009 第二話 魘獏の牙(四) 薬効
五 牙
蔵都に戻ったのは、二日後の夕方だった。
加賀屋は牙を見ても、声を上げない。両手で受け取ってじっと見つめたかと思うと、奥へ走った。
医者が呼ばれ、薬種屋が呼ばれ、律人が処方の紙を写して渡す。煎じるのには半日かかる。
縁側で待つ朔の隣に、律人が来て座った。
「効くと思うか」
「分からんな」
「正直だな」
「効かんかったら、他を探す」
律人は膝を抱えて、庭を見た。
「なあ、朔」
「なんだ」
「山で言ったこと、まだ理由を教えてくれないのか」
朔が黙っていると、律人は膝を抱え直した。
「別に怒ってるわけじゃないんだ。ただ、理由が分からないと、次にどうすればいいか分からない」
「理由を俺が言ったら、それは俺の理由になる。お前が自分で見つけたほうがいい」
「それじゃ困るんだよ」
律人は笑ったが、声が少し固かった。
「僕の技は、陰陽連でも評判がいいわけじゃない。斎宮の家の連中には何度も言われてる。外道だ、道理に外れてる、いつか報いが来るってな」
「それで」
「それで、僕は反論する。毎回する。妖怪を一体使えば、人間が十人助かる。二十人助かる。現に助かってきた。数の話をすれば、僕のほうが正しい」
律人は庭を見たまま言った。
「だから、お前にも同じことを言えばいいはずなんだ。でも、お前は何も言わなかった」
朔は、律人と同じ庭を見ていた。
「……ほらな」
律人はまた笑った。
奥から足音がして、加賀屋が縁側に出てきた。
「宵士どの。天羽さま」
顔色が変わっていた。
「飲みました。……飲ませました」
二人は立ち上がった。
座敷に入ると、子供が半身を起こしていた。
医者が脈を取っている。加賀屋の妻が枕元に座って、両手で口を覆っていた。
朔は目を閉じた。
濁りが薄くなっている。消えてはいないが、体の中に詰まっていたものが、外へ抜けていく道が開いていた。
子供が何か言った。
「……お腹すいた」
妻が声を上げて泣いた。
医者が加賀屋に何か言い、加賀屋が何度も頷いている。
朔は目を開けて、廊下へ出た。律人がついてくる。
「効いたな」
「ああ、効いた」
「よかった」
律人は本当に嬉しそうだった。
朔は廊下の柱に背を預けた。
「律人」
「なんだ」
「あれは治ってない」
律人の表情が止まった。
「溜まったぶんが抜けただけだ。体質は変わってない。またいずれ溜まる」
「……ああ」
律人は目を伏せた。
「分かってる。分かってた」
「どのくらい保つ」
「分からない。十二年で限界が来たなら、次はもっと早いかもしれない。逆に、一度抜いてやれば楽になることだってある。前例がないから、何とも言えない」
「牙はもう一本ない」
「ない」
奥から、子供の声が聞こえてくる。何を言っているかは分からないが、確かに喋っていた。
律人が顔を上げた。
「朔。僕、加賀屋に話してみる」
「何をだ」
「あの子を、陰陽連で預かれないかって」
朔は律人を見た。
「洛環には結界がある。人の集まる場所だから瑛輝の濃さも管理されてる。少なくとも、蔵都にいるよりは薄い。それに、書庫がある」
「書庫」
「あの子と同じ体質の記録を探す。八百年ぶんあるんだ。一件もないとは思えない。見つかれば、次にどうすればいいかが分かる」
「見つからなかったら」
「見つからなかったら、あの子が一件目だ。記録を取る。何年でどれだけ溜まるか、何をすれば遅くなるか、何をすれば早まるか。全部書く。そうすれば、次に同じ体質の子が生まれた時、誰かが助けられる」
「親が承知するか」
「説得する。僕は説得が下手だけど」
「下手だな」
「ひどいな」
律人は肩をすくめた。
「でも、やる。ここまで来て、あと三月の命ですって言って帰るのは、僕の性に合わない」
朔は柱から背を離した。
「そうか」
それだけ言った。
六 再訪
加賀屋は百両を出すと言った。
朔は五十で足りると言った。加賀屋が食い下がり、番頭まで出てきて頼んだが、朔は五十しか受け取らない。
「牙を出したのは俺じゃない」
そう言うと、加賀屋は黙った。
蔵都を出て、朔はもう一度杣口へ向かい、律人は都へ戻った。別れ際、律人は例のごとく丁寧に頭を下げる。
「朔。また頼む」
「金を出せよ、次は」
「出すって」
律人は笑い声を残して、街道を西へ歩いていった。
臥雲山へ登ったのは、三日後だった。
朱丸が門のところで薪を割っている。
「なんだ、また来たのか」
「これを置きに来た」
朔は包みを縁側に置いた。
湯呑みを手に、桃が奥から出てきた。中身は言うまでもない。
「なんだそれは」
「二十五両」
「要らんと言ったろう」
「牙の代金だ」
「置いといただけのもんに代金があるか」
「四十年置いといたんだ」
「置いとくのに手間はかからん」
桃は縁側に座った。
「持って帰れ。お前の稼ぎだ」
「半分は俺が取った」
「なら全部取れ」
「取らん」
「頑固な奴だな」
「あんたに似た」
「わしは頑固じゃないぞ。柔軟だ」
朱丸が薪を置いて、こちらへ来た。
包みを手に取って、重さを確かめるように持ち上げた。
「桃」
「なんだ」
「もらっとけ」
「おい」
「今月、酒代が四両足りてない。先月は三両足りなかった。先々月は二両だ」
朱丸は包みを桃の膝の上に置いた。
「俺が立て替えてるんだぞ。どこから出てると思ってる」
「お前が立て替えとるんじゃない。家の金だ」
「家の金を管理してるのは俺だ」
桃が口を開けて、閉じた。
縁側の奥で、千代が笑いをこらえているのが見えた。
「酒代だってタダではないからな。せっかくだからもらっておけ」
桃は包みを睨んでいたが、やがて朔に目を移した。
「……こいつが言うなら、仕方ない」
「そうしろ」
「お前も口裏を合わせるな」
「事実だろう」
桃は舌打ちをして、包みを脇へ押しやった。
「で、その子供はどうなった」
「起きた。飯を食ってる」
「そうか」
「ただ、治ってはいない。また溜まる」
「そうか」
桃はそれ以上訊かなかった。
朔は縁側に腰を下ろした。千代が茶を持ってきて、朔の前に置く。
「お泊まりになりますか」
「そうだな、明日の朝出る」
「では、夕餉をしっかり作りますね」
千代は奥へ戻っていった。
庭は静かだった。日が傾いて、垣根の影が長くなっている。
「朔」
「なんだ」
「あの若いの」
朔は茶を持った手を止めた。
「律人か」
「連れてきた理由があるんだろう」
「ああ。深い理由じゃない。ただ、この家を見てもらいたかっただけだ」
「あの若いのの術のことは、本人の問題だぞ」
朔は、桃のほうを見た。
律人の術のことは、桃には話していない。だが、この爺さんの目は誤魔化せない、と朔は思った。
「そうだな」
桃は湯呑みを傾けて、中身がもうないことに気づいたらしく、逆さにして振った。一滴落ちた。
「朱丸」
「自分で汲め」
「客人がおるんだぞ」
「客人じゃない。朔だ」
朔は笑った。
日が落ちるまで、三人とも何も喋らなかった。
第二話「魘獏の牙」、完結です。
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