035 第十二話 決別(一) 五つの包み
一 報告
文が来たのは、廃村の仕事から三月ほど経った頃だった。
蔵都で会いたい、と書いてある。日と場所だけの短い文だった。
朔は指定された茶屋に行った。
律人は先に来ている。
旅装で、陰陽連の紋は出ていない。卓に湯呑みが一つ置いてあるが、減っていなかった。
「久しぶり」
「三月ぶりだな」
朔は向かいに座って、律人の顔を見た。
痩せてはいない。前に会った時より、むしろ顔色がいい。眠れていない顔ではなかった。
ただ、何かが違う。
朔は湯呑みを頼んで、律人が話し出すのを待った。
律人の目は、長いこと卓に落ちている。
「全部、葬った」
朔は動かなかった。
「使い魔だ」
律人の声は静かだった。
「四体とも。僕の手で」
茶屋の女が湯呑みを持ってきた。朔は受け取って、卓に置く。
女が離れてから、朔は訊いた。
「いつだ」
「ひと月前」
律人は指で卓の木目をなぞった。
「廃村の仕事から二月くらい経ってからだ」
「そうか」
「供養もした。ちゃんとやった」
律人の指が止まった。
「うちの家に、代々の陰陽師を弔う場所がある。そこへは入れられなかったから、別に作った」
「一人でか」
「他に誰がいる」
律人は懐に手を入れた。
出したのは、布の包み。
卓の上で開くと、中に五つ入っていた。
牙が二本。角が一つ。爪が一つ。それから、何か平たいもの。
どれも小さい。指ほどの長さで、乾いている。
朔は牙の一本に目を留めた。
太い。根元が厚く、先が磨り減っている。牛のものだった。
「それは」
「牛頭鬼だ」
律人の返事は短かった。
朔は牙から律人へ視線を移した。
「あれは坑の中だろう」
「そう」
「掘ったのか」
「掘った」
律人は頷いた。
「去年の秋に、一人で行った。坑口は埋まってたけど、崩れたのは奥の一区画だけだ。手前から掘れば届くと思った」
「何日かかった」
「十一日」
律人は牙に目を落としたまま続けた。
「村の名主に頼んで、道具を借りた。無宿人だった人たちが何人か残ってて、手伝ってくれた。あの時に助けた爺さんも来た」
律人の親指が、牙の根元を押さえた。
「僕は何も言わなかった。妖怪の骨を探してるとも言えないから、落とし物を探してると言った。誰も詳しくは訊かなかった」
「出たのか」
「出た」
律人は小さく息を吐いた。
「八日目に、支保の下から。腕の骨も、角も、あばらも出てきた。全部は持てないから、牙だけ取って、残りはその場に埋めた」
律人は牙を指で撫でた。
「埋める時に、初めて手で触った」
指が、牙の上で止まった。
「十年あまり使ってて、一度も触ったことがなかった」
朔は包みの中の牙を見た。
「持ち歩いてるのか」
「全部を埋めるつもりだったんだけど」
律人は包みの端を指でつまんだ。
「これだけは、埋められなかった」
「なぜだ」
「埋めたら、忘れると思ったから」
律人の目は、包みから動かない。
「僕は、忘れると思う。二年か、三年で。人間はそういうふうにできてる」
律人は包みを畳んだ。
「忘れたくないというより、忘れたら駄目だと思った。だから持ってる」
朔は答えずに、卓の上の包みに目をやった。
包みは、律人の手の中で小さい。五体ぶんが、それだけだった。
「決めたのは、いつだ」
朔が訊くと、律人は少し考えた。
「決めたのは、瑛沢の後だ」
「一年半前か」
「うん」
律人は湯呑みの縁に指をかけた。
「決めてから、一年半かかった。その一年半で、六回使った。人が助かった。それは本当だ」
律人は湯呑みに手を伸ばして、やめた。
「でも、使うたびに、いつやめるんだと思ってた」
「それで、ひと月前か」
「そう」
律人は手を膝に戻した。
「朔と廃村に行った時、僕は式神を毎日二十体出して、毎日取りこぼしてた。梓さんが何度も拾ってくれた」
「そうだったな」
「一度も言われなかった」
律人は少し笑ったが、目は笑っていなかった。
「あの時、思ったんだ。牛頭鬼がいれば、こんなことにはならなかった、と」
律人は顔を上げた。
「そう思った自分が、嫌だった」
朔は律人の目を見返した。
「だから、やめた」
律人はそう言って、また卓に目を落とした。
「それだけだよ」
どちらも、しばらく口をきかなかった。
茶屋の外を荷車が通る。車輪が石を噛む音がする。
朔は湯呑みを持った。
言うべきことがある、と思う。
これまで、ずっと言わずに来たことだ。臥雲山の門の前でも、瑛沢からの帰りの峠でも、朔は理由を言わなかった。律人が問うたびに、答えなかった。
答えなかったのは、朔の物差しで律人が決めても意味がないと思っていたからだ。
律人は、自分で決めた。
一年半かけて、一人で決めて、一人でやった。
なら、もう言っていい。
「律人」
「なんだ」
「大したもんだ」
律人が顔を上げた。
朔は湯呑みを置いた。
「お前は一人で決めた。誰にも言われずにな」
それだけ言った。
律人の目が、朔の顔の上で止まる。
すぐに、伏せられた。
「……そうか」
律人はそう言って、湯呑みを持った。
持ったまま、少しのあいだ動かない。
朔の目は、包みのほうへ向いていた。
何かが引っかかる。
五つ入っている。牙と、角と、爪と、平たいもの。妖怪の体の一部が、乾いて、そこにある。
それを見て、何かが頭の隅で動いた。
だが、形にならない。
朔は湯呑みを持ち上げて、茶を飲んだ。
「それで」
律人が湯呑みを置いた。
「今日は、頼みがあって来た」
「仕事か」
「仕事じゃない」
律人は懐から、もう一枚の紙を出した。
「黒耀領へ行きたい」
「千炉か」
「そう」
律人は紙を広げた。
「刀を打ってもらうわけじゃない。会いたい人がいる」
「岩戸衆にか」
「炉守鋼次という人だ」
紙に書かれた名を、律人は指で示した。
「宵士の初太刀を打つ鍛冶の家だと聞いてる。朔の刀も、そこで打ったんだろう」
「最初の一本は、二十何年か前にな。今のも、あそこで打ってもらった。連れが死んだ年に」
朔は腰の夜蛭に手を置いた。
「紹介してくれないか」
朔は少し考えた。
「会ってどうする」
「分からない」
律人は正直に答えた。
「分からないんだ。ただ、鍛冶の人に会いたい」
「理由がないのか」
「ないんだ」
律人は紙の端を揃えた。
「式神をどれだけ出しても、届かないところがある。それは分かった。じゃあどうすればいいかは、分からない。陰陽連の書庫は全部読んだ。八百年ぶん読んで、何も出てこなかった」
律人は紙を畳んだ。
「だから、陰陽連の外に行こうと思った」
「それで鍛冶か」
「刀鍛冶は、妖怪の素材を使う」
律人の声に、少し熱がこもった。
「宵士の刀は、妖怪の骨や牙を鋼に混ぜて打つと聞いた。それは、僕らとは別の体系だ。別の体系の人が、素材をどう見てるのかを知りたい」
朔は湯呑みを置いた。
「行くか」
「いいのか」
「俺も久しぶりに顔を出す」
朔は立ち上がった。
「鋼次は無口だ。期待するな」
「分かった」
「それと」
朔は帽子を被り直した。
「道中、餓鬼が出る」
二 餓鬼
黒耀領へは、蔵都から六日かかった。
三日目の午後、山道に入ったところで、朔は足を止めた。
「来るぞ」
「餓鬼か」
「そうだ」
朔は斜面を見上げた。
瑛輝が動いている。数は多い。二十は超えている。
「律人」
「なんだ」
「やれるか」
律人は懐から札を出した。
「やる」
「手を出さんぞ」
「いい」
律人は札を指に挟んだ。
「そのつもりで来た」
最初の一匹が、木の間から出てきた。
腹だけが膨れている。手足は枯れ枝。皮膚は灰色で、口が横に裂けている。
二匹、五匹、十匹。斜面の上から降りてくる。
律人が札を離した。
燃えた場所から、影が立つ。
人型の式神だった。背丈は五尺ほど。顔がない。腕が長い。
一体。
二体。
三体、四体、五体。
律人は五枚を続けて離した。五体が並んで立つ。
朔は道の脇に下がって、それを見た。
式神が動く。
一体が最初の餓鬼を掴んで、地面に叩きつけた。餓鬼が潰れる。二体目が別の一匹を掴む。
速くはない。
牛頭鬼は、九尺の体で斜面を駆け上がって、腕の一振りで三匹薙いだ。四匹目を踏んで、五匹目を掴んで木に叩きつけた。それを茶を一杯飲むあいだにやった。
今は、一体が一匹ずつ相手をしている。
五体で五匹。
残りが十五匹以上いる。
餓鬼が式神の脇を抜けた。
律人は札を追加した。三枚。三体が出て、抜けてきた餓鬼を掴んだ。
八体。
律人の額に汗が出ていた。
餓鬼は一匹一匹が弱い。子供より力がない。だが、数が多い。式神が一体で一匹を押さえているあいだに、隣を三匹が通り抜ける。
律人がまた札を出した。
五枚。
十三体。
「律人」
「まだやれる」
答える律人の息が上がっていた。
十三体が斜面に散っている。餓鬼を掴み、潰し、また次を掴む。動きは正確だった。だが、遅い。
二匹が律人のほうへ抜けてきた。
律人は下がりながら、札を二枚出す。二体が出て、二匹を止めた。
十五体。
朔は何もしなかった。
道の脇に立って、腕を組んでいる。
餓鬼が一匹、朔のほうへ来た。
朔はそれを見下ろす。
餓鬼は朔の前で立ち止まり、向きを変えて、律人のほうへ走っていった。
朔は動かない。
半刻近くかかった。
最後の一匹を式神が押さえた時、律人は膝に手をついていた。
「……終わった」
息が切れている。汗が顎から落ちていた。
十五体の式神が、斜面のあちこちに立っていた。
「戻ってくれ」
律人がそう言うと、十五体が同時に影になって消えた。
律人は道端に座り込んだ。
朔が水筒を渡すと、律人は受け取って飲んだ。
律人は水筒を抱えたまま、すぐには口を開かなかった。
「朔」
「なんだ」
「牛頭鬼なら、四半刻もかからなかった」
律人は斜面を見上げた。
「一体で、全部片づけた」
「そうだな」
「今は、十五体出して半刻かかった」
律人は水筒を返した。
「足りない」
律人は自分の掌を見た。
「これじゃ、足りない」
朔は水筒を受け取った。
「進むか」
律人は立ち上がった。
膝が笑っていたが、立った。
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