第六章「君は遣い使われる人」~③~
六章はあと一つ。そして、エピローグとなるでしょう。では、次回。
~③~
「騙されないで下さい!!? そんなの嘘っぱちです!!?」
月に雲が掛かり始めた頃。
崩壊した学び舎の前で響いた叫び。
それでも目付きの悪い少年は雷同の言葉に一辺の嘘も見つける事は出来なかった。
何もかもが繋がる音。
カチリと嵌るパズルの欠片。
死と世。
正と史。
世界の全てが引っくり返る音を確かに彼の耳は聞いた。
四年前。
それは遠い日の事ではない。
今も脳裏に焼き付く終わり無き終末。
一千と数百の夜を越えれば辿り着けてしまう程度の昨日。
「神と呼ばれし者が遣いし力。それを超えたのは新たなる神に等しき者達。使いの神話は過去から四年前までは単なる白紙に過ぎない。何一つ、歴史に重要な点を残すようなものではなかった。だが、四年前の一件で描き込まれた物語は今も続いている。その能力の継承者が生まれるという奇蹟と破滅を持って刻まれてしまっている」
上半身を晒した男が僅かに左半身を下げ、右半身を前へ構えた。
拳法の類か。
二人が鼓動に死を感じてしまう程、張り詰めた表情で雷同は告げる。
「信じられません!!」
反論する豊だったが、巨漢の僅かな仕草にも気圧され、汗を浮かべる。
「君は分かっているはずだ……千四君。この一年ずっと観察させて貰った。その明晰な思考能力にこれ以上の説明が必要だとは思えないな」
「……それが」
「答えなくていいです!! 君は私が絶対に」
豊を片手で制して。
真っ直ぐに千四が雷同を見据えた。
「それが、本当の事だとしても……この力を次に継承する人間がいれば、全ては無駄足になるとは思わないのか?」
「それに付いては我が組織が一つの結論を導いている」
「どんな?」
微動だにせず。
雷同は千四を見返す。
「何もただ旧いだけの組織だから【旧式派】などと呼ばれているわけではない。この数百年の間に蓄積してきた使いの情報は少なくとも、今の世界を牛耳る三組織より多い。それが確証を導いた」
「確証?」
「使いの能力が次世代に受け渡される【承醒】という現象には三つの要点がある」
「………」
「一つ。使いの能力は“御使い”による授与でしか受け渡されない。君もその力を開眼する瞬間に【貴方は何を使いますか?】と、そう聞かれたはずだ」
「あの声か」
「そう、誰もがその声無しに力を開眼しない。これは新興組織にも知れ渡るところだ。だが、残りの二つは違う」
雷同の眼光は至極真剣で。
追い詰められつつあり、己の生死を別つ刻限が迫っているという事実に怯えすら無かった。
「二つ。“御使い”が受け渡す使いの能力はたぶん、我々の次元よりも高位に位置する世界にある道具のようなものだ」
「道具?」
「そうだ。神の日常品。高次元構造体。何処かの誰かが造った秘密道具。言葉にするなら、そんなところだ。科学が発達し、物理学や量子力学が発達し始めた頃から、我らの組織はアプローチを開始していた。その技術陣が得た結論は現状からの推測と能力の解明に対して大きな進展を見せた。まぁ、現在の最新科学知識でも我らと同じ結論に達するのは時間の問題だろうが、な」
「理解した。三つ目は?」
「三つ。【承醒】という現象の発動条件は“御使い”の問いに対して能力の前任者と同じ真理。つまり、己の根源的な要求、理屈を持つ者がいた場合に限る」
「つまり?」
「君がその時、どんな事を思ったのかは知らない。だが、“御使い”がランダムな人員に聞いて回る問いにまったく同じ心理的な相似を抱いた者がいなければ、能力は受け継がれない」
「理論が薄弱だな。どうして同じ心理の人間がいないと言い切れる?」
「この世界に全世界規模での能力行使が可能な使いが約40人いる。その内の数人は人間の心理を誘導する事が可能と言われている。そして、我らが知る事実を聞けば、同系統の使い達は皆こう口にする。もう神が現われる事は無い、と」
「人の心が世界規模で歪められている、なんて言い出す気か?」
「そうだ。そして、その誘導が始まったのは全世界が破滅して二日目の事だった。君の事件が起きてから一日後の事だと言われている」
「信じる根拠に欠ける」
「それなら心配は要らない。我々が推定した心理干渉可能な使いの一人が君達のすぐ傍にいた。彼は常に最も荒れた地域に出向いて問題を解決するプロフェッショナル。同時に彼の求めに応じる組織や機関は膨大な数に昇る。スカウトマンとしてアジアを回り、強力な使いを組織に必ず引き込む事で組織の基盤を固めてきた。違うかな? 伊藤圭太外部顧問」
「「!!!?」」
雷同の視線。
その意味を知って、思わず振り向いた二人の後ろにいつの間にか、彼はいた。
人の良さそうなナイスミドル。
微笑む姿もそのままの上司が。
「おやおや。さすがに【破常】なだけはある」
「伊藤さん……」
「え、い、いつから!? 今まで気配も無かったのに?!!」
豊が僅か千四の横に寄る。
「言ったはずだ。心理誘導を可能にする力だと。【紅蓮朋友会】にはクラスSが二人いると言われているが、見えざる三人目の事は耳に入っていた。今回の一件でビル内部を捜索した際、知って驚いたよ。まさか、噂のスカウトマンが使いだったことに……」
カチャリと眼鏡を両手で外して。
壮年の男がポケットに閉まった。
「いやぁ、漫画みたいじゃないですか。はは、何ともまぁ、買い被られたようですねぇ」
「何処から聞いていたのかは知らないが、邪魔しないで貰おう」
「それは貴方達の方では? それよりもこんな所で油を売っていてよろしいんですか? 雷同泉さん。お宅の組織中枢、壊滅したと本部から連絡がありましたよ?」
「……そうか」
静かにそう雷同は呟いただけだった。
「これは以外な反応だ」
「古さ故の弊害くらい自覚はある」
「そうですか。では、この件や横に置いておくとして。さて、どうします? この圧倒的不利を?」
「……千四君。私は君を殺しに来た。だが、今は切り札として一つのものを信用させて貰っている」
「聞く必要はありませんよ。千四君。彼の言うことは正しく聞こえるかもしれない。ですが、人の命は地球より重いというのが明文化された現代社会での建前というやつです」
二人の使いに挟まれたまま。
千四が大きく息を吐く。
「日常を犯すもの」
ポツリと彼は呟く。
ドクンと誰かの心臓が脈打って。
その学校を取り巻く他県からの増援部隊、市街に住む使い、県に存在する使い。
彼ら全員がたった一つの方向を凝視する。
「僕は……そういうものと戦えればいいと思った。彼女が死ぬ理由を見つけて、彼女が死ななくて良かった理由を見つけて、彼女の弔いに怒って……それでいいと思ってた」
使いの気配は力の大きさに拠る。
だから、常に気配を排除していた彼を誰も見つける事は出来なかった。
排除していたものがどれだけあるのか。
本人だって知らない。
「―――」
気配のみで押し潰されそうになった三人の使い達が、そのとても穏やかな新人の顔と反比例するように増していく圧迫感を何とか受け入れる。
雷同は完全に臨戦態勢を取り、瞬間の回避と反撃に筋肉を緊張させた。
「僕が危険な存在だと言うのは分かりました。貴方達が責めて来た理由も。彼女が死んだ原因も。この一件で多くの人が傷付いた意味も」
「ならば、どうする。君は何を持って、この現状に意見するというのだ。少年」
「感情で動くと失敗すると何かの本で読みました。ですから、僕は僕の理性と日常の為に行動します」
完全に次の瞬間の為に準備を終えた雷同に一歩踏み出して。
少年は告げる。
「僕は死なない……自分で死を選びもしない」
「そうか。その呪縛を断ち切る術は死以外無いと知りながら、それを選ぶか。少年」
「でも」
「?」
伊藤が振り向いた千四に小首を傾げる。
「彼も殺させない」
「!?」
周辺の明度が下がり、伊藤は驚いた顔で少年を見つめる。
「―――何を考えている」
驚いた様子で雷同が背中を向けた相手に問う。
「……弔い合戦になったかどうかは分からない。でも、あの男を殺したのが僕だと言うなら、仇は取った。これ以上の戦闘を僕は望まないし、誰を傷付ける事もしたくない。少なくとも、それが許されるだけの強さがこの能力にあるなら、僕はただ自分が自分である為にこの力を使います」
「「「―――」」」
思ってもみなかった回答なのだろう。
小さな“大人”が一人。
大きな“大人”が二人。
その場の三人の使い達は少年の表裏に相対するモノを見た。
背中を向けられた者が見たのは鋼よりも強き自制か。
あるいは憎悪すら捻じ曲げる冷徹。
正面を向けられた者が見たのは何処までも静かな己への怒り。
もしかすると、それは懺悔出来ぬ罪を負った罪人の笑みなのかもしれなかった。
「それが」
雷同が目を見張り。
「君の選択ですか? 千四君」
伊藤が心の底からおかしそうにクツクツと笑う。
いや、その唇の歪んだ笑みは既に人のものではないかもしれない。
飛び切りのアルカイック・スマイル。
何処かの女神がやっていそうな表情は時間と共に歪んでいく。
「伊藤さん。僕は何処にでもいる漫画好きな普通のヲタクゲーマーですよ。戦闘とか。犯罪者を断罪するとか。そういうのはバトル漫画や小説の類で見飽きてます。もうそろそろ深夜枠の衛星放送でアニメ始まる時間なので帰らせて貰っていいですか?」
「は―――」
堪えきれなくなったと言わんばかりに伊藤が片手で顔を覆って天を仰いだ。
「は、は、はは、ははははっ、く、くく、く、ふく、くくくく、君は僕を笑い死にさせるつもりですか?! 千四君!!」
伊藤が激笑する。
まるで壊れた玩具のような笑いに今まで四年間の付き合いがある豊も固まっていた。
「行って下さい」
「この状況なら後ろから狙わないと、そんな甘い考えで高を括っているのか?」
「違いますよ。思い出しただけです。今、読んでる本の内容を」
「何?」
「貴方達が殺した。僕が殺してしまった。あの子が……ただのオンナノコが僕にピッタリだって言って貸してくれた本に書いてありました」
「………何と」
こんな会話をするのはたぶん人生でもう二度と無い。
そう感じながら、雷同が訊ねる。
「無駄な争いをするのはこの狭い地球で唯一人間だけ、らしいです。なら、人間以上だろうと人間未満だろうと、こんな力を手に入れた“何か”である僕達くらいは無駄な争いをしなくてもいい。そんな今であって欲しいと僕は、心の底から思います」
「―――再び、世界を破滅させるかもしれない。それでも同じ事が言えるか? 少年」
「この力が奇蹟だろうと破滅だろうと使うのは僕です」
その言葉に滲むものが絶望とは違う事を彼は、雷同は理解する。
危うい程の笑顔。
そんなクラスSの男を前にして、彼にすら匹敵するかもしれない気配が放たれているというのに、一切怯まないのは能力のせいではないと。
単なる虚勢ですらないと。
そう、思い至った。
分からないわけがない。
この一年間、誰に悟られる事もなく静かに殺そうと苦心し、躍起になっていたのは他ならぬ彼なのだから。
「人が使う限り、どんな力もどんな道具も人の意思に従う。核は確かに世界を滅ぼす毒かもしれない。でも、フィクションの世界でなら隕石から世界を救う奇蹟にもなる。少なくとも、今の僕はファンタジーに耽溺する弱い弱い唯の人間です。もし力を使うなら、正義の味方が良い。世界を救う方が良い。人を助ける方が良い。でも、人は虐げたくない、苦しめたくない、悲しませたくない、怖がらせたくない、殺したくない……もう殺したなら、言い訳にしか聞こえないかもしれませんが……こんな人間以外の何かになっても、そう思うんですよ」
千四が僅かに振り返る。
「それって間違ってますか?」
「………………君は馬鹿だな」
ようやく伊藤が笑うのを止め、静かに瞳を閉じて二人の会話を聞き始める。
「そんなものは、誰だってそうしたいに決まっている。だが、理不尽に殺された無念。どうしようもない憎悪。罪を罪とも思わん我らのような使い達にその理屈が通じると思うか?」
「……たぶん、何年経っても、貴方達の事をずっと許せないままだと思います。それはいつまでも変わらない」
「当たり前の反応だ」
「でも、此処で戦って貴方を殺すという選択肢も僕にはありません」
「怖気づいたとは言うまい。君がそんな性格でない事は殺そうとしていた私が最もよく知っている」
「どうなるにしろ。団体と敵対し、無数の一般人に被害を出した貴方はお尋ね者です。此処で周辺の使い全てと戦ったところで殆ど勝ち目が無いのは貴方だって解っていたはずだ。もし殺さずに僕らが司法の場に貴方を差し出しても政府は団体に使いの処分を一任している。つまり、此処で殺そうと殺すまいと行き着く結末は同じ。貴方の未来は何も果たさずに閉ざされる」
「それはどうかな。君が死なないという前提に如何程の価値があると?」
その強がりでも何でもなく。
一矢報いる力を秘めた男の瞳に射られても、少年はもう動じていなかった。
「雷同さん。僕は貴方達の事を許そうとしているわけでもなければ、分かり合おうとしているわけでもない。これは僕の譲れない決意の問題なんです」
「決意?」
「僕の日常を作ってくれていた人はきっと僕が誰かを殺したり、特別な力で仇を討って欲しいなんて思いません。きっと、笑っていつものように日常を穏やかに過ごしたいと、生きていたなら、そう……願っていたはずです」
これは命乞いの類でも無ければ、錯乱しているわけでもないと、彼は目の端に映るブルーシートが掛けられた校舎の一室を見つめる。
「僕はこの道を、ただの日常が過ぎていく、今の自分でいられる道を歩きたい。その為なら、貴方が悪人だろうと善人だろうと戦わなくてもいいかもしれない選択肢を選びます」
「今、攻撃すれば、君は反撃せざるを得ない。違うか?」
「違います。まだ、貴方は攻撃出来ない。何故なら、敵としての貴方はきっと現状を観測し、冷静に判断してから行動を決定する輩だからです。でなければ、あの人間使いと炎使いのような強力な初手で相手を完殺する使いを連れてきたりはしなかった。ですから、今の貴方は攻撃する事に意味があるかを冷静に思考している途中。僕を殺す事が最善であるという前提に対して、僕の言葉を天秤に掛けている」
言われた通りだった。
雷同にとって、千四を殺すというのは単なる手段に過ぎない。
そして、その手段が今のところは最善であるという前提の下に動いている。
「随分と解ったような事を言う」
「近頃の“大人”ですから。一応」
「その力の使い道を誤った時、君は今の私のようになっているかもしれないぞ」
「命を守る為に戦うのは必然です。日常を壊そうとする相手を、大切な友達を守る為なら、殺す事だってあるかもしれない。でも、どんなに甘くて現実を見てない綺麗事でも、それを言えない人間に誰も期待したり、信頼を置いたりしませんよ。きっと」
「偽善だな。だが、その行動によってのみ示す君の偽善に今は……退場しよう」
雷同が手を下ろす事なく、跳んだ。
『見ているぞ。その言葉が真に果たされるかどうか』
今まで立っていた地面がまるでクレーターのように抉れ、姿が闇に刹那で融ける。
『いつだろうと必ず……』
声が途切れ、風が吹いて。
「千四君……」
「済みません。後で今回の事は謝ります。ただ、その前に一つだけ」
豊が複雑そうにしながらも「何?」と訊ねる。
「ありがとうございました。僕の学校の皆を助けてくれて。僕の傷付けた人達を助けてくれて……」
「そんなの!? 君を守るって言ったのに……あたし、全然何も……ッ」
「そんな事は」
首が横に振られる。
「時間は掛かるかもしれませんけど、生きてる限り、また日常はやってきますから」
どう答えればいいのか。
どうすれば正解なのか。
彼女に解るわけもない。
敵、味方、殺し、殺され、大勢を巻き込んだ。
全てを戦って済ませられるなら、それはとても安易で素晴らしい方法に違いない。
後顧の憂いを断ち、リスクを減らす行為こそ、大半は現実的と言うのだから。
だが、少年の往く道はまた違っていた。
彼女が見てきた誰とも別のものだった。
それは悪い事なのかもしれない。
偽善と欺瞞に溢れた現実を見ない妄想と謗られても仕方ないものかもしれない。
だが、彼女は知っている。
蘆夜豊は確かに理解する。
人が憧れ、人が夢見たソレを、人は敬意と願いを込めて、時にこう呼ぶのだ。
「君の、君の理想はきっと大丈夫だよ……うん。だって、あたしと違って君は……」
どんな道を行こうと結末が同じではないと証明している。
例え、振り返るのが地獄だろうと、怯まなかった。
全てをありのまま受け入れて諦める事を己に許さなかった。
きっと、その曲がり角の先に、進む道に絶望しなければ、確かに見えていたはずのものを信じている。
「君は?」
「………何でもない」
言葉にするのは無粋な気がして、微笑むだけに彼女は留めた。
そんな時、「?」と首を傾げた少年へ声が掛かる。
「お若い二人の邪魔をするのはこちらとしても気が進まないんですが、そろそろこの動けない状態から開放してもらえませんかねぇ……」
そんな声が全てを締め括った夜。
【真空使い】
六六千四はもう少しだけと上司へ恐る恐る告げた。




