↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵士  作者: 酒蔵ツクル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/44

001 第一話 火車(一) 消えた亡骸

序


 蝋燭(ろうそく)を絶やすなと言われていた。

 与次(よじ)は経机(きょうづくえ)の脇に座って、炎を見ている。祖母は三日前から息が浅くなり、昨日の夕方に止まった。早桶(はやおけ)は座敷の中ほどに据えられ、白い布が掛けられている。中で祖母は膝を抱えて座っている。納める時に見たが、骨と皮ばかりの膝が、思っていたより高い位置にあった。


 寺の住職が経を上げて帰ったのが宵の口で、それから誰も来ない。父は隣の部屋で寝ている。明日の朝までは与次の番だ。

 炎が短くなれば、継ぎ足す。それだけのことだった。


 窓の外は何も見えない。深沢(ふかさわ)の宿場は谷筋に沿って細長く、家と家の間が詰まっている。夜になれば戸を閉めるので、通りに明かりは出ず、犬も鳴かない。この半年で、夜に出歩く者はいなくなった。

 与次は膝を抱える。


 祖母は去年の秋まで畑に出ていたが、冬に転んで、それきり床から起きられなくなった。与次が背負って厠へ連れて行くようになってからは、だんだん喋らなくなり、最後の月は、与次の名を呼ぶのにも間が空いた。名を忘れたのではない。思い出すのに時間がかかるようだった。

 炎が揺れる。


 継ぎ足そうと伸ばした手が、そのまま膝に落ちた。

 目を開けると、暗い。

 自分がどこにいるのか、最初は分からなかった。膝が冷えている。畳の目が頬に当たっていて、横になっていたのだと知れた。線香が切れて、匂いが薄い。

 蝋燭が消えていた。


 起き上がって、手探りで火打ち石を探す。指が経机の脚に当たり、それから何もない空間を掻いた。机の上に置いたはずなのに。

 そこで、部屋の中ほどが妙に低いことに気づいた。


 暗さに目が慣れてくると、白い布が畳の上に広がっているのが見えた。その下にあるべきものがない。早桶は上から押されたように潰れ、箍(たが)が外れて、板が扇のように開いている。膝を抱えた祖母の高さが、どこにもなかった。

 声を出そうとしても、喉が動かない。

 気づくと、天井を見ていた。


 なぜ見たのかは分からない。潰れているのだから上だと、体のどこかが判断したのかもしれない。だが天井は抜けておらず、梁(はり)も板もそのままだった。

 開いた雨戸の隙間から、外が見える。

 与次は這って、そこまで行った。

 月のない空に、雲があった。雲の縁だけがうっすらと明るく、その上を、四つ足の獣が歩いている。


 猫のようだった。大きさは分からない。遠いのか近いのか、判断のつく背景が何もない。足を運ぶたびに雲が沈み、また戻る。踏んでいるのでも乗っているのでもなく、ただそこに足を置いているだけに見えた。

 口に白いものを咥えている。

 獣が、顔を向ける。


 与次のほうへ向けたのだと思った。けれど、そうではないのかもしれなかった。

 顔に、目らしいものがなかったからだ。

 耳があり、鼻があり、口があって、牙も見える。そこまでは猫だった。ただ、目のあるべきところが、ただの毛だ。窪みも、盛り上がりもない。何もついていない。


 獣はしばらくそちらを向いていたが、やがて向き直り、雲の向こうへ歩いていった。

 与次はそこに座ったまま、朝まで動かなかった。

 父を起こすことも、住職を呼びに行くことも、思いつかないまま。ただ、蝋燭を消してしまったことだけを考えていた。

 絶やすなと言われていたのに。



一 依頼


 寺は宿場の東の端にあった。

 三十ばかりの石段を上りきったところに山門が立っていて、柱の片方は根元が腐り、石で支えてある。境内に人はなく、落ち葉も掃かれていない。


 朔(さく)は帽子の縁を上げて、本堂の屋根を見た。瓦が三枚ほど欠けている。直す金がないのだろう。あるいは、直しに来る職人が夜の道を通りたがらないか。

 本堂の脇の庫裏から、老僧が出てきた。肩のあたりで擦り切れた、墨染めの衣。朔を見て、足を止める。


「宵士(よいし)の方で」

「朔だ。依頼書を見てきた」


 笠でも取るように帽子の縁に手をかけて軽く下げると、老僧は慌てて頭を下げ返した。


「よくおいでくださった。まさか本当に来ていただけるとは」

「近くで一件片づけたところだった。ついでのようで悪いが、足が向いた」


 老僧の目が、朔の腰に行った。黒い鞘で、拵えに飾りがない。それから帽子に。つばの広い、この国のものではない形だ。何かを言いかけて、やめた。


「上がってくだされ」


 庫裏は暗かった。障子の破れたところに貼った紙も、もう日に焼けている。囲炉裏に火はなく、灰が固まっていた。


「茶も出せんで申し訳ない」

「気にするな」


 朔は帽子を取って膝の横に置いた。老僧が向かいに座り、両手を膝に揃える。


「半年になります」

「順に聞かせてくれ。なるべく詳しく」

「初めは、正月の明けてすぐでした。宿場の外れの婆さまが亡くなって、通夜の晩に、仏が消えた」

「消えた、か」

「はい。早桶が上から潰されておりました。屋根は無事です。天井も抜けておらん。ただ、中身だけがない」


 老僧の指は震えていなかった。半年のあいだに、この話を何度もしてきたのだろう。


「初めのを入れて、四月のうちに五件。先月に一件。昨夜のが七件目です」

「昨夜か。それはまた」

「与次という若い衆の祖母でしてな。通夜番をしておって、起きたら潰れておったと」

「その子は無事か」

「怪我一つしておりません」

「そいつはなによりだ」


 老僧は少し口をつぐみ、言葉を選ぶような間を置いた。


「それが厄介でしてな。誰も死んでおらんのです」

「役人が動かない」

「よくお分かりで」

「よそでも同じ話を聞く」


 老僧は苦笑とも何ともつかない顔をした。


「蔵都(ぞうと)から回ってきたのは、四件目のあとでした。話を聞いて、書き付けを作って、それで終わりです。生きた者に手は出ておらん、死人が減っただけだ、と。……そう言われると、こちらも何と返してよいか分かりませんでな」

「返さんでいい。返す言葉があるほうがどうかしてる」


 老僧が顔を上げたが、朔は囲炉裏の灰を見たまま続けた。


「墓のほうは」

「荒らされておりません。土に入れてしまえば何も起きん。狙われるのは、まだ弔いの済んでおらん仏ばかりです」

「焼いたあとは」

「それも手つかずです」


 風が吹いて、破れ障子の紙がわずかに鳴った。


「村では、夜に人が死ぬと困るようになりました。昼のうちに亡くなれば、その日に焼いてしまえる。夜に亡くなると、朝まで持たせねばならん」


 老僧は言葉を切った。


「先月、まだ息のある者を焼こうとした家があります。止めましたが」


 朔は帽子の縁を指でなぞった。


「止めたのは正解だ」

「正解、とは」

「それが通ってたら、あと二月もしないうちに、ここは人の住む土地じゃなくなってた。そういう宿場をいくつか知ってる」


 老僧の喉が、小さく動いた。


「金の話をしよう」

「……二両。それが宿場で集められた全部です」

「二両な」

「足りんことは承知しております」

「足りん」


 老僧が身を縮めた。


「はっきり言っとく。相場の半分にもならん。ここで俺が黙って受けると、次にこの近くで似た話が出た時、二両で来る宵士がいると思われる。困るのは俺じゃなくて次の土地だ」

「……はあ」


 朔はふうんと喉を鳴らして、少し考えた。


「じゃあ、こうしよう」


 指を二本立てる。


「二両は、片がついてからもらう。足りん分は、その時に改めて話す。金じゃなくてもいい。この宿場に出せるもので、俺が受け取る値打ちがあると思えるものなら、それで帳尻を合わせる」


 老僧は目を見開いた。


「そんな都合のいい話が」

「都合のいい話だ。俺が損をするだけでな」


 朔が笑うと、老僧は笑っていいものかどうか迷う顔をしたあと、額が畳につくほど頭を下げた。朔は止めなかった。二両しか出せない土地の人間にできるのは、頭を下げることくらいだ。それを取り上げるものではない。


「ありがとうございます。……それで、あの」


 身を起こした老僧が、少し迷ってから言った。


「差し支えなければ、お歳は」

「四十三」


 老僧は朔の顔を見直して、目を伏せた。


「これは、失礼を」

「気にせんでいい。よく訊かれる」


 朔は帽子を取り上げて、膝の埃を払った。二十代の半ばに見えると言われることが多い。そ(・)う(・)い(・)う(・)ふ(・)う(・)に(・)出(・)来(・)て(・)い(・)る(・)、というだけの話だ。


「案内を一人つけてくれ。昨夜の若い衆がいい」

「与次を。しかしあれは、まだ気が立っておりまして」

「一番新しいものを見てる。それに」


 立ち上がりながら、朔は続けた。


「家で一人にしとくより、歩かせたほうがいい。こういうのはな」


 老僧は口を開きかけて、閉じた。


「あれは、猫のようなものを見たと申しております。空を歩いておったと」

「そう聞いた」

「宵士どのは、そういうものをご存じで」


 帽子を被ると、つばの下で老僧の顔が半分隠れた。


「知らんものを知ってると言う商売じゃない。見てから考える」


 老僧はそこで、また何か言いかけて口を閉じた。


「なんだ」

「……いえ」

「言ってくれ。外れてても構わん。当てずっぽうでいい」

「いえ。確かめもせずに口にしてよい名ではありませんので」


 半年のあいだ震えなかった老僧の指が、その時だけ、わずかに震えていた。

ブックマーク、評価を頂けると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。