第1章 自宅警備員、殉職する
突然だが、俺はJKである。
念のため言っておくが、女子高生ではない。
そもそも俺は男だし、年齢も二十二歳。女子高生というには、性別も年齢も色々と無理がある。
では、何のJKなのか。
答えは簡単。
自宅警備員――Jitaku Keibiin、略してJKだ!
……うん。
自分で言っておいてなんだが、かなり虚しい。
まあ、世間一般ではこういう奴を『引きこもり』と呼ぶのだろう。
ちなみに、身分上は大学生だ。
もっとも、現在は休学中なので、大学に通っているわけではない。
朝起きて、ゲームをする。
昼飯を食べて、ゲームをする。
夜になっても、ゲームをする。
そんな生活を続けること、早数か月。
我ながら素晴らしい警備体制だと思う。
何しろ二十四時間体制である。ブラック企業も真っ青の勤務時間だ。
……ただし、給料は一円も発生しない。
「よし、これでクリアっと」
俺はパソコンの前で大きく伸びをした。
画面には、たった今攻略したゲームのクリア画面が表示されている。
何度も防衛戦に失敗した末、ようやく到達したエンディング。
我ながら見事な采配だった。
敵の進軍経路を予測し、限られた資源で防衛設備を建設。最後の最後まで粘り抜いて、見事に拠点を守り切ったのだ。
現実の俺とは大違いである。
「はぁ……ゲームの中なら、俺も結構やれるんだけどなぁ」
ぽつりと呟いてから、机の上のスマートフォンに目を向けた。
通知が一件。
大学の知り合いからだった。
『久しぶり! 最近どう? 大学には戻ってこられそう?』
「…………」
俺は通知を閉じた。
別に、相手のことが嫌いなわけじゃない。
むしろ、こうして連絡をくれるのはありがたいことだと思っている。
ただ、何と返信すればいいのか分からなかった。
元気だよ、と返すには少し気が引ける。
大学に戻れそうかと聞かれても、正直なところ自分でも分からない。
気づけば周りの友人たちは就職活動や資格の勉強を始めていて、俺だけが時間に取り残されているような気がした。
だから、考えるのをやめた。
ゲームなら、失敗してもロードすればいい。
けれど、現実にはセーブデータなんてない。
……なんて、少し格好つけすぎか。
「さて、次は何をやるかな」
椅子に深く座り直した、そのときだった。
ふと、パソコンの右下に表示された日付が目に入った。
「…………ん?」
今日は、何日だったっけ。
いや、待て。
確か今日って――。
「……あっ」
俺は慌ててスマートフォンを手に取った。
確認したのは、数日前に届いていたメール。
『ご予約商品の入荷について』
そこには、俺が何か月も前から楽しみにしていた新作ゲームの名前が書かれていた。
「今日発売じゃねえかあああああ!!」
そう。
本日は、待ちに待った新作ゲームの発売日なのだ。
しかも、今回は通常版ではない。
設定資料集やオリジナルサウンドトラックが付属する、数量限定の特別版。
発売が発表された瞬間に予約した、俺にとっては一大イベントである。
「危ねえ……完全に忘れるところだった……」
予約している以上、明日取りに行っても構わないのだが、そこはゲーマーとして譲れない。
発売日に手に入れられるなら、発売日に遊びたいではないか。
となれば、善は急げだ。
「仕方ねえ……久々に外出するか!」
こうして俺は、自宅警備員としての職務を一時的に放棄することを決めた。
――この決断が、俺の人生を大きく変えることになるとは、このときは夢にも思っていなかった。
◇ ◇ ◇
「悠真ー? どこか行くの?」
階段を下りると、台所から母さんの声が聞こえた。
「ちょっとゲーム買ってくる」
「あら、珍しい。外に出るなんて」
「母さん、息子を何だと思ってるんだ」
「自宅警備員でしょ?」
「ぐっ……!」
まさかの正論。
反論の余地がない。
「それなら帰りに牛乳買ってきてくれる?」
「えー……」
「えー、じゃないの。お願いね」
「はいはい」
靴を履きながら、適当に返事をする。
母さんはまた台所へ戻っていった。
俺は玄関の扉に手をかける。
久しぶりの外出。
ほんの少しだけ、胸が高鳴った。
「んじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてねー!」
ごく普通の会話だった。
どこの家庭にでもありそうな、何でもないやり取り。
だからこそ、俺は知らなかった。
これが、母さんとの最後の会話になるなんて。
◇ ◇ ◇
「うおっ、まぶしっ……!」
外へ出た瞬間、俺は思わず目を細めた。
太陽って、こんなに眩しかったっけ?
長時間モニターを眺めていたせいか、それとも単純に外出する機会が少なかったせいか。
久々の青空は、妙に鮮やかだった。
「いい天気だなぁ……」
駅前のゲームショップまでは、歩いて十五分ほど。
普段なら面倒に感じる距離だが、今日ばかりは足取りが軽い。
何しろ、この先には新作ゲームが待っているのだ。
自然と鼻歌まで出てしまう。
「ふんふふーん……っと」
途中、パン屋から漂う焼きたての香りに足を止めそうになった。
だが、誘惑には負けない。
目的地はゲームショップ。
パン屋ではない。
買うものを買って、さっさと家に帰る。
そして今日の夜は、思う存分ゲームを楽しむのだ。
「完璧な休日プランだな」
もっとも、休学中の俺に休日という概念が存在するのかは怪しいところだが。
そんなことを考えながら、俺は交差点に差しかかった。
歩行者用信号は赤。
俺は立ち止まり、スマートフォンを確認する。
予約メールは、ちゃんと残っている。
財布も持った。
スマホもある。
よし、忘れ物はない。
……いや、牛乳か。
「帰りにスーパー寄らねえとな」
そのとき、信号が青に変わった。
俺は顔を上げ、横断歩道へ足を踏み出した。
一歩。
二歩。
三歩。
その瞬間だった。
――キィィィィィッ!!
「……え?」
耳をつんざくような、激しいブレーキ音。
反射的に顔を向ける。
視界の端に、白い車体が飛び込んできた。
車。
まずい。
避けないと。
頭では理解していた。
なのに、足が動かなかった。
まるで、時間が止まってしまったかのようだった。
「う、そだろ……」
次の瞬間。
ドンッ!!
全身に、強烈な衝撃が走った。
世界がひっくり返る。
空が見えた。
青い空。
白い雲。
さっきまで綺麗だと思っていた景色が、ぐるぐると回っている。
何が起きたのか、うまく理解できなかった。
身体が、動かない。
遠くで誰かが叫んでいる。
けれど、その声は水の中から聞こえてくるようにぼんやりとしていた。
ああ。
そうか。
俺、車に轢かれたのか。
……マジかよ。
ゲームの発売日に?
よりによって、今日?
冗談じゃない。
まだゲームを受け取ってない。
ずっと楽しみにしてたんだぞ。
こんなところで終わるなんて、勘弁してくれよ。
そう思ったとき、不意に母さんの声を思い出した。
『帰りに牛乳買ってきてくれる?』
ああ、そうだった。
牛乳も買わないと。
帰ったら、ちゃんと――。
…………。
……帰れる、よな?
急に、怖くなった。
さっきまで何でもないと思っていた家。
何度も見た、自分の部屋。
母さんの作る夕飯。
全部、もう一度見たい。
まだ、やりたいことだってある。
大学にだって、いつかは戻ろうと思っていた。
いつか。
そう、いつか。
……俺、ずっとそればっかりだったな。
胸の奥に、言いようのない後悔が広がっていく。
そして。
俺の意識は、ゆっくりと暗闇に沈んでいった。




