神鳥の《極み》
神鳥《天穿つガルーダ》を倒したあと、しばらくは誰もまともに動けなかった。黄金の巨体は山肌に横たわったまま動かず、昨日まで僕たちを吹き飛ばしていた翼も、今は地面へ広がっている。
「なあ、テオ。これ、食えるんだよな?」
「……今それ聞きます?」
地面に座り込んだグレンさんが、期待に満ちた目でガルーダを指差した。右腕はまだ吊ったままなのに、顔だけはもう戦いの直後とは思えないくらい元気だ。
「三年待ったんだぞ! 神鳥のフライドチキン!」
「さっきまで殺されかけてたでしょう!」
「だからだよ! あんだけ苦労して倒したんだぞ! うまくなきゃ困る!」
レオンさんが呆れたように息を吐き、ヴィオラさんは口元を押さえて笑っている。ドーガさんまで「まあ、俺も気にはなる」と言い出し、セシルさんは止めるのを諦めたらしい。
でも、僕だって同じだった。三年前から目標にしてきた神鳥だし、今回の狩りでは痕跡を追うところから関わり、戦いの最初から最後まで離れず、三つの心臓を自分の手で止めた。
ここから血を抜き、羽を外し、肉を切り分け、下味をつけ、衣をまとわせ、最後に油で揚げる。それを全部僕自身でやれば、今まで作ったどの《極み》よりも、深く関わった一品になる。
「……作ります」
「よっしゃあああ!」
「ただし、今日すぐ食べられるとは思わないでください。この大きさですからね」
「待つ! 一日でも二日でも待つ!」
「こういうときだけ聞き分けいいですね」
まず王国軍へ討伐成功の合図を送った。封鎖線の外で待っていた兵士やギルド職員が山へ入ってくると、横たわるガルーダを見た途端、誰もが声を失った。
「本当に……倒したのか」
「神鳥を……六人で……」
僕たちを見れば、どんな戦いだったかは十分伝わったらしい。ドーガさんの盾はなく、グレンさんの右腕は使えず、レオンさんの矢筒は空。ヴィオラさんとセシルさんも、魔力をほとんど使い果たしている。
僕も《白耀回生》で最後の一走を繋いでもらっただけで、傷が全部消えたわけじゃない。それでも、《極み》にする分だけは他の人へ任せるつもりがなかった。
「血抜きから僕がやります。《極み》に使う肉だけは、最後まで僕にやらせてください」
「その体でですか?」
「休みながらやります。体を固定したり、足場を作ったりするところだけ手伝ってもらえれば大丈夫です」
さすがに、この巨体を僕一人で動かすことはできない。兵士たちには綱や足場を用意してもらい、必要な部分を支えてもらったけれど、刃を入れる作業そのものは全部僕がやった。
血を抜き、黄金の羽を根元から外していく。戦っているときは剣も矢も弾いた羽なのに、一本ずつ正しい方向へ抜けば外すことはできた。
「これ一本で家が買えそうだな」
「グレンさん、持って帰らないでくださいね」
「まだ何もしてねえだろ!」
「さっきから形のいい羽だけ選んで見てるじゃないですか」
「記念だよ、記念!」
「王国の人に許可取ってください!」
久しぶりに全員が笑った。黄金の羽の下から現れた肉は意外なほど普通の鳥肉に近かったけれど、筋肉の密度がまるで違う。
巨大な翼を動かしていた胸肉には太い繊維がびっしり詰まっているのに、包丁を入れると嫌な硬さはない。淡い赤色の断面から澄んだ脂が滲み出すのを見て、後ろからグレンさんが身を乗り出した。
「……これ絶対うまいやつだ」
「近いですよ、グレンさん」
「見るくらいいいだろ」
「肩に顎が乗りそうなくらい近いんですよ!」
ガルーダ全部を僕一人で解体する必要はない。王国へ渡す素材や研究用の部位まで全部やっていたら何日あっても足りないけれど、《極み》にする分だけは別だ。
血抜きから羽抜き、解体まで他の誰にも任せず、何度も休憩を挟みながら六人分には十分すぎる肉を切り分けた。その肉はキアラが作った冷却箱へ僕自身で収め、残りの巨体は王国とギルドへ任せる。
僕たちは近くの補給拠点で一晩休み、翌朝、僕は簡易厨房を借りた。冷却箱から肉を取り出し、いつもの下味をつけ、衣をまとわせ、油の温度を確かめてから一切れずつ鍋へ入れていく。
じゅわあっ、と油が鳴った瞬間、背後で椅子が鳴った。
「来た!」
「まだ入れただけですよ!」
「もう匂いがヤバい! テオ、これ絶対ヤバいぞ!」
「右腕治ってないんですから座っててください!」
油の中で衣が色づいていく。香りは濃いのに獣臭さはまるでなく、肉から溶け出した脂と衣の香ばしさが混ざるだけで腹が鳴りそうになった。
揚げ上がった一つを網へ置いた瞬間、〖フライドチキン〗が強く反応する。今までの《極み》とは、明らかに違った。
痕跡を追ったところから始まり、戦い、最後の心臓を止めるところまで。そして血を抜き、肉にして、今こうして揚げるところまで、僕の関わりは一度も途切れていない。これほど一羽の鳥に関わり続けたことはなかった。
六人分を揚げ終え、皿へ盛りつける。黄金色の衣から立ち上る湯気を前にして、五人の視線が恐ろしいほど集中した。
「できました。神鳥《天穿つガルーダ》の《極み》です」
「いただきます!」
「早いですって!」
グレンさんが真っ先に一つ掴んだ。僕も自分の分を取って、まだ熱い衣へ歯を立てる。
さくっ、と軽い音がした直後、熱い肉汁が口いっぱいに溢れた。
「……っ!?」
濃い。とんでもなく濃いのに脂っこさがなく、噛むたびに肉そのものの旨味が押し寄せてきて、飲み込んだ直後には、さっきより強く次の一口が欲しくなる。
「……なに、これ」
自分で作ったのに、意味が分からなかった。うまいなんて一言だけでは、全然足りない。
「うおおおおおおおおおおおっ!?」
「グレン!?」
向かいから、とんでもない叫び声が上がった。グレンさんは目を見開いたままフライドチキンを握りしめ、勢いよくもう一口かじると机を叩いた。
「なんだこれ!? なんだこれぇ!? テオ! お前これヤバいぞ!! うっっっっっっま!!」
「落ち着いてください!」
「無理だ!! 今までの《極み》もめちゃくちゃうまかったけど、これ別物だろ! 肉が! 肉そのものが反則だ!!」
その横で、レオンさんが無言で二口目を食べた。そして珍しく完全に動きを止める。
「……レオンさん?」
「…………」
「レオン?」
ヴィオラさんが覗き込むと、レオンさんは何も答えず皿へ手を伸ばした。
「もう一個」
「早っ!」
「これは駄目だ。考えてる間にグレンに食われる」
「お前、今ものすごく正しい判断したぞ!」
「褒めてない」
ドーガさんは一口が大きかった。半分近くを一気に食べ、そのまま何度か噛んでから、ものすごく真剣な顔で僕を見る。
「テオ。店で出すな」
「え?」
「争いが起きる」
「そこまでですか!?」
「起きる。俺でも取り合う」
本気の顔だった。セシルさんまで、いつもの上品な食べ方を忘れたみたいに二口目へ進み、飲み込んだあとで自分の手にあるフライドチキンを信じられないものでも見るように見つめている。
「これ、本当に同じ料理なんですか……?」
「僕も今それ思ってます」
「治癒術で味覚がおかしくなったわけではないですよね?」
「自分の味覚を治そうとしないでください!」
ヴィオラさんは、いつもならゆっくり味を確かめながら食べる人だ。そのヴィオラさんが二口目、三口目と止まらず食べている。
「ヴィオラさん?」
「……テオ。今、話しかけないで」
「え?」
「もったいないわ」
真顔で言われて、僕も黙るしかなかった。六人全員で食べ続け、しばらく聞こえたのは衣を噛む軽い音と、ときどきグレンさんが漏らす「うま……」「マジかこれ……」という声だけだった。
僕もまた一口食べる。香辛料も、衣も、油もいつもと同じなのに、肉そのものが全部を押し上げていて、一口の満足感が今までとはまるで違った。
「……これが、神鳥」
「神だわ」
「鳥ですよ」
「味が神だっつってんだよ!」
グレンさんが勢いよく頷く横で、レオンさんが三個目へ手を伸ばした。
「テオ。悪い、これだけは遠慮しない」
「レオンさんまで!?」
「俺もだ」
「あら、それなら私もいただくわ」
「ヴィオラさん!?」
「テオさん、私ももう一つだけ」
「セシルさんまで!?」
五方向から一斉に手が伸びてきたので、僕も慌てて皿を押さえる。
「ちょっと待ってください! 僕の分まで取らないでくださいよ!」
神鳥を倒したときより、皿の上のフライドチキンを守る方が大変だった。結局、用意した分は綺麗になくなり、全員が椅子へ深く座り込む。
「……食った。人生で一番うまかった」
「それ、毎回言ってません?」
「今回は本当に一番だ!」
ドーガさんまで満足そうに息を吐き、レオンさんは空になった皿を名残惜しそうに見ていた。ヴィオラさんも珍しく「もう少し揚げてもよかったわね」と言い、セシルさんまで静かに頷いている。
僕も腹いっぱいだったし、味だけでも十分すぎると思っていた。だから最初は、満腹で変な感じがするだけだと思った。
「……あれ?」
体が軽い。それどころか、椅子に座っていたはずの僕の腰が、座面から少しずつ離れていく。
「え?」
足元を見ると、靴が床についていなかった。
「……僕、浮いてません?」
「は?」
グレンさんが僕を見るなり目を見開いた。
「いやいやいや、待て待て待て! なんで浮いてんだよ!?」
慌てて立ち上がろうとしたグレンさんの体まで、そのまま椅子から浮き上がる。
「うおおおおおおおおっ!?」
「グレンまで!?」
セシルさんが反射的に僕の足首へ手を伸ばしたけれど、そのセシルさん自身もふわりと床から離れた。ヴィオラさんも珍しく目を見開き、自分の足元を確認している。
「ちょっと待って。私も浮いてるわ」
「……おい」
レオンさんも床から離れ、最後にはドーガさんの巨体までゆっくり持ち上がった。本人が一番信じられないらしく、しばらく無言で床との隙間を見つめている。
「ドーガさんまで!」
「俺が浮くのは、さすがにおかしいだろ」
六人全員が宙に浮かび、しばらく誰も状況を理解できなかった。最初に動いたのはレオンさんで、空中で少し体を傾けると、そのまますっと前へ進む。
「……待て。飛べるぞ」
「え?」
「浮いてるだけじゃない。自分の意思で動ける」
「マジかよ!」
グレンさんが前へ行こうと勢いよく体を倒した。
「グレンさん、いきなりやるのは危な――」
「うおおおおおおおおおおおっ!!」
一気に加速して簡易厨房の入口から飛び出し、そのまま外へ消えていった。ヴィオラさんが「グレン!」と呼んだけれど、少しして補給拠点の外から馬鹿みたいに大きな声が返ってくる。
「テオおおおお!! 俺が飛んでるぞおおおおお!!」
「見れば分かりますよ!」
「すげえええええ!! 空から《天断》撃てるじゃねえか!!」
「絶対今試さないでください!!」
僕も恐る恐る前へ進もうと意識すると、体がその方向へ動いた。上へと思えば高度が上がり、右へと思えば曲がり、止まりたいと思えば空中でそのまま静止できる。
「本当に……飛んでる」
「ああ。これは浮遊じゃないな」
昨日までガルーダだけがいた空へ、僕たち六人が上がっていく。レオンさんはすぐに操作へ慣れ、ヴィオラさんも風に髪を揺らしながら楽しそうに高度を上げていた。
セシルさんは最初こそ怖がっていたけれど、慣れると目を輝かせて周囲を見回している。ドーガさんは自分の巨体が浮いていることがまだ信じられないらしく、何度も足元を確かめていた。
「これ、俺が上から落ちたらどうなる?」
「考えないでください!」
「いや、盾があれば相当な威力に」
「ドーガさんまで戦い方考えないでくださいよ!」
その横を、グレンさんがものすごい勢いで通り過ぎていく。
「うおおおおお! 速えええええ!」
「グレン、前を見なさい」
「分かってる!」
直後、どんっ、と大きな音がした。補給拠点の柱へ突っ込んだグレンさんが、そのままずるずると地面へ落ちてくる。
「ぐあっ!」
「昨日神鳥に殺されかけて、今日は柱に負けるんですか!?」
「空飛ぶ剣士なんて初めてなんだから仕方ねえだろ!」
さすがに全員が笑った。それからしばらく、僕たちは子供みたいに空を飛び回った。
昨日まで僕たちを絶望させた神鳥の力を、その肉を食べた僕たち六人が使っている。そう思うとなんとも変な気分だったけれど、怖さより楽しさの方が勝っていた。
「……これ、とんでもない祝福ですよね」
「ええ。飛行魔法を使えない人間が、魔力も使わず自由に飛んでいます。こんなもの、私は聞いたことがありません」
セシルさんが驚きを隠せないまま自分の体を見下ろすと、ヴィオラさんも空中でゆっくり向きを変えた。
「神鳥の《極み》だもの。それくらいあっても、もう驚かないと言いたいところだけど……これはさすがに無理ね」
ただ、その飛行もずっと続くわけではなかった。しばらくすると少しずつ体へ重さが戻り、高度を保てなくなった僕たちは、一人ずつ地面へ降りていく。
「終わったか」
「みたいですね」
グレンさんが何度か足踏みし、僕も軽く跳んでみたけれど、もう体は浮かなかった。
「いやあ、すげえな。うまい上に空まで飛べるのかよ」
「これ以上何を求めるんですか」
本当に、それで終わりだと思った。ガルーダの《極み》は、今まで食べたどんな料理よりもうまくて、短い間だけ神鳥みたいに空を飛ばせてくれた。それだけでも十分すぎるほど異常な祝福だ。
でも、グレンさんが何気なく左手で剣を持ったところで動きを止めた。
「……ん?」
「ちょっと待って」
ヴィオラさんもほとんど同時に眉を寄せた。レオンさんは遠くの山へ顔を向けたまま黙り込み、ドーガさんは自分の腕を確かめるように拳を握っている。
セシルさんも掌へ小さな治癒の光を灯し、その光を見た瞬間、目を見開いた。
「……そんな」
「どうしました?」
聞いた瞬間、僕も自分の中にある違和感へ気づいた。
〖フライドチキン〗。いつもそこにあるはずの感覚が、明らかに違っている。
飛行の祝福はもう消えている。それなのに、スキルそのものから湧き上がってくる力は消えていないどころか、食べる前より明らかに強くなっていた。
「テオ」
セシルさんの声が、わずかに震えた。
「これ……あなたのスキルだけじゃありません」
顔を上げると、五人とも自分の力を確かめるように手を見ていた。神鳥の祝福は終わったはずなのに、僕たち六人の中には、何かが残ったままだった。




