027 第九話 山丈(二) 焼いて塞ぐ
五 手順
凱は三杯目の飯をかき込みながら、口をもぐもぐさせている。
「なあ」
「なんだ」
「あれ、どうやったら死ぬんだ」
「焼く」
凱が箸を止めた。
「焼く?」
「火で焼いた傷は塞がらん」
朔は火箸で炭を寄せた。
「山丈ってのは、そういうものらしい。斬っても突いても塞がる。焼いたところだけが残る」
「へえ」
凱は茶碗を置いた。
「じゃあ、火をつければいいのか」
「体に火をつけても、振り回されて消える」
朔は火箸を置いた。
「傷の中に入れないと駄目だ。斬って、開いたところに直接」
「開いたところって、すぐ塞がるんだろ」
「だから、塞がる前に入れる」
「そんな器用なこと、できるのか」
「一人では無理だ」
朔は火から目を上げた。
「押さえる役が要る。動きを止めて、そのあいだに斬って、焼く」
「あれをか」
「あれをだ」
「一丈以上あるぞ」
「ある。だから、お前に頼んでる」
凱は天井を見上げて、少し考えた。
「まあ、俺だな」
「そうなる」
「押さえたら、どうなる」
「殴られる」
「だよなあ」
凱は頭を掻いた。
当たり前のような顔で言った。
「まあ、いいや。やるわ」
「悪いな。焦げたら、飯を奢る」
「焦げる前提かよ」
「焼く手順だからな」
梓が、そこで顔を上げた。
「……その手順」
梓の声が、わずかに掠れた。
「誰から聞いたの」
朔は梓に目を向けた。
「宵士の間に伝わってる」
「伝わってる?」
「山丈は数が少ない。浮桑で討たれた例は、俺の知る限り二つだ」
朔は指を二本立てた。
「一つは百年以上前。もう一つが三十年ほど前だ。その二つ目の時の手順が、記録に残ってる。組みついて押さえて、傷に火を入れる」
梓は動かなかった。
「誰が考えたんだ、それ」
凱が訊いた。
「分からん」
「分からんのか」
「名前が書いてない」
朔は指を下ろした。
「どこの誰が討ったかは残ってない。いつ、どこで、どうやって討ったか。それだけだ」
「へえ」
凱は茶をすすった。
「まあ、そりゃそうか。俺だって自分の名前なんか書かねえしな」
凱はそれで興味を失ったらしく、茶碗を置いて立ち上がった。
「じゃあ、明日か」
朔が頷いた。
「寝る」
凱はそう言って、奥へ行った。
囲炉裏の前に、朔と梓が残った。
火が爆ぜる。
梓の目は、壁に立てかけた弓に向いている。
六 討伐
翌日の夕方から、待った。
村の外れに、囮の火を焚いた。人がいると思わせるためだ。名主が反対したが、朔が押し切った。
夜になった。
子の刻を回った頃、山のほうで木の折れる音がする。
来る。
朔は帽子のつばを下げた。
山丈が、斜面を下りてきた。
昨日と同じ大きさ、同じ歩き方。ただし昨日と違って、まっすぐ火のほうへ来る。
二十間まで来た。
「凱」
「おう」
凱が走り出した。
止めなかった。
止めても止まらないことを、朔は知っている。
凱は正面から突っ込んだ。山丈が腕を振り下ろす。凱はそれを避けずに、肩で受けた。
鈍い音がした。
凱の体が沈んだ。だが、倒れなかった。
沈んだまま前へ出て、山丈の腰に組みついた。
「うおおお!」
凱が押した。
一丈を超える体が、わずかに傾いだ。
山丈が凱の背中を殴った。
一度、二度。凱は離さなかった。
「梓!」
朔が叫んだ。
梓が走ってきた。
弓は持っていなかった。腰に、村で借りた鉈を差している。
梓は山丈の右腕に飛びついた。腕に手足を絡めて、全体重をかけて下へ引く。
腕が下がった。
完全には止まらない。だが、振り上げるのが遅くなった。
朔は走った。
一尺に入る。
夜蛭を、山丈の脇腹に入れた。深く。肋の間を抜いて、内臓まで届かせる。
刀を抜いた。
傷口が開いている。
朔は左手を突き出した。
狐火が出る。
朔の幻狐系の力のうち、まともに出るのは、これだけだった。幻術はほとんど使えない。狐火も、大きくは出せない。餓鬼のような小物の頭を焼くのが精々で、大きな相手に通じる火ではなかった。
山丈ほどのものに使ったことは、一度もない。
それを、開いた傷口へ押し込んだ。
山丈が吼えた。
今までとは違う声だった。
傷口から煙が上がる。焼ける音がした。
塞がらない。
朔は跳び退いた。
山丈が暴れる。凱が振り落とされ、梓が腕から投げ出された。二人とも受け身を取って転がった。
山丈は脇腹を押さえている。
「効いてる!」
凱が起き上がりながら叫んだ。
「もう一回だ!」
二度目は、もっと激しかった。
山丈は警戒している。組みつこうとする凱を、両腕で迎え撃った。
凱は真正面から受けた。両腕で殴られながら、前へ出る。
鼻血が出ている。それでも笑っていた。
「軽ぇんだよ!」
凱が山丈の腰を掴んだ。
掴んで、押し倒した。
二つの体が地面に落ちた。土が舞う。
山丈が凱を下敷きにする形になった。凱の腕が、山丈の首に回っている。
「今だ!」
梓が山丈の右腕を押さえた。
左腕が振られる。梓の肩に当たった。梓が吹き飛んだ。
それでも、一瞬だけ動きが止まった。
朔が入った。
肩口を斬る。開いた。狐火を押し込んだ。
焼けた。
三度目。
四度目。
五度目で、山丈の動きが鈍った。
焼かれた傷が五つ。どれも塞がっていない。血が止まらない。
山丈が凱を振り落として、立ち上がろうとした。
立ち上がりきらなかった。
膝をつく。
朔は走った。
最後は、首だった。
斬って、開いて、狐火を入れる。
山丈が、前のめりに倒れた。
地面が揺れる。
それきり、動かなかった。
誰も、すぐには動けない。
最初に動いたのは凱だった。
「いってぇ」
凱は仰向けに転がったまま、自分の腕を見ていた。
左腕の袖が焦げている。狐火が、組みついていた凱の腕にも触れていた。
皮膚が赤黒く変わっている。
「悪い」
朔が膝をついて、凱の腕を覗き込んだ。
「気にすんな」
凱は焼けた腕を持ち上げて、しげしげと見た。
「おお、しっかり焼けてるな」
そして笑った。
「肉みてぇだ」
「笑うところじゃない」
「笑うところだろ」
凱は起き上がった。
「勝ったんだから」
梓は、少し離れたところに座っていた。
肩を押さえている。骨は折れていないようだった。
梓の目は、倒れた山丈に向いたまま。
朔は帽子を拾った。
つばの一部が焦げていた。狐火を押し込む時に、火が近すぎたのだ。
朔は焦げ跡を指で払った。焦げてはいるが、穴は開いていない。
火蜥蜴の皮だった。
蛭が被っていたものだ。よく手入れをしていた。異国で誂えたもので、火に強いのだと、何度か聞かされたことがある。自慢していたわけではない。雨にも強いという話の、ついでに出ただけだ。
朔はその時、聞き流していた。
六年前、遠洲の北であの男が死んだ時、朔はこれを拾って被った。他に持ち帰れるものが、なかったからだ。
被って六年になるが、火の中に突っ込んだのは、これが初めてだった。
本当に強かった。
朔は帽子を被り直す。
七 礼
翌朝、村の者が集まってきた。
名主が先頭に立って、三人の前に並んだ。
そして、頭を下げた。
二十戸ぶんの人間が、一斉に頭を下げた。
「ありがとうございます」
名主の声が震えていた。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
朔は頭を下げ返した。
凱は手を振りながら、「おう、良かったな」と返している。
梓だけが、その場から動かない。
村の女が、梓のところへ来た。
二十歳くらいの女で、手に布の包みを持っている。
「あの」
梓が顔を上げた。
「三戸目の家の者でございます」
女は包みを胸に抱えた。
「母と、弟が」
梓は女を見返した。
「これを」
女は包みを差し出した。
「粟でございます。たいしたものではございませんが」
梓は包みに目を落とした。
受け取らなかった。
女が困った顔をする。
朔が横から手を出して、包みを受け取った。
「ありがたい。もらっておく」
「あ、はい」
女は頭を下げて、下がっていった。
梓は立ったまま動かない。
村の者が三々五々散っていく。名主が何度も頭を下げながら家へ戻った。
誰もいなくなってから、梓が口を開いた。
「なんで受け取ったの」
「お前が受け取らんからだ」
「私は」
梓はそこで止まった。
止まって、唇を結んだ。
「あの人たちは、何も知らない」
ようやく出た声は、低かった。
「何をだ」
「知らないから、礼を言える」
梓は村を見た。
「知っていたら、言わないわ」
梓の目が、朔の手の中にある粟の包みに落ちた。
「三十年前」
梓が言った。
朔は包みから目を上げた。
「同じことをしたの」
梓の声は平らだった。
「同じように押さえて、同じように焼いて、同じように討った」
「そうか」
「その時は、押さえた人たちが死んだ」
梓は自分の手を見た。
「四人。私に従った人たち。私が、押さえろと言った」
朔は、梓の手から目を離さなかった。
「今回は、誰も死ななかった」
梓は手を下ろした。
「同じ判断をして、同じ手順でやって、誰も死ななかった」
梓は顔を上げた。
「違ったのは、結果だけよ」
朔は何も言えなかった。
「私は、三十年考えてた」
梓の声は揺れなかった。
「あれは正しかったのか、間違っていたのか。考えて、考えて、答えが出なかった」
梓は村の屋根を、一つずつ目で辿った。
「正しかったなら、四人は死ななくてよかったはずでしょう。間違っていたなら、討たなくてよかったはずでしょう」
「梓」
「今日、分かったわ」
梓は朔を遮った。
「正しかったかどうかは、結果では決まらない。結果で決まらないなら、あれが正しかったのかどうか、永久に分からない」
梓は歩き出した。
「行きましょう」
朔は、粟の包みを持ったまま、その場に立ち尽くしていた。
八 境
その日の昼、三人は村を出た。
途中で、梓がいなくなった。
最初に気づいたのは凱だ。
「あれ、梓は」
朔は来た道を振り返った。
「戻る」
「なんでだ」
「心当たりがある」
朔は一人で山を登った。
凱は「先に飯屋を探しとく」と言って、村のほうへ下りていく。
二つ目の尾根に、梓は立っていた。
あの日と同じ場所で、谷を見ている。
朔は少し離れたところで足を止めた。
梓は振り返らなかった。だが、来たことは分かっているはずだ。
朔はすぐには声をかけなかった。
言うべきことは、いくつか思いついた。そのどれも、言ったところで何も変わらないもののように思える。
慰めは、要らないだろう。
それでも、一つだけ言うことにした。
「梓」
「なに」
「あの手順な」
梓の背中は動かない。
「記録に残ってる。宵士なら、たいてい知ってる」
「知ってる」
「どこまで回ってるか、知ってるか」
梓が、少し首を動かした。
「東だけじゃない」
朔は尾根の向こうへ目をやった。
「去年、遠洲の南で妖怪退治屋に会った」
梓は黙っている。
「宵士じゃない。ただの退治屋だ。まだ若かった。二十代だろう」
朔は続けた。
「その男が、手順を知ってた。押さえて、焼く。そのままだった。誰から聞いたかと訊いたら、師匠から聞いたと言った。その師匠が誰から聞いたかは知らんそうだ」
「宵士の記録じゃないの」
「宵士の記録だ」
朔は頷いた。
「宵士の間で回ってるはずのものが、宵士でない男のところまで来てた。どこで漏れたのかは分からん」
風が吹いた。
尾根の草が傾ぐ。
「どこまで行ってるかは分からん」
朔はもう一度、繰り返した。
「名前は、どこにも付いてない」
梓の目は、それでも谷から離れない。
朔は、それ以上は言わなかった。
正しかったのかどうかは、朔にも分からない。分からないことを、分かったふりをして言うつもりはない。
ただ、事実を一つ置いた。
どれくらいそうしていたか、分からない。
斜面の下から、声がした。
「おーい!」
凱だった。
下の斜面を、手を振りながら登ってくる。
「なにやってんだ、こんなとこで!」
朔は手を上げた。
「飯屋が開いてたぞ! 麓の! 行くだろ!」
朔はその手を下ろさずに、頷いて見せた。
梓が、そこで振り返った。
目が赤いわけでも、泣いた跡があるわけでもない。ただ、いつもより少しだけ長く、朔のほうを見ていた。
それから、歩き出した。
「行くわ」
三人は尾根を下りた。
凱が飯屋の話をしている。何が美味かったか、量がどうだったか、値段がどうだったか。
梓が相槌を打っている。
朔は後ろを歩いた。
一度だけ振り返ると、尾根の上には誰もいなかった。
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