041 第十四話 窮奇(一) 書庫の記録
一 報告
文が来たのは、四月後だった。
律人の字だった。用件は書いていない。日と場所だけが書いてある。
場所が、いつもの茶屋ではなかった。
蔵都の外れの、川沿いの寺だ。朔は一度も行ったことがない。
行ってみると、寺というより庵だった。本堂が一つ、庫裏が一つ。境内に人の姿はない。
律人は本堂の縁側に座っていた。
「久しぶり」
「妙な場所だな」
「知り合いの寺だ」
律人は境内を見回した。
「陰陽連とは関わりがない。天羽の家とも関わりがない。ここなら誰も来ない」
朔は縁側に腰を下ろした。
「そこまでするのか」
「するよ」
顔色が悪い。四月前に会った時より明らかに痩せていて、目の下にくまがある。
「寝てないな」
「寝てる。少しは」
律人は膝の上に風呂敷包みを置いた。
「見つけた」
朔は横を見た。
「窮奇という」
律人の声は、低く抑えられている。
「きゅうき」
「そう書く」
律人が包みを開くと、中は紙の束だった。律人が書き写したもので、小さな字がびっしり詰まっている。
「大陸のものだ」
律人は一枚目を取り上げた。
「浮桑にもいるけど、数は少ない。うちの分類だと外来種になる」
「どんなものだ」
「見た目は、書いたものによって違う」
律人は紙をめくった。
「獣だと書いたものもあれば、鳥だと書いたものもある。絵も添えてあるけど、どれも似てない」
「ばらばらだな」
「見た者が少ないからだと思う。書いた者は、たいてい伝聞で書いてる」
「それで、何が分かった」
「性質のほうは、どの本も同じことを書いてる」
律人は紙を指した。
「人の言葉が分かる。人の中に入り込む。人を選ぶ」
「選ぶ」
「そう」
律人の指が、一行をなぞった。
「食う相手を選ぶんだ。正直な者を食って、争う者を助ける。善い者を食って、悪い者に味方する」
「善悪が分かるのか」
「分かるらしい」
律人は少し首を傾げた。
「もちろん、これは人間が書いたものだ。人間の善悪の話を、妖怪に当てはめただけかもしれない」
律人は紙をめくった。
「僕が引っかかったのは、そこじゃない」
「どこだ」
「仕えることだ」
律人の指が止まった。
「窮奇は、仕える」
朔は紙から目を上げた。
「大陸の記録に、何度か出てくる。窮奇が人に従っていたという話だ」
律人は続けた。
「従うというより、選んで付くらしい。自分が付くに値すると思った者に付く。付いた相手のためなら何でもする」
「たとえば」
「その者のために、何十人でも殺す」
朔は川のほうへ目をやった。
水音がしている。
「それと、もう一つ」
律人は別の紙を出した。
「これは記録の隅にあった。陰陽連の外の記録だ。異国との窓口にいた通詞が書き残したものを、うちで写したものが残ってた」
「大陸の話か」
「そうだ」
律人は紙を読み上げた。
「十六年前。大陸の南で、強大な窮奇が姿を消したという話がある」
朔は動きを止めた。
「その一帯で長く恐れられていたものらしい。何十年もいた。それが、ある年を境に、出なくなった」
「討たれたのか」
「討ったという記録はない」
律人は首を振った。
「誰かが討ったなら、必ず誰かが自慢する。そういうものは残る。残ってない」
律人は紙を膝に置いた。
「ただ、いなくなった」
朔は指を折った。
十六年前。
鷺宮が浪都の当主になったのは、二年あまり前に飯屋の女から聞いた時点で、その十年あまり前だった。今から数えれば、十三年ほど前になる。
十三年より、三年早い。
「律人」
「なんだ」
「鷺宮の父親は、大陸へ渡ったことがあると言っていた」
律人が顔を上げた。
「本人からか」
「二年前、浪都城でな。奇蓮という女を紹介された。父が大陸へ渡った時に、身寄りのない子供を拾って連れて帰ったと」
律人は黙って聞いている。
「言葉が達者ではないから黙っている、とも言っていた」
朔は川面に目を落とした。
「筋が通ってた。衣装も、喋らないことも、後ろに立っていることも、その一つの説明で全部片づいた」
「時期は」
「訊いてない」
朔は首を振った。
「父が若い頃、としか言わなかった」
律人は紙を見た。
「十六年前だと、鷺宮寿玄は」
「まだ十六か、十七だ。当主になる前の若造だな」
「先代が存命だ」
「そうだ」
朔は膝の上で指を組んだ。
「父親について大陸へ渡ったのかもしれん。でなきゃ、拾ったのがそもそも父親じゃなかったか」
律人は紙を揃えた。
「合う」
律人は唇を引き結んだ。
「合いすぎる」
二 矛盾
律人は、そこで言葉を切った。
紙に目を落としたまま、動かない。
「朔」
「なんだ」
「一つ、確かめたい」
律人は紙から目を上げた。
「二年前、あの広間で、三間先に立ってる女から何も感じなかったんだな」
「感じなかった」
「本当にか」
「濁りも、芯も、揺らぎもない。人間と同じだった」
朔の答えに、迷いはなかった。
「それはおかしい」
律人の声が、はっきりしていた。
「僕は四月かけて、封じの術を全部洗った。八百年ぶんだ。妖気を抑えるものは十七種類あった」
律人は紙の束を叩いた。
「そのうち、完全に消せるものは一つもない」
「十七のうち、一つもか」
「一つもだ」
律人は首を振った。
「濃いものほど漏れる。強い妖怪ほど隠せない。これは理屈が単純だ。妖気は瑛輝で、瑛輝は量がある。量のあるものを、術で消すことはできない。抑えるか、散らすか、別のものに見せかけるか。そのどれかだ」
「見せかけるのは」
「できる。だが、見せかけた先にも量が要る」
律人は掌を上に向けた。
「弱い妖怪に見せかけることはできる。何もないものに見せかけることはできない。何もないところに、量は置けないから」
朔は川面に目をやったまま、聞いている。
「じゃあ、どういうことだ」
「二つに一つだ」
律人は指を二本立てた。
「一つ。あれは妖怪じゃない。妖気がないのは、元々ないからだ。人間だとすれば、全部の説明がつく」
「五町先から義寛を見つけた」
「それだ」
律人の答えは早い。
「人間にはできない。だから一つ目は消える」
律人は指を一本折った。
「二つ目。あれは妖怪で、妖気を消している」
「消せないんだろう」
「術では消せない」
律人は残った指を見つめた。
「だから、術じゃない何かだ」
朔は律人の横顔を見た。
「何かというのは」
「分からない」
律人は正直に答えた。
律人は紙を握った。
「十七の術のどれにも、当てはまらない。八百年ぶん洗って、どこにもない」
律人は握った紙を膝に下ろした。
「それと、朔が言ったことで、もう一つ分かったことがある」
「なんだ」
「妖気は消えてるのに、力は消えてない」
律人は朔のほうへ体を向けた。
「五町先から気づく。三間を音を立てずに歩く。それは能力だ。能力は動いてる」
律人は指を組んだ。
「消してるのは、妖気だけだ」
朔の目が、律人に向いた。
「つまり」
「隠すのが目的だ」
律人は組んだ指に力を込めた。
「弱くするためじゃない。弱くする気なら、力のほうを抑える。そのほうが簡単だ」
律人は一度、息を継いだ。
「妖気だけを消して、力はそのまま使えるようにしてある」
朔は川を見た。
水が流れている。
「使うためか」
「そうだ」
律人の声が、低くなった。
「隣に置いて、使うためだ」
三 訂正
朔は少し間を置いてから、口を開いた。
「律人」
「なんだ」
「瑛沢のことだが」
律人が顔を上げた。
「あの坑の奥に、箱が積んであった」
朔は川を見たまま続けた。
「中は空だった。藁と、油紙と、陶片が残ってた。粉も付いてた」
「覚えてる」
「お前が見て、二つあると言った」
朔は指を一本立てた。
「一つは封じ札の下地だ。妖怪の動きを止めるものだと言った」
律人が小さく頷く。
「もう一つは、瑛輝を集める器だと言った。妖怪から取り出した瑛輝を、一箇所に留めるものだと」
「覚えてる」
「両方とも、陰陽連の管理する品目だとも言った」
律人は動かなかった。
「その時、お前は何と結論した」
朔はそう訊いた。
律人は答えない。
紙に目を落としたまま、唇だけが一度動いた。
「禁制品の密造だ」
ようやく出た声は、乾いていた。
「そう言った」
朔は続けた。
「陰陽連の品目を持ち出して、どこかで妖怪を捕らえて、あそこで加工してた。そういう話だった」
律人は膝の上で手を握った。
「僕は」
律人の声が、詰まった。
「品目を見て、盗まれた品だと思った」
「なぜだ」
「その発想しかなかったからだ」
律人は握った手を見下ろした。
「うちの品目が外に出てるなら、盗まれたか、横流しされたか、どちらかだ。だから密造だと思った。誰かが、うちの品を盗んで、外で勝手なことをしてるんだと」
律人は顔を上げた。
「違う」
律人の声が、硬くなった。
「あれは、陰陽師がやってる」
律人は握っていた手を、ゆっくり開いた。
「品目を使い分けてたと、あの時に僕は言った。封じと、瑛輝を留める器と、別の用途のものを別に用意してあった」
律人は続けた。
「使い分けができるのは、使い方を知ってる人間だけだ。盗んだ人間には使い分けられない」
律人は紙を握った。
「僕は品目が読めた。読めたのに、そこまで考えなかった」
「二年近く前だ」
「二年近く前でも同じだ」
律人は首を振った。
「あの時に気づいていたら、もっと早く動けた」
川の音だけが、しばらく続く。
「あの時、俺も何も言わなかった」
朔はそう言った。
「朔は陰陽師じゃない」
「そうだな」
「僕は陰陽師だ」
律人は自分の胸に手を当てた。
「品目を見て、盗品だと決めた。うちの人間が関わってる可能性を、一度も考えなかった」
律人は、そこで息を継いだ。
「考えたくなかったんだと思う」
朔は口を挟まなかった。
それが正しい順序だった。
朔が現場の話を持ち出して、律人が自分の結論を訂正する。逆ではない。読み違えたのは律人で、訂正するのも律人だ。
朔が先に言えば、それは朔が律人を責めたことになる。
「三つ要るな」
朔は言った。
「三つ?」
「一つ。瑛沢の現場で、陰陽師の品目が使い分けられてたこと」
朔は指を折った。
「二つ。あの女の妖気を消せる術は、どこにもないこと。なのに、消えてる」
「三つ目は」
「まだない」
朔は折った指を開いた。
「二つでは足りん。どっちも、誰かがいるとしか言ってない」
律人の顎が、小さく引かれた。
「もう一つ、ある」
律人はそう言った。
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