フライドチキンあります
冒険者ギルド横の通りに、朝から油の音がしていた。
じゅわっ。
宿の主人から借りた小さな台に、油鍋と紙皿を並べる。
前には、リリカさんが書いた看板。
【フライドチキンあります】
その横には、小さな板が二枚。
【一口だけでは終わりません!】
【二個目あります!】
「リリカさん。二個目あります、は早くないですか」
「早くありません! 二個目は来ます!」
リリカさんは紙皿を持って、朝から勝った顔をしていた。
まだ一個も売れていないのに。
今日の肉は、肉屋から回してもらった生け捕りの鳥だ。
普通の鳥。
でも、とどめも、血抜きも、羽処理も、部位分けも、衣も、油も、最後の炎魔法も、全部僕がやる。
今の僕が店に出せる中では、一番強い。
用意できたのは二羽分だけ。
小さく切り分けても、三十切れには届かない。
初めての出店なら十分だと思っていた。
宿の主人は台と油鍋を貸してくれた。
肉屋の主人は「また鳥か」と笑いながら、朝に使える鳥を分けてくれた。
ギルド横の小さな場所は、リリカさんが走って話をつけてきた。
屋根も壁もない。
店というより、通りの端に置いた小さな出店だ。
でも、油は温まっている。
鳥肉はある。
リリカさんは横にいる。
前なら、朝は依頼板を見ていた。
今日は油鍋を見ている。
それなのに、足はこっちの方が軽かった。
「テオさん、いきましょう!」
「はい」
僕は衣をつけた一切れを油へ入れた。
じゅわっ。
衣の端が細かく鳴る。
最後に、炎魔法をほんの少しだけ当てる。
香りが立った。
これは、売るための一個目だ。
「うーん、この匂い! 絶対お客さんきますね!」
「まだ誰も見てませんよ」
「匂いで来るんです!」
リリカさんが言い切った、その時だった。
「……テオ!?」
聞き慣れた声がした。
顔を上げると、ギルドの入口側から大柄な剣士が歩いてきていた。
ガイだった。
幼馴染で、元パーティの剣士。
僕を外す時、最後まで反対していた男だ。
ガイは油鍋を見て、看板を見て、紙皿を持ったリリカさんを見た。
それから、最後に僕を見た。
「お前、何してんだよ! フライドチキンって、看板まで出して……リリカさんまでいるし!」
「一緒にやってるんだ」
「一緒に!? いや、分からねえけど、元気そうだな!」
「うん。かなり楽しいよ」
すぐに答えられた。
ガイは一瞬だけ口を閉じた。
言いたいことがある顔だった。
でも、揚がったばかりの匂いが、そこで全部さらっていった。
「俺、あの時……って言う前に、悪い。先に食わせてくれ! 匂いが強すぎる!」
「それでいいよ。焦げる方が困るし」
「お前、ほんと元気そうだな!」
ガイが笑った。
その笑い方が、前と同じだった。
僕は油から一切れを上げた。
余分な油を切って、紙皿に乗せる。
ガイの目が、フライドチキンに吸い寄せられた。
「……うまそうだな!」
「うまいよ」
「今、すげえ自信ある顔したな!」
「あるよ」
ガイは声を出して笑った。
リリカさんが紙皿を構える。
「記念すべき最初のお客様です!」
「俺でいいのか!?」
「むしろ、いいよ」
僕は紙皿を差し出した。
「食う?」
「食う!」
早かった。
ガイは硬貨を出した。
リリカさんが受け取る。
「フライドチキン一個ですね! 一口だけでは終わりませんよ!」
「看板に書いてあるな!」
ガイは紙皿を受け取ると、熱そうなフライドチキンを少しだけ見た。
それから、かじった。
ざくっ。
「うめええええええええっ!!」
ガイの声が、ギルド横の通りに響いた。
ギルドの扉の前にいた冒険者が振り向く。
依頼板の前にいた冒険者たちも、まとめてこちらを見た。
通りを歩いていた二人組が足を止め、その後ろの三人組まで看板に目を向ける。
リリカさんが、紙皿を持ったまま小さく拳を握った。
「ほら!」
「まだ一口目です」
「一口目で勝ちました!」
ガイは二口目をかじった。
ざくっ。
「待て! これ、飛ぶぞ!」
「何が飛ぶんですか!」
リリカさんが食いついた。
「分からん! でも飛ぶ! 頭の中が、今、肉でいっぱいになった!」
「脳汁です!」
「それだ!」
「出ましたか!」
「出た!」
ガイは残りを一気に食べきった。
「テオ! うまい!」
「でしょ」
僕はたぶん、少しどや顔をした。
ガイが指をさす。
「今、どや顔したな!」
「したよ」
「するなよ! いや、していいわ! これはしていい!」
リリカさんが横で小さく跳ねた。
「テオさん、していいそうです! 初日に許可が出ました!」
「なんの許可かは分かりませんけど」
ガイは空になった紙皿を見て、それから看板を見た。
【二個目あります!】
看板を読んだガイが、すぐに僕を見た。
「もう一個!」
「二個目あるよ」
「書いてあるしな!」
リリカさんが胸を張った。
「ほら、来ました!」
「何と戦ってんだ!」
「需要です!」
ガイはまた笑った。
「いいな、お前ら! なんか、ほんとに店じゃねえか!」
お前ら。
僕と、リリカさんのことだ。
借り物の台と、手書きの看板しかない小さな出店を見て、ガイがそう言った。
それだけで、もう一個揚げたくなった。
「二個目、すぐ揚げるよ」
「おう!」
僕は次の一切れに衣をつけ、油へ入れた。
じゅわっ。
音が立つ。
ガイの声と、油の匂い。
その二つが合わさると、ギルド前の通りが変わった。
「今の声、何だ?」
「肉か?」
「いや、匂いだろ」
「フライドチキンって書いてあるぞ」
「売ってるのか?」
「ギルド前で?」
声が重なった。
最初は、三人。
すぐに、五人。
ギルドの中からも、外からも、人がこちらを見ている。
油鍋の向こうに、顔が並び始めた。
さっきまで広かった通りの端が、急に狭くなる。
リリカさんが、紙皿を持ったまま僕を見た。
「テオさん」
「はい」
「お客さんです!」
見れば分かる。
でも、リリカさんは言いたかったのだと思う。
僕も、少し笑ってしまった。
ガイは、まだ空になった紙皿を握っている。
「テオ! 二個目、早く! この匂いの中で待つのはきつい!」
その声に、また何人かが前へ出た。
「そんなにうまいのか?」
「一個くれ」
「俺も」
「並べばいいのか?」
リリカさんの顔が、ぱっと明るくなった。
もう、完全に店の人の顔だった。
「一列にお願いします! 熱いので気をつけてください! フライドチキン、あります!」
僕は油鍋を見た。
二羽分しかない。
でも、今は数えるより先に揚げたかった。
衣をつけた肉を、油へ落とす。
じゅわっ。
その音に、また一歩、誰かが前へ出た。




