012 第四話 浪都へ(一) 松林の浪人
一 路銀
前払いは五十両出た。
多いほうだった。櫛名討伐の支度金と、潮洲までの渡航費と、浪都までの路銀を合わせた額だという。弥左衛門は書付を三枚読み上げてから、それを渡した。
三日で減った。
朔は蔵都の妖物商の店先で、勘定を眺めている。
瑛丹が四粒で十八両。これが一番高い。瑛輝を使い切った後に体を戻すための薬で、宵士以外には何の役にも立たない。だから買い手が少なく、作り手も少なく、値が下がらない。
あとは細々としたものだ。結界札が二十枚。幻香。油紙。替えの草履が二足。晒。手拭い。塩。
夜蛭の手入れは要らない。刃だけは金がかからなかった。
「もう少し安いのは置いてないのか」
「瑛丹でございますか」
店主は帳面から顔を上げずに答えた。五十がらみの男で、この店に十年以上いる。
「粗いのなら十二両で。ただし効きが半分ほどで、当たり外れがございます」
「外れると」
「効きません」
「それは困る」
「でございましょう」
朔は結局、四粒買った。
残ったのは二十両と少しだった。
浪都までは潮見街道を十五日ほど。宿代と飯代でそのうち半分が消え、潮洲へ渡るのに舟を雇えば、残りも消える。櫛名の前に立つ頃には財布が空になっている計算だった。
「潮洲の舟賃は、幕府が出すと言ってたが」
「使者ならば出ましょうな。宵士としてお行きになるのでしょう」
「そうだ」
「では出ません」
店主は帳面を閉じた。
「幕府のお仕事は、前払いが多いぶん、後が渋うございます」
朔は店を出た。
通りの角に高札が立っている。町方の御用書きの脇に、私設の貼り紙が何枚か重ねてあった。人を探しているもの、金を貸すもの、その他。
一枚が新しかった。
潮見街道、藤瀬から掛江のあいだで、荷駄と旅人が襲われている。半年で十一件。死人が出ている。討った者に三十両。
三十両。
場所も、進む方向と同じだった。
朔は貼り紙を剥がして、懐に入れた。
二 街道
藤瀬に着いたのは八日目だった。
宿場の外れで、前を行く後ろ姿に見覚えがあった。
背が高い。女にしては高いが、朔よりは少し低い。背に長い弓を負っていて、矢筒の羽根が肩越しに見えている。歩幅が広く、足の運びに無駄がなかった。
朔は歩調を上げた。
「梓」
女が振り返った。
顔は若い。二十歳そこそこに見える。ただし耳が長く、先が尖っていた。肌の色が薄く、白に近い銀の髪を後ろで一つに束ねてある。
「朔」
梓は少し目を見開いてから、頭を下げた。
「久しぶり。二年ぶりね」
「二年と三月だ」
「数えてるの」
「数えてない。今数えた」
梓の表情は変わらない。呆れたのか感心したのか、どちらとも取れない目をした。
「そっちも貼り紙か」
「そう。掛江で見たわ」
梓は矢筒を担ぎ直した。
「三日前から様子を見てる。連中は昼に動かない。夜、宿場の間の松林で待ち伏せてる」
「人数は」
「十四人まで数えた。もう少しいるかもしれない」
「十四」
朔は顎に手をやった。
「一人でやる気だったのか」
「弓なら届くから」
「届かなかったら」
「逃げるわ」
梓は当たり前のように言った。
「でも、あなたがいるなら話が早い。前に出てくれる?」
「そのつもりだ」
二人は並んで歩き出した。
梓とは、これまでに四度組んでいる。最初は四年前だった。互いの事情は何も知らない。梓が常盤衆であることは見れば分かるが、なぜ一人で浮桑の街道を歩いているのかは訊いたことがなかった。梓のほうも、朔が宵士であること以外は訊かない。
それで四度、問題なくやってきた。
「そういえば」
梓が切り出した。
「深沢の火車、あなたなの」
「聞いたのか」
「掛江の宵士仲間から。谷に塚が建ったって」
「仲間じゃない。同業だ」
「同じことでしょう」
「違う。同業は競争相手だ」
梓は首を傾げた。
「じゃあ、私もあなたの競争相手?」
「お前は違う」
「どうして」
「弓だからだ。仕事が被らん」
梓は納得したように頷いた。
宿場の外れの飯屋で、日が落ちるのを待つ。
梓は膳を二つ頼み、一つを平らげてから、二つ目に箸をつけた。
「この二年、どうしていた」
朔が訊くと、梓は口の中のものを飲み込んでから答えた。
「北にいたわ。越州と、それから相津。雪の中で三月、蔵に籠って熊を待ったこともある」
「熊か」
「熊の形をした別のものだった。出てきたのは春だったけど」
梓は汁をすすった。
「あなたは」
「東をうろうろしてた。あとは、久しぶりに家に戻った」
「家」
梓の箸が椀の上で止まった。
「例の、桃から生まれたおじいさんの家ね」
朔は茶を飲んだ。
「ああ、そうだ」
「そういえば、犬もいるそうね」
「いるぞ」
「いつか撫でさせてほしいわ」
「やめておいたほうがいいと思うぞ」
「どうして。噛むの?」
「噛みはしないが、怒るか文句を言う」
「文句」
梓は箸を置いた。
「犬が?」
「犬がだ」
梓は宙を見て、何やら思い描いているようだった。
「……それは、撫でたくなるわね」
「やめておけ」
梓はまた箸を動かしはじめたが、頭はまだ犬のほうにあるらしかった。
「他には誰かいるの」
「雉がいる。今は猿もいるかもしれん」
「賑やかね」
「賑やかだ」
梓は二つ目の膳も空にした。
外はまだ明るい。
松林は宿場から一里ほど先にあった。街道の両側から松が迫り、昼でも薄暗い。
「ここで足を洗わせる」
「洗う?」
梓は真顔で松林を見た。
「川はもう少し先よ」
「言葉の綾だ」
「そう」
梓はそれで済ませた。気にした様子もない。
「じゃあ、どこで洗わせるの」
「洗わん」
「洗わないの」
「洗わん」
梓は少し間を置いて、頷いた。納得したのかどうかは分からなかった。
四年前に初めて組んだ時から、梓はこうだ。言葉の綾を、言葉どおりに受け取る。腹を割って話そうと言った時は、黙って小刀に手を掛けられた。骨を折ってもらったと礼を言った時は、どこの骨かと真顔で訊き返された。
悪気はない。朔のほうも、いちいち言い直すのはとうに諦めている。
三 浪人
その晩、荷駄に化けた。
宿場で空の荷車を一両借りて、筵を掛けた。朔が車を引き、梓は先に松林へ入って、道から二十間ほど離れた斜面に上がる。
子の刻前に出た。
車輪の音が林に響く。松の間は暗い。月はあるが、枝に遮られてほとんど落ちてこない。
半町ほど進んだところで、前方の闇が動いた。
「止まれ」
声がした。
七人が道を塞いでいた。振り返ると、後ろにも五人いる。手にしているのは鉈と棒と、槍が二本。刀は一本もない。
「荷を置いて、命は持っていけ」
言い慣れた台詞だった。半年で十一件やっていれば、そうもなる。
朔は車の梶棒を離した。
「十一件で、何人殺した」
「あ?」
「聞いてるんだ」
男が笑った。笑ったところに、矢が刺さる。
喉ではなく、肩だった。男が倒れ、残りが一斉に上を見る。見た方向は間違っていた。
朔は動いた。
最初の一人の懐に入る。一尺。掌を胸に当てて、圧した。男の体が浮いて、後ろの二人を巻き込んで倒れる。三人目が棒を振り下ろす前に、朔は鞘で顎を打ち上げた。
斬らなかった。
盗賊は十四人いて、そのうち殺しをやったのは何人かだ。全員を斬る理由はない。縛って宿場に引き渡せば、あとは町方の仕事だった。
矢が二本続けて飛んだ。槍を持った二人が、それぞれ腿を射抜かれて座り込む。
朔は五人目の腕を折り、六人目を投げた。
半分が地面に転がるまで、三十も数えなかった。
「後ろ」
梓の声が飛んだ。
朔は振り向かずに横へ跳んだ。
跳んだ場所を、刃が通った。
松の幹に当たって、木屑が飛ぶ。刀だった。この一団で唯一の刀だ。
朔は着地して、初めてその男を見た。
浪人だった。
髷は崩れているが、結ってはある。着物は汚れているが、袖の始末がきちんとしている。何より、構えが違った。右足を引き、切っ先を低く落として、肩の力が抜けている。
「名は」
朔が訊くと、男はわずかに顎を引く。
礼だった。
名乗らなかったが、礼をした。
朔は鯉口を切る。
男が踏み込んだ。
早い。それも上から斬り下ろすのではなく、下から擦り上げる動きだった。朔は半身を引いたが、帽子のつばを掠られた。
二度目が来る前に、朔は間合いを詰めにかかる。
詰められなかった。
男は下がらない。下がらないが、朔が一尺に入る手前で刃が届く。刀の長さぶん、男のほうが先に届き、届いたところで止まらずに次の一撃に繋げてくる。
朔は三度、入ろうとして三度弾かれた。
四度目で、肩を浅く斬られる。
これは面倒だと思った。
妖怪相手なら、一尺に入るまでの手はいくつもある。跳べばいい。地面を蹴らずに空を蹴れば、相手の想定しない角度から入れる。だが林の中は枝が低く、跳べば頭をぶつける。
そして人間相手だと、破裂音で位置が読まれる。この男なら読む。
「梓」
朔は名を呼んだ。
それだけで通じた。
矢が飛んだ。男の顔の横を掠める。男が首を傾けてかわし、その一瞬だけ、切っ先が下がった。
朔は入った。
一尺。掌が男の胸に届いた。
圧す。
男の体が後ろへ飛び、松の幹に叩きつけられた。
普通なら、それで終わりだ。
男は立った。
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