036 第十二話 決別(二) 牙が覚えているもの
三 千炉
千炉は、山に囲まれた町だった。
谷を一つ丸ごと使っている。川沿いに水車が並び、その奥に炉が並ぶ。町に入る前から、鉄を叩く音が聞こえた。
空気が乾いていて、鉄と炭の匂いがする。
炉守の家は、町の一番奥にあった。
門はない。大きな作業場があって、その脇に住まいが付いている。作業場の戸は開け放してあった。
中に、男が一人いた。
背が低い。朔より頭一つ小さい。だが、肩が異様に広い。腕が丸太のようで、手の甲に古い火傷がいくつもある。
歳は六十を超えているはずだ。髪は白い。
男は炉の前に座って、何かを叩いていた。
朔が入っていくと、男は顔を上げずに言った。
「誰だ」
「朔だ」
男の手が止まった。
顔を上げた。
「おう」
男は立ち上がって、手を拭いた。
「何年だ」
「七年だ」
「そうか」
男は朔の腰に目を落とした。
「見せろ」
朔は夜蛭を鞘ごと渡した。
男は鯉口を切り、刃を半ばまで引き出して、炉の明かりに寝かせた。指の腹が鍔元から刃の上を滑って、三寸ほどのところで止まる。
「鍔元から三寸、焼けとる。何をした」
「刃に、乗せようとしてる」
朔は短く答えた。
「三寸より先へ、行ったことがない」
男は刃を鞘に戻した。
「鉄は、お前の力を通さん」
夜蛭が、朔の手に返ってくる。
「こいつが通すのは、吸ったものだけだ」
炉守鋼次はそう言って、律人に目を移した。
「そっちは」
「天羽律人と申します」
律人が頭を下げた。深く下げた。
「陰陽連の者です。此度は、突然お伺いして申し訳ございません」
「ふん」
鋼次は鼻から息を出した。
それだけで、何も言わない。
朔が口を添えた。
「話が聞きたいそうだ」
「何の話だ」
「素材の話だと」
鋼次の目が、律人に向いた。
「陰陽師が、鍛冶に何を訊く」
「その」
律人が言葉を探した。
「申し訳ありません。何を訊けばいいのか、僕にも分かっていないのです」
鋼次は律人をじっと見ていた。
作業場の隅を、顎で指す。
「座れ」
三人は座る。
鋼次は茶を出さなかった。律人も求めなかった。
誰も喋らない。
炉の火が、鋼次の顔を赤く照らしている。
「刀を打つのに、妖怪を使うと聞きました」
律人が切り出した。
「使う」
「どのように」
「骨を焼いて、灰にして、鋼に混ぜる」
鋼次の目は、炉から動かなかった。
「牙も使う。角も使う。鱗は使わん」
「全部使うのですか」
「使えるところだけだ」
鋼次は炉に炭を一つ足した。
「一体まるごと使うことはない。使うのは、骨か、牙か、角だ。あとは捨てる」
律人が顔を上げた。
「捨てる」
鋼次は頷いた。
「肉も、皮も、要らん。焼いて埋める」
律人は少し首を傾げた。
「なぜ骨と牙なのですか」
「残るからだ」
鋼次は火箸を置いた。
「肉は腐る。皮も腐る。骨は残る。牙も残る。何十年も残る」
鋼次は自分の手を見た。
「残るもんには、そいつの性質が入っとる」
律人の動きが、止まった。
「性質」
「そうだ」
鋼次は手を下ろした。
「火を吐くやつの牙は、鋼に混ぜると熱に強くなる。水の中におるやつの骨は、錆びにくくなる。速いやつの角は、軽く仕上がる」
鋼次は炉を見た。
「わしらは、そいつを丸ごと使っとるわけじゃない。そいつが持っとったもんの一部だけを、鋼に移しとるだけだ」
律人は、鋼次から目を離せずにいた。
朔は、律人の顔を見る。
律人の視線が、ゆっくりと自分の懐へ動いた。
それから、鋼次に戻った。
「あの」
「なんだ」
律人は懐から布の包みを出した。
開いて、鋼次の前に置く。
牙が二本。角が一つ。爪が一つ。平たいもの。
鋼次の目が、それに落ちた。
手が伸びた。
牙を一本つまみ上げて、目の前に持っていく。指で表面を撫でた。
「いいもんだな」
鋼次は牙を光にかざした。
「これは牛頭鬼か」
「……分かるのですか」
「牙を見りゃ分かる」
鋼次は角のほうへ顎をしゃくった。
「角のほうは鎌鼬だな。爪は以津真天か。こっちの平たいのは、鱗だろう。蛟か」
律人は頷いた。
「よく残しとる」
鋼次は牙を置いた。
「乾かし方がいい。焼いてないな」
「焼いていません」
「なら使える」
鋼次は牙を指で転がした。
「打つか」
「え」
「刀にはならん。小さい。だが、小刀くらいなら打てる」
鋼次は牙の重さを掌で量った。
「牛頭鬼の牙なら、重いのができる。振りが遅くなるが、当たれば折れん」
律人の目は、包みに落ちていた。
「……いえ」
律人は首を振った。
「打ちません」
「そうか」
鋼次はそれきり、牙から目を離した。
律人は包みを畳んで、懐に戻した。
朔は、その手の動きを見ている。
頭の隅で動いていたものが、形になりかけている。
残るもんには、そいつの性質が入っとる。
一部だけを、移す。
朔は炉に目をやった。
昔、桃が言っていたことがあった。
四 廃れた式神
その晩、三人は鋼次の家に泊まった。
鋼次は無口だった。飯の間、ほとんど喋らない。律人が何度か話しかけたが、返事は三語か四語で終わった。
飯の後、律人は一人で外に出た。
朔は縁側に座っている。
やがて、律人が戻ってきて、隣に座った。
「朔」
「なんだ」
「一部だけを使う、という話」
律人の目は、庭の暗がりに向いていた。
「あれは、僕の術とは全然違う」
朔は、縁側の板に目を落とした。
「僕のは、丸ごとだ」
律人の声は低かった。
「妖怪を一体、生きたまま捕らえて、型に押し込んで、格納する。一部じゃない。全部だ」
「そうだな」
「鍛冶の人は、一部しか使わない。残りは焼いて埋める」
律人は膝を抱えた。
「でも、鋼は強くなる」
抱えた膝に、律人は顎を載せた。
「性質が移ってるからだ。丸ごと使わなくても、移る」
律人はそこで止まった。
その先は、出てこない。
朔は縁側の板目を指でなぞった。
「律人」
「なんだ」
「昔、聞いた話がある」
律人が顔を上げた。
「式神の話だ」
朔は板目から指を離した。
「戦えない式神があったそうだ」
「戦えない、というのは」
「攻撃も防御もできん。腕力もない。何の役にも立たん」
朔は庭の闇を見た。
「ただ、妖怪の性質が読めた」
律人の動きが止まった。
「読める、というのは」
「相手が何を得手として、何を不得手とするか。どういう性質のものか。それを読み取る」
朔は続けた。
「昔は、それが要った。外来種が次々に入ってきて、誰も見たことのないものが山ほどいた頃だ。相手が何なのか分からんまま戦うのは危ない。だから、まずそれを読ませた」
「今は」
「廃れた」
朔の声は平らだった。
「文献が揃ったからだ。八百年ぶん書き溜めれば、たいていのものは載ってる。読ませるより、調べるほうが早い」
律人は動かなかった。
「誰から聞いた」
「桃からだ」
朔は記憶を辿った。
「二十年以上前だな。あいつが若い頃には、まだ使ってる陰陽師がいたらしい」
「桃さんが」
「そうだ」
朔はそれ以上言わない。
律人の両手が、膝の上で少し震えている。
「朔」
「なんだ」
「その式神は、どうやって読むんだ」
「知らん」
「知らないのか」
「俺は陰陽師じゃない」
朔は肩をすくめた。
「聞いた話を伝えただけだ」
律人は膝の上で、両手を握り合わせた。
その手をほどいて、立ち上がる。
「作業場を借りたい」
「鋼次に訊け」
「訊く」
律人は家の中へ入っていった。
朔は縁側に残る。
空を見上げると、星が出ていた。千炉の空は蔵都より暗くて、星がよく見える。
律人が何をしようとしているか、朔にはだいたい分かっていた。
牙から性質を読む。読んだものを、式神として組む。
そんな術があるかどうかは知らない。前例があるかどうかも知らない。
だが、材料は三つ揃っていた。
鋼次の話と、桃の話と、律人の手の中の包みだ。
三つとも、別々の場所にあったものだった。
朔がそれを繋いだわけではない。鋼次は鍛冶の話をしただけで、桃は昔話をしただけだった。
律人が動いたから、三つが同じ場所に集まった。
星が、また一つ増えている。
包みの中の五つが、これから何になるのかは、まだ誰にも分からない。
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