002 第一話 火車(二) 目のない猫
二 聞き込み
与次は寺の石段の下で待っていた。
背は高いほうだが、肩が薄い。十七だと住職が言っていた。朔を見て頭を下げてから、何と呼べばいいのか分からないという顔をする。
「朔でいい。さんもどのも要らん」
「は、はい」
「昨夜は寝てないだろう」
「……はい」
「途中で座りたくなったら言え。俺も歳だ」
与次はどう返していいか分からない顔で、曖昧に頷いた。
宿場は南北に一本の道が通っているだけだった。両側に家が並び、その裏はすぐ山の斜面になる。道幅は荷車がすれ違えるほどしかない。
「一件目の家から回る。案内してくれ」
「昨夜のうちのじゃなくて、ですか」
「そっちは最後だ。新しいほど痕が残ってる。先に古いのを見て、目を慣らしておきたい」
与次は分かったような分からないような顔で歩き出した。
一件目は空き家になっていた。婆さまが死んで、息子夫婦は蔵都へ出たという。板の打ちつけられた戸口の前に立って、朔はしばらく屋根を見上げた。
「天井は抜けてなかったんだったな」
「そう聞いてます」
「その時、家の中に人は」
「息子さんが、隣の部屋で寝てたって」
「音は」
「しなかったって言ってました。朝になって見たら、そうなってたって」
「板が割れる音もしなかったのか」
「……そうみたいです」
「妙だな」
板の隙間から覗くと、中は畳が剥がされて、土間のようになっていた。
「早桶ってのは、割ればそれなりに鳴る」
「妖怪なら、音を消すくらい」
「消せるやつもいる。だがそれなら、そもそも桶を割らずに開けたほうが早い」
与次が朔の顔を見たが、朔はもう歩き出していた。
二件目、三件目と回っても、似たような話ばかりだった。通夜の晩に人が寝入り、起きると早桶が潰れて中身がない。屋根も天井も無事で、物音を聞いた者は一人もいない。
四件目の家では、主人が出てきた。中年の男で、朔の帽子をじろじろ見ている。
「猫でしょう。でかい化け猫だ」
「何故そう思う」
「与次が見たんでしょう。こいつが」
与次が縮こまった。
「宿場の者はみんなそう言ってます。猫又だか何だか知りませんが、そういうものだろうと。ほら、死人を食うってのはよくあるでしょう。うちの婆さんが昔、そんな話をしてました」
「興味深いな。昔から出る土地なのか」
「いや。半年前までは何も」
「半年前に何か変わったことは。人が増えたとか、山を切ったとか、川筋が変わったとか」
男は少し考えて、かぶりを振った。
「いつも通りですよ。畑があって、宿場があって、それだけの土地です」
「助かった」
朔は懐から小銭を出して、男の手に握らせた。
「婆さまの話をもう少し思い出したら、寺に言づけといてくれ。昔話で構わん。むしろ昔話のほうがありがたい」
男がきょとんと小銭を見ているうちに、朔はもう背を向けていた。
道を歩きながら、与次が小声で訊いた。
「金、払うんですか」
「話を聞くのは仕事のうちだ。ただで人の時間をもらうと、次に訊きたいことができた時に来てもらえん」
「はあ」
「それと、あの人は退屈してる。話し相手が来たと思えば、もっと思い出す」
五件目と六件目は、道の南寄りにあった。六件目の並びの家でも、主人が先月亡くなったが、狙われてはいない。昼に死んで、その日のうちに焼いたからだ。
回るうちに、話の形が見えてきた。狙われるのは、夜に死んで朝まで置かれた者だけ。焼いた灰も、埋めた墓も、荒らされていない。そして、この半年で、あれに噛まれた者も、引っかかれた者も、一人もいない。
朔は道の先を見た。細い川が、宿場の裏を通って谷のほうへ落ちている。
「昨夜、お前は見られただろう」
与次の顔が強張った。
「はい。こっちを向いて」
「向いて、何かしたか」
「……何も。しばらくそのままで、それから行きました」
「そのままってのは、どのくらいだ。息を何回するくらい」
「……三つか、四つ」
「近づいてきたか」
「いえ。動いてません」
朔は頷いた。
「よく覚えてるな。大したもんだ」
与次の目が、朔に向いた。
「あの、おれ」
「なんだ」
「あれは、何なんですか」
「まだ分からん。分かったら言う」
朔が歩き出すと、与次が慌ててついてきた。
それきり黙って歩いていた与次が、坂を半ばまで下りたところで足を止めた。
「おれが、蝋燭を消しちまったから」
朔は振り向いた。
「消したのか」
「寝ちまって。それで」
「一件目から六件目まで、蝋燭は消えてたか」
与次は答えられなかった。
「聞いてきてくれ。六軒回れ。蝋燭が消えてたか、ついてたか。それだけでいい」
「……そんなこと訊いても」
「訊いたほうが早い。俺が回るより、お前が回ったほうが答えてもらえる」
与次は朔の顔を見ていたが、やがて走っていった。
朔は川のほうへ歩いた。
水は澄んでいて、底の石まで見える。
半年で七件。ひと月に一件ほどの間隔だが、正月から四月までに五件で、そのあと二件。詰まっている時期と、空いている時期がある。
朔は帽子のつばを下げた。
三つか四つ息をする間こちらを向いていて、それから行った。見つけた獲物に対する動きではない。かといって、逃げた動きでもない。
そして、目のあるべきところには、窪みも盛り上がりもなかった。
見る目を持たないものが、何を見て降りてくるのか。
それが分かれば、次にどこへ降りるかも分かる。
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