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宵士  作者: 酒蔵ツクル


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022 第七話 牛鬼(二) 海から伸びる脚

三 湊(みなと)町


 沖津屋は、湊町で一番大きな店だった。

 二階建ての土蔵が三つ並んでいて、その前に船着場がある。だが、船が動いていない。

 繋いだままの船が七艘。人が乗っていなかった。


「三艘やられてから、誰も出したがりません」


 沖津屋の主人は、五十がらみの痩せた男だった。目の下にくまがある。


「荷は蔵に溜まる一方でございます。買い付けた品は腐りますし、届けると約束した先からは催促が参ります」

「三艘とも、同じやつか」

「はい。夜でございます。三艘とも、沖に出て半日ほどのところで」

「生き残りは」

「一艘目は全員。二艘目は半分。三艘目は――」


 主人は言葉を切った。


「三人だけでございます」

「増えてるな」


 朔(さく)が言うと、主人は力なく頷いた。


「慣れてきているのだと、水主(かこ)どもは申します」


 凱(がい)が口を挟んだ。


「見たやつはいるのか」

「おります。こちらへ」


 通されたのは、蔵の裏の小屋だった。

 男が一人、寝ていた。二十前後の若い男で、片腕が肩から先、晒(さらし)で固めてある。


「三艘目で助かった者でございます」


 男は朔たちを見て、体を起こそうとした。凱が手で制した。


「寝てろ」

「……はい」

「何を見た」


 男は唇を湿らせてから、口を開いた。


「牛でした」

「牛」

「頭が牛で、体が……なんと申しましょうか、蜘蛛のような」


 男の目が泳いだ。


「足が何本もございました。長うて、細うて、節があって。それが、船縁を掴んで」

「大きさは」

「船より、大きゅうございました」


 朔は聞きながら、頭の中で形を組み立てた。

 牛の頭。多節の脚。船より大きい。


「水から出てくるのか」

「はい。音もなく」

「船を沈めるのか」

「いえ」


 男は首を振った。


「沈めません。人だけを」


 凱の眉が動いた。


「人だけ?」

「はい。船縁から掴んで、そのまま水へ。船は残ります」

「じゃあ、船は戻ってきたのか」

「三艘とも戻りました。三艘目は、残ったわたしどもで漕いで戻しました」


 朔は小屋を出た。

 凱が後からついてきた。


「どう思う」

「船を沈める必要がないんだろうな」


 朔は湊のほうへ目をやった。


「人を獲るのが目的だ。船を壊すと、次の獲物が来なくなる」

「賢いな」

「賢い」


 繋いだままの船が並んでいる。誰も出さない。それは牛鬼(うしおに)にとっても困ることのはずだった。


「凱」

「なんだ」

「ここらで牛鬼が出たって話、前からあったか」

「知らねえ。なんで」

「調べる」


 朔は主人のところへ戻った。


「この湊で、前に妖怪の被害が出たのはいつだ」


 主人は首をひねった。


「妖怪でございますか。……さて、私が店を継いでからは、ございません」

「何年になる」

「二十二年でございます」

「その前は」

「先代からも、そういう話は聞いておりません」


 朔は湊町を歩く。

 漁師の番小屋で年寄りに訊き、神社の禰宜に訊き、船宿の主人に訊いた。

 答えは同じだった。

 この海沿いに、大きな妖怪が出たことはない。少なくとも、生きている者が覚えている限りは。

 小さいものはいる。どこにでもいる。だが、船を襲って人を獲るようなものは、一度もいなかった。


 初めて出たのが、ひと月半前。

 朔は湊の突堤に立った。

 日が傾いている。海は穏やかで、沖のほうが少し暗い。

 ひと月半前。

 櫛名(くしな)を討ったのが、二月前だった。

 朔は自分の指を折る。


 櫛名は境州(きょうしゅう)の西端にいた。七体の一角として、あの一帯を押さえていた。西の妖怪たちは、櫛名に食われるのが怖いから、縄張りの中で息を潜めていたのだ。

 梓(あずさ)とも話したことだ。櫛名がいなくなれば、小さいのが出てくる。

 梓はそう言い、幕府はまた依頼を出すだろう、と朔は答えた。


 だが、出てくる先を、東だとは考えていなかった。

 境州から東へ出るには、陸を通るしかない。そう思っていた。陸には関所がある。幕府の兵がいる。宵士(よいし)も回っている。

 海があった。

 海には関所がない。

 朔は突堤の端まで歩いた。


 牛鬼は、櫛名の配下だったのだろう。あるいは、櫛名を恐れて西に留まっていたものだ。押さえが消えて、動けるようになった。西には他の二体がいる。東は結界と幕府がある。だから、海を回った。

 ひと月半前。

 時期が合いすぎている。


「おーい」


 凱の声がした。

 振り返ると、凱が船着場のほうから手を振っている。


「船、出してくれるってよ! 明日の朝!」


 朔は手を上げて答えた。

 もう一度、海に向き直る。



四 討伐


 船は、漁師が出してくれた。

 二十石ほどの小さな船で、漕ぎ手は主人一人。牛鬼が出た沖まで運んで、そこで降ろす。帰りはこちらから合図をする。そういう約束だった。


「言っときますが」


 漕ぎ手が櫓(ろ)を握ったまま振り返った。


「出てきたら、あたしゃ逃げますよ」

「逃げろ」


 朔は答えた。


「合図しても戻ってこんでいい。誰かに言って、明るくなってから来させてくれ」

「……そんなんでいいんですか」

「死人が増えても仕方ない」


 凱が船縁に腰かけて、足をぶらぶらさせていた。


「なあ朔」

「なんだ」

「海の上でどうやって戦うんだ」

「今から言う」


 朔は立ち上がった。


「お前の術は、どのくらい持つ」

「全力なら六発。手加減すれば十二、三」

「全力だと何分だ」

「分からん。数えたことねえ」

「数えろ」


 朔は凱に向き直った。


「今日は全力でいけ。手加減する余裕はない」

「おう」

「牛鬼は水に逃げる。逃げられたら追えん。だから、最初の一発で水から引きずり出して、水に戻す前に終わらせる」

「引きずり出すのか」

「お前が撃って、浮かせる。俺が押さえる」

「押さえるってお前、あんなでかいの」

「押さえるんじゃない」


 朔は海に目を落とした。


「足場を作る」

「足場?」

「水の上は、しぶきが舞ってる」


 朔は掌を開いた。


「俺は空気を圧して足場にする。空気だけを圧すより、水の粒ごと圧したほうが重い。重いほうが、固い足場になる」


 凱がぽかんとした顔をした。


「よく分からん」

「分からんでいい。俺が跳べるってことだ」

「それは分かった」


 凱は立ち上がった。


「じゃあ、俺が撃つ。それでいいな」

「そうだ」

「よし」


 凱は両手を振って、肩を回した。

 日が沈んだ。

 漕ぎ手が櫓を止めた。


「このあたりでございます」


 船は止まった。

 波は緩やかだった。月が出ていて、海面が鈍く光っている。

 一刻待った。

 何も起きない。

 二刻目に入ったところで、朔が言った。


「来た」

「え?」


 凱が周りを見回した。


「どこだ」

「下だ」


 朔は目を閉じていた。

 瑛輝(えいてる)が、真下から上がってくる。濃い。櫛名ほどではないが、十分に濃い。


「漕ぎ手、伏せろ」


 朔の声と同時に、海が割れた。

 船の右舷から、黒いものが持ち上がる。

 脚だった。

 節のある、長い脚。三間はある。それが二本、三本と上がってくる。船縁を掴み、船体が大きく傾いだ。

 そして、水面から頭が出た。

 牛だった。

 角がある。目が赤い。鼻から湯気のような息が漏れている。


 だが、首から下は牛ではなかった。丸い胴があって、そこから脚が八本生えている。脚は節ごとに角度を変えて、蜘蛛のように動いた。

 船より大きい。男の言った通りだった。


「うわ、でけえ」


 言いながら、凱はもう構えていた。

 凱の右手が、光った。

 光ったというより、空気が歪んだ。凱の周りの空気が渦を巻いて、掌のあたりに集まっていく。


「一発目、行くぞ!」


 凱が撃った。

 音が遅れて来る。

 空気の塊が、牛鬼の胴に叩き込まれた。海面が円形に凹み、水しぶきが柱になって上がる。牛鬼の体が、船から引き剥(は)がされて宙に浮いた。

 朔は跳んだ。

 足元の空気を圧して蹴る。破裂音。いつもより高く跳べた。しぶきを含んだ空気が、思った通りに重い。

 牛鬼の胴へ向かって跳ぶ。


 だが、牛鬼は落下しながら脚を振った。

 八本のうち三本が、朔の軌道を薙いだ。

 跳んだ後の軌道は変えられない。

 朔は刀を抜いて、脚の一本を斬った。斬った反動を使って体を逸らし、残り二本を紙一重でかわす。

 着地する場所がなかった。


 空中で、もう一度空気を圧す。足場ができる。海面から二間ほどの高さに、朔は立った。

 立てた。水の上のほうが、圧縮が効く。


「二発目!」


 凱が撃った。

 牛鬼が海面に落ちる寸前で、もう一度突き上げられた。

 水に戻れない。

 朔は足場を蹴って、牛鬼へ跳んだ。

 今度は胴ではなく、首を狙った。

 届く寸前で、脚が来る。

 朔は刃で受けた。衝撃で弾かれる。肋に響いた。息が詰まった。

 海面に落ちる。

 落ちる途中で足場を作り、そこで止まった。


「朔!」

「平気だ」


 朔は息を整えた。

 脚が硬い。斬れないことはないが、一本斬るのに一手かかる。八本ある。

 その間に、牛鬼は水に戻る。


「凱。あと何発だ」

「四発!」

「二発で沈めるな。浮かせ続けろ」

「浮かせ続けるって、そんな器用な」

「やれ」

「やるけどよ!」


 凱が続けて撃った。

 三発目。牛鬼が浮く。

 朔は跳んだ。脚を二本斬った。

 落ちる。足場を作る。

 四発目。牛鬼が浮く。

 朔は跳んだ。脚を二本斬った。

 残り三本。

 牛鬼が咆哮した。

 初めて声を出した。牛の鳴き声を低くして引き伸ばしたような音が、海の上に広がっていく。

 そして、牛鬼は船を狙った。


「凱、下がれ!」


 遅かった。

 脚の一本が、船の舳先(へさき)を叩き潰す。木が砕け、漕ぎ手が悲鳴を上げた。

 船が傾ぐ。

 凱が飛び退いて、船縁に掴まった。


「くそ、こっち来やがった!」


 朔は足場から跳んだ。

 船と牛鬼の間に入る。

 脚の二本目が来た。朔は受けずに、脇へ流した。流した先の空気を圧して、脚の勢いを斜めに逸らす。脚は船の横を掠(かす)めて海に突き刺さった。

 その一瞬で、朔は牛鬼の胴に取り付いた。

 一尺。

 だが、ここは胴だ。硬い。

 朔は胴を蹴って、上へ跳んだ。


 牛鬼の首が、すぐそこにあった。


「凱! 最後の一発、真上から!」

「真上!?」

「俺ごとやれ!」


 凱が一瞬止まった。

 止まって、それから笑った。


「おう!」


 凱が撃った。

 空気の塊が、真上から牛鬼と朔に向かって落ちてくる。

 朔は、それを受けた。

 背中で受けて、その圧を全部、下へ通した。

 牛鬼の首に取り付いたまま、朔は自分の体に加わった力を、そのまま夜蛭(よる)に乗せる。

 凱の一撃と、朔の重力と、落下の勢いが、一点に集まった。

 夜蛭が、牛鬼の首に入った。


 骨を断つ音。

 牛鬼の頭が、胴から離れた。

 巨体が海面に落ちた。水柱が上がり、船が大きく揺れる。

 朔は落ちた。

 落ちながら足場を作ろうとして、失敗した。瑛輝が足りていない。

 海に落ちた。

 冷たい。


 水の中で、朔は目を開けた。牛鬼の体が沈んでいく。首から上がない。八本の脚が、まだ痙攣するように動いている。

 朔は水面へ向かった。

 顔を出すと、凱が船から手を伸ばしていた。


「生きてるか」

「生きてる」


 朔は手を掴み、凱がそれを引き上げた。

 船の舳先は砕けている。漕ぎ手は震えていたが、無事だった。

 凱が甲板に座り込んだ。


「あー、疲れた」

「六発撃ったな」

「五発だ。最後のは半分しか出てねえ」

「そうか」


 朔も座り込んだ。肋が痛む。

 月が出ていて、海は元通り静かだった。


「なあ」


 凱が首だけをこちらへ向けた。


「俺ごとやれってお前、正気か」

「正気だ」

「当たってたら死んでたぞ」

「当たった」

「当たってたなら死んでるだろ」

「受けた」


 朔は自分の背中を親指で示した。


「受けて、下に通した。あれくらいなら通せる」


 凱は呆(あき)れた顔で、朔をまじまじと見た。


「お前、たまにおかしいこと言うよな」

「お前ほどじゃない」

「俺は普通だ」


 凱は仰向けに寝転がった。


「星、多いな」



五 遺すもの


 湊に戻ったのは、夜明け前だった。

 沖津屋の主人は、報せを聞いて土間に膝をつき、八十両をその場で出した。

 朔と凱は、湊町の飯屋で朝飯を食う。凱は三杯おかわりした。


「これで四十両ずつだな」

「船が壊れた」

「あー、そうだな」


 凱は箸を止めた。


「いくらだ」

「聞いた。舳先だけだから、五両で直るそうだ」

「じゃあ、そこから出そうぜ」

「そうしよう」


 朔は茶を飲んだ。

 湯呑みを手の中で回す。


「凱」

「なんだ」

「あの牛鬼な」

「ああ」

「ひと月半前に、初めてここに出た」

「そうらしいな」

「それまで、この海沿いに大きい妖怪は出たことがない」


 凱は飯をかき込みながら聞いていた。


「俺が櫛名を討ったのが、二月前だ」


 凱の箸が止まった。

 止まって、また動きだす。


「ふうん」

「櫛名は境州の西端を押さえてた。配下がいた。恐れて縮こまってたのもいる」


 朔は湯呑みを置いた。


「押さえがなくなって、散った。その一部が東へ流れた。海を回ってきたんだろう」

「なるほどな」

「俺のせいだ」


 口に出してから、その言葉が自分でも意外なほど重く響いた。

 凱は茶碗を置いた。

 そして、口を開く。


「仕事が増えることは良いことだな」


 朔は凱の顔を見た。


「は?」

「いや、だってよ」


 凱は当たり前のような顔をしていた。


「大蛇が押さえてたやつが散ったんだろ。散ったら、そのへんで暴れるよな。暴れたら、誰かが困るよな。困ったら、誰かが片づけなきゃならんだろ」

「……そうだな」

「そういう時の為に、俺達みてぇのがいるんだろ」


 凱はそう言って、また飯を食い始めた。

 朔は何も言えなかった。


「つうかよ」


 凱は口の中のものを飲み込んでから、箸の先を朔に向けた。


「お前、大蛇を討たなきゃよかったって思ってるのか」

「そうは言ってない」

「じゃあいいじゃねえか」

「よくない」

「よくあるだろ」


 凱は茶碗を置いた。


「大蛇がそのまんまだったら、境州の連中は今も押さえられてる。押さえられてるってことは、いつか一斉に来るってことだ。まとめて来られるより、ばらけて来るほうがマシだろ」

「そうとは限らん」

「限らんけどよ」


 凱は肩をすくめた。


「分かんねえことを考えても分かんねえよ」


 朔は茶を飲んだ。

 考えても分からないことを、この男は本当に考えない。

 それは鈍いということなのだろうと、長いこと思っていた。

 今は、そうとも限らないと思っている。


「凱」

「なんだ」

「一つ、言っておくことがある」

「なんだよ、改まって」


 朔は湯呑みを置いた。


「俺はここ何年か、依頼のない日に鍛錬をしてる」

「へえ」

「術の高出力を、一日に何回使えるかを増やす訓練だ」


 凱は箸を持ったまま、朔に目を向けた。


「一日一回が限界だった。今は、うまくいけば二回使える」

「そりゃすげえな」

「あれは、お前を見て思いついた」


 凱の動きが止まった。


「俺?」

「お前は全力の神通力を六発撃って平然としてる。普通の宵士なら二、三発で動けなくなる」


 朔は言葉を継いだ。


「燃費は悪い。長期戦は不利だ。それは変わってない。だが、回数は増やせるってことを、お前が証明してる」

「……いや、俺は別に」

「お前が何もしてないのは知ってる」


 朔は首を振った。


「ただ、そこにいただけだ。俺が勝手に見て、勝手に考えた」


 凱は箸を置いた。

 何か考えるような顔で、空になった茶碗の底を見ている。

 ぽつりと言った。


「そうか」


 朔は待った。

 凱は茶を飲んで、湯呑みを置いて、それから口を開く。


「そういや、次の話なんだけどよ」

「もう次か」

「北のほうで、蔵ばっかり狙うやつが出てるんだと。あれ、面白そうじゃねえか?」


 凱はもう、別の話をしていた。

 朔は湯呑みを持ったまま、この男を見ていた。

 師を持たなかった男だ。

 誰にも教わらず、誰にも拾われず、我流で三十年あまりやってきた。

 その男が、何も教えていないのに、一つ渡していた。

 渡したことを、本人は知らない。今言われても、意味が分からなかったらしい。


 朔は、桃(とう)から受け取った。

 そして、この男からも受け取っていた。


「聞いてるか?」

「聞いてる」

「行くか?」

「傷が治ったらな」

「治るだろ、そのうち」

「そのうちだ」


 凱が笑った。

 朔の口元も、少し緩んだ。

 飯屋の外は、もう明るくなっていた。

第七話「牛鬼」はここまでです。☆評価をいただけると、今後の励みになります。

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