040 第十三話 照合(三) 仲間に話す
六 消失
義寛は障子を開けた。
外は暗い。二階の窓から、屋根が続いているのが見える。
「義寛」
「なんだ」
「一つ言っておく」
朔は膝を立てた。
「あの町の三人は、荷に触っただけで死んだ」
義寛は障子の枠に手をかけた。
「知っている」
「お前も同じ立場だ」
「そうだな」
義寛は外の闇を見たまま返した。
「お前もだ」
義寛は窓枠に足をかけた。
「手を組むか」
朔はそう訊いた。
訊いてから、自分で妙だと思った。
「組まん」
義寛は即答した。
「お前はお前で調べろ。わたしはわたしで調べる」
義寛は外を見たまま続けた。
「組めば、片方が捕まった時にもう片方も終わる」
「そうだな」
「それと」
義寛は肩越しに朔を見た。
「わたしはお前が嫌いだ」
朔は一拍、黙った。
「そうか」
「お前はわたしを殺さなかった」
義寛の声は静かだった。
「あの夜、お前はわたしの喉に刃を当てた。そして下ろした。理由は、わたしが三人を殺していなかったからだ」
義寛は自分の喉に指を当てた。
「つまりお前は、わたしが三人を殺していたら殺していた」
「殺した」
「それだ」
義寛の指が、喉から離れた。
「わたしを生かすか殺すかを、お前が決めた」
義寛は窓枠に体を乗せた。
「わたしは、それを決められるのが嫌いだ」
「知ってる。俺も好きじゃない」
「だが、殺されなかったのは事実だ」
義寛の口の端が、わずかに動いた。
「今日の分は、それで釣り合っている」
義寛は外へ出かけて、窓枠の上で止まった。
目だけが、屋根の先の暗がりを向いている。
「二つ」
声が低くなっていた。
「東の棟の陰に一つ。裏の勝手口にもう一つ。わたしが入る時には、いなかった」
「お前の客か」
「荷に触った者の客だ」
義寛は紙の束を懐に押し込んだ。
「わたしは帳面を守る。お前は自分の首を守れ」
それきり、義寛は外へ消えた。瓦は一枚も鳴らない。
朔は行灯を吹き消した。
闇の中で、刀を膝に引き寄せる。
来るのが人なら、濁りは薄い。宵士の体が拾う前に、刃のほうが届く。頼れるのは耳だった。
階下で、宿の者が戸締まりをする音がする。それも止んだ。
窓の外で、瓦が一枚だけ鳴る。
障子が内側へ破れた。
黒い影が一つ、転がり込んでくる。手に短い刃。刃は朔ではなく、行灯の脇の畳を薙いだ。さっきまで、紙が積んであった場所だ。
紙を狙っている。
朔は膝をついたまま、影の脇へ入った。
一尺。
掌を脇腹に当てて、圧す。影の体が壁まで飛び、柱に背を打った。
廊下の襖が開く。二つ目だった。
こちらは朔を狙ってくる。突きが喉へ来た。朔は鞘ごと刀を上げて受け、刃を外へ流す。流れた腕の肘に、重さを落とした。骨の鳴る音がして、刃が畳に落ちる。
男は声を上げなかった。
折れた腕を抱えたまま、破れた窓へ走る。柱の下の一つ目も、這うようにしてそれに続いた。
朔は追わない。
階下は、静かなままだった。追えば宿が起きる。捕まえたところで、口を割る男たちには見えなかった。
二つの影は屋根の闇に溶けて、足音一つ残していない。
朔は行灯に火を入れ直した。
破れた障子。畳に落ちた、細い刃。柄にも鍔にも、何の印もない。どこの鍛冶でも打てる、ありふれた小刀だ。
刃の先に、黒いものが塗ってある。顔を近づけて、すぐに離す。
毒の匂いがした。
手際がいい、と義寛は言った。末端を三人、ひと月で消した、と。
今夜、消されかけたのは、末端ではない。
行灯の脇に、紙が一枚落ちている。
十一件のうちの一枚だった。義寛が懐に押し込む時に、取りこぼしたものらしい。端が、刃の跡で裂けている。
朔はそれを拾って、懐に入れた。
翌朝、宿の主人には、酔って障子を破ったと言って、修繕の代を多めに置いた。
七 相談
律人が蔵都へ来たのは、半月後だった。
新しい術式の報告が陰陽連で通ったという。長が上様に結界の繕いを申し上げに下るので、その供で来る、と文にあった。着いた日の暮れに、陰陽連の屋敷の門まで来てほしい、とも書いてある。
陰陽連の屋敷は、城の西の濠端にあった。洛環の本拠に比べれば小さなものだと、律人が前に言っていた。それでも門は高く、白壁が長く続いている。
朔が着いた時、門の前には駕籠が一挺据えてあった。担ぎ手が四人、地面に膝をついて待っている。
門が開いて、律人が出てきた。
その後ろから、もう一人。
六十に近い男だった。鈍色の狩衣に、斎宮の紋が小さく入っている。背は低くないが、肩が前に落ちていて、実際より小さく見える。頬の肉が削げ、目の下には墨を刷いたようなくまがあった。
律人が男の半歩後ろで足を止め、頭を下げる。
男の目が、朔の帽子に止まった。
「黒い帽子」
低い、乾いた声だった。
「そなたが、朔か」
「そうだ」
律人が慌てて口を開きかけた。男は手を軽く上げて、それを止める。
「斎宮玲厳と申す。陰陽連を預かっておる」
瑛沢の後、律人に短い文を寄越した男だ。以後、慎まれよ、と。
「天羽の倅の報告で、名は何度か読んだ」
玲厳は朔の顔ではなく、帽子と、腰の刀と、掌のあたりを順に見た。
「臥雲山の件と、瑛沢の件。掌の前、一尺の内にしか術の届かぬ宵士だと。跳べば音が鳴る、とも書いてあった」
「細かいな」
「この倅の報告は、いつも細かい」
律人が耳まで赤くなった。
「見たことは全部書けと、教わったので」
「よい報告だ」
玲厳は律人のほうを見ずに、また朔に目を戻した。
「天羽の倅が、生きたものを縛るのをやめたそうだな。牙と角で組み直したと聞いた」
「見た」
「そなたが、やめろと言うたのか」
「言ってない。こいつが自分で決めた」
玲厳の目が、わずかに動いた。律人の顔を一度だけ見て、朔に戻る。
「……そうか」
朔は男の瑛輝を探った。宵士の体は、相手の瑛輝の濁りを勝手に拾う。
濁りは来ない。
陰陽師らしい濃い瑛輝が、体の内側に整って収まっている。乱れもなければ、濁りもない。三十年、結界の糸を手で扱ってきた者の、締まった瑛輝だった。背中も冷えない。
玲厳の指先が目に入る。墨と朱で、爪の際まで染まっていた。
「上様に、繕いの報告か」
「毎年のことだ」
玲厳は北西の空に目をやった。洛環の方角だった。
「どこが薄くなり、どこを繕ったか。上様はお聞きになって、ご苦労であった、と仰せになる。それで済む」
声に、恨みのようなものはない。
「張ってあって当たり前のものを、見上げる者はおらぬ。破れた時にだけ、人は空を見る」
玲厳は駕籠のほうへ歩きかけて、足を止めた。
「浪都の鷺宮どのが、そなたの名を出しておられた。西の七体の一角を落とした宵士だと。見事であったと」
朔の背中が、わずかに張った。
目の前の男からは、やはり濁りは来ない。
浪都ほどの大名なら、陰陽連の長と文を交わしていても不思議はない。結界の祈祷に寄進をする家も多いと聞く。朔はそう片づけた。
「それは、どうも」
玲厳は小さく頷いて、駕籠に乗った。
担ぎ手が立ち上がる。駕籠は濠端の道を、城のほうへ遠ざかっていった。
律人が、ようやく息を吐いた。
「……びっくりした。長が、自分から人に声をかけるなんて」
「珍しいのか」
「初めて見た」
二人は前と同じ茶屋へ移った。
律人は前より顔色がいい。話し方も変わっている。
「斎宮の家は、何も言わなかった」
律人の声は明るかった。
「一言もか」
「一言も。ただ、長は僕を呼んで、術を見せろと言った」
「見せたのか」
「見せた。あの人が、僕の術をまともに見たのは初めてだった」
「何と言われた」
「よく考えた、と」
律人は湯呑みを持った。
「それだけだ。それだけだけど、あの人がそれを言うのは珍しい」
朔は聞いていた。
律人は続けた。
「天羽の家は騒いでる。予想通りだ。廃れた古術を蘇らせた、ということになってる」
「お前の名は」
「出てる」
律人は小さく肩をすくめた。
「出てるけど、天羽の名のほうが大きく出てる。それも予想通りだ」
律人は少し笑った。
「まあ、いい」
朔は湯呑みを置く。
言うつもりで来ていた。
三月前、千炉からの帰り道で、言おうとして言わなかった。
半月前、義寛には言っている。
あれは仲間ではなかったから言えた。渡した後どう使われるかを気にしなくてよかったし、義寛が消えても朔の責任にはならない。
そのことを、朔は自覚していた。
「律人」
「なんだ」
「話がある」
律人が顔を上げた。
朔の声が変わったことに気づいたらしい。
「仕事か」
「仕事じゃない」
朔は湯呑みから手を離した。
「聞いたら、お前は巻き込まれる」
律人は持っていたものを卓に戻した。
「聞く」
「まだ何も言ってない」
「それでも聞く」
律人は朔の目を見た。
「朔がそういう言い方をするのは、初めてだ」
朔は一度、目を伏せた。
それから、話した。
浪都の領主のこと。二年前の広間で、上段の後ろに立っていた女のこと。足音がしなかったこと。瑛輝を感じなかったこと。
大蛇に流された偽の情報のこと。
四つの点のこと。妖血丹から街道の町の三人まで。
全部話した。
最後に、義寛のことを話した。その夜、宿に二人来たことも。
「盗賊に話したのか」
律人は、まずそれを訊いた。
「話した」
「いつ」
「半月前だ」
律人の目が、卓に落ちた。
「先に話したのか」
「半月早い」
朔は言い訳をしなかった。
「なぜ」
「あいつは仲間じゃないからだ」
朔は律人から目を逸らさなかった。
「渡した後、どう使われようが俺の責任じゃない。あいつが消されても、俺のせいじゃない」
朔は湯呑みに目を落とした。
「そういう相手だから、話せた」
律人の目が、朔の顔に戻ってくる。
「僕は仲間だから、話せなかったのか」
「そうだ」
朔は頷いた。
律人は、湯呑みを両手で包んだ。
やがて、口を開いた。
「そうか」
それから、少し笑った。
「なんだ、それ」
律人は首を振った。
「ひどい話だな」
朔は否定しなかった。
「でも、分かるよ」
律人は湯呑みを持った。
「僕も、同じことを考えたことがある」
律人は茶の面に目を落とした。
「瑛沢の後、朔にも言わなかったことがある。式神を何体出しても届かないと分かった時、誰にも言えなかった。言えば、その人が僕の代わりに考えてくれるから」
律人は顔を上げた。
「考えてもらったら、僕の答えじゃなくなる」
朔は律人を見た。
「それとは違う」
「違うけど、似てる」
律人は小さく笑った。
「渡したくない理由があるところは、同じだ」
律人は残りの茶を飲み干した。
そして、朔をまっすぐに見た。
「それで、僕は何をすればいい」
朔は一拍置いた。
「陰陽連の書庫は、八百年ぶんあると言ったな」
「全部は読めてないけどね」
「調べてほしいものがある」
朔は声を落とした。
「妖気を感じさせない方法だ。妖怪を隠すか、封じるか、そういうもの」
「それなら心当たりがある」
律人は即答した。
「封じの術は、うちの領分だ。妖気を抑えるものは何種類もある。ただ、完全に消すのは無理だ」
「一つもか」
「一つもだ」
律人は首を振った。
「濃いものほど漏れる。強い妖怪ほど隠せない」
朔は湯呑みを置いた。
「その女は、三間先にいて、何も感じなかった」
「それは」
律人は途中で止まった。
「それは、おかしい」
律人の眉が寄った。
「妖怪じゃないなら、感じなくて当然だ」
律人の指が、卓を一度叩いた。
「でも、五町先から見つける人間はいない。それに、朔の体が反応した」
律人は背筋を伸ばした。
「調べる」
律人の目に、迷いはなかった。
「妖気を消す術と、もう一つ」
「なんだ」
「遠くを察知する妖怪だ」
律人は指を一本立てた。
「距離を無視するものがいる。そういう記録があったはずだ。外来種に多い」
律人は立ち上がった。
「時間がかかる。八百年ぶんだから」
「急がんでいい」
「急ぐよ」
律人は朔を見下ろした。
「三人死んでる」
朔は律人を見上げた。
「律人」
「なんだ」
「調べてることは、誰にも言うな」
「言わない」
律人は頷いてから、訊き返した。
「長にもか」
「誰にもだ」
「分かった」
律人は頭を下げた。
深く下げた。
「ありがとう」
律人はそう言った。
「礼を言われる話じゃない。巻き込んだのは俺だ」
律人は、首を横に振った。
律人が去ってから、朔は茶屋に残った。
茶は冷めている。
話した。
半月前に盗賊に話して、今日、仲間に話した。
順番が逆だ。
義寛には責任が発生しなかった。律人には発生する。
律人は八百年ぶんの書庫に潜って、誰にも言わずに調べる。調べていることが誰かに知られれば、その時どうなるかは分かっていた。
あの町の三人は、荷に触っただけで死んだ。
朔は湯呑みを持った。
残りの二人には、まだ話していない。
梓と凱だ。
第十三話「照合」、完結です。続きが気になったら、ぜひブックマークを。




