三つの鼓動
ガルーダがこちらへ向きを変えた。さっきまでの羽ばたきとは違う。黄金の翼を畳み、山肌へ向かって一気に高度を落としてくる。
「来るぞ!」
グレンさんの声と同時に全員が動いた。ガルーダの巨体は、あれだけ大きいのに信じられないほど速い。レオンさんの矢が顔の前へ飛び、わずかに進路がずれたところへドーガさんが大盾を構える。
巨大な嘴が盾へ叩きつけられた。轟音とともにドーガさんの両足が地面へ沈み、それでも正面から受け止めて突進を横へ逸らす。その側面へグレンさんの剣が振り抜かれた。
「硬ぇ!」
剣は甲高い音を立てて弾かれた。ほとんど同時に翼へ当たったレオンさんの矢も、黄金の羽に傷一つつけられない。
「眠らせるわ!」
ヴィオラさんの魔法がガルーダを包んだ。巨体が一瞬だけ揺れたものの、眠りへ落ちることはない。それでも翼の動きがわずかに鈍り、グレンさんとドーガさんがその隙に離れる。
「完全には効かないわ。テオ、近づくなら気をつけなさい」
「はい!」
ガルーダが上空へ戻り、巨大な翼を振り下ろした。ドーガさんが盾を構え、僕たちもその後ろへ入る。それでも防ぎきれない暴風が横から回り込み、全員の体を何歩も押し戻した。
「ドーガさん、腕を!」
さっき嘴を受けた左腕から血が流れている。僕が駆け寄ると、ドーガさんは「これくらい平気だ」と言ったけれど、そのまま次を受けさせるわけにはいかない。
「出血だけ止めます。すぐ終わります」
「なら頼む!」
傷へ手を当て、治癒術を流す。完全に治す必要はない。血を止め、腕に力が入るところまで戻したところで、反対側からセシルさんの声が飛んできた。
「テオ、そのままドーガをお願いします! グレンはこちらで見ます!」
剣を弾かれた衝撃でグレンさんも肩を傷めていた。一度ぶつかっただけで二人が治療を必要としている。それでもガルーダの方には、僕たちがつけた傷が一つも見えなかった。
「普通にやっても駄目だな」
「ああ。予定通り落とすぞ」
グレンさんが剣を握り直し、ドーガさんも治した腕を何度か動かした。後ろには、ここまで運んできた神器《天縛の鎖》がある。
レオンさんが空を見上げる。
「次、左から来る」
「分かるのか?」
「見てればな」
その言葉どおり、ガルーダが大きく旋回して左側から高度を落とした。レオンさんの矢が一発、二発と飛ぶ。黄金の羽を狙うのではなく、顔の前や進路の先へ撃ち込み、ガルーダの向きを少しずつ変えていく。
「ヴィオラ!」
「ええ」
眠りの魔法が重なった。ほんの一瞬だけガルーダの高度が落ち、そこへグレンさんが飛び込む。
「こっちだ!」
剣を翼へ叩きつける。当然、黄金の羽は切れない。それでもガルーダは鬱陶しそうに首を振り、グレンさんへ嘴を向けた。
グレンさんが紙一重でかわす。その横からドーガさんが大盾をぶつけ、巨大な頭を無理やり逸らした。
「今だ!」
《天縛の鎖》が放たれた。
太い鎖が空中で広がり、低く飛んでいたガルーダの片脚へ絡みつく。次の瞬間、鎖が張り詰め、固定していた岩ごと地面が大きく抉れた。
「ぐっ……!」
ドーガさんが鎖を支え、グレンさんも反対側から手をかける。それでもガルーダは止まらず、二人の体を引きずりながら上昇しようとした。
「レオン! 上げさせるな!」
「ああ!」
矢が次々と飛び、上へ逃げようとするガルーダの顔周りへ集中する。ヴィオラさんも何度も眠りを重ね、そのたびに翼の動きがほんのわずかに乱れた。
それでも、落ちない。
神器に縛られ、グレンさんとドーガさんが全力で支えているのに、ガルーダは少しずつ高度を上げていく。翼が一度動くたびに鎖が激しく鳴り、ドーガさんの足元には深い溝ができていた。
「グレン、長くは持たん!」
「分かってる! もう一回、下へ向けるぞ!」
グレンさんが鎖から手を離し、剣を持って走った。レオンさんの矢がガルーダの右側へ集中し、左へ逃げたところへヴィオラさんの魔法が重なる。
ほんの一瞬、ガルーダの翼が鈍った。
「おらぁっ!」
グレンさんの剣が、今度は翼ではなくガルーダの体へ横から叩きつけられた。黄金の羽は斬れない。それでも巨体そのものがわずかに傾き、その瞬間をドーガさんは逃さなかった。
「落ちろ!」
鎖を全身で引く。
ガルーダの高度が一気に下がった。翼を広げて立て直そうとするけれど、レオンさんの矢とヴィオラさんの眠りが続けざまに重なり、もう一度体勢が崩れる。
そして、黄金の巨体が山肌へ叩きつけられた。
地面が跳ねた。岩と土が吹き上がり、近くの木々がまとめて揺れる。
「テオ! 今だ!」
「はい!」
僕は走った。
長くは持たない。地上へ落としただけで、倒したわけじゃない。ガルーダはすでに翼を動かし、《天縛の鎖》から抜けようと暴れている。
それでも、今なら近づける。
土煙の中へ入り、黄金の巨体へ駆け寄った。その瞬間、〖フライドチキン〗が反応する。
来た。
いつもの感覚だった。
肉を余計に傷つけず、一撃で仕留めるための場所が一つだけ、はっきりと分かる。
「見えた……!」
場所は胸の奥だった。
表面を覆う黄金の羽は何重にも重なっている。けれど、地面へ叩きつけられた衝撃で体勢が崩れ、翼と胸の境目にほんのわずかな隙間ができていた。
「ここなら!」
黄金の羽そのものを切る必要はない。僕は体を低くして隙間へ入り込み、狩猟用の短剣を握り直した。
「テオ、急げ!」
後ろで鎖が激しく鳴る。
ガルーダが暴れ、隙間が閉じかけた。
僕は短剣を突き込んだ。
「っ!」
刃が肉へ入る。骨に当てないよう角度を変え、さらに奥へ押し込むと、手の中へ強い拍動が伝わってきた。
ドクン、ドクンと、短剣を握る手まで揺らすほどの鼓動。
間違いない。
「心臓……!」
治癒師として、何度も傷ついた人間の胸へ手を当ててきた。この大きさはまるで違うけれど、命を送り出す拍動を間違えるはずがない。
僕は息を止め、短剣をさらに押し込んだ。
鼓動が大きく乱れた。
そして、止まった。
「やった……!」
「テオ、離れろ!」
グレンさんの声に反応して短剣を抜く。走り出した直後、ガルーダが今まで以上の咆哮を上げた。
「えっ?」
倒れない。
心臓を確かに止めたのに、ガルーダは翼を振り回し、《天縛の鎖》ごと暴れ続けている。むしろ一つ傷を負ったことで、さらに凶暴になったように見えた。
巨大な翼が振り抜かれる。
「テオ!」
逃げ切れなかった。
暴風に背中を押され、体が地面を転がる。肩から岩へぶつかり、鋼羽鳥の《極み》が衝撃を和らげてくれているはずなのに、肩から背中まで焼けるような痛みが走った。
「動かないで!」
セシルさんが駆け寄ってくる。
「僕は大丈夫です。それより、ドーガさんたちを!」
起き上がりながらガルーダを見る。おかしい。〖フライドチキン〗が示した場所へ届いた。短剣の先で、心臓が止まるところまで確かに感じた。
「仕留め損ねたのか!?」
グレンさんの声が飛んでくる。
「違います! 心臓でした! 確実に止めました!」
「だったら、なんでまだ動いてんだ!」
「それが……」
答えようとして、さっき短剣を刺したときの感触を思い出した。
一つの鼓動が止まった。
けれど、その瞬間。
全部の拍動が消えたわけじゃなかった。
ドクン。
刃を通して、別の場所から震えが返ってきた。
さらにもう一つ。
あのときはガルーダが暴れていたから、体全体の振動だと思った。でも違う。一定の間隔で収縮し、血を送り出している。治癒師として知っている拍動だった。
「……嘘だろ」
僕はガルーダの胸を見る。
「テオ?」
セシルさんも僕の様子に気づいた。
「一つじゃないです」
「何が?」
「心臓です」
喉が乾く。
「心臓が、三つあります」
一瞬、誰も答えなかった。
「今ので一つは止めました。でも、刺したときに分かりました。別の場所で、あと二つ動いてます」
ガルーダが翼を広げた。
《天縛の鎖》が大きく跳ね、ついに黄金の巨体が地面から浮き上がる。グレンさんは荒い息を吐き、ドーガさんの腕からはまた血が流れていた。ヴィオラさんも額の汗を拭いながら、空へ戻っていく神鳥を見上げている。
「……三つか」
グレンさんが呟いた。
さすがに笑わなかった。
震える手で剣を握り直し、しばらくガルーダを睨む。
「今ので、やっと一つ」
「はい」
グレンさんが大きく息を吐いた。
そして剣を肩へ担ぐ。
「分かった」
その目が変わった。
「ここからは、出し惜しみなしだ」




