飛ばしてください
ガルーダは高空を旋回したまま、もう簡単には降りてこなかった。こちらの攻撃が届かない高さを保ち、翼を振るたびに暴風だけを山肌へ叩きつけてくる。盾を失ったドーガさんも含め、互いに庇いながら暴風をしのぐ今の状態では、いつまでも持つはずがなかった。
「右から来る!」
レオンさんの声で全員が身を低くする。直後、暴風が岩を削り、砕けた石が頭上を飛んでいった。グレンさんは左手だけで剣を握り、ヴィオラさんも最低限の魔法しか使えない。セシルさんの治癒だって、もう簡単には頼れない。
僕も空を見上げながら、最後の心臓について考え続けていた。一つ目を刺したときに感じた三つの拍動。そのうち二つはもう止めた。残った一つがどの辺りにあるのか、大まかな方向は覚えている。
でも、さっきガルーダの懐まで入っても、そこへ刃を通せる道はなかった。黄金の羽だけが邪魔なんじゃない。その奥の骨と筋肉までが重なり、最後の心臓を完全に閉じ込めている。
「……何かあるはずだ」
三年間、鳥を狩り続けてきた。翼を畳む瞬間も、羽ばたく瞬間も、地面を蹴って飛び立つ瞬間も何度も見てきた。だからこそ、さっき吹き飛ばされる直前に見たガルーダの動きが引っかかっていた。
地面を蹴った瞬間だけ、巨大な翼が普段よりも大きく開いていた。翼の根元から胸の奥まで、体の形そのものが大きく動いていた気がする。
「……待ってください」
グレンさんが空を警戒したまま僕を見る。
「何か分かったか?」
「まだ確信はありません。でも、さっき一度だけ違う動きをしました」
地上で暴れていたときも、翼を振り回していたときも、最後の心臓への道は閉じたままだった。空を飛んでいる今も同じだ。
「飛び立つ瞬間です。地面を蹴って翼を大きく開いたときだけ、翼の根元から胸にかけて骨格が大きく動きました」
「それで道が開くかもしれねえってことか」
「はい。最後の拍動を感じた方向と重なってました」
ただ、もう一度見なければ確信できない。問題は、ガルーダがもう僕たちへ近づいてこないことだった。
「でも、あいつはもう降りてこねえぞ」
グレンさんの言う通りだ。ガルーダは僕たちの間合いを覚えている。高空から削っていれば、自分から危険な距離へ入る必要なんてない。
そのとき、また暴風が落ちてきた。
「伏せて!」
セシルさんの声に体を低くする。石が背中を叩き、岩陰から少し出ていた僕の足元まで地面が抉られた。
ガルーダは僕を見ている。一つ目と二つ目の心臓を潰したのが誰なのか、もう完全に覚えているようだった。だから僕を近づかせない。それなら逆に、あいつが僕を確実に殺せると思う状況を作ればいい。
「僕を使いましょう」
セシルさんがすぐにこちらを向いた。
「何をする気ですか」
「僕を狙ってるなら、それを利用できます。少しずつ岩陰から離れます」
「高空から風を撃たれるだけでは意味がないでしょう」
「何度か避けます。それでも僕を仕留めきれなければ、直接来るかもしれません。そのときに飛び立つ動きを見ます」
グレンさんが空を見上げる。
「賭けだな」
「はい。でも、このまま削られ続けるよりは」
しばらく考えたあと、グレンさんが僕の肩を左手で叩いた。
「俺たちがすぐ届く位置からは出るな。あいつがテオを狙うなら、それを利用する」
「……囮ですね」
「一人にはしねえよ」
レオンさんも弓を握り直した。
「急降下に入ったら俺が軌道を読む。勝手に避けるな。言った方向へ動け」
「分かりました」
「ドーガはテオの近くにいてくれ」
「盾はもうないぞ」
「それでもお前が一番頑丈だ」
「今それを言うか」
ドーガさんが苦笑した。
最初の暴風を岩陰でやり過ごし、次は僕だけ少し外へ出た。ガルーダはすぐに気づき、風の向きをこちらへ変えてくる。
「左!」
レオンさんの声で走る。暴風がすぐ後ろの地面を抉った。
次はさらに岩から離れる。グレンさんたちも僕との距離を保ったまま動き、すぐ助けに入れる位置を崩さない。もう一度暴風が落ちてきた。
「前へ二歩!」
言われた通りに飛び出すと、背後で石が弾けた。胸が痛む。足も重い。それでも走れる。
ガルーダが上空で旋回する。その金色の目は、ずっと僕から離れなかった。
「……来い」
次の羽ばたきが来なかった。
ガルーダが翼を畳む。
「来るぞ!」
黄金の巨体が高空から落ちてきた。狙いは僕だ。
「まだ動くな!」
レオンさんの声に足を止める。体は今すぐ逃げろと叫んでいる。それでもガルーダから目を逸らさなかった。
巨大な爪が、はっきり見える距離まで近づく。
「右だ!」
走った。
同時にレオンさんの矢がガルーダの顔へ飛び、グレンさんが左手の剣を振るう。ヴィオラさんの眠りも重なり、ほんのわずかだけ突入角度がずれた。
巨大な爪が僕のすぐ横へ落ち、岩盤を砕く。ガルーダはそのまま僕を追おうと首を振ったけれど、ドーガさんが体ごと間へ入り、進路を邪魔した。
「見るなら今だ!」
僕はガルーダだけを見る。地上へ爪をついた巨体がどう動くのか、その一瞬も見逃さない。
ガルーダが地面を蹴った。
巨大な翼が一気に開く。空を飛んでいるときよりも深く、強く。翼の付け根が大きく持ち上がり、胸を覆う筋肉が左右へ引かれた。巨大な骨格そのものが動き、それまで完全に閉じていた体の奥へ、細い経路が生まれる。
その先は、一つ目の心臓を刺したときに感じた最後の拍動の方向と重なっていた。
「そこだ……!」
同時に〖フライドチキン〗の感覚が強くなる。
間違いない。あの道を通れば、仕留められる。
「テオ、戻れ!」
分かっている。それでも、目の前に初めて道が開いた瞬間、僕は反射的に走っていた。
「届く!」
ガルーダの翼がさらに広がる。短剣を抜き、開いた経路へ向かって腕を伸ばした。
あと少し。ほんの少しだけ。
ガルーダの脚が地面を離れた。
「くっ……!」
届かなかった。
刃先のすぐ向こうで筋肉が戻り、開いていた道が閉じていく。直後、ガルーダの羽ばたきがまともに襲ってきた。
「うわっ!」
体が吹き飛ぶ。地面へ叩きつけられる直前、ドーガさんが僕の腕を掴んだ。二人で転がったけれど、岩へぶつかる前には止まった。
「馬鹿野郎! 見るだけじゃなかったのか!」
「……すみません。見えたら、行けそうだったので」
「止めても行っただろ、こいつ」
レオンさんに言われ、否定できなかった。
「そこまでです」
セシルさんが僕の胸元へ手を当てる。
「さっき治したばかりなんですからね。次は本当にありません」
「はい」
今度は素直に頷いた。
ガルーダはもう高空へ戻っている。でも、今度こそ分かった。
「最後の心臓へ届く道があります」
五人の表情が変わる。
「飛び立つ瞬間です。地面を蹴って翼を最大まで開くときだけ、翼の根元と胸の骨格が動きます。その一瞬だけ、最後の心臓まで刃を通せます」
「さっきは間に合わなかっただろ」
「見てから走ったからです。最初から、あの位置にいれば届きます」
ヴィオラさんが空を見上げた。
「問題は、もう一度あの子を地面まで降ろすことね」
「降ろします」
僕は《天縛の鎖》を見る。何本もの環が歪み、固定具にも大きな亀裂が入っている。全力で使えるのは、あと一度だけ。
「最後の《天縛の鎖》で地上へ落とします」
グレンさんが眉を寄せた。
「それじゃ今までと同じだろ。押さえ込んでる間は道が開かねえんじゃないのか?」
「だから、押さえ続けないでください」
「……何?」
「飛ばしてください」
誰もすぐには答えなかった。
「一度《天縛の鎖》で地上へ落とします。僕が最後の心臓へ届く位置まで入ったら、拘束を緩めてください。ガルーダが逃げようとして地面を蹴れば、あの道が開きます」
せっかく捕まえた神鳥を、わざと放す。自分で言っていても無茶な作戦だと思う。
グレンさんが地面を這う《天縛の鎖》へ目を落とした。
「最後の鎖で一度落とす。テオが潜り込んだら拘束を緩めて、わざと飛ばす。その瞬間に刺す。そういうことだな?」
「はい。そこしかありません」
「失敗したら?」
セシルさんの問いに、今度はすぐ答えられなかった。《天縛の鎖》はあと一度。さっきみたいにガルーダが空へ戻れば、もう同じ状況を作る手段はない。
「……次はありません」
短い沈黙が落ちた。
ドーガさんには盾がない。グレンさんは右腕を使えず、レオンさんの右手も震えている。ヴィオラさんの魔力も残り少なく、セシルさんの治癒だって限界が近い。僕だって、もう何度も倒れて、何度も治してもらった。
それでも、やっと最後の道を見つけた。
グレンさんが左手で剣を握り直す。
「一回だけだぞ」
「はい」
「次は見てから走るな。最初から届く場所にいろ」
僕は強く頷いた。
ガルーダが高空で旋回している。
最後の心臓。最後の《天縛の鎖》。そして、地上から飛び立つ一瞬だけ開く道。
グレンさんが地面を這う神器へ左手をかけた。
「なら、もう一回やるぞ!」




