出し惜しみなし
一つ目の心臓を失ったガルーダが、上空で激しく翼を広げた。さっきまでは僕たちを振り払うように飛んでいたのに、今は違う。旋回するたびに巨大な頭がこちらを向き、その視線は何度も僕を捉えていた。
「完全に目ぇつけられたな、テオ」
「みたいですね……」
グレンさんの右手はまだ震えている。ドーガさんの腕も傷が開き、ヴィオラさんは何度も強い眠りを重ねたせいで呼吸が少し乱れていた。僕はドーガさんの傷へ治癒術を流しながら、セシルさんと手分けして戦える状態まで戻していく。
「全部治そうとしなくていいですよ。出血が止まれば動けます」
「テオに言われるようになったか」
「今は僕も治癒師ですから」
「今も、だろ」
ドーガさんが笑ったところで、レオンさんが空を見上げた。
「来るぞ」
ガルーダが翼を畳んだ。
次の瞬間には、もう目の前まで迫っている。レオンさんの矢が続けざまに顔へ飛び、グレンさんが横から剣を振るう。ガルーダは黄金の羽でその両方を弾き、そのまま僕へ向かって巨大な嘴を突き出してきた。
「テオはやらせん!」
ドーガさんが割り込んだ。大盾と嘴が激突し、凄まじい音とともにドーガさんの足元が抉れる。それでも軌道を逸らし、僕の横を巨大な頭が通り過ぎた。
「今よ!」
ヴィオラさんの眠りが重なる。完全には眠らないけれど、ガルーダの翼がほんの一瞬だけ鈍った。その隙にグレンさんが僕の襟を掴み、後ろへ引っ張る。
「見るのはいいが、食われんなよ!」
「分かってます!」
距離を取りながら、僕はガルーダの体を見た。
一つ目の心臓を刺したときの感触を思い出す。短剣を通して伝わってきた二つの拍動は、同じ場所から響いていたわけじゃない。一つはもっと背中側。それも、最初に潰した心臓より左へ寄っていた。
治癒師として人の体に触れてきた経験がなければ、ただの振動としか思わなかったかもしれない。でも、あれは違う。一定の間隔で収縮し、血を押し出す拍動だった。
「グレンさん!」
「分かったか!」
「正確な場所まではまだです。でも、一つは左の翼に近いです。背中側だと思います!」
グレンさんがガルーダを見上げる。
「そこまで分かりゃ十分だ。どうすりゃ届く?」
「翼が邪魔です。あれを大きく持ち上げないと、たぶん無理です」
「黄金の羽を斬らなくていいんだな?」
「はい。欲しいのは、その奥へ入れる一瞬だけです!」
ガルーダが再び高度を上げる。さっき一つ目を刺されたことを覚えているのか、今度は簡単に地上近くへ降りてこない。
グレンさんはしばらく空を見たあと、剣を両手で握った。
「なら、作るぞ」
「グレン?」
ヴィオラさんの声に、グレンさんが笑う。
「出し惜しみなしだろ」
構えが変わった。
何度も一緒に遠征し、何度もグレンさんの剣を見てきた。それでも知らない構えだった。剣を低く下げただけなのに、周囲の空気が張り詰めていく。
レオンさんがそれを見て、すぐに弓を構え直した。
「どこを動かしたい」
「左翼だ。上へ跳ね上げる」
「なら、正面からじゃ逃げるぞ」
「逃がすな」
「無茶を言う」
そう言いながら、レオンさんは一本の矢を取り出した。ヴィオラさんも二人の会話だけで意図を理解したらしく、杖を握り直す。
「私が止められるのは、本当に一瞬だけよ」
「一瞬ありゃ斬れる」
「斬れてないけどな」
「うるせえ!」
レオンさんが珍しく口元を緩めた。
ガルーダが旋回する。
僕を狙っている。
「テオ、こっちへ来い!」
グレンさんに呼ばれ、すぐそばまで走る。
「俺から離れすぎんな。あいつがテオを狙うなら、それを使う」
「囮ってことですか?」
「五人で守る囮だ。贅沢だろ?」
「全然うれしくないです!」
言っている間にもガルーダが向きを変えた。
来る。
「レオン!」
「ああ」
ガルーダが急降下を始めた瞬間、レオンさんが矢を番えた。狙っているのはガルーダの体じゃない。飛びながら何度も視線を動かし、翼が開くたびに生まれるほんのわずかな変化を追っている。
そして、弦を引き絞った。
「弓技奥義――《天眼・墜星》」
矢が消えた。
そう見えた次の瞬間、ガルーダの左翼の付け根に突き立っていた。
黄金の羽を貫いたんじゃない。翼を振り下ろす直前、羽と羽の間に生まれた針ほどの隙間へ通したんだ。
ガルーダの左翼がわずかにぶれる。
すぐに立て直そうとする。
「逃がさないわ」
ヴィオラさんが杖を向けた。いつもの眠りとは比べものにならない魔力が一気に広がり、ガルーダの巨体を包み込む。
「眠らなくていい。ほんの一瞬だけ、夢を見なさい」
ガルーダの金色の瞳が、わずかに閉じた。
「睡眠魔法奥義――《永久睡宮》」
翼が止まった。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
「グレン!」
「おおおおおおッ!」
グレンさんが地面を蹴った。
ガルーダはすぐに目を開く。ヴィオラさんの魔法を振り払い、止まっていた翼を動かそうとするけれど、レオンさんの矢が食い込んだ左翼だけがわずかに遅れた。
そこへグレンさんが飛び込んだ。
「剣王奥義――《天断》ッ!!」
剣が振り抜かれる。
轟音とともに地面が震えた。
世界最強と呼ばれる《剣王》の一撃が、ガルーダの左翼へまともに叩きつけられる。
それでも黄金の羽は斬れなかった。
「っ……硬ぇな、クソが!」
だけど、ガルーダの巨体が大きく傾いた。
黄金の羽そのものは無傷でも、《天断》の衝撃までは消せない。左翼が無理やり上へ跳ね上げられ、その下に隠れていた体が露出する。
「テオォォォ!」
「はい!」
僕は走った。
ヴィオラさんの《永久睡宮》はもう解けている。ガルーダが暴れ、左翼を戻そうとしているけれど、レオンさんの矢とグレンさんの一撃でまだ動きが遅れていた。
その一瞬へ飛び込む。
翼の下。
背中側。
さっき感じた拍動があったはずの方向へ、迷わず走る。
近づいた瞬間、〖フライドチキン〗が反応した。
「……合ってる!」
僕が探していた場所と重なった。
ここだ。
翼の付け根より奥。分厚い筋肉と骨に守られた、そのさらに内側。
狩猟用の短剣を握り、黄金の羽が戻る前に体を滑り込ませる。刃を肉へ入れ、骨に当たったところで少しだけ角度を変えた。
ドクン。
強い拍動が手に伝わった。
二つ目。
「見つけた!」
短剣を一気に押し込む。
ガルーダが絶叫した。
体全体が跳ね、閉じかけた翼が僕のすぐ横をかすめる。それでも短剣を離さない。刃の先で暴れていた鼓動が大きく乱れ、何度か不規則に跳ねる。
そして、止まった。
「二つ目……!」
短剣を抜いた瞬間、ガルーダの体が激しく捻れた。
「テオ、戻れ!」
走る。
でも、間に合わない。
巨大な翼がこちらへ振り抜かれる。
「させるか!」
ドーガさんが飛び込んできた。
大盾が翼を受け止める。
バキンッ、と嫌な音がした。
盾の端から大きな亀裂が走った。それでもドーガさんは僕へ直撃する軌道だけは外し、二人まとめて暴風に巻き込まれる。
「ぐっ!」
地面を何度も転がり、肩から岩へぶつかった。鋼羽鳥の《極み》が衝撃を和らげてくれているのに、背中から肩まで激しい痛みが走る。
「テオ! ドーガ!」
セシルさんがこちらへ駆けてくる。
「僕は動けます! ドーガさんを!」
「いや、テオを先に――」
「その腕じゃ次に盾を持てません!」
ドーガさんの左腕はまともに上がっていない。僕は起き上がると、すぐにその腕へ手を当てた。
「テオ、あなたも怪我してるでしょう!」
「僕はあとでいいです! セシルさん、グレンさんをお願いします!」
セシルさんが一瞬だけ僕を見る。
「分かりました。無理はしないで!」
治癒術を流し込む。骨を完全に治す余裕はない。痛みを抑え、腕を動かせるところまで戻す。
ドーガさんが歯を食いしばりながら、割れた盾を持ち上げた。
「……これなら、まだ使える」
「次に同じの受けたら本当に壊れますよ」
「壊れるまでは盾だ」
「そういう問題じゃないんですけど!」
空気が震えた。
二つの心臓を失ったガルーダが、今までで一番大きな咆哮を上げる。
その羽ばたきだけで僕たちは身を低くした。ガルーダは一気に高度を上げ、さっきまでとは比べものにならない高さまで昇っていく。
「……逃げる気か?」
グレンさんが右腕を押さえながら空を見る。《天断》を放った腕はまだ上がらず、セシルさんが治癒を続けている。
「いや」
レオンさんが首を振った。
「こっちの間合いを覚えたんだ」
その言葉どおりだった。
ガルーダは遥か上空を旋回しながら、もう僕たちの近くへ降りてこない。
レオンさんの右手も《天眼・墜星》の反動で震えている。ヴィオラさんは杖を支えにして立っていて、《永久睡宮》をもう一度使えるようには見えなかった。
ドーガさんの盾には大きな亀裂。
グレンさんの右腕は動かない。
僕も治癒術を使い続け、体のあちこちが痛む。
それでも。
「心臓は、あと一つです」
僕の言葉に、五人が空を見上げた。
ガルーダは高い。
近づかなければ、最後の心臓がどこにあるのかも確かめられない。
なのに今度は、近づくことすらできなくなった。




