神鳥の本気
二つの心臓を失ったガルーダは、遥か上空を旋回していた。左翼の付け根からは血が流れ、飛ぶたびに黄金の羽へ赤い筋が伸びている。それでも高度は落ちない。むしろ僕たちの攻撃が届かない場所を選ぶように、一定の距離を保ち続けていた。
「……二つ潰して、まだあれかよ」
グレンさんが右腕を押さえながら吐き捨てる。《天断》を放った腕はセシルさんに治療してもらっても、まだ満足に上がらない。レオンさんの右手も震え、ヴィオラさんは杖を支えにして立っていた。
「来る」
レオンさんの声に全員が身構えた。けれど、ガルーダは降りてこない。高空で巨大な翼を振り上げ、そのまま僕たちへ向けて叩きつけた。
「伏せろ!」
遅れて轟音が届いた。上から押し潰すような暴風が山肌へ叩きつけられ、石や折れた枝が一斉に舞い上がる。ドーガさんが亀裂の入った盾を構え、その後ろへ入った僕たちにも衝撃が突き抜けてきた。
「ぐっ……!」
足が滑り、膝をつく。最初に受けた羽ばたきとは違う。ただ進路を変えるための風じゃない。明確に僕たちを狙って放っている。
ようやく風が弱まったとき、周囲の地面は石で抉られ、何本もの木が倒れていた。ガルーダ自身は、まだ遥か上にいる。
「降りてこなくても、こっちを削れるのかよ」
「こっちの間合いを覚えたんだ」
レオンさんが矢を放つ。高空へ伸びた矢は途中まで真っすぐ飛んだものの、ガルーダの周囲を渦巻く風に流され、黄金の体へ届く前に逸れていった。
「この高さじゃ無理だ。《天眼・墜星》も、もう撃てない」
「私の魔法も届きはするけれど、今の状態では押し切れないわ」
ヴィオラさんも空から目を離さない。《永久睡宮》を使った直後より呼吸は落ち着いているけれど、もう一度同じだけの魔力を出せるようには見えなかった。
ガルーダが再び翼を振り上げる。
「また来るぞ!」
二度目の暴風が落ちてきた。ドーガさんの盾へ石が次々とぶつかり、亀裂がさらに広がる。僕も顔を腕で庇ったけれど、細かい石が頬や肩を切っていった。
「ドーガさん、腕も開いてます!」
「今はいい! 治すなら次にしろ!」
盾を持つ左腕からまた血が流れている。それでもドーガさんは構えを崩さなかった。僕が治癒術を使えば使うほど、僕自身の魔力も減っていく。セシルさんも同じだ。
「テオ、今は残してください。まだ戦いは終わっていません」
「……はい」
悔しいけれど、その通りだった。
上空のガルーダが一度だけ大きく体を傾けた。一瞬、飛行が乱れたように見える。二つも心臓を失っているんだから、当然だと思った。
次の瞬間、ガルーダの胸の奥が大きく脈打った。遠くから見ているだけなのに分かるほど、巨体全体が一度震える。そこから翼の動きが急に強くなり、傾いていた体が元の高さへ戻った。
「……残った一つが、無理やり全身を動かしてる」
思わず口に出した。
「分かるのか?」
「飛び方が一度崩れました。でも今、大きな拍動のあとに戻った。二つ失って平気なんじゃないです。残った心臓に負担を集中させて、それでも飛んでるんだと思います」
グレンさんが顔をしかめる。
「弱ってはいるってことか」
「はい。でも……弱って、これです」
誰も笑わなかった。
三度目の羽ばたきが来る。今度は真正面から受けず、全員で大きな岩の陰へ走った。暴風が岩を叩き、表面が削れて小石が降ってくる。
ガルーダは僕たちが隠れたのを見ると、すぐに旋回して角度を変えた。
「まずい。回り込むぞ」
レオンさんの言葉どおり、ガルーダは別方向へ移動する。岩陰まで使わせないつもりらしい。
「……頭いいな、こいつ」
「二百年倒されてない理由が、硬い羽だけじゃなさそうね」
ヴィオラさんが静かに答えた。
次の暴風が来る前に場所を変える。走るだけでも胸や肩が痛み、さっきまでなら何でもなかった斜面がきつい。六人とも、確実に削られていた。
「このままだと先にこっちが尽きるぞ」
「ああ」
グレンさんが空を睨む。
「だが、あいつもずっと上から風だけ撃って終わりってわけにはいかねえはずだ」
「どうしてです?」
「俺たちがまだ動いてるからだ」
その言葉が終わるより先に、レオンさんが叫んだ。
「来る!」
今度は羽ばたきじゃない。ガルーダが翼を畳み、高空から一気に落ちてくる。
「散れ!」
六人が別方向へ走った。黄金の巨体が地面すれすれまで降り、巨大な爪がさっきまで僕たちのいた場所を抉る。岩盤が割れ、その衝撃だけで体が浮きそうになった。
ガルーダはそのまま飛び去る。
「一撃離脱かよ!」
「近くに留まる気がない」
レオンさんが歯を食いしばる。
ガルーダは完全に戦い方を変えていた。高空から削り、隙ができたときだけ高速で突っ込んでくる。僕たちに囲まれる前に、すぐ空へ戻る。
しかも、旋回するたびに金色の目が僕を追っていた。
「また僕を見てる……」
一つ目も二つ目も、僕が心臓を止めた。あいつがどこまで理解しているのかは分からない。でも少なくとも、僕を近づけてはいけないことは覚えたらしい。
「テオ、俺から離れるな」
「はい」
グレンさんが左手だけで剣を持ち、僕の前へ立つ。右腕はまだ使えない。それでも下がる気はなかった。
ガルーダがもう一度急降下してくる。レオンさんの矢が飛び、ヴィオラさんの眠りが重なる。どちらも決定打にはならない。それでもほんのわずかに軌道がずれ、グレンさんが僕を横へ押した。
巨大な爪が目の前を通り過ぎる。風圧だけで体勢が崩れた、その瞬間だった。
ガルーダのもう片方の脚が地面を蹴る。
「テオ!」
避けきれない。目の前へ黄金の爪が迫る。
「させるか!」
ドーガさんが飛び込んできた。亀裂だらけの大盾が、僕とガルーダの間へ入る。
爪が叩きつけられた。
ドォン、と腹の底まで響く音がした。
「ぐっ……!」
ドーガさんの膝が沈み、大盾の亀裂が一気に広がる。それでも爪は止まらず、盾ごとドーガさんを押し潰そうとした。
「ドーガさん!」
「下がれ!」
逃げようとしたけれど、ガルーダはすぐにもう一度脚を持ち上げた。次は持たない。僕にも分かったし、ドーガさんにも分かっているはずだ。
それでも、一歩も退かなかった。
「三年も一緒にやってきて、今さら後ろの仲間に爪なんぞ通せるかよ!」
ドーガさんが盾を握り直す。割れかけた大盾を地面へ叩きつけ、腰を落とした。
「盾技奥義――《不落城》!」
ガルーダの爪が振り下ろされた。
轟音とともに地面が割れた。衝撃が盾を抜け、後ろにいる僕の胸まで震わせる。ドーガさんの足元は砕け、両脚が地面へ沈んでいた。
それでも退かない。
「うおおおおおおッ!」
ガルーダがさらに体重をかける。盾が軋み、亀裂が中央まで走った。
そして、大盾が真っ二つに砕けた。
「ドーガさん!」
それでも爪は僕まで届かなかった。ドーガさんは残った盾の半分を両腕で支え、最後までガルーダの爪を押し返していた。
「今だ、テオ! 長くは持たん!」
走った。
今しか近づけない。
ガルーダの懐へ入り、一つ目を刺したときに感じた最後の拍動が、どこから伝わってきていたのかを必死に思い出す。胸じゃない。背中側でもない。もっと奥だ。
「どこだ……!」
ガルーダが体を捻る。骨格が動き、筋肉が盛り上がる。そのたびに僕が覚えている拍動の方向が、厚い骨と筋肉の向こうへ隠れていった。
〖フライドチキン〗の感覚も掴みきれない。最後の一つは確かにこの体のどこかにある。それなのに、一つ目や二つ目みたいに刃を通せる場所がない。
「道が……ない」
黄金の羽だけの問題じゃない。その奥まで完全に閉じている。
「テオ、離れろ!」
グレンさんの声が飛んだ。
ガルーダの翼が動く。
逃げるのが遅れた。
翼の端が僕の体を捉えた。
「がっ……!」
一瞬、何も聞こえなくなった。景色が回り、背中から地面へ落ちる。そのまま何度も転がって岩へ叩きつけられた。
息ができない。起きようとしても、足に力が入らなかった。
ぼやけた視界の向こうで、ガルーダが地面を蹴る。
巨大な翼が、今までより大きく開いた。
その瞬間だけ、翼の根元から胸の奥へかけて、何かが大きく動いた気がした。
けれど、考える前に痛みで息が詰まった。
「テオ!」
セシルさんが駆け寄ってくる。胸へ手を当てられた瞬間、その顔色が変わった。
「動かないで。肋骨が折れてます」
「ドーガさんを……」
「ヴィオラが引き離しています。今はあなたです」
治癒の光が胸へ流れ込んでくる。折れた骨が戻っていく感覚と一緒に痛みは少しずつ引いたけれど、セシルさんの呼吸も荒くなっていた。
「全部は治しません。走れるところまで戻します」
「……はい」
「次に同じものをまともに受けたら、私でも間に合わないかもしれません」
静かな声だった。だから余計に重かった。
起き上がると、少し離れた場所ではヴィオラさんとレオンさんがドーガさんを支えていた。大盾はもう使えず、ドーガさんの両腕にも力が入っていない。
グレンさんは《天断》の反動で右腕が上がらない。レオンさんの《天眼・墜星》も、ヴィオラさんの《永久睡宮》も使い切った。ドーガさんは《不落城》まで使い、セシルさんも治癒を重ねて魔力を削られている。僕自身も治癒術と負傷で、呼吸を整えるだけで精いっぱいだった。
「《天縛の鎖》は?」
レオンさんに聞かれ、ドーガさんが地面へ落ちた鎖を見る。何本かの環が歪み、固定具の一つには大きな亀裂が入っていた。
「……もう一回だな」
「一回?」
「全力で使えるのは、あと一回だ。それ以上やれば鎖の方が持たん」
グレンさんが何も言わず、空を見上げる。
ガルーダはもう高空へ戻っていた。二つの心臓を失い、体から血を流している。それでもまだ、あそこにいる。
僕たちは一つの心臓を潰すたびに、奥義を使い、神器を使い、傷を増やしてきた。残っている切り札はほとんどなく、《天縛の鎖》もあと一度しか使えない。
なのに最後の心臓へは、刃を通す道すら見つかっていなかった。
ガルーダが翼を広げる。
「……まだ飛べんのかよ、化け物め」
グレンさんが空を睨んだ。
心臓を二つ潰し、三人が奥義を使い、ドーガさんまで盾を失い、神器も壊れかけている。それでも追い詰められているのは、僕たちの方だった。
僕たちはまだ、神鳥に殺される側だった。




