006 第二話 魘獏の牙(一) 陰陽師の頼み
一 律人
街道の茶屋で団子を食っていると、後ろから声をかけられた。
「朔」
振り向かなくても分かった。この呼び方をする人間は一人しかいない。
「早いな」
「深沢にいるって聞いて、追ってきたんだ。入れ違いにならなくてよかった」
「座れ。ここの団子は甘すぎなくていい」
天羽律人は朔の向かいに腰を下ろし、店の女に茶を頼んだ。頼み方が丁寧すぎて、女が一瞬戸惑った顔をした。
「すみません、それと団子も一皿いただけますか」
狩衣ではなく、旅装だった。それでも袖口や襟の仕立てが、この街道を歩く人間のものではない。腰に刀はなく、代わりに札を入れた筒を提げている。
律人とは、ここ三年ほどの付き合いだった。
陰陽連には、各地から妖怪の訴えが届く。それを読んで、陰陽師が祓うものと、宵士に回すものとを仕分ける。宵士に回すと決まったものを、宵士のところまで持ってくるのが、律人の役目だった。
最初に持ってきたのは、蔵都の外れの古井戸の件だった。それから、川沿いの村の件、峠の茶屋の件。年に一つか二つ、律人は書き付けを手に、朔の居場所を探し当ててきた。
仕事を渡すだけなら、使いの者を寄越せば済む。それでも律人は、毎回自分で来た。
「陰陽連の仕事か」
「半分そう。半分は僕の勝手だ」
律人は茶が来るのを待ってから、懐から折った紙を出した。
「蔵都の加賀屋。米と塩を扱ってる大店だ。そこの十二になる息子が、三月ほど前から伏せってる」
「医者は」
「四人診た。誰も病名を言えなかった」
朔は団子を串から抜いて食った。
「それで陰陽連に回ってきた。僕が診に行った。呪いじゃない。妖怪の仕業でもない。取り憑かれてもいないし、祟られてもいない。何も憑いてないんだ」
「じゃあ何だ」
「瑛輝だ」
朔は串を置いた。
「生まれつき、取り込みやすい体質でね。人間の体は瑛輝をほとんど弾く。だから何百年、誰も気にしなくてよかった。ただ、稀に弾けない体がある」
「なるほどな、それが溜まったのか」
「ああ。十二年ぶんだ」
律人は茶を一口飲んで、湯呑みを両手で包んだ。指が細い。剣も鍬も握ったことのない手だった。
「厄介なのは祓う対象がないことなんだ。呪いなら解く。妖怪なら斬る。憑き物なら落とす。でも、あの子の中にあるのはあの子自身が溜めたもので、外から来たものじゃない。斬るものがない」
「お前の技でも駄目か」
律人の手の中で、湯呑みが止まった。
「駄目だった」
それ以上は言わなかった。
「陰陽連としては、もう手がないという扱いになった。書き付けはそう出した。……ただ、そこで終わりにすると、あの子は年内保たない」
「それで、お前の勝手か」
「そう」
律人は笑った。人の好い笑い方をする男だった。
「古い医書を漁った。陰陽連の書庫は八百年ぶんある。それらしい処方が二つ出てきた。一つは材料が全部揃う。効くかどうかは分からんが、試す価値はある」
律人が紙を朔のほうへ滑らせる。
開くと、薬種の名が十ほど並んでいた。律人の字だ。丁寧すぎるほど丁寧に書いてある。
三つ目で、朔の指が止まった。
「これは」
「そう。それが問題なんだ」
律人は身を乗り出した。
「それだけが揃わない。加賀屋は金に糸目をつけずに探させた。蔵都の薬種問屋を全部当たって、それから西の大きな町も。どこにもない。というより、この国にもうない」
朔は三つ目の名を見直した。
「獏の牙か」
「絶滅してる。二百年前まではいたそうだ。今は一頭もいない」
「知ってる」
「そうか。宵士なら知ってるか」
「狩り尽くされた獣の話は、宵士なら一度は聞かされる。二度とやるなって意味でな」
朔はそれ以上言わず、紙を畳んで懐に入れた。律人が目を丸くした。
「持ってくのか」
「加賀屋に会う」
「受けてくれるのか」
「会って、子供を見てから決める」
朔は立ち上がって、串代を置いた。律人が慌てて団子を口に押し込んだ。
「待て、僕のぶんは僕が」
「お前が呼んだんだろ」
「だから僕が出すって話だ」
「次に出せ」
先に歩き出した朔の後ろで、律人が女に丁寧に礼を言っているのが聞こえる。
二 加賀屋
蔵都は大きい。
朔は年に何度か通るが、通るたびに何かが建っている。堀沿いの道は荷車で埋まり、人が肩をぶつけながら歩いていた。
加賀屋は表通りに面した、間口二十間近い大店だった。暖簾をくぐると、番頭が二人がかりで奥へ通す。
主人は五十ばかりの男だった。恰幅がよく、目の下が落ち窪んでいる。
「加賀屋でございます。天羽さまには、たびたび」
「いえ、こちらこそ。こちらが宵士の朔さんです」
律人が言うと、加賀屋は畳に手をついた。
「宵士どの。よくぞおいでくださいました」
「朔でいい」
朔が腰を下ろすと、加賀屋は少し戸惑ってから身を起こした。
「息子に会わせてもらえるか」
「ええ、どうぞこちらへ」
通された奥の座敷は、日当たりがよかった。一組だけ敷かれた布団に、子供が寝ている。十二だと聞いていたが、八つか九つにしか見えない。頬がこけて、手首が枝のようだった。
目は開いていて、入ってきた朔のほうへ動いた。
「よう」
子供は何か言おうとして、口を動かしただけだった。
朔は枕元に座って、目を閉じた。
濁っている。
火車の谷ほどではない。だが、人ひとりの中にこれだけ溜まっているのは見たことがない。芯もある。芯は、この子供自身だった。外から来たものが憑いているのではなく、この体がそれ自体で溜めている。
弾けない体だという律人の言葉は、正確だった。
朔は目を開けた。
「痛いか」
子供が小さく頷いた。
「どこが」
子供は自分の胸を指した。それから、頭を指した。
「よく我慢したな」
朔は立ち上がった。
廊下で待っていた加賀屋が、しきりに手を揉んでいる。癖なのだろう。
「いかがでございましょう」
「律人の見立てで合ってる」
「では」
「一つ、当てがある」
加賀屋が息を詰めた。
「処方は見た。獏の牙が要る」
「……はい。それが、どうにも」
「探させたんだってな」
「西の町まで人をやりました。薬種問屋の蔵を空にして探させても、出てまいりません。二百年前に絶えたとかで」
「絶えた理由は聞いたか」
加賀屋が瞬きをした。
「いえ。……古い獣だから、自然に」
「違う、狩り尽くされたんだ」
加賀屋の手が止まった。
「獏は夢を食うと言われてた。悪い夢を食う。だから牙も肉も肝も、病に効くと信じられた。実際には効かん。何一つ効かない」
「では、なぜ」
「効くと信じられたからだ。二百年かけて、一頭ずつ狩られた。害のある獣じゃない。人を襲わん。逃げるのも下手だ。だから簡単に獲れた。最後の一頭がいつどこで死んだかは、誰も記録してない」
加賀屋は言葉を失っていた。横で、律人が唇を結んでいる。
「……では、息子は」
「話は終わってない。獏に似た獣がいた。魘獏という。獏の亜種だ。小さくて、数も少なくて、薬にならんと思われてた。だが実際に効くのはこっちだ」
「効く……のですか」
「その処方に書いてあるのは、獏の牙じゃない。獏の牙と書いてあるが、元は魘獏だ。八百年前の医書だろう。当時は区別が曖昧だった」
律人が口を挟んだ。
「待て、朔。それは書庫で確かめたのか」
「確かめてない」
「じゃあ」
「魘獏は人に悪夢を見せ、弱った精神から瑛輝を吸収する。その性質から魘獏の牙が薬に使われた話は聞いたことがある。獏のほうは聞いたことがない」
朔は加賀屋に向き直った。
「効くと信じられたほうが狩り尽くされて、本当に効くほうは薬にならんと思われて残った。よくある話だ」
畳に落ちていた加賀屋の目が、ゆっくりと上がった。
「……残っておるのですか」
「一頭も見てない。十年以上な」
加賀屋の目から光が消えかけた。
「だが、牙を持ってるかもしれないやつに心当たりがある」
加賀屋が、朔の腕を掴んだ。
商人が客の体に触れるのは、よほどのことだ。掴んでから気づいたらしく、加賀屋はすぐに手を離して畳に額をつけた。
「失礼を」
「いい」
「……お願いします。金はいくらでも」
「金の話は、牙が手に入ってからだ」
額をつけたままの加賀屋の肩が、震えている。
朔は立ち上がった。
座敷を出かけたところで、加賀屋が呼び止めた。
「宵士どの。……一つ、聞いて頂きたいお話が」
「なんだ」
「西からの荷が、ここ半年ばかり妙でございます」
朔は足を止めた。
「妙とは」
「量が減っておるわけではないのです。むしろ増えておる。ただ、通る道が変わりました。今まで西の城下を通っておった荷が、わざわざ遠回りをする。逆に、その城下へ入る荷が増えております」
「何の荷だ」
「それが分かりません。手前どもの扱う品ではありませんので。ただ、荷駄の数だけは見えます。商売柄」
加賀屋は言葉を選ぶように言った。
「西は今、景気がいいと申します。あちらのご領主が名君であられるとかで。……それにしても、腑に落ちん動き方をいたします」
「何故それを俺に」
「いえ、各地を渡り歩かれている宵士どのなら何かご存じではないかと」
「悪いが知らんな」
表へ出て歩き出すと、律人が口を開いた。
「都も、少し変だ」
「何がだ」
「うまく言えない。空気っていうか、人の出入りっていうか。……こういうのは、僕の得意じゃないな」
律人は苦笑した。
「まあ、気のせいだろう。それより、心当たりってのはどこだ」
「臥雲山だ」
「臥雲山」
「山に入る。お前も来てくれ、三日ほど見てくれればいい」
「三日」
律人は指を折った。
「陰陽連には五日と言ってある。ちょうどいい」
「来るか」
「行くよ。当たり前だろ」
律人は当たり前のような顔で言った。
「なんで僕を誘ったのかは訊かないでおく」
「そうしてくれると助かる。山道の話し相手が欲しかった、ということにしといてくれ」
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