018 第六話 大蛇討伐(一) 七体の一角
一 報告
浪都の城に戻ると、待たされなかった。
通されたのは、前と同じ大広間だった。上段に鷺宮がいて、その斜め後ろに奇蓮が立っている。
今度は、身構える暇があった。
背中がおかしくなるのは分かっている。分かっていれば、耐えられる。朔は敷居の前で名乗り、進んで座り、額を近づけた。つけなかった。
「潮洲の首尾はいかがでしたか」
「両名とも、条件つきにて、承諾をいただいてございます」
朔は懐から紙を出した。乙姫の要求と、金長の言い分を、簡潔に書いてある。
「乙姫どのにおかれましては、幕府よりの茸の献上と引き換えに、助力を賜れると」
「茸」
鷺宮が片眉を上げた。
「はい。その、茸にございます」
「……それだけで」
「それだけにございます」
鷺宮は一拍置いて、吹き出すように笑った。
「変わったお方だ」
「金長どのにおかれましては、盟約の場への立ち会いを条件とされまして、またその際に船を要すると申されましたのは、これは乙姫どのが水の上でなければ動けぬゆえでございまして、金長どのご自身は陸に出られますものの、乙姫どのが出られぬ以上は船上にて会う以外に手がなく、ゆえに――」
「宵士どの」
鷺宮が手を挙げた。
朔は口を閉じた。
「その喋り方、お辛くありませんか」
「……正直に申し上げますと、舌が攣りそうでございます」
「四日ほどで仕込まれたのでしょう。蔵都のどなたかに」
鷺宮は笑った。
「途中から息継ぎの場所を探しておられましたよ」
「……分かるのか」
「分かります」
鷺宮は扇の先で、自分の喉元を軽く叩いた。
「よろしければ、崩してくださって結構です。私はそういうものを気にしませんので」
「いいのか」
「ええ。そのほうが話が早い」
鷺宮は手を下ろした。
「うちは、そういう城です」
朔は少し間を置いてから、肩の力を抜いた。
喉のあたりが楽になる。四日かけて叩き込まれたものを、四半刻で下ろされた格好だった。弥左衛門には言えないな、と思った。
「助かる」
「どういたしまして」
「乙姫は水の上でなければ動けん。金長は陸から出られる。だから船の上で会うしかない」
「なるほど。よく分かりました」
鷺宮は頷いた。
「船は手配しましょう。浪都の湊から一刻ほど沖に出れば、潮洲との中ほどになります。どちらにも角が立たない」
「手回しがいいな」
「船問屋には貸しがありますので」
鷺宮は文机の紙を片づけた。
「あんたも来るのか」
「いえ」
鷺宮はあっさり首を振った。
「私が立ち会えば、幕府と潮洲の話になってしまいます。今回は、あくまで宵士どのが取り持つ話ということにしておきたいのです。そのほうが、潮洲も気安いでしょう」
「たしかにな」
「船だけ出させていただきます」
「それでいいのか。あんたの手柄にならん」
「手柄は、後から誰かが勝手に数えるものです」
鷺宮は微笑んだ。
「それで、境州のほうは。ご準備は」
「明日発つ」
「お一人で」
「そのつもりだ」
「櫛名は厄介な相手です」
鷺宮の声がわずかに低くなった。
「くれぐれもお気をつけて」
「ああ」
朔は頭を下げて、下がった。
敷居を越える時、奇蓮のほうは見なかった。
城を出てから掌を開くと、汗で濡れている。
言葉を崩していいと言われたことと、背中の冷えは、別のところにあった。
二 酒屋
その晩、宿に戻ると、表に人が立っていた。
朔は足を止めた。
「梓」
「おかえりなさい」
「北にいたんじゃなかったのか」
「片づいたの。それで、南に下りてきた」
梓は当たり前のように言った。
「浪都にいるとは思わんかった」
「宿を三軒当たったわ。あなた、いつも安いところに泊まるから、三軒目で見つかった」
「探したのか」
「探したわよ」
梓は矢筒を担ぎ直した。
「今日は私が誘う番よ」
「番があるのか」
「今日決めた」
梓はそう言って、先に歩き出した。
連れて行かれたのは、宿の裏手にある小さな店だった。卓が四つしかなく、他に客はいない。梓は勝手を知った様子で奥の卓に座った。
「よく来る店なのか」
「浪都に来る時はいつも」
梓は酒と焼いた魚を頼んだ。
「北のほうはどうだった」
朔が訊くと、梓は指を折って数えた。
「熊の形をしたものは片づけた。それから、雪崩に巻き込まれた村を一つ手伝った」
「妖怪の仕事じゃないな」
「頼まれたら断らないわ」
魚が来ると、梓は骨を丁寧に外しながら食べた。
「あなたのほうは。潮洲、どうだった」
「面白いところだった」
「面白い?」
「海の底に町があった」
梓が箸を止めた。
「海の底に」
「歩いても歩いても進まん。案内役が、八百年以上生きてる老いた亀でな。遅すぎて担いで運んだ」
「担いだの、亀を」
「重かった」
梓は箸を宙に浮かせたまま、朔の顔を眺めた。
「あなたの話、いつも本当か嘘か分からないところがあるわ」
「担いだのは事実だ」
「そう」
梓は疑っていない顔で頷いた。表情はほとんど動いていない。
あとは、たわいのない話が続いた。金長が化かす側の頭だという話。集落の話は伏せた。乙姫が茸のことになると早口になる話。梓は相槌を打ちながら聞いていて、驚く時だけ、はっきりと驚いた。
酒が二本目に入った頃、梓が箸を置いた。
「ねえ」
「なんだ」
「今回の依頼、幕府から?」
「そうだ」
「境州の、大蛇」
「櫛名という」
梓は頷き、少し間を置いた。
「どうして、最初から話さなかったの」
梓は続けた。
「藤瀬で会った時、あなたはもう境州の話を知ってたはずよ。潮洲にも行くつもりだったんでしょう」
「話した」
「討伐に行くことだけよ。手伝ってほしいとは、一言も」
朔は猪口を持ったまま、その縁を親指でなぞった。
「言わなかった」
「なぜ」
「巻き込みたくなかった」
梓の眉が、わずかに動いた。
「巻き込む?」
「大妖怪の一角だ。危ない。俺の都合で連れて行くもんじゃない」
梓は朔から目を逸らさないまま、はっきりと言った。
「話してくれれば、行くか行かないかは自分で決めるわ」
「……そうだな」
「助けが欲しいなら、素直に言って」
梓は猪口を卓に置いた。
「友達でしょう」
朔は手元の猪口に目を落として、笑った。自分でも少し驚くくらい、素直に笑いが出た。
「そうだな」
「なによ、笑って」
「いや」
朔は猪口を置いた。
「お前は頼めば断らんと分かってた。分かってたから、逆に言い出せんかった。都合よく使うみたいでな」
「都合よく使えばいいのに」
「それはそれで気を遣うんだ」
「よく分からない理屈ね」
梓はそう言ったが、怒った顔ではなかった。
「もう分かった。ちゃんと言う」
朔は姿勢を正した。
「梓。境州西端の櫛名を討ちに行く。手を貸してくれ」
「いいわ」
梓はあっさり頷いた。
「明日でしょう。何刻に出る?」
「夜明けだ」
朔は猪口を置いて、息を吐いた。
「しかし、梓に気を遣わされるとはな」
「どういう意味」
「いや。逆だろうと思ってた」
梓が箸を置いて、朔に向き直った。
「言っておくけれど」
「なんだ」
「私はこれでも、あなたより年上のお姉さんなのよ」
朔は梓の顔を見た。二十歳そこそこにしか見えない顔だった。
「……そうだったな」
「忘れていたでしょう」
「忘れてた」
「ひどいわ」
朔は喉の奥で笑った。
「亀の甲より年の功か」
「亀は今、関係ないわ」
「関係ある。海の底で八百年生きてるのを担いできた」
「それはあなたの話でしょう」
梓は真顔で言った。
「私は担がれていないもの」
朔はもう一度笑った。
「じゃあ、もう寝るわ」
梓は残った酒を飲み干して、席を立った。
朔は少しの間、一人で店に残る。
奇蓮のことは話さなかった。金長が最後に言ったことも話さなかった。話せば、梓は何か言うだろう。何を言うかは、朔にも分からない。
まだ、何も言えるほどのものではなかった。
三 境州へ
境州の境は、目に見えて分かった。
道が、途中でなくなる。潮見街道から西へ折れる道は、しばらくは轍が残っているが、やがて草に覆われる。最後に人が通ったのがいつか、見当もつかない。
田は荒れて畦の形だけが残り、稲の代わりに丈の高い草が生えている。橋が落ちたままの川がいくつもあった。
「幕府の絵図には、この先も村があることになってる」
朔が言うと、梓が周りを見回した。
「今はないわね」
朔は草に埋もれた畦の形を目で追った。
空き家が点在している。屋根が抜け、柱だけが残っている家もあった。
二日目の昼に、朔は道端で足を止めた。
草の中に、荷車の車輪が半分埋まっている。轅が折れている。折れ方が新しくない。十年か、二十年か。
その脇に、小さな石が積んであった。
三つ。誰かが積んだものだった。
「塚ね」
梓がぽつりと言った。
「誰かが誰かを弔った。それだけ分かる」
朔はしゃがんで、石の間に生えた草に目を寄せた。根がしっかり張っている。長いこと、誰も手を入れていない。
「幕府の絵図には、これは載ってない」
「載せようがないでしょう」
「そうだな」
朔は立ち上がった。
境州は、幕府が最も情報を集めている土地のはずだった。斥候も出しているし、逃げてきた者からの聞き取りもある。それでも、絵図と実物の差は大きかった。
絵図には、村があった場所しか書いていない。今そこに何もないことも、道端に石が三つ積んであることも、行ってみるまで分からない。
その晩、二人は焚き火を挟んで座った。
「妖怪に出くわさないわね」
梓が辺りの闇に目をやった。
「いないわけじゃないでしょう」
「いる」
朔は火を見ながら答えた。
「濃い」
「濃い?」
「瑛輝がな。深沢の谷より濃い」
朔は周りの闇に視線を巡らせた。
「出てこないのは、腹が減ってないからだ」
「食べるものがあるってこと?」
「そうじゃない」
朔は枝を火にくべた。
「ここは櫛名の縄張りだ。縄張りの中で勝手に暴れれば、櫛名に食われる。だから小さいのは息を潜めてる」
「じゃあ、櫛名がいなくなったら」
「出てくるだろうな」
梓が朔に目を向けた。
「それ、幕府に言った?」
「言ってある」
「なんて?」
「その時は、また依頼を出すと」
焚き火が爆ぜる。
「私、今、少し嫌な気持ちになったわ」
「そうか」
「あなたは?」
「慣れた」
朔は火を見たままそう言った。
三日目に、谷へ入った。
山間の細い道を登っていくと、瑛輝がさらに濃くなっていく。朔は途中で一度足を止め、目を閉じて方角を確かめた。
「近い」
梓が弓を下ろして弦を確かめた。
「櫛名の巣は、この先の廃村だと聞いてる」
「聞いてる、というのは」
「弥左衛門さんから預かった書付に、そうあったわ。幕府の斥候が、生き残った村人から聞いたって」
梓は矢筒の中を確かめた。矢は二十四本ある。
「間違ってないといいけど」
「間違ってたら、帰りに斥候に一杯奢らせる」
梓は少しも表情を変えずに頷いた。
間違っている可能性は、常にあった。
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