020 第六話 大蛇討伐(三) 聞いていたのと、違う
六 違う
櫛名は、まだ死んでいなかった。
首の傷から血が流れ続けている。六本の腕が力なく地面を掻いている。
朔は立ち上がろうとして、二度失敗した。三度目で立った。
ゆっくりと近づく。
櫛名の目が朔を捉えた。
「……聞いていたのと、違う」
声が掠れていた。
「神通力を使う者と、聞いていた……離れたまま、撃ってくる者だと」
朔は足を止めた。
「誰から聞いた」
櫛名の目が、わずかに動いた。
朔を見ていない。もっと遠くを見ていた。
「……あれは」
そこで止まった。
口の端から血が垂れ、目の焦点が合わなくなっていく。
「誰から聞いた」
朔はもう一度訊いた。
櫛名が答えられなかったのか、答える気がなかったのか、朔には分からない。
朔は間合いを詰めて、とどめを刺した。
巨体が、完全に動かなくなった。
風が吹いて、鱗の擦れる音がする。ほかに、動くものはない。
梓が近づいてきて、朔の腕を取った。
「座って」
「いや」
「座って」
梓の声が強かったので、朔は座った。
梓は晒を出して、朔の脇腹に巻いた。手際がいい。
「折れてるわね」
「だろうな」
「三本くらい」
「よく分かるな」
「私、折ったことがあるから」
梓が晒を締めると、朔の息が詰まった。
「ねえ、朔」
「なんだ」
「あの蛇、何を言ってたの」
「まだ、分からん。分かったら話す」
梓は晒を結び終えて、手を離した。
七 助力
浪都に戻ったのは、五日後だった。
城の広間で、鷺宮は討伐の報せを聞いて、満足そうに頷いた。
「見事です。さすがですね」
朔は座ったまま、少し間を置いた。
脇腹はまだ晒で固めてある。座るのも一苦労だった。
「一つ、確かめたいことがある」
「なんでしょう」
「大蛇は、俺を神通力で距離を取って戦う術者だと思ってた」
鷺宮の表情は変わらない。
「ほう」
「本人がそう言った。神通力を使う者が来ると聞いていた、と」
「それは興味深い」
鷺宮は少し首を傾げた。
朔は鷺宮の顔から目を離さなかった。追及するつもりはない。ただ、事実だけを置いた。
「あんたが流したのか」
「私が、ですか」
鷺宮は笑った。困ったような、それでいて楽しそうな笑い方だった。
そして、あっさり答える。
「はい」
朔は動かなかった。
「宵士どのが接近戦を得手とされることは、ある筋から耳にしていました。ですが、それをそのまま伝えては、櫛名も警戒して距離を取ったでしょう。距離を取られれば、宵士どのの間合いは活きません」
「それで」
「逆の話を流させていただきました。宵士どのは神通力の使い手で、間合いを取ったまま撃ってくると」
鷺宮は両の掌を軽く合わせた。
「そうすれば、櫛名は距離を詰めて確実に仕留めようとする。近づけば、宵士どのの間合いです」
朔は、鷺宮の合わせた掌を見ていた。
「君が勝てるように、助力しただけです」
鷺宮は微笑んだ。
「結果、見事に討伐なさった。何か、問題がございましたか」
言っていることは、筋が通っていた。嘘ではない。むしろ、朔が勝つための計算だったと言われれば、そう見える。
実際、あの蛇は距離を詰めてきた。もし遠間を保たれていたら、朔は最初の半刻で死んでいた。
助けられたのだ。
だが。
「その筋というのは」
「申し訳ありません。それは明かせません」
鷺宮は頭を下げた。
「情報をくれる者がおりましてね。名を出せば、次から話してもらえなくなります」
「そうか」
「ご不快でしたら、お詫びいたします。事前にお伝えすべきでした」
鷺宮の声はどこまでも穏やかだった。
「ですが、宵士どのに不利益になるようなことは、決していたしません。今後もそうです」
朔は鷺宮を見た。
奇蓮が斜め後ろで動かずに立っている。
朔は、鷺宮に自分の戦い方を話したことがない。
弥左衛門にも、統斉にも話していない。宵士の戦い方は、同業のあいだでしか回らない。梓は知っている。桃も、凱も知っている。律人も、一度見ている。あとは、朔が討った妖怪が知っていた。だが、そちらはみな死んでいる。
情報をくれる者。
どこの誰が、朔の間合いを知っていて、それを浪都へ流したのか。
「分かった」
朔はそれだけ言って、頭を下げた。
広間を出る時、背中の違和感は、前の二回よりも強かった。
城門を出てから、朔は立ち止まって空を仰いだ。
助けられた。それは事実だ。
だから、何も言えなかった。
八 盟約
船は浪都の湊から一刻ほど沖に出た場所に錨を下ろした。
甲板に、金長が乗っていた。陸を出られる身だが、船に乗るのは慣れていないらしく、時折足元を確かめるようにしている。
「宵士どの。大蛇を討ったそうだな」
「なんとかな」
「その体でか」
「討ってからこうなった」
「順序が逆でなくてよかったな」
金長は腹を揺すって笑った。
水面が静かに盛り上がる。
乙姫が現れた。今度は水の上に、水そのものでできた足場を作って立っている。裾が濡れていない。
「お久しぶりです」
乙姫は金長に会釈し、それから朔を見た。
「まあ。お怪我を」
「大したことはない」
「茸は、お持ちになりましたか」
朔は言葉に詰まった。
「それは、これから幕府が」
「そうですか」
乙姫は素直に頷いた。残念そうな顔は、少しだけした。
「して、宵士どの。今日は幕府のお方は」
金長が甲板を見回した。
「来ていない。船だけ手配して、あとは任せると言ってる」
金長は少し眉を上げた。
「妙な話だ」
「そのほうが、話が濁らないと言っていた」
朔はそう答えた。
金長は顎を撫でていたが、やがて頷いた。
「まあ、それならそれでいい。ワシは、幕府の人間の顔色を窺いながら話すのは好かん」
「わたくしも、そのほうが気楽です」
乙姫が微笑んだ。
「では、始めましょうか」
朔は用意された書面を取り出した。相互不可侵。潮洲が境州から攻められた場合、幕府が支援する。ただし潮洲側に出兵の義務はない。
金長と乙姫は、それぞれ内容を確かめた。
「これで良い」
「わたくしも、異存ございません」
二人はそれぞれの印を押した。金長は爪で、乙姫は水を固めた印形のようなもので。
朔はそれを見届けた。
自分は、この条約の当事者ではない。ただ、二つの勢力が結ぶ約束を、間近で見ている立会人にすぎなかった。
誰もいない場所で結ばれた約束は、後で言った言わないになる。だから立会人が要る。それが、今の自分の役目だった。
「これで、櫛名の穴は埋まる」
金長が書面を畳んだ。
「境州は二体になった。次に何が起きるか、しばらくは分からんな」
「ええ」
乙姫が相槌を打った。
「鬼と妖狐が、どう動くか」
「動かんでいてくれると、こちらは助かるんだがな」
金長はそう言って、朔のほうを向いた。
「宵士どの。大儀であった」
「あんたたちの話がまとまっただけだ。俺は何もしてない」
「立ち会うのも仕事のうちだ」
金長は書面を懐にしまった。
「立ち会う者がおらねば、約束は約束にならん」
朔は頷いた。
船が引き返すあいだ、金長と乙姫は何やら話し込んでいた。茸の話に、金長が呆れた顔をしている。
朔は舷側にもたれて、海を眺めた。
前にこの海を渡った時、金長が最後に言ったことを思い出した。
境州の話が、浪都にはやけに早く届く。
今度は、浪都から境州へ、話が流れていた。
流れる筋があるということは、そういうことだった。
九 蔵都
蔵都の屋形で、弥左衛門が書面を受け取った。
「櫛名討伐、確かに」
「潮洲との盟約も、船上で結んだ」
「上様にお伝えいたします」
弥左衛門は深く頭を下げた。
「此度は、真に、大儀でございました」
それから、顔を上げて朔の脇腹を見た。
「……お体は」
「治る」
「医者を手配いたします」
「要らん」
「手配いたします」
弥左衛門は引かなかった。
朔は諦めて頷いた。
「弥左衛門」
「はい」
「一つ、報告から外したことがある」
弥左衛門の目が、わずかに動いた。
「浪都で、俺の言葉遣いを崩していいと言われた」
弥左衛門の膝の上で、書面の端が小さく鳴った。
「……左様でございますか」
「四日が無駄になった」
「無駄ではございません」
弥左衛門の声は静かだった。
「崩してよいと言われて崩すのと、初めから崩れているのとでは、話が違います」
「そういうものか」
「そういうものでございます」
朔の口元が少し緩んだ。
屋形を出ると、梓が門の外で待っていた。二人で少し歩いた。
「終わったわね」
朔は小さく顎を引いた。
梓は空を見上げた。
朔は前を向いたまま口を開く。
「妙な戦い方をする蛇だった」
朔は足を止めなかった。
「聞いていたのと違う、って言ってたわね。あれ、誰のことだったのかしら」
朔は答えなかった。
梓もそれ以上は訊かず、二人は並んで、黙って歩く。
朔は、鷺宮のことも、奇蓮のことも、金長の言葉も、まだ何も話していなかった。
話せば、梓は何か言うだろう。だが、何を言えばいいのか、朔自身にもまだ分かっていなかった。
証拠は何もない。あるのは、違和感が三つだけだった。
櫛名の間合いの取り方。あの言葉。そして、潮洲の浜で聞いた、話が早く届きすぎるという指摘。
どれも、単体では何も意味しない。
そして、どれも鷺宮の説明で片がついてしまう。戦い方を流したのは、朔を勝たせるためだった。話が早く届くのは、商いの筋が太いからだ。
全部、筋が通る。
筋が通ることが、なぜこれほど気持ち悪いのか、朔には説明できなかった。
朔は空を見上げる。
同じ空の下を、梓も見ていた。
二人のあいだに、何か言えないものが、静かに横たわっていた。
第六話「大蛇討伐」、完結です。
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