第四章「その痛みの行方」~③~
これでお膳立ては全て終わりました。第四章が終了し、第五章「戦闘というもの」が始まります。此処からはバトルもの展開。学園バトルアクションと銘打った感じになっていくかと思います。では、次回。
~③~
「千四君!!」
「佐上さん。と、入間さん」
「いやぁ~無事だったかい?」
旅館内部。
露天大浴場へと続く廊下は途中から綺麗に掃除されていた。
外見だけを汚して見せているだけで。
実際の旅館内部は荒れ果てているという事も無かった。
伊藤に連れられてやってきた千四は大きな露天風呂の横でお湯を被っている二人と再会し、安堵の域を吐く。
「はい。何とか」
「そうか。でも、煤けてる様子からして、あの放火魔と一戦遣り合ったりした?」
「いえ、罠に嵌って死ぬところでした」
腰に手拭を巻いているとはいえ。
それでも相手は体育会系。
ヲタクゲーマー六六千四のナヨナヨボディーとは比べ物にならない肉体に僅か彼が引き気味に受け答える。
「ははは、それで生き延びたのなら、上等じゃないか!? ホント、ウチに喧嘩を売ってくるなんて、何考えてるんだか。伊藤さんは単独犯じゃないって言ってたが、それにしても【衛星】が二人も出てきたら、即死だろうになぁ」
黄色いプラスチック製の手桶を渡されて勧められた洗面台前の和風な床几に腰掛けて。
千四は蒼雲からの視線に半笑いとなる。
「何か?」
「お前……よく生き残ったな。普通在り得ねぇだろう」
「蘆夜さんが助けてくれましたから」
「あのプリチーな監察官殿か?」
「今は医療班の方に」
「さすがのハイクラスも放火魔相手じゃ分が悪かったらしいな……」
「ギリギリで逃げ出してきたので戦ったわけでもなくて」
蒼雲がその千四の言葉に「生きてて良かったな」と言い置いて湯船の方へと歩いていった。
「………」
そのままボウッとしているわけにもいかないとお湯で身体を流し、頭を洗う千四に佐上が話し掛ける。
「今回の件でウチの面子は丸潰れ。本部に連絡も行ってるし、三日もすれば幹部が一人か二人来るはず。という事で此処に避難してる使いの大半は海にクルーザーや小型艇で逃げ出して支部が近い港まで行こうって話になってるんだが、君はどうするんだい?」
「まだ、何とも。蘆夜さんの意識が戻ってから、相手の出方を見て対応を決めると伊藤さんは言ってましたが」
「そうか。伊藤さんが言うなら、そうなんだろう」
「……人質を取って出てくるように脅しを入れてくるんじゃないかとも言ってました」
「そうか……確かにその可能性は高い。支部に勤めていた人達が盾にされたら、さすがにこっちも良心が痛む」
「でも、逃げ出す算段は付けてるんですよね?」
「戦力的にクラスFから上はクラスが上がるごとに別次元の強さになっていく。今回の事件規模から考えるに少なく見積もってもあちらはクラスCからBまでが三人か四人。この時点で僕達には出る出番が無い。あっちは真正の殺し屋でこっちは支部所属のちょっと力が使える雑魚十把一絡げ。出て行きたくても無駄死になのは目に見えてる」
「そうですか……」
「正義感だけじゃどうにもならない事は君にも分かると思う。それにこういう事態を想定して、支部の人達は働いてるし、契約もしてる。生命保険だって掛けてる。そういう意味だと助けようとして死にに行くのは無駄とは言わないが、考え無しだ」
「………」
「そろそろ入ろう」
「はい」
二人が湯気の上がる露天風呂に身を沈める。
熱めのお湯は千四にとって今の現実を意識せずに済む程度には良い温度だった。
「ふぅ……」
「そう言えば、高弓さんは?」
「あぁ、彼女は……」
何処か沈んだ様子になる佐上にお悔やみを言うべきかどうか迷った千四が声を掛けるより先に隣の女性露天風呂の方角から「きゃはは。マジで~~♪」なんて声が聞こえた。
「実はまったく現状が把握出来てないんじゃないかと心配になるくらい明るく旅行気分で遊んでる……」
暗い佐上の声に苦労人なのだろうと千四は同情した。
「いや、実際死ぬところだったんだ。もし、伊藤さんがあの時ビルにいなかったら、餌食にされてたかもしれない」
「ったく。ほんとーにな。あの馬鹿がトランプで勝つまで止めねぇとか抜かしやがるから、あんな時間まで……」
蒼雲がどんよりした瞳で呟く。
「……お察しします」
女性に振り回される悲哀が滲んだ二人に心底彼は同情した。
「話は変わるけど、伊藤さんはどうしたんだい? 一仕事終わったら、こっちに来て風呂に入りたいみたいな事を言ってたと記憶してるんだが」
「ああ、伊藤さんなら滝の湯に行くとか何とか」
千四の答えに佐上が頷いた。
「そっちか。此処はかなり広いようだから、時間があったら、そちらに行ってみるのもいいかもしれないな」
何だかんだと話しながらお湯から上がった時には千四も自分の緊張が解れている事に気付いた。
生死を分ける数秒。
その時の感触が薄れたせいか。
今になってようやく身体が弛緩してきて。
予め用意されていたサイズもピッタリな滝高の真新しい制服に着替えた後、脱衣所のマッサージチェアに座り込んでしまう。
(蘆夜さんのところに行ってみよう……)
急激に緩んだ肉体を押して脱衣所を出る時、後ろから「じゃあ、また」との声。
軽く手を上げて応えた千四はその足で豊を探しに旅館の奥へと向かった。
基本的に旅館内部は清潔に掃き清められている。
外部との接点を汚して偽装しているだけではないのか。
一面の硝子が実はマジックミラーの類らしく。
外からは一切内部が見えない。
更に明かりに関しても外部から見えない場所にしか通電していないのか。
基本的に内部は薄暗かった。
それでも幾人かビルで見かけたような男女が行き交う様子から、安全は確保されているとの安心感がある。
保険室と看板が掛かった奥の一室を見つけたのは旅館内部をウロウロしてから数分後の事。
コンコンとノックすると内部から「どうぞ~」との声。
座敷を改造したらしき和風の室内に入った千四は其処で寝台に寝かされている少女と担当医らしき白衣を着た女性を見つけた。
「えっと、何処かケガでも? 伊藤さんから話しは聞いてるから、何処か違和感があったり、吐き気がしたりするなら、すぐに見ますよ」
「いえ、蘆夜さんが気になって少し。様態の方は大丈夫ですか?」
「監察官は大丈夫よ。酸欠になりながら能力を使ったと聞いてるから、たぶん集中力が途切れた状態で一時昏睡したんだと思うわ。使いの能力は脳気質には拠らないけど、集中力がものを言う。だから、脳が働かない状態で無理矢理力を発現させると意識に掛かる負荷が大きいの。まぁ、物理的な解明はされてないし、解明されるのは後二百年以上無理なんじゃないかなんて言われてるから、正確なところはちょっと言えないんだけどね」
「そうですか。じゃあ、目覚めるのは?」
「たぶん、後一時間か二時間もしたら、普通に目が醒めるでしょ。仮にもクラスC。それも肉体強化が出来るって聞いてるから、そんなに時間は掛からないんじゃないかしら」
「どういう事ですか?」
「君ってまだ新人なのよね? じゃあ、まだ知らないのも無理無いけど、肉体強化型の使いって言うのは一部の例外を除いて真の超人なのよ」
「真の超人?」
「ええ、使いの基本的な事は聞いてるかしら?」
「はい。大体は……」
「じゃあ、使いの力の余波が残留するって事は知ってるわね?」
「火が消えても、火の暖めた空気は消えないという話なら」
「そうそう。そんな感じなのね。肉体強化型の使いって言うのは基本的に強化した状態の肉体が余波として残るのよ。物理強度を超えてたり、物理法則的に在り得ない強化なんかは消えてしまうのだけど、筋肉や内臓の強化自体が力の余波として現実に残留する。だから、例えば筋肉使いみたいな能力者がいたとすると、その人は力を発揮して常に最高のパフォーマンスで筋肉を使い続けていられるけど、力が無くなっても常人では考えられないレベルの運動能力を維持したままで肉体が固定されるわけね」
「なるほど」
「まぁ、あんまり強化し過ぎると日常生活に支障が出ちゃうって例もあるらしいから、一概には言えない事なんだけれど」
「蘆夜さんが無事なら、それで構いません。じゃあ、失礼します」
「え? もう言っちゃうの?」
「はい。何か問題でも?」
「君って監察官の相棒って聞いてたから、もし必要ならちょっと温泉に出ててもいいんだけど」
パチリとウィンクした女医に千四はどう返していいのか分からなかった。
特別な関係ではない。
と言えば嘘になるかもしれない。
だが、恋愛対象として見ているわけでもない。
「………しばらく、此処にいても?」
「勿論よ♪ バイタルチェックも異常無しだったから、何か異変があったり、急患が来たりしたら、温泉に来て頂戴。じゃあ、私はこれで……うふふ、温泉温泉」
イソイソと寝台横に置かれていた着替えを持って女医が「ごゆっくり~」と室内から退場していく。
その瞳はちょっとくらいなら何かしちゃってもいいのよと言っていた(たぶん)。
「はぁ……」
スゥスゥと規則正しい豊の寝息以外の音が消え失せた室内でマジマジと千四が横顔を見つめる。
「何やってるんだか。僕は……」
愚痴りたくもなるだろう。
実はとても凄い力があります。
その上狙われています。
命を掛けたバトルになりました。
いやぁ~ホントウにラノベご馳走様です。
事態を軽くしたら、そんな言い分になってしまう。
青少年として王道バトル漫画が好きな普通の高校生たる六六千四にとって、少しだけ心躍る事態。
けれども、それ以上に日常が破壊されていく惨憺たる事態。
四年前から随分と冷たい人間になったような気がする己が、今更に情熱を持って何かに打ち込むなんて事は彼にとっての日常ではない。
ゲームが好きなのも、漫画が好きなのも、結局はあの四年前の事件後に日常を取り戻そうとした結果だ。
集中は出来るが、自嘲する冷静な部分がいつもダメだなぁという自己批判的な視線を己に向けていた。
今更、美しい少女と恋愛をしてみるなんて選択肢は彼の人生に無い。
ただ、春の日溜りのような心地を少しだけ味わって、自分よりよっぽどに重いものを背負う少女を少しでも助けられれば、彼的には今回の事件にしてもそう問題は無い。
ビルで働いていた人間が人質に取られようと他人しか過ぎず。
自分が死んでまで何かを助けようなんて義理も情熱も彼は持ち合わせない。
そんな普通に現実的な判断を下せる彼にとって、このまま逃げるのは常識的な事に思えた。
もしも、何の事件も起こらずに【紅蓮朋友会】へ入会していれば、間違いなくそうしただろう。
だが、事件はもう起きてしまっている。
死人は出てしまっている。
彼の日常にいた人が消えてしまっている。
苦しんだのか。
哀しんだのか。
叫んだのか。
泣いたのか。
分からずとも―――彼は決めてしまっている。
逃げ出せないのだ。
背中を向けられないのだ。
彼が唯一自分に課した使命はこの四年で二つだけ。
日常を守り、生き抜く事だけだ。
(………こんな僕は何処か壊れてる……でも、まぁ……無理無いのかもしれない……)
四年前より昔。
六六千四の人生は自分の目付きの悪さを諦めながら生きる類のものだった。
夜一人でコンビニまで出歩けば、不良と間違われて運悪く巡回する警察官に補導される事数十回。
学校に行けば、教師達から目を付けられて、何かと問題視される事数十回。
友達も出来ず。
ただ自分の世界で本を読み、ゲームをするのが彼にとっての日常だった。
母子家庭だった彼はそもそもが母親からも疎まれていた節がある。
生んだ事を後悔している旨を時折、アルコールの入った母から聞かされていたので間違いないだろう。
何でも風俗で働いていた時に来た“その筋の玉の輿”が彼の父親らしい。
途中で無責任に死んでしまった時にはもう出産していた為、堕ろす事も出来なかったとか。
子供にそんな事を愚痴る親もどうかと思うが、彼にとってはそう悪い母親でもなかった。
少なくとも表側では良い母親を演じて、自分を満足させていたし、給食費を滞納する事も無く、生活に必要な分の金は置いて言ってくれていた。
可愛がりこそしなかったが、必要最低限の世話はされて育った。
千四が自分で何でも出来るようになった頃からは住居へ着替えや化粧をする為だけに帰ってくるようになったが、別に完全な育児放棄というわけでもなく、暴力だって振るわれた事は無かった。
(あの日、何もかもが消え去って……それでも生き残って……なのに、涙の一欠けらも出なかった……怨んでたわけでもないのに……)
四年前。
少年はテレビとネットで世界の終末を見た。
無数の嵐と竜巻に呑み込まれる大都市。
無限とも思える高さの津波に消えた首都圏。
世界が核の炎に焼かれ、大人達が右往左往しながら破滅に対処しようとする姿。
これからどうなるのだろうかと思ってはいたが、何処か遠い世界にも感じていた。
死ぬのなら一瞬。
全てが苦しみの無い内に消えてしまうのなら、それはそれで幸せな気すらしていたのだ。
そうして、その時はやってきた。
少しだけ帰ってくるか気になった母親を団地の前で待った。
出迎えようと思ったのはこれから死ぬのなら、せめて母親の顔くらいは見ておきたかったからだ。
もしも来ないのなら、それはそれで良かった。
他に作った男と共に子供を投げ出して逃げたって、別に構いはしなかった。
それならそれで母親はきっと帰って来ない事情があったのだと、一人で死ぬ覚悟だけは出来ていた。
けれども、母親はやってきた。
いつもいつも無愛想に料理を作って、実の子に言葉の一つも掛けてくれなかった彼女。
炊事選択が出来るようになってからは一ヶ月見ない事もザラだった彼女。
生活費を置いていく以外は授業参観にも来なかったし、入学式や卒業式にだって来なかった彼女。
なのにどうしてか。
以外な程、あっさりと彼のたぶん世間から見たら最低に近い母親は泣き顔でやってきた。
剰え。
千四を見つけて、良かったと笑顔で駆け寄ってきた。
そんな笑顔を見せられて、期待しない子供が何処にいるだろう。
本当は自分を愛していたのだろうかと。
そう考えてしまうのは浅はかでないはずだ。
駆け寄ってくる母の背後。
遥か遠方の宵空に見えた小さな輝き。
彼女の叫んだ「あなた」の声。
自分の後ろに何の偶然か。
彼女のイイ人がいて「おまえ」と叫び駆け出して。
まるで喜劇のように悲劇のように悲喜劇さながらの、道化は一人出かけた手を凍らせて。
そんな時だ。
声がしたのは。
『貴方は何を使いますか?』
誰かに尋ねられた気がした。
その何処からか響いた声に。
深淵の奥から響いた声に。
抱き合った二人の男女を前にして。
何と呟いたのか。
彼は今も鮮烈に……覚えている。
『全部、消えればいい』
そうして―――全てが焼失した。
何もかもが光と衝撃に呑み込まれ溶け込んでいく光景。
真っ白に染まった世界。
思い通り。
何もかもが消え去って。
自分も消えてしまうと思っていたのに。
残ったのは身体一つ。
そよ風が撫ぜる彼の鼻先から一切合切が無くなっていた。
天には大きな雲。
しかし、熱風は無く。
肌は焼かれていない。
焼失した景色はまるで冗談のようだった。
後ろを見れば、団地の一部が綺麗に残っていて。
何となく彼はその時、気付いた。
自分のいる場所が二等辺三角形の頂点なのだと。
背後で上がる悲鳴。
何故か足や腕や顔の一部だけが綺麗に焼け融けた人々。
“領域”から足を踏み出して、腕や顔を出していた人々。
絶叫が残響する切取られた日常の中。
もう一度前を向けば、やはり何も無く。
少年の願いは……聞き届けられた。
地獄に切取られた日常の中で。
一つだけ不満を残しながら。
(考えてもみれば、爆心地に程近い場所に自衛隊がすぐ入ってこられたのも本当ならおかしかった。そもそも核物質が反応し切る中性子爆弾だったと言われながら、五千人も残ったのは明らかに矛盾する)
この四年で唯一彼が受けなかった公的支援は被爆に関するものだけだ。
政府が大規模な支援策を講じているというのにどうして金額がこんなにも少ないのだとマスコミが近頃騒いでいるというが、そもそもあの刹那、本当に中性子を浴びたのかどうか疑わしい。
使いの能力に付いてのレクチャーを受けながら、心の何処かで四年前の状況を補強していた千四の思考は結局のところたった一つの事実に行き着く。
あの日、たぶん自分は救わなかったのだと。
母と父と呼ぶかもしれなかった誰かを見殺しにしたのだ、と。
(何もかも無くなればと思いながら、自分を残したわけか………)
生物としては正しい。
生き残る以上に重要な事など無い。
同時に自分に害為すかもしれない親を消したのもリスクの観点から見れば、それなりに言い訳は出来る。
勿論、人間としては失格だろう。
だが、それを責める者も無ければ、知る者も疑う者も無い。
「人間じゃない、か」
伊藤が言っていた。
人間使いに使いは操れないのだと。
それは使いが人間ではないからだと。
少なくとも自分に限っては人間の皮を被っている化物かもしれないと少年は苦笑する以外ない。
事実を鑑みるなら、彼は核弾頭の直撃にすら耐えた事になる。
それは少なくとも明らかに人間扱いされるレベルの能力では無い。
「……そんな顔、しないで……」
「蘆夜さん!?」
不意の声に内側へと沈み掛けていた意識を千四が少女に向けた。
何故か。
そこには薄らと涙を溜めた顔があって。
「えっと、何処か痛いですか?! すぐに先生を」
そのまま慌てて部屋から出ていこうとする袖が掴まれる。
「痛く無いよ。でも……」
上半身を起こした豊がキュッと制服の胸元に縋るよう手を触れさせる。
「君にそんな顔して欲しくないよ」
「蘆夜さん? その……」
先程までの自分を見られていたのだろうかと千四が頬を掻く。
「……君が助けてくれたんだよね」
「一応、無我夢中でしたから」
「うん……なら、君はそんな顔しちゃダメ……そんな哀しい顔で自分を傷付けちゃ……」
「蘆夜さん……」
言葉に詰まった千四の手に手がそっと重ねられる。
「あたし。君がいなかったら、きっと酷い事になってた……君はあたしを助けてくれた……だから、笑って? 一緒に助かって良かったって……そっちの方がずっとずっといいよ。きっと……」
「そう、ですね」
優しくその手を相手の胸に置き直して。
千四が優しく寝台にその身体を寝かせる。
「状況説明は要りますか?」
「うん。此処が何処だか聞かせてくれないかな?」
「此処は伊藤さんが用意したセーフハウスの一つだそうです。廃旅館を利用したもので、今はビルから脱出した使いと数名の職員がいます」
「そっか。伊藤さんが……」
「僕達が逃げ出した時、伊藤さんにミニバンで助けられました。追撃されずに逃げ切れたのはあの人のおかげです」
「後でお礼言わないとね」
「はい。それと使いは全員隣県の支部かこちらに脱出して無事。相手の出方を見てから、此処にいる職員と能力が弱い使いは海側から脱出させる方向で調整しているとか」
「じゃあ、此処って海が?」
「数km先に秘密の桟橋とクルーザーや小型艇が隠してあるそうです」
豊が静かに頷く。
「良かった。使いの子達が無事で……」
職員の大半があちらに人質にされているかもしれないとの事はまだいいだろうと千四は口を噤む。
「千四君は大丈夫だったの?」
「何とも。温泉に入ったら、疲れも抜けました」
「温泉? あ、旅館だから?」
「はい。もう少し休んでからどうぞ行ってみて下さい。結構、良かったですよ」
「あはは、何だか旅館の営業してるみたい」
「すみません」
「別に謝ったりしなくても」
「すみ―――はい」
クスクスと笑う豊の表情にようやく笑ってくれたと安堵した千四がそっと上に被せられていたタオルケットを掛け直す。
「先生に目が覚めたと伝えてきます。何か持ってきて欲しいものは?」
「何も。あ、出来ればちょっとお水を……」
「分かりました」
立ち上がった千四が部屋を出ようとして、僅か振り向く。
「庇ってくれてありがとうございました。蘆夜さんがいなかったら、きっと能力も使えずにあのままだったと思いますから」
「そ、そんな事!? 君がいなかったら、あたしの方が困った事になってたはずだから、お互い様だよ!!」
「じゃあ、今回はお相子という事で」
「うん。だって、千四君はあたしの助手って言うか。その……相棒、だから」
何処か気恥ずかしそうな笑顔が胸に染みて。
千四も頷く。
「じゃあ」
「あ……」
「他に何か?」
「スクーター……ダメ、だったよね? たぶん」
「ああ。実際見てませんが、たぶん全損だと思います」
「そっか。四年前からずっと使ってた相棒だったから……」
「今回の件が片付いてから回収して、確認してみて。それからですね」
「うん。そうする。でも、相棒なら新しい人が見付かったら、いいかな」
「……ありがとうございます」
晴れやかに告げられて。
ズキズキと胸の痛みを感じながら。
千四は部屋を後にした。
「………」
閉めた扉越しに溜息も零さず。
どうして、ああも天真爛漫なのかと。
傷付いていい人じゃないと。
少年は改めて蘆夜豊の善性を思う。
(死すら克服する能力。どれだけ傷付いても寿命を犠牲に生き返るからって、そんなもの背負えるような人間がいるわけない。なのに、彼女は……)
自分が辛い時、人に笑い掛ける事が出来る。
それがどれだけ凄い事か。
核を防ぎ切るより、死なない事より、稀有な力なのか。
いつも無表情を決め込んでいる彼には分かる。
相手の事を思いやるからこそ、相手の幸せを願うからこそ、そんな笑みが出来るのだ。
(まったく、正反対過ぎて困る)
全てを消してしまった自分。
他人の幸せを願えなかった自分。
怨みもせずに全部消してしまいたいと願った自分。
こんなろくでもない人間未満の化物が相棒でも笑ってくれる。
そんな顔をしないでと言ってくれる。
(優しくされ過ぎて、胸が痛いなんて……まったく……)
顔を歪めて。
誰もいない廊下で。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
千四はそうしていた。
せめて、この痛みが消えるまで。
動かずに感じていたい。
そう胸を片手で掴みながら。
第四章「その痛みの行方」了




