神鳥討伐
最後の《天縛の鎖》を使う。失敗すれば、もうガルーダを地上へ落とす手段はない。僕たちはそれぞれ傷だらけのまま、もう一度だけ高空を旋回する黄金の神鳥を見上げた。
「さっきと同じだ。テオを狙わせて、低く来たところへ鎖をかける」
グレンさんが左手で剣を握る。右腕は《天断》の反動でまだ上がらない。ドーガさんにはもう盾がなく、レオンさんの矢筒にもほとんど矢は残っていなかった。
「そこから地上へ落とす。テオが位置についたら拘束を緩めて、あいつを飛ばす。間違いねえな?」
「はい。飛び立つ瞬間だけ、最後の心臓まで道が開きます」
「なら一発で決めろ」
「そのつもりです」
答えたものの、短剣を握る手には汗が滲んでいた。走ろうと足へ力を入れるだけで胸が痛む。さっきセシルさんに治してもらったとはいえ、何度も吹き飛ばされた体はもう限界に近かった。
「テオ、少し走ってみてください」
セシルさんに言われ、数歩だけ地面を蹴る。三歩目で胸に痛みが走り、わずかに足が鈍った。それを見たセシルさんが僕の前へ来る。
「そのままでは間に合いません」
「でも、セシルさんの魔力も」
「だから、これで最後です」
胸へ手を当てられた瞬間、白い光が溢れた。今まで受けてきた治癒とはまるで違う。折れた箇所がつながり、力の入らなかった脚へ感覚が戻ってくる。痛みは残っている。それでも、もう一度だけなら全力で走れる。
「治癒術奥義《白耀回生》」
光が消えると同時に、セシルさんの体が大きく揺れた。慌てて支えると、逆に腕を掴まれる。
「私は大丈夫です。これであなたは走れます」
「セシルさん……」
「テオなら分かるでしょう。今は、あなたを走らせる方が先です」
「……はい」
「なら、ちゃんと戻ってきてください」
頷いて手を離す。セシルさんはもう大きな治癒を使えない。それでも僕を最後の一走へ戻してくれた。
「来るぞ」
レオンさんの声で空気が変わった。
ガルーダが旋回をやめ、金色の目をこちらへ向ける。僕は岩陰から離れ、奴からよく見える場所へ出た。
「配置につけ!」
グレンさんの声で全員が動く。《天縛の鎖》はドーガさんが支え、グレンさんも左手を添える。ヴィオラさんは杖を構え、レオンさんは残り少ない矢の一本を番えた。
ガルーダが翼を畳む。
「まだだ!」
高空から黄金の巨体が落ちてくる。体は逃げろと叫んでいるけれど、僕はレオンさんの声だけを待った。
「左へ二歩!」
言われた瞬間に動く。巨大な爪が背中すれすれを抜け、岩盤へ突き刺さった。
「ヴィオラ!」
「少しだけなら、まだ邪魔できるわ」
ヴィオラさんの眠りがガルーダを包む。もう《永久睡宮》ほどの力はない。それでも巨体の動きがほんのわずかに鈍り、その隙をレオンさんの矢が逃さなかった。
目の前を矢がかすめ、ガルーダが首を振る。
「今だ!」
《天縛の鎖》が放たれた。
太い鎖がガルーダの脚へ絡みつき、張り詰める。最初の一撃だけで歪んだ環が激しく鳴り、固定具に入っていた亀裂がさらに伸びた。
「落とすぞ!」
「おおおおおっ!」
ドーガさんが鎖を両腕で抱え込む。盾はもうない。傷だらけの体そのものを錨にして、空へ戻ろうとする神鳥を引き止める。
グレンさんも左手一本で鎖を引いた。ガルーダが羽ばたくたびに二人の足元が削れ、それでも少しずつ高度を奪っていく。
「上がるぞ!」
レオンさんの矢が飛ぶ。一本では傷一つつかない。それでも上へ逃げようとするたびに顔の前へ矢が入り、ガルーダの進路をわずかに乱した。
「もう少しだけ……」
ヴィオラさんも杖を握りしめる。残った魔力を絞り出すように眠りを重ねると、ガルーダの翼が一瞬遅れた。
「今だ、引けぇぇぇ!」
グレンさんとドーガさんが同時に鎖を引く。
ガルーダの巨体が傾いた。高度が一気に落ち、黄金の翼が山肌をかすめる。
その瞬間、《天縛の鎖》の環が一つ弾け飛んだ。
「切れた!」
「まだ残ってる!」
ドーガさんが残った鎖を握り直す。掌から血が流れているのに、指は開かなかった。
ガルーダがもう一度翼を広げる。鎖が悲鳴みたいな音を立て、今度は固定具そのものが半分まで裂けた。
「あと一回持つかどうかだ!」
「一回ありゃ十分だ!」
グレンさんが叫ぶ。
レオンさんの矢がまた顔の前を横切り、ヴィオラさんの眠りが最後に重なった。その一瞬を使って二人が鎖を引き切る。
黄金の巨体が山肌へ叩きつけられた。
轟音とともに土と石が舞い上がる。ガルーダはすぐに暴れ始めたけれど、《天縛の鎖》がぎりぎりでその巨体を地上へ縫い止めていた。
「テオ!」
「はい!」
走る。
今度は探さない。最後の心臓がある方向も、飛び立つ瞬間に道が開く位置も分かっている。
暴れる翼の下へ潜り込み、前に見た場所へ体を入れる。黄金の羽がすぐ横を通るたびに風圧で足が揺れたけれど、止まらなかった。
ここだ。
短剣を両手で握り、翼の根元へ構える。
「入りました!」
グレンさんがこちらを見る。
「本当に緩めるぞ!」
「お願いします!」
「ドーガ!」
「ああ!」
二人が鎖を緩めた。
ガルーダはすぐに反応した。地面へ伏せていた巨体を起こし、逃げるために脚へ力を込める。
待っていた。
ガルーダが地面を蹴る。
巨大な翼が一気に開き、翼の付け根が持ち上がった。胸を覆っていた筋肉が左右へ引かれ、骨格そのものが動く。閉ざされていた体の奥へ、あの細い道が現れた。
僕はもう、その目の前にいる。
最後の拍動を感じた方向と道が重なり、〖フライドチキン〗の感覚が強くなる。間違いない。
「そこだ!」
一歩踏み込んだ。
その瞬間、ガルーダの金色の目が僕を捉えた。
巨体が捻れる。
開いていた道がずれた。
「テオ!」
このままじゃ閉じる。
次の瞬間、ガルーダの脚に絡んだ鎖が激しく張った。
「まだ行かせねえぞ!」
グレンさんが左手一本で《天縛の鎖》を引いていた。右腕が使えないまま、それでも全身を使ってガルーダの体を引き戻す。
鎖が一本、弾け飛んだ。
「グレン!」
「いいから行けぇぇぇ!」
ガルーダの体がほんのわずかに戻る。
道が重なった。
それでも神鳥の目はまだ僕を見ている。
「これで最後だ」
レオンさんが、矢筒に残っていた最後の一本を番えた。
震える右手で弦を引き絞る。
矢が飛んだ。
黄金の羽は狙わない。ガルーダの目の前を正確に横切り、その視線を一瞬だけ僕から外す。
「今よ、テオ!」
ヴィオラさんの杖から、最後の魔力が放たれた。眠らせるほどの力なんて残っていない。それでもほんの一瞬、ガルーダの瞼が重くなる。
その一瞬で十分だった。
踏み込む。
短剣を突き出す。
黄金の羽には触れない。大きく開いた翼の根元を抜け、引かれた筋肉の間へ刃を通す。骨の横を抜け、そのさらに奥へ押し込んだ。
ドクン。
手の中に、最後の拍動が伝わった。
「届いた!」
ガルーダが咆哮する。
翼が動き、開いていた道が閉じ始める。短剣ごと腕を押し戻されそうになった。
「っ……!」
離さない。
一つ目も。
二つ目も。
この鼓動も、僕が止める。
「止まれぇぇぇ!」
両手で短剣を押し込んだ。
ドクン。
刃の先で心臓が大きく震える。
もう一度、激しく脈打った。
そして。
最後の鼓動が、止まった。
同時に《天縛の鎖》が大きな音を立てて千切れた。
ガルーダの体から力が抜ける。空へ向かって開いていた黄金の翼が止まり、その巨体がゆっくりと傾いた。
「テオ! 離れろ!」
短剣を抜き、全力で走った。
背後から巨大な影が迫る。地面へ飛び込んだ直後、轟音が山を揺らし、土煙が一気に周囲を覆った。
しばらく耳鳴りしか聞こえなかった。
「テオ!」
肩を掴まれて顔を上げる。グレンさんだった。
「生きてるか!」
「……はい」
差し出された左手を掴んで起き上がる。
土煙の向こうでは、ドーガさんがその場へ座り込み、レオンさんは空になった弓を杖代わりにしていた。ヴィオラさんはセシルさんに肩を借り、セシルさん自身も立っているのがやっとに見える。
それでも、六人ともいる。
その向こうに、黄金の巨体が横たわっていた。翼は動かず、胸も上下していない。
僕はゆっくり近づき、ガルーダへ手を触れた。
もう〖フライドチキン〗が仕留める場所を示すことはなかった。
「……三つ、全部止まりました」
グレンさんがその場へ座り込み、大きく息を吐く。
「倒したんだな?」
「はい」
目の前の黄金の翼は、もう動かなかった。




