024 第八話 瑛沢(二) 檻と縄
四 収容跡
その場所は、坑道を三百歩ほど進んだ先にあった。
採掘跡だった。坑道が広がって、天井の高い空間になっている。差し渡し十間ほど。柱を残して掘り広げた、古い工法の跡だ。
律人が火を四つに増やした。
朔は立ち止まった。
人が住んでいた跡がある。
筵が十枚以上、敷いてあった。並べ方が整いすぎている。個人が勝手に敷いたのではなく、誰かが数えて配ったように見えた。
その脇に、桶がいくつか。空の甕。それから、藁を編んだ縄。
縄は柱に結ばれていた。
「……律人」
「見てる」
律人の声が固かった。
柱に結ばれた縄は、どれも同じ高さで、同じ長さだった。人の手首の太さに合わせて、輪が作ってある。
輪の内側が、擦り切れていた。
「人を繋いでた」
朔の声は低かった。
広場の反対側に、別のものがある。
檻だった。
木ではなく、鉄で組んである。三つ。一番大きいものは、人が立って入れる大きさがあった。
檻の底の床板に、深く抉れた爪の跡が何本も残っている。
朔はそこに指を当てた。
「妖怪だ」
「分かるのか」
「人間の爪はこうならん」
朔は立ち上がった。
「人を繋ぐ縄と、妖怪を入れる檻が、同じ場所に並んでる」
律人は檻の前に立ったまま、そこから動かなかった。
朔は広場の隅を調べた。
木箱がいくつか積んである。開けると、中は空だった。だが、藁と油紙と、割れた陶片が残っていた。
「律人。これを見てくれ」
律人が来て、しゃがんだ。
陶片を手に取り、油紙の折り目を確かめ、それから箱の隅に残った粉を指で拾う。
律人の表情が変わった。
「これは」
「分かるか」
律人は答えずに、粉を紙に移した。
「これは、封じ札を作る時に使う。妖怪の動きを止めるための下地だ。うちでも使う」
「陰陽連のものか」
「陰陽連が管理してる品目だ」
律人は紙を慎重に折りたたんだ。
「作れるのは限られてる。作った分は帳面に載る。出た分も載る」
「盗まれたか」
「……そうとは限らない」
律人は別の陶片を手に取った。
「こっちは違うな。これは封じじゃない。これは、瑛輝を集めるものだ」
「何のためにだ」
「妖怪から取り出した瑛輝を、一箇所に留めておくための器だ。素材を扱う時に使う」
律人は陶片を置いた。
「どちらも、陰陽連の領分だ。町の薬種屋には置いてない」
朔は広場を見回した。
筵。縄。檻。箱。
「ここで、何をしてた」
「分からない」
律人は首を振った。
「分からないけど、素人じゃない。器の使い分けができてる。妖怪を生かしたまま運んで、瑛輝を扱ってる」
「人間はどうした」
律人の目が、朔に向いた。
「人間を繋いでおく理由はなんだ」
律人は答えられなかった。
朔は広場の奥へ歩いた。
そこに、車輪の跡がある。
坑道を通れる幅の、小さな荷車だ。轍が坑道の奥へ続いている。
朔は轍を追った。
坑道は五十歩ほどで、別の口に出る。谷の反対側へ抜ける裏口だった。木枠が新しい。二十年前のものではない。
外に出ると、細い道がついていた。
道は、西へ向かっていた。
「西だ」
朔は道の先を指した。
「荷は西へ出てる」
律人も道の先へ目をやった。
「ここから西というと」
「境州じゃない。その手前だ」
山を越えて街道に出れば、その先は浪都へ繋がっている。
「律人。これは何だと思う」
「……禁制品の密造だろう」
律人は言葉を選ぶように続けた。
「陰陽連の品目を持ち出して、どこかで妖怪を捕らえて、ここで加工してた。人を繋いでたのは、作業をさせるためか、逃げられないようにするためか」
「作業をさせるのに、縄で繋ぐか」
「逃げられたら困るからだろう」
「無宿人が逃げて、どこへ行く」
朔は空を仰いだ。
夕暮れが始まっている。
朔の頭の中には、律人の知らないものが三つあった。
一つ。潮見街道の松林で斬った浪人が服んでいた妖血丹。妖怪の血から作る禁制品で、あれを流していたのは、鑑札のない商人だった。
二つ。潮洲の集落で捕らえた男。あれも鑑札のない妖物商で、妖怪の素材を集めて、湊で誰かに渡していたという。舟は東から来て、東へ帰ると言っていた。そして妖血丹を二度流したと言った。
三つ。ここ。
妖怪を捕らえて、陰陽連の品目で加工して、西へ運び出す。
三つが同じものかどうかは、分からない。
妖物商の裏の筋など、いくつあってもおかしくない。世の中には鑑札を持たない商人が山ほどいて、その全部が繋がっているわけではない。
だが、三つとも、西の同じあたりを指しているように思えた。
言ったところで、証拠はない。
五 交戦
戻る途中だった。
落盤の手前まで来たところで、朔が足を止めた。
「律人。火を消せ」
「え」
「消せ」
律人が四つの火を消した。
坑道が完全な闇になった。律人が息を詰める音がする。
朔には見えていた。
坑道の先、四十歩ほどのところに、何かが立っている。
立っている、というのは正しくないかもしれなかった。
人の形をしていた。
背丈は五尺半ほど。二本足で、二本腕。だが、肩から先が異様に長い。指が、掌より長い。
皮膚が、灰色だった。
そして、腹だけが膨れていた。
「……何だ」
律人が小声で訊いた。見えていないはずだった。
「人の形をしてる」
朔は目を逸らさずに答えた。
「だが、人じゃない」
朔は目を閉じた。
瑛輝が濃い。異常に濃い。だが、その濃さの中に、芯が二つあった。
一つは、この坑道全体に溜まっている澱み。
もう一つは、その形の内側にあった。
外から入ったものが、内側で膨れている。
火車とは違う。火車は場所が形を得たものだった。これは逆だ。何かがあって、そこに外から瑛輝が詰め込まれている。
「律人。下がってろ」
「何が見える」
「後で言う」
朔は鯉口を切った。
それが動く。
速かった。
四十歩を、七つ数えるより早く詰めてきた。走り方が人ではない。腕を地面につけて、四つ足で走っている。
朔は横に避けようとしたが、坑道が狭かった。
避けきれず、肩で受けた。
壁に叩きつけられる。土が落ちた。
朔は刀を横に振った。刃が腕に当たる。
斬れた。斬れたが、浅い。
骨が硬い。人間の骨ではなかった。
「朔!」
律人が札を出した。火が灯り、坑道が照らされる。
律人の動きが、止まった。
照らされたものを見て、止まった。
それには、着物の名残がある。
肩から胸にかけて、布が張り付いていた。皮膚と一体になっている。麻の織り目が、まだ見て取れた。
そして、顔があった。
目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。配置は人間だった。ただし目は白く濁っていて、口は耳の下まで裂けている。
それは、律人のほうを見た。
見て、口を開けた。
声が出る。
言葉ではなかった。喉を鳴らす音と、息の音が混ざったもの。だが、抑揚があった。何かを言おうとしているような抑揚だった。
「……人だ」
律人の唇が震えた。
「人だったんだ」
「今は違う」
朔は間合いを詰めた。
それが振り向いた。長い腕が振られる。朔は屈んでかわし、脇腹に一撃入れた。
肉の感触がない。
硬い。何かが詰まっている。
それは二歩下がって、また身構えた。四つ足になり、腕を地面につける。
その時だった。
それが、右手を上げた。
上げて、自分の顔のあたりを触る。
顔を触って、それから手を見た。
手を見て、また顔を触った。
朔は動きを止めない。
だが、後ろで律人が息を呑む音がした。
「待て」
律人の声が、坑道に響いた。
「待ってくれ、朔」
それはまだ、自分の顔に手を当てている。
「今の、今の動きは」
律人の声が震えていた。
「自分の顔を確かめてた。変わったことに、気づいて――」
「律人」
朔は前を向いたまま言った。
「そいつは十四人食ってる」
それは、また四つ足になった。顔を触った手を、地面に戻している。
もう触らなかった。
朔は踏み込んだ。
狭い坑道では、跳べない。足場も作れない。使えるのは、一尺だけだった。
振られた腕を、掌で受けた。受けて、そのまま一尺の内側で圧す。
腕が曲がった。関節ではないところで曲がった。
それが声を上げる。今度は抑揚がなかった。ただの音だった。
朔は踏み込んで、首を狙う。
躱された。
狭いところでの動きが、こちらより上手い。長い腕を壁と天井に突っ張って、体を宙に浮かせる。そこから落ちてくる。
朔は横へ転がった。転がった先の壁に、腕が突き刺さる。
抜けなくなった。
その一瞬だった。
朔は立ち上がりながら、刀を下から上へ振り上げる。
腕が肩から落ちた。
それが暴れた。壁にぶつかり、天井にぶつかる。土と小石が降ってきた。
「まずいな」
朔は上を見た。
この坑道は二十年放置されている。木枠は腐っている。落盤の跡がすぐそこにある。
もう一度暴れられたら、天井が来る。
朔は距離を詰めた。
それが残った腕を振った。朔はその腕を掴んだ。掴んで、一尺の内側で引いた。
引かれて、それが前のめりになった。
朔は刀を横に薙いだ。
首が落ちた。
体が二歩進んで、崩れる。
坑道が静かになった。
朔は息を整えてから、落ちた首を見下ろした。
白濁した目は、もう何も映していない。
「律人」
返事がない。
振り返ると、律人は壁に手をついて立っていた。火の札が三枚、その周りを漂っている。
「……朔」
「なんだ」
「あれは、何だったんだ」
「人だ」
朔は刀を下ろした。
「元はな」
律人の目は、崩れた体から離れなかった。
「誰かが、そうした」
「そうだろうな」
「誰が」
「分からん」
朔は刀を拭った。
「だが、あの広場でやってたことと、これは繋がってる」
律人は膝をついた。
吐きはしない。ただ、長いこと、そこから動けなかった。
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