043 第十五話 浪都城(一) 揃いすぎた六体
一 侵入
月のない夜を選んだ。
浪都城の外堀は東の角だけ幅が狭い。石垣の積み方が古く、角石の隙間に指がかかる。梓が昼のうちに三度見に行って、確かめてきた。
三人は堀端の柳の陰にいた。
「見張りは」
朔が訊くと、梓は石垣の上を見た。
「二人。さっきから同じところを行ったり来たりしてる」
「少ないな」
「少ないわ」
梓は眉をひそめた。
「城の大きさに対して、少なすぎる」
凱が鼻を鳴らした。
「楽でいいじゃねえか」
「楽すぎる」
凱が朔を見た。
「なんだよ」
「なんでもない」
朔は石垣を見上げた。
二年前、朔はこの城に正面から入った。門で名を告げて、二十数える間に案内がつく。草履を脱ぐ間もなかった。
三刻待たされた蔵都の城と比べて、驚いたものだ。
同じ城に、今は石垣を登って入る。
見張りが角を曲がった。
「今」
梓が短く囁いた。
朔は跳んだ。
足元の空気を圧して蹴る。破裂音を、堀の水音が消した。石垣の中ほどに足をかけ、もう一度跳ぶ。
上に出た。
誰もいない。
朔は縄を垂らした。梓が先に登り、凱が続く。凱は縄を使わずに登りかけて、途中で梓に睨まれて縄を掴んだ。
三人は二の丸に降りた。
庭が整えてある。
植え込みが刈り揃えられ、玉砂利が掃かれている。石灯籠に苔がついていて、その苔も見栄えよく残されていた。
夜目にも、手入れが行き届いているのが分かる。
「いい城ね」
梓が小声で言った。
「評判通りだ」
朔はそう答えた。
庭を抜けて、建物に入る。
廊下は磨かれていて、足袋で歩いても音がしない。そういう張り方をしてある。
いくらも行かないうちに、朔は足を止めた。
「どうした」
凱が囁いた。
「人がいない」
朔は声を落とした。
廊下の両側に部屋が並んでいる。障子の向こうに気配がない。宿直の者がいるはずの部屋も、暗かった。
城は、夜でも人がいる。寝ずの番がいて、厨に火の番がいて、廊下を見回る者がいる。
いなかった。
「寝てんだろ」
「全員がか」
梓が障子の一つに指をかけて、細く開けた。
中は空だ。布団も敷いていない。
「使ってない部屋ね」
「その隣も見ろ」
梓が隣を開けた。
同じだった。
三つ目も、四つ目も同じ。
朔は目を閉じた。
瑛輝を探す。城のどこかに、あるはずだった。二年前、この城の広間で朔は何も感じなかった。だが、城全体で何も感じないはずがない。
あった。
奥だ。
城の奥、本丸の方角から、濃いものが漂ってくる。一つではない。いくつもある。
芯がばらばらだった。
妖怪の芯と、それから、別のものの芯が混ざっている。瑛沢の坑道で最後に斬ったものと、同じ濁り方をしていた。
朔は目を開けた。
「奥だ」
「何がいる」
「分からん」
分からないと言ったのは、嘘ではない。
ただ、見当はついていた。
二 分断
本丸へ通じる廊下の手前で、それは待っていた。
広い板間だった。武者溜まりだろう。天井が高く、梁が太い。燭台が四つ灯っている。
城に入って初めて見る灯だった。
灯の下に、六つ立っていた。
人の形をしている。
着物を着ている。粗末なものではない。濃い色の小袖で、帯もきちんと締めてある。髷を結っているものもいる。
遠目には、人に見えた。
近づくと、違った。
肩から先がわずかに長い。指が掌より長い。立ち方が揃いすぎている。六つとも、同じ角度で首を傾けていた。
顔は人だった。
目があって、鼻があって、口がある。瑛沢で見たもののように濁ってはいない。瞳に光がある。
だが、瞬きをしない。
朔は足を止めた。
瑛沢の坑道で斬ったものは、置き去りにされた失敗作だった。半年、濃い瑛輝を吸って育ったものだ。人の形を半分残して、口が裂け、目が濁っている。
それ一体に、朔は手こずった。
ここにいるのはそれではなかった。
口が裂けていない。目が濁っていない。着物を着て、髷を結って、揃って立っている。
出来上がっている。
「……何だ、ありゃ」
声が低かった。凱にしては珍しく、軽口の色がない。
「人か」
「人だったものだ」
梓が弓を下ろした。
矢をつがえた。
六つが同時にこちらを向く。
動いたのは、そちらが先だった。
速い。
瑛沢のものは四つ足で走った。これは二本足のまま来る。床を蹴る音が一つにしか聞こえない。六つが揃って踏み込んでいた。
梓が射た。
先頭の一つの肩に刺さる。それは止まらない。刺さったまま来る。
凱が撃った。
空気の塊が二つをまとめて吹き飛ばし、壁に叩きつけた。板が割れる。
二つは起き上がった。
着物が裂けて、下の皮膚が見えている。灰色だった。灰色の上に、黒い紋様が走っていた。
朔はその紋様を知っている。
律人の牛頭鬼の毛皮にあったものと、同じ筋だった。
朔の前に、一つが来た。
長い腕が振られる。朔は受けずに屈み、一尺の内側へ入った。脇腹に掌を当てて、圧す。
硬い。
瑛沢のものより、はるかに硬かった。体の中に詰まっているものが、ずっと密だった。
それは二歩下がっただけで、また来る。
朔は下がった。
六つのうち、二つが朔を見ていた。二つが凱を見ている。二つが梓を見ている。
分けている。
一人に二つずつ当てて、分断するつもりだ。
「朔」
凱は自分に向かってきた一つの腕を掴んで、止めていた。力比べになっている。凱の腕に筋が浮いていた。
「お前、この先に用があるんだろ」
「ある」
「じゃあ行けよ」
凱は歯を食いしばったまま続けた。
「こいつら、俺がやる」
六つだった。凱は燃費が悪い。長くはもたない。梓は近寄られたら弓が使えない。
数が合わない。
「六つだぞ」
「知ってる」
「お前は長く撃てん」
「知ってるって」
凱は掴んだ腕を捻って、相手を床に叩きつけた。
「だから早く行けって言ってんだよ」
朔は梓を見た。
梓は二つを相手に後ろへ下がっていた。弓を引きながら、間合いを保っている。壁際まで、あと五間ほど。
梓の目が、一瞬だけこちらへ来た。
「凱の言う通りよ。こんなものを作って待ち構えさせてるなら、もう隠す気もないってこと。早く行って。鷺宮が何をしようとしてるのか、吐かせないと」
そう言うとすぐに目を戻して、矢を放った。
「死ぬなよ」
朔はそれだけ言った。
朔は足を止めていた一つの横をすり抜けた。
腕が伸びてくる。凱の撃った空気の塊が、その腕を弾いた。
「行け!」
朔は廊下へ出た。
振り返らなかった。
三 背中
廊下は奥へ続いていた。
朔は走った。
後ろで音がしている。
板が割れる音。空気が弾ける音。矢が何かに刺さる音。凱の声。何かを怒鳴っている。
音は走るほどに小さくなった。
角を曲がると、さらに小さくなる。
階段を上った。
上りきった時、音は、ほとんど聞こえなかった。
朔は足を止めない。
止まれば、振り返りたくなる。振り返れば、戻りたくなる。
戻れば、先へは行けなくなる。
凱は六つを相手に長くはもたない。梓は寄られたら終わる。二人とも、それを分かっていて残った。
朔にも分かっている。
分かっていて、先へ行かせてもらった。
廊下の先は暗い。
あの六つは選ばれたものだ。
武者溜まりに六つ。揃って立って、揃って動いた。着物を着せて、髷を結わせて、同じ角度で首を傾けさせていた。
戦うために、選んで揃えてある。
選んだということは、選ばなかったものがいる。
瑛沢の坑道の奥で、置き去りにされていたものがそうだった。運ぶ価値がないとされて、半年、独りで濃い瑛輝を吸っていた。
あれ一つではないはずだ。
朔はそれを口に出さなかった。
梓にも凱にも言わなかった。二人はあの六つが何だったのかを知らないまま戦っている。
知らなくていいと思った。
知って戦えば、手が止まる。瑛沢で、律人の手が止まったように。
廊下を進んだ。
音はもう聞こえない。
聞こえなくなったのが、二人が倒れたからなのか、単に遠くなったからなのか、朔には分からなかった。
分からないまま、進んだ。
宵士として二十年以上やってきた。何度も一人で戦った。仲間を置いて先へ行ったこともある。
仲間の生死が分からないまま進むのは、初めてだった。
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