第五章「使い達の流儀」~②~
明かされていく真実に主人公が何を決断するのか。それもまた話の醍醐味かと思います。では、次回。
~②~
―――???
目が醒めた千四の目に飛び込んできたのはまず白い天井だった。
身を起こして左右を見れば、薄い仄かに色付いた桃色の布が天井からカーテンのように垂れ下がっている。
そこでようやく彼は自分の寝ている寝台が良い品だと分かった。
妙に寝心地が良いだけではない。
掛けられたブランケットもシルク製で肌触りは抜群。
温かな陽光が布を透かして左側から射し込み。
もう一度眠りたい衝動に駆られるのは当然の事だろう。
大陸に来てからというもの。
まともな寝具で寝ていなかったのだから。
「………」
とりあえず。
自分の身体を一通り触って、何もされていない事を確認した千四が寝台から降りて立ち上がった。
窓際へと向かうとすぐに彼は自分が沿岸部にいるのだと気付いた。
絶景と言っていいオーシャンビューと大パノラマ。
部屋は布で囲まれていた以上に広く。
半ば一軒屋くらいのぶち抜きで壁は遥か遠く。
家具も装飾品も控えめではあるが、随分と上等なものに違いなかった。
一通り調べてみようかと幾つかあるドアを全て空ける。
殆どは寝室か。
または衣裳部屋だったが、最後の一つはバスルームだった。
その先にある扉の先にはお手洗いが一つ。
「ふむ……」
今更に自分の恰好が新品のワイシャツ一枚だと気付いて千四がはたと何か足りない事に気付く。
「ん……はッ?!」
下半身が丸出しだった。
それも、かなりツルリとしている。
主に股間の部分のビフォーアフターが衝撃的かもしれない。
他にも妙に腕や足がさっぱりしていると思ったら、無い……。
「そういう文化だったか此処?」
人の身体を勝手に綺麗にしたのは何処のどいつなのか。
思い切り溜息を吐いた後。
バスルーム端の籠に自分の外套や衣服が綺麗にクリーニング済みで置かれているのを見て、少年はシャワーを浴びる事にした。
蛇口を捻れば、すぐ熱いお湯が出てくる。
それも常時発動している能力が水を少しも弾く事が無い様子から綺麗な生活用水だとすぐ知れた。
香料入りのシャンプーや石鹸などは使わず。
水でザッと洗い流し、置かれていたタオルで身体を拭き、トイレに篭って数分後。
着替えようと外套と衣服を持ってバスルームを出た少年は……自分の意識を奪った相手とバッタリ鉢合わせる。
「フゥ……」
水音でドアを開ける音が聞こえなかったのだろう。
「千四」
何故か。
いつもよりもハッキリとした発音。
少年はとりあえずポツリと呟いた。
「出来れば、後ろを向いてて欲しいんだが」
その言葉を聞いた瞬間。
「え―――」
フゥが驚きに目を見開き固まって。
「―――ぁ、え、ご、ごめんなさい?!」
慌てて視線を逸らした。
バスタオルを腰に巻いているとはいえ裸だ。
フゥの横を通って寝台まで戻った千四がイソイソと着替え始める。
「それで此処は何処か聞いていいか?」
何か、信じられないような顔をしながら、それでも彼女は何とか自分を立て直した様子で答える。
「……此処は、希望の地」
「希望?」
「そう。軍閥の上層がそう呼んでいる場所」
「理由は?」
「日本のギガフロートとの接岸予定地だから……」
「まさか、此処は……」
衣服を着て、外套を羽織った千四がようやく自分が何処にいるのか理解した。
「移民湾岸特別区。現在、大陸と日本の外交交渉の場」
「そう言えば、この間の国会中継でやってたな。予定地にはもう既に軍閥連合側が湊を整備してるとか」
現在、日本における安全保障は主に三つの争点を抱えている。
一つは四年前の大惨事。
大陸からの核弾頭投下を防げなかった在日米軍の撤退の可否。
一つは再度の核攻撃を受ける場合。
これに対して核弾頭の保有、または貸与で対抗するかどうか。
一つは現在存在する仮想敵国。
大陸の軍閥とどのような関係を保つべきか。
現在国民の多くが圧倒的に大陸との断交、戦略核の保有を支持している。
しかし、同時に大陸の悲惨な現状もそれなりに聞こえてきている為、相手を追い詰める事は再度の核戦争の引き金に成りかねないと懸念する声も根強く。
カウンターとしての核は保有するが、相手の内陸地に残っている核保有基地の事も勘案し、軍閥と核放棄の交換条件としての支援が検討されていた。
軍閥側が互いに争っている現状、大陸の声として統一見解発表が見送られれば、これらの話し合いは棚上げされる可能性が高いという事で多くの国民は交換条件の厳格化を政府に要望。
大陸との外交は現在進行形で危うい天秤の上にある。
「ギガフロート・プロジェクト。推進派は劣勢だったか。確か……」
人口浮体技術の精粋。
ギガフロート。
現在日本が世界に先駆けて実験と研究を続けている次世代型の超巨大海洋人口浮体島の事だ。
従来からあったメガフロートと呼ばれる浮体の究極系。
海洋に浮かべ、其処に移住、海洋国家としての能力を強化しようという運動が現在日本では真剣に議論されている。
これには世界各国が注目しており、失われた領土、沿岸部の保全を目的として今も政府には問い合わせが絶えないという。
この一大海洋プロジェクトは日本という国が再度、巨大津波や地震、火山噴火による影響で焦土化、沈没した場合に備える超国家規模の保険であり、内陸部の工業力の回復と共に何処までコレが現実的に可能なのかを模索している途中だ。
その実験用一号浮体がこの三年で完成寸前になっているという報は世界に驚きを持って迎えられた。
半径10kmにも及ぶ広大な敷地面積。
耐用年数二百五十年。
総積載重量は公表されていないが、かなりの重量を載せても沈まないとされている。
これが大陸の核放棄との交換条件として浮上したのは一年前の話だったと千四は記憶していた。
小さな大人達も興味を持つ程度には大きく報道されていたからだ。
「じゃあ、ソファーの方に移動しよう。聞きたい事が山程ある。落ち着いて話した方がいいだろ?」
「……ぅん」
千四が絶景を一望出来る白いソファーに腰掛けるとフゥもまた少し離れて座った。
チラリと横顔を見て。
沈んだ様子のフゥの衣装が白いノースリーブの肩から紐で吊るすタイプのワンピースになっているのにようやく気付いて、少年はさてどうするべきかと悩んだ。
ご機嫌を取るのは愚策な気がしたし、さりとて褒めないのも如何なものかと思ったからだ。
「その服、此処じゃそれが普段着なのか?」
「あ、それは……」
黙り込んでしまった少女が口を開き易いよう出来るだけ軽目な話題から入ろうと千四は一つずつ疑問を口にしょうと決める。
「フゥ。この大陸の現状を教えてくれるか?」
「……はい。分かりました」
問いに俯けがちだった顔が上げられ、少年の瞳を見て頷いた。
「千四が知りたい事は全てお答えします。それが今まで貴方を騙してきた。私の……責任だと思うから」
「………」
「これが大陸の現状を一言で表した地図……こうなるだろうから、作っておいたものです」
フゥが小型端末を取り出すとそっとソファー前のテーブルに置いた。
その画面には今では少年も見慣れた沿岸部を喪失した大陸の地図が浮かび上がっている。
違うのは中に様々な色のレイヤーが積層的に重ねられ、線が引かれ、違う色の点が穿たれている事だろうか。
「現在、六つの軍閥が内陸には存在しています。大小ありますが、彼らは名実共にこの大陸の支配者と言っていい」
細い指がタッチパネル式の画面の線をなぞると、その境界線が浮かび上がる。
「赤い濃淡があるレイヤーは汚染地域。赤い程に汚染度が高い」
汚染地域は千四が思っていた以上に広かった。
大陸はほぼ赤く塗り尽されていると言っていいだろう。
「蒼いレイヤーは人口密集度。調べられる限り把握した人数を元に算出したもの。地方は既に無人になっているところが多く。河川の近くには比較的多く集まっています。そして、未だに大都市は人口が多い」
「総数は?」
「総計四億八千万人。地下マーケットに流通する子供と女を合わせれば、五億一千万人程です」
「災害以前から比べたら人口が半減してるのか……」
「ちなみに数は現在下がり続けています。劣悪な生存環境、乳幼児の死亡率が六割。更に成人までの生存率がたぶん五割程ですから」
「それは被爆で身体的な異常が多いからか?」
「それもあります。ですが、何よりも食料と水が足りません。稼動している工場の殆どが重工業や生活必需品の生産ばかり……薬やワクチンの生産に資源を回さない政策のせいで、子供の死亡率は環境や治安の悪さと相まって最悪です」
「この緑と黒の混合した線は何を示してる?」
千四が大陸に根を張るように広がった色付きの線を指差す。
「物流の状態です。緑になれば物流が良好、黒になれば、物流は殆ど無い」
「これを見る限り、大都市とその周辺はまだ緑が多いんだな」
「この四年で軍閥がとにかく物流の復活に力を入れてきたからです。兵員の輸送、物質の流通はインフラ次第。兵站確保は最優先事項として扱われた……」
「……大体の事は分かった。最後に一つ聞きていいか?」
「何でも……」
「核弾頭を積んだミサイル発射用サイロを持ってる基地はこれで全部か?」
「―――はい。地下基地も含めて全てです」
少年が指したのはまさしくその言葉通りのものだった。
内陸部の奥地に点々と穿たれた白い点。
未だにある基地の総数は十四。
それでも少ない方なのだろう事は少年にも分かった。
過去、中華人民共和国の核弾頭の総数は米露に比べる程では無いにしても、数百発と言われていた。
報復核の発射用サイロが少なければ、相手から一方的に核攻撃を受ける可能性は高くなる。
「弾頭の保管施設は軍閥が厳重に管理していましたが各研究施設は暴動や放火、災害で全て壊滅。高純度プルトニウムの現在位置は全て把握しています」
「そうか……」
少年がありがとうと伝えて小型端末を取り、フゥの手に返す。
「とりあえず、現状は分かった。ちなみに日本の現状を伝えておくと国民の大半がギガフロート実験機の貸与に反対してる。使わせるなら殆ど沈んだ東南亜細亜の国々を支援するのが良いってな」
「………どうして」
フゥの顔が歪んだ。
「責めないのですか? 敵だったのに……」
「軍閥に属してるのか?」
「……違います」
「なら、レジスタンスとか?」
「昔はそうだった。でも、今は違う……」
フゥが自分の端末を操作すると何やら窓際の硝子が一面シャッターに覆われ、ソファーの背後にあるプロジェクターが映像を浮かび上がらせた。
「これは……リアルタイム、なのか?」
「はい。私の……“私が組織した”……同胞戦線のリアルタイムチャート。今、作戦活動中の部隊の情報です」
フゥの言った通り。
何やら数字と漢字の羅列が何やら地図の脇には吐き出されていて、その度に情報が上書き、地図上で様々な色が塗り変っていく。
赤かった地図が次々に白い侵食を受けて削れていくのを見れば、今何をしているのかは明白だった。
千四が最も注目したのは地図の左上にある数字だ。
合計423823。
それが少しずつ減っていく。
少しずつと言っても千や二千単位での話だが、まるで悪い冗談だ。
「在り得るのか? この大陸でこれだけの部隊を運用出来る資金源も物資も存在するはずがない。少なくとも軍閥が全て力を合わせても、この数字には届かないはずだ。そもそも弾薬も武器も足らないんじゃないのか?」
「……八割は武器を持たない民兵。二割は軍閥子飼いの黒幇と軍閥正規軍の六割です」
千四がようやく。
本当にようやく。
少女が本当に現在、大陸で最高の権力を握っているのだと理解した。
「何が目的だ? これだけの戦力を揃えての一斉蜂起。内部から切り崩すなら、別に時間を掛ければ、その能力で全て傀儡に出来たはずだ」
もう自分の力が割れている。
具体的な事を知っているのだろうかとフゥが驚いて少年を見るものの。
彼ならば、自分の知っている男ならば、それも当然なのだろうかと思い直した。
そもそも、六六千四は今も彼女に“意見”しているのだ。
そして、何もかもを知って尚……態度の一つも変わりはしない。
それがどれだけ奇跡的な事か。
どれだけ、勇気のいる事か。
分かりはしない。
フゥは自分の中でガラガラと音を立てて、少年に対し繕おうとしていた壁が崩れていくを止められなかった。
「……時間が無かった。それだけです」
「原発か?」
「いえ、貴方です」
「何……?」
「貴方が、来たからです」
真っ直ぐに少年に向かう視線。
いつも柔らかに仲間達の中へ溶け込んでいたものとは違う。
何処までも真っ直ぐに屹立する一筋の剣先を思わせる静謐。
真剣で切られたと錯覚すら覚えるような、紅に宿る深い黒に少年は怖気付く事無く訊ねる。
「―――詳しく教えてくれ」
フゥが自分の端末を操作すると千四に渡した。
画面には一冊のレポート。
分厚い付帯の文字が貼り付けられた紙の束があった。
その表面には【最終報告661004】の文字があった。
画面を指でスライドさせながら、千四は自らの知らない場所で政府が極秘裏に調べたのだろう数々の数値と様々な推測、複数の精密検査の結果、当人に無断で行なわれた数々の精神鑑定の結果等々。
見ているだけで具合が悪くなりそうな“自分の生態情報と管理方法”に途中で見るのを止めた。
「………そういう事か」
「これを手に入れたのはギガフロート・プロジェクトを働き掛けた時期の事でした」
「まさか、政府要人に能力を使ったのか?」
「はい。前々から大陸を生き残らせる為の方策は幾つも検討していました。その一つが日本の検討していたギガフロート・プロジェクトだった。私はそれが自国で作れない事は分かっていました。ですから、それが供与される自然な流れを作った」
「政府与党の一部が発案した計画が大陸からの働きかけだったわけか」
「……このプロジェクトが上手く行けば、大陸で今も死に往くのを待つだけの人々に少しでも希望を……生き残る可能性を提示出来る……そう、思っていました」
「だが、軍閥が想像以上に腐ってた、と」
「何でもお見通しなのですね。千四は……」
「別に一番ありそうなパターンを言ってみただけだ」
「……貴方の言う通り。彼らは腐っていた。軍閥の上層部はこの日本の提案を受諾するつもりでしたが、放棄する核基地以外にも新たな基地の建設を進め、同時にギガフロートには指導者層だけを乗せようとした」
「今、思い付いたんだが、もしかして軍閥連合が此処最近争い始めたのはまさか……」
「ええ、椅子取りゲームの椅子が足らなくなったから、椅子に座る順番を力関係で確定しようとしていた。それだけです」
「それでもしもオレが来なかったら、どうするつもりだったんだ?」
「彼らには穏便に世間から退場してもらう予定でした。ねーさんが代わりに統治者層を影から調整する立場に着けば、それを私は更に裏から支えて……ギガフロート供与の世論を動かす方法に付いても考えがあった」
「考え?」
「大人を一切乗せず。幼い子供達だけを乗せる。あくまで人道支援として日本政府に軍閥連合側から申し入れる手筈でした」
「……そうだな。それなら、確かに日本の世論を動かす事も出来るだろう。だが、そう上手く行くか? あのギガフロートは推定でも数十万人。一節には限界まで居住環境を整備すれば百万人規模を収容出来るって話だったはずだ。そんな人数の子供を言葉も通じない日本人が育てられるわけもない。実際には一部の大人を乗せざるを得ないんじゃないのか?」
「それは心配要りません。あの子達は全員、日本語が出来ます。それに……まだ低くはありますが、日本の法律や常識、公共マナー、道徳、衛生に付いても同年代の日本人と同じレベルで学びつつあります」
「あの子達って……もう選抜してあるのか?」
「はい。私の手が届く限りの子供を……日本の世論が受け入れ易いよう、出来る限り障害の無い子達に教育を施している最中です」
「……選別したのか?」
「はい……私の力でも無いものを奪ってくる事は出来ませんから。食料にも水にも物資にも限りはある。ですから…………出来る限り………選ばなかった子達は……穏やかに死ねるよう取り計らいました……」
少年は少女の崩れない真っ直ぐな瞳に何も言わなかった。
無言が怖いかのようにフゥは続ける。
「全員を行かせる事は出来ない。でも、可能性のある優秀な子が、あちらの教育を受けて大人になって帰ってくれば、大陸復興の足掛かりになるかもしれない。だから……私が見捨てられた子達に……これから死ぬだけの子達に……黒社会が保有していた阿片を……与えました……」
拳が、ほんの僅か震えて。
今にも緊張の糸が切れてしまいそうな顔で、自分の罪を、自分の最も隠しておきたいはずの罪を、堂々と告げる少女の強さが、一体何処から来るのだろうかと少年は困った。
「もしも、貴方が来なかったら、私はこの大陸の軍閥指導者層を全て傀儡に出来ていたはずです。時間は掛かったとしても、そう出来た……」
「だが、僕が来て破綻した?」
「はい」
「破綻する理由は何だ?」
「日本政府が大陸の事故原発の掃除を交換条件にすると変更してきた……貴方の来る一週間前の事です」
「―――」
千四が思っていもいなかった理由を告げられて、沈黙する。
「日本政府はいきなり、交換条件の変更を迫ってきた。とりあえずの一枚岩だった軍閥連合はこれに呼応して瓦解、其々が独自に他の軍閥領への本格的な進軍を画策、少しずつ事態は悪化していった。私の能力は距離に限界がある。軍閥連合の全てを掌握していない中で激しい内戦状態となれば、掌握する為の根回しの時間は嵩んでいく。そうなれば、選別した子供達のいる場所も攻撃される。この湊も破壊される可能性があった。軍閥が国連からの支援物資を当てにしている以上、絶対に原発の放射性物質の除去を許したりしない。この時点で私には二つの選択肢しかなくなった……一つは原発の除去を可能とするナニカを排除し、再び日本政府へ大陸にギガフロートの供与を開始するよう働き掛ける事。一つは軍閥の掌握を現在取り込んだ軍事力で行い、軍閥連合を一つにして日本政府と再度の交渉を行なう事」
「つまり、バーターの条件を変えるトリガーだったわけか」
「条件の崩壊で軍閥が一枚岩じゃなくなった時点で時間は残されてなかった。だから、ギリギリの線でどちらか一つではなく。二つの選択肢を同時に模索したの……でも、貴方と共にいて分かった。私の力じゃ、貴方は殺せない」
「だから、軍閥の上層部の壊滅に動き出したって事か」
頷いたフゥの中に揺らめくもの。
混沌とした瞳の奥底に見たものを少年は「ああ、またか」と理解した。
それはそう遠い日の事でもない夜に少年を捕らえたものだ。
絶望の未来を塗り替えようと足掻く人の灯火だ。
ただ、そんなものを背負うにはあまりにも、あまりにも―――フゥという少女の肩は細かった。
(オレのせいでまた人が不幸になる。アンタの言った通りになったな。雷同泉……)
使いとして紅蓮朋友会に入る事となった事件。
少年の大切な人は少年の存在故に消えた。
偶然ではない。
それは必然。
そして、そんな少年を殺そうとした男は言った。
『―――再び、世界を破滅させるかもしれない。それでも同じ事が言えるか? 少年』
綺麗事をのたまった。
争い事で何も解決なんてしたくないと我侭を言った。
そんな千四に英雄のような襲撃者は問うたのだ。
これから先、自分のせいで再び、破滅が世を蓋ったなら、どうするつもりなのかと。
そんな綺麗事を言い続けるつもりかと。
それに何と応えたか。
今もハッキリと少年は思い出せる。
「千四……私の、私のモノになって」
「フゥ?」
その少女の瞳は真剣で、焦燥に駆られていて、何よりも本当に真摯だった。
「貴方を私は殺せない。でも、貴方がもしも、私達に協力してくれれば、貴方の力があるなら、これから大陸は甦るかもしれない。いえ、甦らせる事が出来る!! ねーさんは言ってた。貴方は龍……それは真実だった。貴方は原発を全て消し去る力がある。報復核で焦土と化した土地も、原発汚染で住めなくなった場所も貴方の能力があれば、解決する。そうして最低限の国力さえ回復出来たなら、私の力と合せて……貴方は本当の権力者……ううん。王になる事だって出来る!!」
「王……」
「貴方が望むなら出来る限りの事をする。何だって手に入れてみせる。必要なら、どんな事だってする。だから……」
自分の肩紐をフゥが躊躇い無く落とした。
「―――っ」
まっさらな身体だった。
慎ましやかな身体だった。
薄くて繊細で触れただけで手折れてしまいそうな儚い身体だった。
自分を安売りしているわけではないのだろう。
羞恥に染まる頬だって、演技ではない。
何も身に付けず。
ただ、己を掛けて、彼女は賭けに出ただけだ。
それが分かる。
分かるからこそ、少年は目を離さなかった。
「薄汚れてるかもしれないけど、本当に酷い女だけど、私は……貴方になら、いい……輸送機で助けてくれた時、嬉しかった……話している時、楽しかった……ねーさんが本を買ってきてくれた時より、貴方といる時間の方が……温かかった……もしも、要らないなら、そうだとしてもいい。貴方の好きになれるような人を探して来たっていい。貴方が……貴方が私のものになってくれたら、私は貴方のものになって……この大陸で……」
「フゥ」
少年はそっと立ち上がる。
「今、決めた」
「―――千四」
「返事は後でする。まず、六つ。叶えて欲しい事がある」
「六つ……」
「一つ。今すぐ大陸での軍事行動を停止する事。勿論、現場の兵士達が命のやり取りをしてる最中だ。撃ち返すな、反撃するなとは言わない。劣勢なら攻撃せずにはいられない事だってあるし、実際民兵はそうだろう。ただ、一時、優位に立っている部隊に自分達から積極的な攻勢へ出ないようにして欲しい」
フゥの表情が僅かに揺れた。
「二つ。使い仲間達全員の安全確保。簡単に言えば、撃つな、殺すな、手を出すなと兵隊に命令して欲しい」
その顔が歪み始めるのを見て、心にジクジクとしたものを感じながら、それでも続ける。
「三つ。蘆夜さんを見つけ次第、連れて来て欲しい。これは後でもいい。ただ、出来れば早めにしてくれると助かる」
もうフゥは泣き出しそうなくらいに顔を歪めていた。
「四つ。出来るだけ小型で長時間使える酸素ボンベが欲しい。登山用の口元に押し当てて吸入するタイプがいい」
まったく買い被られた事を嬉しく思いつつ。
本当にどうすれば償えるだろうかと思考を空転させながら。
六六千四は一つだけ決めていた。
「五つ。この地図に出てる放射能汚染地域と原発跡地、核弾頭が保管されてる基地と高純度プルトニュウムの保管場所をプリントアウトしてくれ」
自分に出来る事はしようと、決めていた。
「六つ。基地とプルトニュウムの保管場所の周辺半径100km圏内から人間を全て退避させて欲しい。出来る限り、迅速に。残りの軍閥連合の戦力が近くにいるなら、部隊を後退させながら誘引してくれると助かる。これを今から三日以内にお願い出来るか」
「………千四………何をするの………」
「別に……告白されるなら、そんな悲壮な顔で言われるより、ただ好きですって言われたい。そんな男心を満足させる為にちょっと大陸を救おうかと思っただけだ」
フゥは絶句していた。
「ああ、そう言えば、数を間違えた。七つ。とりあえず、服を着てくれ。女の子に全裸で真正面に立たれると正直困る。これでも一応、男だからな」
「――――――」
どう言っていいのか。
どうすれば正解なのか。
まるで分からない様子の少女に近付いて。
逃げようとする身体を少しだけ抱き締めて。
少年は呟く。
「ありがとう。でも、そんな風に悲壮な覚悟で言われても、嬉しくない……これでもまだ普通の日本人を気取りたいし、人間である事は諦められないし、可愛い女の子から普通に告白されたいくらいには女々しいんだ」
その少年の笑みにどうしようもなく彼女は―――名前すら単なる記号にしか過ぎない少女は……言った。
「………馬鹿、アルよ……センシは……」
何も求めず。
何一つ応えず。
ただ、自分の為に大陸を救ってしまうなんて。
そんな、権力者にも王にも成れない無欲で傲慢な男に。
少女は涙を零した。
「っ……っ……」
薄汚い告白をした。
罪ばかり犯してきた。
言い訳なんて出来ない。
裏切りは消えてなんてくれない。
それなのに……思い詰めていたはずの心は……今、何処までも軽く。
「命を守る為に戦うのは当然。日常を壊そうとする相手を、大切な友達を守る為なら、殺す事だってあるかもしれない。でも、どんなに甘くて現実を見てない卑怯な綺麗事でも、僕はこの選択肢を取る。もし力を使うなら、正義の味方が良い。世界を救う方が良い。人を助ける方が良い。でも、人は虐げたくない、苦しめたくない、悲しませたくない、怖がらせたくない、殺したくない……だから、偽善でも、欺瞞でも、誰かに罪を押し付けるとしても、僕は僕が積み上げてきたものに誓って行動する」
「それがセンシの言う、必然?」
「いや、単なる日本人高校生の中二病ヲタクライフに沿った一般論だ」
「……ぷ」
初めて。
本当に話し始めてから初めて。
少女の顔に笑みが浮く。
束の間だとしても、胸のすくような、心の底からの微笑が。
その時だった。
ぐぅ~と間の抜けた音が二人の間から鳴る。
「……出来れば、少し食事を持ってきてくれると助かる」
「はいアル。センシ……」
少しだけ、本当に少しだけ、離れ難く。
二人の影はしばらく重なっていた。




