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宵士  作者: 酒蔵ツクル


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042 第十四話 窮奇(二) 残る者、行く者

四 痕跡


 律人(りつと)は、紙の束の一番下から、別の一枚を出した。

 それだけ、紙の質が違う。古い。端が茶色くなっている。


「これは、書き写したものじゃない」


 律人は声を落とした。


「書庫から持ち出した」

「持ち出したのか」

「返す。だが、今は持っている」


 朔(さく)は紙を受け取った。

 表に何か書いてある。字が薄くて、読めない。


「何だこれは」

「閲覧の記録だ」


 律人は紙の端を指した。


「うちの書庫は、誰が何を見たかを残す。書物ごとに、一枚の紙が挟んである。見た者が名と日を書く」

「八百年ぶん残ってるのか」

「それが陰陽連(おんみょうれん)だ」


 律人の口元に、苦い笑みが浮かんだ。

 名らしいものが、薄い墨で細かく並んでいる。


「窮奇(きゅうき)の文献に挟まってたものだ」


 律人は紙の上の一点を示した。


「僕が探し当てたのは、四月かかった。窮奇について書いたものは、うちの書庫に七つある。そのうち、性質まで詳しく書いてあるのは二つだ」


 律人は紙を指した。


「その二つとも、先に誰かが見てる」


 朔は顔を上げた。


「いつだ」

「十七年前」


 律人の指が、日付の上で止まった。


「二つとも、同じ年だ。ひと月の間に、両方見てる」


 朔は紙に目を凝らした。


「名前は」

「読めない」


 律人は首を振った。


「墨が薄い。もともと薄く書いたのか、後から消そうとしたのかは分からない。分かるのは日付だけだ」


 朔は紙を律人に返した。


「十七年前か」

「大陸で窮奇が消えたのが、十六年前」


 律人は紙を受け取った。


「一年前だな」

「一年前に、うちの誰かが窮奇を調べてる」


 律人の声が低くなった。


「性質まで詳しく書いてあるものを、二つとも、ひと月の間に」


 朔は川を見た。


「探すには足りんな」

「足りない」


 律人は紙の束に手を置いたまま答えた。


「十七年前に書庫に入れた人間は、何十人もいる。当時の在籍者は百人を超えてる。今も残ってる者もいれば、死んだ者もいる」

「絞れるか」

「書庫は誰でも入れるわけじゃない。奥の書架は、位が要る。窮奇の二つは、どちらも奥にあった」


 律人は紙を包みに戻した。


「奥に入れるのは、当時で二十人くらいだ」

「多いな」

「そこから、十七年前に生きていて、今も動ける者を絞れば、もっと減る」


 律人は指を折って数えた。


「十人はいないと思う」

「その十人は、調べられるのか」

「僕は陰陽連の人間だ。位もある。今は術のことで名も出てる。書庫に入るのも、古い名簿を見るのも、不自然じゃない」


 律人は朔をまっすぐに見た。


「朔にはできない。義寛(ぎかん)にもできない」


 朔は律人の目を見返した。


「そうだな」

「だから、僕がやる」


 律人はそう言った。



五 残る


 日が傾いている。水面に反射する光が、さっきより低い角度から来ていた。


「律人」

「なんだ」

「俺は、浪都(ろうと)へ行くつもりだ」


 律人は動かなかった。


「城に入る」


 朔は川を見たまま続けた。


「証拠が要る。人と妖怪を集めて、何かを作ってる。それは分かった。だが、紙一枚出せん」


 朔は膝の上で手を組んだ。


「幕府に持ち込んでも、動かん。名君と名高い大名だ。宵士(よいし)が一人で何を言っても、書き付けが一枚増えるだけだ」

「だから城か」

「入って、見て、持ち出す」


 律人は川のほうを向いている。


「危ないな」

「危ない」

「あの女がいるぞ」

「勝てるかは分からん」


 朔の声は平らだった。

 律人は膝の上で手を組んだ。


「朔」

「なんだ」

「僕は行かない」


 律人はそう言った。

 朔は横を見る。

 律人は川を見たままだった。


「行きたい」


 律人の声は、少しだけ震えた。


「言っておくけど、行きたいんだ。朔が城に入るなら、僕も入りたい。式神(しきがみ)は前より数が出せる。囲むだけなら役に立つ」

「そうだな」

「でも、行かない」


 律人は首を振った。


「十人を絞れるのは、僕だけだ」


 律人の目が、朔に向いた。


「城に入っても、そこにいるのは鷺宮(さぎのみや)と、あの女だけだ。窮奇を調べた者は、城にはいない」


 律人は一度、言葉を切った。


「洛環(らくかん)にいる」


 律人は北の空へ目をやる。洛環の方角だ。


「僕が城へ行って、朔と一緒に何かを持ち出したとする。それで鷺宮を追い詰められたとしても、術を掛けた人間は残る」


 律人は膝の上の手を握りしめた。


「残ったら、また同じことが起きる」

「そうだな」

「だから、残る」


 律人はそう言った。

 朔は律人を見ている。

 言うつもりだった。

 この寺に来る前から、言おうと決めていた。律人は洛環へ残れ、と。陰陽連の内部を調べられるのは律人しかいない。城に入るのは三人でいい。

 命じるつもりだった。

 律人が先に言った。


「それでいいか」


 律人はそう訊いた。


「いい」


 朔は頷いた。


「俺も、そう言うつもりだった」


 律人が、少し目を見開いた。

 すぐに、下を向く。


「そうか」


 律人の口元が、わずかに緩んだ。


「先に言えてよかった」

「どういう意味だ」

「言われてたら、外されたと思ったかもしれない」


 律人は膝の上の包みに手を置いた。


「自分で決めたから、そうは思わない」

「大したもんだ」


 朔は川に目をやった。


「これを言うのは、二度目だな」


 律人は、少し照れたように目を逸らした。

 律人は紙の包みを結び直した。


「十人のうち、誰から当たる」


 朔が訊くと、律人は少し考えた。


「位の高いほうからだ」

「なぜだ」

「奥の書架に入れる人間は、位が高い。位が高い人間ほど、動きを説明しなくていい」


 律人は結び目を指で押さえた。


「誰にも訊かれずに書庫へ行けるのは、上のほうだ」

「上というのは」

「御三家の当主と、その次くらいまでだな」


 律人は指を三本立てた。


「天羽(あまは)、紙屋(かみや)、斎宮(いつき)。それぞれの当主と、家老格が二人か三人ずつ」

「お前の家も入るのか」


 律人はあっさり頷いた。


「うちの当主は、僕の伯父だ。十七年前なら、まだ若かったはずだけど、位は足りてた」

「疑うのか」

「身内だから外す、というのはやらない」


 律人の声に、揺らぎはなかった。

 朔は小さく息をついた。


「斎宮は」


 朔がそう訊いた時、律人の手が止まった。

 包みの結び目を作る途中だった。


「長のことか」

「そうだ」

「斎宮玲厳(いつきれいげん)」


 律人はその名を、ゆっくりと口にした。


「あの人は、外していい」


 朔は律人の顔を見た。


「理由は」

「三つある」


 律人は指を折った。


「一つ。あの人は僕の術をずっと非難してきた。妖怪を型に押し込むのは道理に外れてる、いつか報いが来ると。十年以上言い続けてる」


 律人は折った指を見た。


「その人が、妖怪を隠して使うような術を作るとは思えない」

「二つ目は」

「結界だ」


 律人は洛環の方角へ目をやった。


「あの人は洛環の結界を扱える数少ない人間だ。修理も、改良もできる。あれは陰陽連で一番難しい仕事で、一番割に合わない仕事でもある」

「なぜ割に合わん」

「手柄にならない」


 律人は小さく息を吐いた。


「結界は、保っていて当たり前だから。誰も褒めない。あの人は三十年以上それをやってる」

「三つ目は」

「十七年前、あの人は結界にかかりきりだった」


 律人は三本目の指を折った。


「その頃に一度、大きな修復があった。記録に残ってる。何ヶ月も中枢に籠ってたはずだ」


 律人は結び目を作り終えた。


「大陸の妖怪を調べてる暇はない」


 朔は一拍置いた。


「そうか」

「僕はあの人が嫌いだ。十年以上、言われ続けてきたから」


 律人は包みを持ち上げた。


「でも、あの人じゃない」

「お前がそう見るなら、それでいい」


 朔はそう言った。

 その判断が正しいかどうかを、朔は確かめる手を持っていなかった。



六 打ち明け


 梓(あずさ)と凱(がい)を呼んだのは、その十日後だった。

 場所は蔵都(ぞうと)の宿の部屋にした。朔が半年以上使っている、二階の角部屋だ。

 凱が先に来た。


「なんだよ、部屋でって」

「外で話せんことだ」

「へえ」


 凱はそう言って、勝手に座った。

 梓は半刻(はんとき)ほど遅れて来た。矢筒を背負ったままだ。


「北から?」

「違うわ。西よ」


 梓はそう言って、弓を壁に立てかけた。

 凱が振り返った。


「西って、どのへんだ」

「浪都の手前」


 梓はそれだけ答えた。

 朔は横を見た。

 梓は座って、矢筒を下ろしている。それ以上は言わない。

 どこにいたのかを、彼女は言わない。西だ、と言ったのが初めてだった。


「で、何だよ」


 凱が身を乗り出した。

 朔は座り直す。

 言うと決めていた。

 それでも、話し始めるまでに少しかかった。


「長くなる」

「聞くよ」

「俺はここ二年、一つのことを調べてた」


 朔は二人の顔を順に見た。


「誰にも言わなかった」


 朔は話した。

 律人に話したことを、頭からもう一度話した。

 義寛のこと。十一件の荷のこと。宿を襲ってきた二人と、毒を塗った刃のこと。

 律人が四月かけて調べたこと。窮奇のこと。十六年前に大陸で消えたこと。十七年前に書庫の記録が残っていること。

 全部話した。

 話し終えた時には、日が暮れている。


 朔は行灯(あんどん)に火を入れた。

 凱は途中から胡座(あぐら)を組み直して、腕を組んでいる。

 梓は膝の上で手を重ねて、動かない。

 誰も、何も言わなかった。


「浪都城に入る」


 朔が口を開いた。


「証拠を持ち出す。それしかない」

「相手の女は」


 梓が訊いた。


「分からん」


 朔は首を振った。


「妖気がない。距離が意味を持たん。俺の間合いでも、梓の弓でも、どちらでも捕まらんかもしれん」

「勝てるの」

「分からん」


 朔は二人を見た。


「死ぬかもしれん。二人ともだ」


 声を低くして、朔は続けた。


「断ってくれていい」


 言い終わる前に、凱が口を開いた。


「行くわ」


 朔は凱の顔を見た。

 凱は腕を組んだままだった。


「いいのか」

「なんだよ、それ」


 凱は眉を寄せた。


「呼んだんだろ」

「そうだ」

「じゃあ行く」


 凱は当たり前のように言った。


「他に何かいるか」


 朔は何も言えなかった。

 凱は膝を叩いて、体の向きを変えた。


「で、いつだ」

「待て」


 朔は手を上げた。


「梓が残ってる」


 凱は梓のほうを向いた。

 梓は、まだ膝の上で手を重ねている。

 顔を伏せたままだった。

 朔は待った。

 凱も、珍しく黙っている。

 やがて、梓が顔を上げた。


「一つ、訊いていい?」

「訊け」

「これ、いつから抱えてたの」


 朔は答えた。


「二年前からだ」

「潮洲(ちょうしゅう)から帰ってから?」

「そうだ」


 梓は朔を見ている。

 それから、目を伏せた。


「行くわ」


 梓はそう言った。


「いいのか」

「いいわ」


 梓は矢筒に目をやった。


「弓が通らない相手かもしれないけど、行く」


 梓は矢筒に手を置いた。


「それでいいなら」

「十分だ」


 朔の声は、少しだけ掠れていた。

 梓は頷く。

 二年前に抱え込み始めたことに、彼女は気づいていた。朔にはそれが分かる。

 だが、梓はそれを言わなかった。

 訊いたのは、いつからかということだけだった。

 言えば、朔が謝ることになる。謝らせるつもりがないから、訊かなかった。

 朔はそう受け取る。

 凱が手を叩く。


「よし、決まりだな」


 凱は立ち上がった。


「飯にしようぜ」



七 出立


 発ったのは、三日後の朝だった。

 三人は蔵都の西の外れで、律人と落ち合った。

 律人は洛環へ戻る。三人は西へ向かう。


「十人を当たる」


 律人の顔は、四月前よりさらに細くなっている。


「早くて二月、遅ければ半年かかる。何か分かったら、式神で報せる」

「城に入るのは、いつになるか分からん」


 朔は西の空を見た。


「準備がある。人手も要る。二月は先だ」

「なら間に合うかもしれない」


 律人の目に、わずかに光が戻った。


「城に入る前に、名前が出せるかもしれない」

「出せなかったら」

「その時は、朔が先に行くことになる」


 律人は唇を結んだ。


「そうならないようにする」


 律人は頭を下げた。

 凱と梓にも、それぞれ頭を下げた。


「凱どの。梓さん。どうか、ご無事で」

「お前もな」


 凱が律人の肩を叩いた。


「書庫で死ぬんじゃねえぞ」

「死にません」

「寝ろよ」


 凱は律人の顔を覗き込んだ。


「顔が死んでる」


 律人は少し笑った。


「寝ます」


 梓が一歩前に出た。


「律人さん」

「はい」

「一人で調べるのよね」

「そうです」

「誰にも言わずに」

「言いません」


 梓は、律人の顔をしばらく見ていた。


「気をつけて」


 梓はそれだけ言った。

 律人は頷く。

 四人は街道を歩き出した。

 律人は西へ。洛環へ向かう道だ。

 三人も西へ向かうが、途中で南へ折れる。浪都はそちらだった。

 しばらくは同じ道を歩くことになる。

 凱が先に歩き出した。


「行こうぜ」


 四人は並んで歩いた。

 半日ほど、四人で歩いた。

 誰も、これから何をするかの話はしない。

 凱が飯屋の話をし、梓が矢の話をし、律人が書庫の埃の話をした。

 分かれ道に着いたのは、日が傾いてからだった。

 律人が足を止める。


「ここで」


 四人が立ち止まった。

 西へ行く道と、南へ折れる道が分かれている。

 律人が頭を下げた。

 深く下げた。


「では」


 律人はそう言って、顔を上げた。

 西へ歩き出す。

 三人は南へ歩き出した。

 背中のほうで、律人の足音が小さくなっていく。

第十四話「窮奇」はここまでです。ここまでの評価をいただけると励みになります。

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