039 第十三話 照合(二) 十一件の荷
三 寒気
義寛は、しばらく黙っていた。
紙を懐に戻して、膝の上で手を組む。
その姿勢のまま、動かない。
「宵士」
「なんだ」
「もう一つ、出すものがある」
義寛の声が、少し低くなった。
「取引にはない」
「何をだ」
「わたしから出す」
朔は義寛の横顔を見た。
義寛の目は、障子のほうへ向いている。
「四年前だ」
義寛は障子を見たまま切り出した。
「浪都城へ入る物資を狙ったことがある」
「城の荷か」
「年に一度、大きな荷が入る。米と、布と、それから何か分からんものだ。護衛がつく」
義寛は続けた。
「わたしは下見をした。荷が城下に入る二日前から、街道筋の山に上がって、上から見ていた」
「どのくらい離れて」
「五町だ」
朔は眉を寄せた。
五町といえば、三百間ある。
「そんなに離れて見えるのか」
「わたしは、そういう眼を持って生まれた」
義寛は自分の目を指した。
「遠くが見える。夜も見える。それだけだ。剣も体も並みだ」
義寛は指を下ろした。
「わたしが十七年生き延びてきたのは、この眼のおかげだ。見えない場所から、見る。見られる前に決める。それが全部だった」
「それで」
「護衛を数えていた」
義寛の口調は、帳面を読むように平らだ。
「十四人。槍が六、刀が八。それから、荷駄の脇に女が一人」
義寛の指が、わずかに動いた。
「女は武器を持っていなかった。侍女だろうと思った。数に入れなかった」
義寛の目は、障子から動かない。
「顔を確かめようとした。わたしは全部の顔を覚える。後で使うことがあるからだ」
朔は口を挟まない。
「その女に眼を向けた」
義寛の声が、一段低くなった。
「向けた瞬間に、女がこちらを向いた」
行灯の火が揺れた。
「五町だ」
義寛はもう一度、その距離を口にした。
「山の上で、木の陰に伏せていた。日は西にあって、わたしの側は影だった。向こうから見えるはずがない」
「見えていたのか」
「分からん」
義寛は首を振った。
「見えていたのかもしれん。音を聞いたか。あるいは、何か別のものか」
義寛はそこで止まった。
「ただ、女は正確にわたしのほうを向いた」
組んだ手に、力がこもった。
「そして、睨んだ」
朔は、自分の指先が冷えるのを感じた。
思い出したからではない。
義寛の声が、そこで変わっていた。
「わたしは、そこで動けなくなった」
義寛は自分の手を見下ろした。
「体が動かんかった。何かに掴まれたわけではない。武器を向けられたわけでもない。ただ、身体中の血が凍りついたような感覚だ」
義寛の手は、膝の上で固く組まれている。
「四半刻ほど、そのままだった」
義寛はゆっくりと手を解いた。
「動けるようになってから、山を下りた。部下のところへ戻って、中止だと言った」
「理由は」
「言っていない」
義寛は短く答えた。
「言えるものではない。損得で説明できん。あの荷は取れた。護衛は十四人で、地形はこちらに有利で、逃げ道も三本用意してあった」
義寛は一度、息を継いだ。
「取れば、三年は食えた」
義寛はそこで、初めて朔を見た。
「わたしが、損得以外の理由で判断を変えたのは、あれきりだ」
朔は義寛の目を見返した。
この男は、それを認めるために、ここへ来たのだと分かった。
荷の記録は、写せば済むものだ。それを渡すのに、宿を調べて、部屋に入って、待っている必要はない。
この話をするために来たのだ。
「なぜ言う」
朔は訊いた。
「お前も知っているだろう」
義寛の目が、まっすぐ朔に向いている。
「あの女を」
四 照合
朔は行灯の火を見ている。
やがて、口を開いた。
「二年前だ」
朔は火から目を離さなかった。
「浪都城の広間で、上様からの文を渡しに行った」
「城に入ったのか」
朔は、広間のことを話した。
上段の後ろに、女が立っていたこと。裾の長い衣装で歩いて、衣擦れも足音もしなかったこと。宵士の体が、何も拾わなかったこと。
それでも、背中が冷えたこと。七年前、遠洲の北で吸血鬼の巣に踏み込んだ時と、同じ冷え方だったこと。
「今は、何もない。何もないのに、体だけが同じ反応をしてる」
どちらも、しばらく口をきかなかった。
行灯の火が細くなる。朔は油を足した。
「わたしは遠くから気づかれた」
義寛が口を開いた。
「お前は近くで気づけなかった」
「そうだな」
朔は油差しを置いた。
「俺は間合いが短い。だがその分近ければ近いほど分かる。三間なら確実に分かる」
「わたしの眼は五町だ」
義寛は自分の目に指を当てた。
「五町先の人間が、わたしを見つけることはない」
その指が、ゆっくり下りた。
「あれは、両方を無効にした」
朔は頷いた。
「妖気がない」
朔は指を一本立てた。
「そして、距離が意味を持たん」
義寛は膝の上で手を握った。
「人間ではないな」
「人間じゃない」
朔は首を振った。
「妖怪でもない」
「では、何だ」
「分からん」
それが答えだった。
二人とも、自分が最も得意とする領域で破られていた。
朔は近接の男で、義寛は遠見の男だ。その二つを、同じ一人が両方から無効にしていた。
情報は何も出ていない。
二人が、それぞれ自分の体験を言っただけだった。
それで、輪郭が出た。
「もう一つある」
朔は行灯から目を戻した。
「二年前、浪都から俺の戦い方が流れた」
「どこへ」
「境州だ。大蛇のところへな」
朔は掌を開いて見せた。
「俺は接近戦だ。射程は一尺。それを、俺は誰にも話していない」
朔は掌を閉じた。
「浪都の領主が、それを知っていた。ある筋から聞いたと言った」
義寛の目が細くなった。
「領主が」
「そうだ」
「筋というのは」
「明かせないと言われた」
朔は続けた。
「そして、大蛇にはわざと逆の話を流した。俺が神通力で距離を取る型だとな。そうすれば大蛇が距離を詰めてくる。詰めれば俺の間合いだ」
「勝たせたのか」
「そう言われた」
朔は脇腹に手を当てた。
「実際、勝った」
義寛の表情は変わらない。
「筋が通ってる」
朔の声に、苦いものが混じった。
「全部、筋が通る」
五 名前
義寛は、何か考えているようだった。
「一つ、確かめたい」
義寛が目を上げた。
「お前が見た女と、わたしが見た女は、同じか」
「特徴を言え」
「大陸風の衣装だ」
義寛は目を半ば閉じた。
「合わせが浮桑のものと逆だ。裾が長い。髪を高く結って、簪を何本も挿していた」
朔は目を閉じた。
「顔立ちは」
「整っている」
義寛の声に、かすかな嫌悪が混じった。
「整いすぎている。作り物のようだった」
朔は目を開けた。
「同じだ」
義寛は頷いた。
「それが、浪都城の荷の護衛に紛れていた」
義寛は続けた。
「わたしは、あれが誰の家の者かを知らんかった。城へ入る荷だとは分かっていたが、荷の主までは調べていない。取る側には要らん話だからな」
義寛は朔を見た。
「お前は知っているな」
渡せば、この男は動く。
義寛は盗賊だ。一党を持ち、十七年生きて、自分で判断する男だ。渡したものをどう使うかは、朔には制御できない。
止められもしない。
だが、と朔は思う。
この男は、既に十一件の記録を出した。四年前の記憶も。
自分が一度だけ怖がったことを、認めた。
釣り合わない。
「鷺宮寿玄という」
朔はそう言った。
「浪都の領主だ」
義寛は動かなかった。
動かないまま、しばらくそこにいる。
「そうか」
驚いた様子も、納得した様子もない。ただ、名前を受け取っただけに見えた。
「評判は知っている」
義寛は膝の上で指を組み直した。
「名君だそうだな。飢饉に蔵を開けて、水路を引いて、町を豊かにした」
「そうらしい」
「わたしの縄張りでもある」
義寛の声に、皮肉が滲んだ。
「浪都の街道は、一番荷が多い。十四年、そこで食ってきた」
義寛は立ち上がった。
「町が豊かになれば、荷も増える」
義寛は窓のほうへ歩いた。
「わたしは、あの男のおかげで食えていた」
朔は義寛を見上げた。
「どうする」
「調べる」
義寛は振り返らずに答えた。
「それだけだ」
「何を作ってるかは分からんぞ」
「分かっている」
義寛は窓の前で足を止めた。
「人と妖怪を集めて、器を使って、何かをしている。何を作っているかは、お前も知らんのだろう」
朔は否定しなかった。
「なら、そこまでだ」
義寛は障子に手をかけた。
「それ以上を今日決める必要はない」
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