↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵士  作者: 酒蔵ツクル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/46

003 第一話 火車(三) 谷の底

三 現場検証


 与次(よじ)が戻ってきたのは、日が傾いてからだった。

 息を切らして、両手を膝につく。


「四軒は、ついてたそうです」

「四軒」

「二軒は覚えてないって。でも、消したかどうかは覚えてないだけで、消えてたわけじゃないと」


 朔(さく)は小さく顎を引いた。


「ご苦労だったな。座れ」

「いえ」

「座れ。息が上がってる」


 与次は川縁の石に腰を下ろした。朔はその隣に立ったまま、川を見ている。


「蝋燭(ろうそく)は関わりがない」


 与次が、はっと朔を見上げた。


「ついてた家も、消えてた家も、同じように潰れてる。お前が寝てようが起きてようが、昨夜あれは来た」


 与次は口を開けかけて、下を向いた。しばらくして、鼻をすする音。

 朔は急かさなかった。


「……すみません」

「謝ることじゃない」

「でも」

「一つ言っておくとな。お前が起きてたら、お前が見られてた。昨夜と同じようにな。それだけだ。蝋燭が消えてたから婆さんが連れていかれたんじゃない。順番が逆だ」


 与次は袖で顔を拭いた。


「行くぞ。お前んちだ」


 与次の家は宿場の中ほどにあった。土間にいた父親は、朔を見ると黙って奥へ通した。座敷には、まだ早桶(はやおけ)がある。置いてあるというより、置いたままになっていた。片づける気になれなかったのだろう。

 白い布が畳に広がっている。


「触るぞ」


 父親に断ってから草履を脱ぎ、朔は早桶の前にしゃがんだ。

 箍(たが)が三つとも外れている。側板は外向きに開き、底板の縁に沿って裂けていた。上から押し潰されたというより、上から何かを差し込まれて、内側から広げられたような開き方だ。

 板の縁を指でなぞると、爪の痕があった。

 四本。


 板を回して、反対側を見る。同じ深さの痕が四本。それから底板の近くに、少し離れて一本。


「与次、来い」


 与次が戸口から寄ってきた。


「猫の足の指は何本だ」

「……五本、ですか」

「前足は五本、後ろ足は四本だ。飼ったことは」

「ないです」

「まあ、普通は数えんな。これを見ろ。四本並んで、離れて一本」

「五本あるじゃないですか」

「そうだ。数は合ってる。だがこの一本、角度を見ろ。他の四本と向きが違う。物を掴むときは、親指は残りと向かい合う。これは向かい合ってない。ただ横に並べてあるだけだ」


 与次が身を乗り出して、板を見た。


「……ほんとだ」

「それと、四本の間隔が揃いすぎてる。生き物の指は、真ん中の二本が長くて外が短い。掴めば痕の深さも変わる。これは全部同じ深さだ」

「じゃあ、猫じゃない」

「猫の形をしてるが、猫じゃない」


 朔は立ち上がって、天井を見た。板に傷はなく、梁(はり)も無事だ。与次が開けたままの雨戸から、外の光が細く入っている。


「入ってきた跡がないな」

「はい」

「だが桶は開いてる」


 雨戸のところへ行って、敷居(しきい)を見る。積もった埃に、与次が這った跡が残っていた。それ以外に、何かが通った跡はない。

 朔は目を閉じた。

 瑛輝(えいてる)の残滓があった。座敷の中ほど、早桶の真上あたりに、薄く濁ったものが漂っている。宵士(よいし)の体は自然とそれを拾うが、人間には何も見えないし、何も感じない。


 濁り方が妙だった。

 妖怪の瑛輝には芯があって、どこから出ているかが分かる。この座敷にあるのは、芯のない、ただ場所に張り付いた濁りだ。何かがここにいた痕ではなく、何かがここで起きた痕に近い。

 朔は目を開けた。


「与次。この宿場で、死んだ者をどこへ捨ててた」


 与次は目を逸らした。父親が土間でこちらを見ているのが、視界の端に入る。


「弔えなかった者だ。行き倒れ、身寄りのない者、金のない家の者。焼く薪も買えないなら、どこかへ持っていくしかない。責めてるんじゃない。どこの土地にもある」

「……谷です」

「どこの谷だ」

「川の下です。宿場の南の外れに、落ちてるところがあって」

「いつからだ」

「分かりません。おれが生まれる前からです。じいさんも、その前も」


 朔は帽子を取って、掌で形を直した。


「案内してくれ。日が落ちる前に見ておきたい」


 谷は宿場から半刻(はんとき)ほど下ったところにあった。

 川が細くなるにつれ、両側の斜面が迫ってくる。木が茂って日が入らない。道は途中でなくなり、獣道になった。与次は慣れた足取りで下りていく。慣れているということ自体が、この土地の話だった。

 下りきったところは、思っていたより広かった。


 水の流れた跡はあるが、今は涸れている。ごろごろした石の隙間に、白いものが見えた。

 しゃがんで、一つ拾う。

 骨だった。指のものだと分かる。表面が風化していて、軽い。

 見回せば、石と石の間にいくつも埋もれていた。一人や二人ではない。何十年か、あるいは何百年か、ここへ運び続けた結果がここにある。


 朔は拾った骨を、元の場所へ戻した。


「獣は来るか」

「来ます」少し離れたところから、与次が答えた。「狐とか、狸とか。あとは野良の猫が」

「猫」

「多いです。宿場に居着いてる猫が、ここまで下りてくるんで」

「なるほどな」


 朔は立ち上がった。

 目を閉じる必要はない。ここは目を開けていても分かる。

 谷全体が濁っていた。瑛輝が、水の底の泥のように溜まっている。動かず、流れず、ただ積もっていく。閉ざされた場所は瑛輝を溜めるものだが、ここは三方を斜面に囲まれ、風も通らない。

 そして、ここで繰り返されてきた光景がある。


 弔われないまま置かれた死者と、それを漁りに来る獣。

 何十年、何百年。同じことが、同じ場所で。

 谷の斜面を見上げると、空が細かった。


「与次」

「はい」

「話が長くなるが、聞くか」


 与次は朔のほうへ向き直った。


「あれには目がなかったな」

「はい」

「目がなくても、お前のほうを向いた。これがまず妙だ。見えてるなら目が要る。見えてないなら向く必要がない」

「じゃあ」

「見えてるんじゃない。向く、という動きだけを知ってる」


 朔は足元の石を見た。


「猫の指の数も間違えてた。数は五本にしたが、並べ方を知らん。顔も、目という部品が要ることを知らん。外から見ただけで、見えたとおりに真似たからだ」

「……何がですか」

「ここだ」


 与次が谷を見回した。石と、その隙間の白いもの。


「妖怪ってのは、澱(よど)んだ瑛輝が形を成して生まれるものがいる。溜まりすぎた場所に、そこで起きてたことがそのまま形になる。ここでは、弔われない仏が置かれて、それを獣が漁ってた。何十年も、何百年も、同じことが繰り返されてきた」

「それが」

「その光景が、そっくりそのまま形になった。獣の姿をしてるのは、ここに来てた獣を真似たからだ。おそらく、いちばん多く来てたのが猫だったんだろう」


 与次は口を開けたまま、動かなかった。


「あれは考えてない。腹も減らん。恨んでもいない。喰ってるわけでもないだろう。夜に死んだ者が、まだ弔われずに置かれてる。ここで起きてたことと同じ形が揃う。揃ったら、来る。それだけだ」

「……おれのばあちゃんは」


 朔は少し黙った。


「悪いが、戻らん」


 与次が下を向いた。


「代わりにならんが、一つ言っておく。あれはお前の婆さんを選んでない。お前の家を狙ったんでもない。誰が死んだかを見てない。そういうものだ」

「それって、慰めになりますか」

「ならんな」


 朔は帽子を被り直した。


「だが、憎む相手を間違えずに済む」


 与次は谷の底に立ち尽くしていたが、やがて小さく頷いた。


「止められるんですか」

「止める」


 朔は谷を出るほうへ歩き出した。


「そういう仕事だ」


 見上げた谷の空は細い。その細い空のどこかを、あれは今も歩いている。

ここまで読んでくださってありがとうございます。少しでも気になったら、ブックマークで追いかけていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。