確認する。


(球体の移動速度は少し減少……やはり、大気が薄いと移動も……それに引力が弱くなってるせいなのか? 上昇速度が早くなって……感覚を掴み難い)


 地球の引力は高度で変化する。


 当たり前の話だが、引力によって地球上の大気は惑星周辺に留め置かれている。


 その厚さは凡そ80km。


 大気が消え失せれば、それだけで人間は生命活動が維持出来ない。


 あまりにも離れ過ぎれば、球体を移動させる気流を生み出せなくなって身動きが取れなくなってしまいかねないのである。


 それはつまり高度が上がり過ぎれば、永遠に落下し続ける干乾びた衛星(デブリ)となるか。


 またはそれより遠い真空の海を決まった軌道で周回し続ける羽目になってしまうという事だ。


(だが、地図の縮尺通りに知覚出来なければ、場所を厳密に指定する事も出来ない……宇宙船で遊覧飛行出来るなら、話は別なんだろうが……)


『千四君。その能力は範囲や出来る事の質は凄いかもしれないけど、知覚出来ない部分に作用する能力の調整が利かないと思う。事前に設定したものを排出するだけじゃ、微調整が利かなくて、見えない場所に発現する現象で事故を引き起こしかねない。だから、使う時は自分の見える場所だけにして。もしも、それ以外の場所にも使う時は出来る限り全力でイメージする事。あ、叫んだりしながらやると結構集中力が上がったりするよ』


 地下という見えない場所に能力を作用させる為、ショッピングモールではかなりの集中力を使ったが、一過性の集中よりも、集中を持続させる方が少年の精神には堪えた。


(集中しろ。高度は出来る限り高く。大陸が肉眼で確認出来るまで高く。同時に地図と照合。原発の排除と核汚染地域の掃除。どちらも片付ける……さすがに此処まで大規模な能力行使をしたら、何処かの組織に目を付けられる。安定して力が発動出来る機会が何度もあるとは思えない)


 本来、少年の能力は機密の類だ。


 それを大規模な能力行使はやがて紅蓮朋友会以外の組織からの干渉を引起すに違いない。


 四年前の破滅を齎した力だと発覚すれば、能力の使用に制限が掛けられる可能性もある。


 如何に大陸が無法地帯とはいえ。


 やがては千四がその使いである事も発覚する。


 だからこそ、機会は一度。


 連続して航空機からの掃除が叶わなくなった以上はそれが最善の手立てだった。


「発動起点最大。二十四。範囲最大。対象を放射性物質に指定……核弾頭を防ぎ切った時の事を思い出せ、放射性物質だけをあの時、僕は周囲から完全に消した。現実の真空で自分を守り、概念上の真空で放射性物質を消した……一度は成功したんだ……二度目があったっていいだろう……」


 概念上の真空の使い方は未だ拙い。


 何かだけを消すというのは酷く集中力が削れる作業だ。


 しかし、それだけが大陸を救う。


 本来ならば、原発だけを消し去る事を考えなければならないのだろう。


 だが、それだけでは何も救われない。


 少女に、フゥに約束したのだ。


 水と住める場所を必ず取り戻すと。


 出発する寸前。


 ありがとうと言ってくれた。


 背中にありがとうと言って、涙が熱かった。


 生まれて初めて、本気で告白されたのだ。


 もっと、雰囲気があったっていいだろう。


 もう少し、普通だったら、嬉しかっただろう。


 必死な顔で、自分を犠牲にしてもなんて決意で、言わせていい事ではない。


 そんなのは六六千四の望む話ではない。


 まったく馬鹿馬鹿しいくらいに嬉しくて、哀しかった。


 だから。


「世界を破滅させたのが、この力だって言うなら、少しくらい救ったっていいだろう!! 神気取り野郎!!」


 崩壊した日々は戻らない。


 だが、過去この力を持っていた者に吼える。


 酸素の残量なんて気にはしない。


 それが少年の本音。


 あの最初から壊れていた日常にしがみ付きたかった……子供の本音だった。


「―――ッッッ!!!」


 大陸に二十四の黒球が出現する。


 最大半径は少年すら知らない。


 しかし、大陸を埋め尽くす勢いで発生したソレの中に息遣いを感じた気がした。


 生命を聞いた気がした。


―――また世界が―――これが貴方の本当の力なのね……龍の如き人……。


「傷付けるんじゃない……助けるんだ……あんたに僕は約束した……この力はその為に使う……そうだろう? 雷同泉」


 黒い球体が動いた。


 まるで大陸を這うようにして。


 少しも汚れが残る事の無いように。


 誰かが世を磨いているような、不思議な程に温かな闇が今死に往く者も生きている者も戦っている者も苦しんでいる者も悲しんでいる者も絶望している者も等しく。


 ただ等しく。


 洗礼するかのように包み、去っていく。


―――ちょ、大陸の方がや、ヤバくない!? もしかして、むろっち!!?


―――【超新人(スーパールーキー)】どころじゃなかったな。ははは、呆れて言葉も無ぇ。


―――千四君か。だが、あの闇に怖さは感じない……むしろ、凄く懐かしい……。


 人が産まれる前。


 瞼も閉じた暗闇に誰か知る安寧。


 闇とは何も無い事ではない。


 全てが始まる前兆。


 何かが起る先触れ。


 夢は醒めてからが面白いと穏やかな午睡みに人は知るのだ。


―――いいだろう。認めてやる。日本人……貴様があの方を抱くに足る“黒”だと言う事を。


 フッと全ての闇が消え去った。


 世界は夕暮れ時の黄昏。


 もう夜が近付いている。


 紫と紅に染まる空には何も無い。


 雲の一つも無い。


 風すら止んだ。


 しかし、何かが消えた事を誰もが悟った。


 戦っていた者達は武器を落とした。


 守っていた者達は地に座り、呆けて空を仰ぐ。


 闇が来て、去った。


 狂気すらも、戦う意気すらも失ったか。


 そんなわけはないと思いながらも、軍閥も解放戦線も無く。


 全てが停止していた。


 命絶える者は穏やかに息を引き取り。


 命萌える者は産声と共に笑った。


 傷付いた者は今気付いたように痛みも無い身体を推して手当てを受け。


 あるいは最後の空を見上げ。


 傷付けた者は自分の敵だった相手に呆然として、逃げ出し。


 欲深き者は伽藍堂のように消え失せた内心の喪失を隠し切れず泣き出し。


 罪深き者は何も無い空に善き時代を幻視し。


 この大陸で未来となるはずの子等は自分達が見た空に登っていった背中を思い出して叫んだ。


―――すげぇええええええええええええ!!! やっぱり、日本人のカラテは世界最強だったんだ!!!!


―――違うわよ!! アレはニンジャよ!!! だって、黒いし!!!


―――いいや、違うね。フゥ様はセンシって言ってた!! やっぱり、アレは古代から甦った究極のムラマサブレードを使う“サムライセンシ”だったんだよ!!


―――な、何だってぇええええええええええええ!!!?


 グラグラと脳裏が沸騰するような頭痛を覚えてふら付いて。


 それでも倒れず。


 背負った酸素ボンベの残量を確認し、少年は大地に戻ろうと―――能力に気体が反応しない事に気付く。


 見れば、もう地球の形が分かる程に高く高く離れていた。


 大気層から完全に離れたのを見逃したらしい。


(大気層から離れた……空気が殆ど無い。このままだと本当に衛星コースだな……)


 もう引力の排除は解いている。


 だが、ほぼ真空に近い空間では空気の分子すら微々たるもので、少しずつしか降下出来ない。


 宇宙服なんて野暮なものは着ていない。


 六六千四は真空使いだ。


 そして、己の運用する真空、能力発動領域内部で傷付く事は無い。


 だが、酸素を作り出す事は出来ない。


 つまり、このまま窒息死する前に引力に掴まって酸素がある場所まで落下するしか、少年に生き残る術は無い。


(使えるものを探せ。最後まで諦めるな。蘆夜さんから教えてもらったはずだ。サバイバルの基本は自分の手持ちの札を確認する事だと)


『千四君。何も無いと思っても、実は結構あるんだよ。本当に必要なものは残ってたりする……気付いてみれば、とても簡単な話だったり、ね』


 手札は多く無い。


 一つずつ確認が行われる。


 衣服、靴。


 脱いで放り投げれば、反動で少しは前に向かうかもしれない。


 能力。


 あそこまで大規模なものならば、大気を地表から此方側に送る事も可能だろう。


(だが、吹き込んでくる大気で更に遠くに飛ばされる。それにここまで離れた真空じゃすぐに空気が霧散して使い物にならなくなる可能性も高い。やった事が無い作業を下手に大規模で行えば、この集中力の低下した状態じゃ、地表の方にだって影響が出るかもしれない……最終手段だな……)


 ならば、どうするか。


「あ……」


 ハッとして、背中に背負ったボンベを手が掴んだ。


(はは……ちゃんとあるじゃないか。まぁ、持つかどうかは分からないが、息を止めて頑張ってみるか……)


 酸素残量はもう十分とは言えない。


 必死に調整をしていた間、かなり粗く呼吸をしていたのだ。


 それでもまだ残りは在る。


 このまま緩慢な死か。


 更に地球から遠ざかり、地表を危険に晒すかもしれない方法か。


 なんて、二択よりは随分とお手軽だ。


(息をよく吸い込んで……行けるか―――)


 決断は早かった。


 酸素ボンベの背後に二つの小さな穴が開いて。


 プシューッと気体が抜け始めた。


 そもそも、もう余り残りが無かったからか。


 破裂はしない。


 しかし、確実に前進し始める。


 そうして、三十秒後。


 グングンとその勢いが強くなる。


 千四が周囲の大気層を能力で捕まえて、背後へと噴射、加速していく。


 だが、それでもまだ満足に呼吸出来る程、大気の濃度は濃くない。


(速く、速く、もっと速くだ)


 集中力を途切れさせないよう、何とか平静を保って心拍数を抑えながら、少年を包む球体に同じものが左右から連結され、周辺の大気を取り込んだ先から放出して地表へと加速していく。


(大気層まで戻れてる。だが、気圧が低い……此処で周囲の能力を解けば、一瞬で体に異常が出る。最低限の高度に到達するまで持つか―――)


 加速、加速、加速、左右に連なる球体がゆっくりとその形を変えて翼のように鋭い一繋がりの型に変形した。


(最低限呼吸出来る範囲に戻れれば、空気は薄くても何とか為る。ぐ―――もう息が―――)


 能力が途切れた瞬間に訪れるのは死。


 その保険として蘆夜豊を連れて来るようフゥに要請していたわけだが、そう簡単に事が運ぶわけがない。


 死ぬ前に会えるとも限らないし、能力を暴走させて誰かを巻き込むわけにも行かない。


(消えるなら……誰も巻き込まずに……生きられるなら……後で考えよう)


 薄らと遠退いていく意識の最中。


 上手く出来ただろうかと。


 自分はあの少女を少しでも助けられただろうかと。


 その事だけが気掛かりで、少年はそんな状態にあっても、能力の手綱だけは手放さず。


 落ちていった。


―――少年。君は己の道を守った……ならば、生きて帰れ。私に啖呵を切った時のようにな。


 何処からか聞こえてきた幻聴に返す気力も無く。


 意識が途切れる寸前。


 彼の瞳は何か白いものが自分の横を掠めるのを目撃し――――――。


              第七章「果て無き逆境のエグザート」了

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