お店
「お店を出しましょう!」
リリカさんは、空になった皿を指さして言った。
僕はすぐに返事ができなかった。
現時点最強のフライドチキンは、もう一切れも残っていない。
なのに、リリカさんの目はまだ熱かった。
「お店……」
口に出したら、頭の中に絵が浮かんだ。
小さな台の前で、僕が油鍋を見ている。
揚げたての匂いで、通りかかった冒険者が足を止める。
リリカさんが皿を渡して、その人が一口食べる。
さっきのリリカさんみたいに目を丸くして、それから笑う。
まだ場所もないし、看板もない。
鳥を何羽買えばいいのかも分からない。
それなのに、少しだけ見えた。
「……いいですね」
言った瞬間、リリカさんの顔がぱっと明るくなった。
「いいんですか!?」
「まだ何も決まってないです。でも、ちょっと楽しそうです」
「私もです! テオさんが揚げて、私が渡すんです! 熱いですよって言って、お皿を渡すんです!」
リリカさんは空の皿を胸の前で持った。
さっきフライドチキンを受け取った時と、少し似た持ち方だった。
「私もやります!」
「手伝うってことですか?」
「違います! 私も、このお店をやります! お皿を渡す側に立ちたいんです!」
元気な声だった。
でも、ただの勢いには聞こえなかった。
リリカさんは皿を机に置くと、両手をぎゅっと握った。
「場所も探します! 道具もそろえます! お金も出します! お皿も洗います! お客さんにも渡します! だから、私もやらせてください!」
一気に言われて、僕は目を瞬いた。
「……本気なんですね」
「本気です!」
「受付嬢のお給金を、フライドチキンに使うんですか」
「使います!」
「早いです」
「食べたので!」
理由が強かった。
リリカさんは、空の皿を見た。
まだ匂いが残っている皿を、宝物みたいに見ている。
「それに、絶対に売れます!」
リリカさんは、急に受付嬢の顔になった。
「受付で毎日見てるから分かります! あの人たち、熱い肉の匂いに弱いです! 脳筋戦士さんはまず止まります。肉ですから!」
肉ですから。
その一言で押し切られそうになった。
「普段は冷静な魔法使いさんも止まります! 顔には出さないと思います。でも、一個買って、少し離れて食べて、何もなかった顔でもう一個買いに戻ります!」
僕の頭の中にも、その魔法使いが見えてきた。
無表情で一個買う。
歩きながら食べる。
少し先で止まる。
何もなかった顔で戻ってくる。
見たい。
「斥候さんは一番先に匂いに気づきます! 弓使いさんは片手で食べられるものが好きです! 盾役さんは絶対に二個買います! 大きい人は、だいたい二個いきます!」
まだ一個も売っていないのに、リリカさんが言うと、店の前に冒険者が並ぶところまで見えてくる。
「あと、食べた瞬間に頭の中で何か出ます!」
「何か?」
「脳汁です!」
「脳汁」
「出ます! さっき私も出ました!」
胸を張って言われた。
僕は思わず笑ってしまった。
「それは、祝福スキルの効果ですか」
「分かりません! でも、出ます!」
強かった。
理屈はまだ何も分かっていない。
でも、リリカさんが食べて、止まって、笑って、もう一個ほしがったのは本当だ。
その顔を、僕はもう見ている。
「リリカさんは、受付嬢ですよね」
「今は、です!」
「今は?」
「辞めます!」
早い。
早すぎる。
「待ってください。受付嬢を辞める話ですよ」
「分かっています! でも、もう気持ちは決まりました!」
リリカさんは自分の手を見た。
さっきまで、小皿を大事そうに持っていた手だ。
「依頼書を渡す仕事も好きです! でも、さっき思ったんです! この手で、テオさんのフライドチキンを渡したいって!」
部屋の中には、まだフライドチキンの匂いが残っていた。
その匂いの中で、リリカさんは本気の顔をしている。
僕は空の皿を見た。
追放されたあと、冒険者に戻ることを考えなかったわけではない。
別のパーティに入ることも、低ランク依頼からやり直すことも、頭のどこかにはあった。
でも今、僕が一番気になっているのは依頼板ではなかった。
明日の鳥だった。
どの鳥を買うか。
油は足りるか。
何切れ作れるか。
リリカさんが皿を渡したら、食べた人はどんな顔をするか。
考えていたら、自然に口が動いた。
「僕もやります」
「本当ですか!?」
「はい。明日も作りたいです。依頼を探すより、明日の鳥を探したいです」
リリカさんの顔が、さらに明るくなった。
「今のテオさん、すごく楽しそうです!」
「そう見えますか」
「見えます!」
「じゃあ、たぶん楽しいんだと思います」
言ってから、僕も笑った。
場所も道具もお金も、考えることはいくらでもある。
でも、それより先に、明日また作りたいと思ってしまった。
誰かに食べてもらいたい。
リリカさんが皿を渡すところを見たい。
「最初は小さくやりましょう。いきなり大きな店は無理です」
「小さな台からですね!」
「鳥も、まずは少しだけ」
「でも、足りなくなったら困ります! 脳筋戦士さんが来たら二個です!」
「まだ売ってもいないのに、もう二個目の心配ですか」
「必要な心配です! 私がもう一個ほしかったので!」
言い切られた。
僕はまた笑ってしまった。
「明日、鳥を買いに行きます」
「私も行きます!」
「まだ店、ないですよ」
「でも、鳥は要ります!」
リリカさんは、ものすごく真剣だった。
たしかに。
店はまだない。
でも、鳥は要る。
僕はリリカさんに手を差し出した。
「一緒に、やりましょう」
「はい!」
リリカさんは、すぐにその手を取った。
握られた手は、思ったよりあたたかかった。
店はまだどこにもない。
でも明日、僕たちは鳥を買いに行く。




