正解のない卵
工房へ戻ると、オルドさんとキアラさんはすぐに孵化箱作りを始めた。
エルナさんが鶏の卵を孵すときの注意を伝え、二人がそれを形にしていく。冷やさず、熱くしすぎず、乾かしすぎず、それでも空気は通す。
「金羽キジにも同じ条件が必要かは分かりません」
「だから全部変えられるようにするんじゃん」
「おぬしが勝手に変えられんようにもしておかねばな」
「なんでアタシ対策まで入ってんの?」
日が暮れる前に、三つの卵は完成した孵化箱へ収められた。
ところが、一刻もしないうちに問題が起きた。
「待ってください。こっちの卵だけ熱いです」
卵へ直接触れないよう手を近づけていたエルナさんが、箱の片側を指さした。熱源に近い場所だけ温まりすぎている。
「これじゃ駄目です。全部出します」
「もう直す!」
キアラさんが箱へ手を伸ばし、エルナさんに止められた。
「先に卵です!」
「分かってるって!」
三つの卵を籠へ戻し、熱源との間に板を増やした。さらに箱の中へ熱を広げるための細い管を通す。
今度は全体がゆっくり温まった。
「よし、成功じゃん!」
「まだじゃ。夜まで見んと分からん」
オルドさんの言った通りだった。
翌朝、箱の温かさは大きく下がっていた。
「夜中に燃料が弱くなったみたいです」
エルナさんは寝不足の顔で帳面を見せた。夜の間も何度か起きて確認していたらしい。
「ずっと見張るのは無理です。私が寝ている間に冷えたら気づけません」
「じゃあ、冷えたら勝手に熱を強くする仕組みつけよ」
「冷蔵設備の逆じゃな。できんことはない」
「今日中にやろ!」
「おぬしは昨日もそう言ったな」
キアラさんとオルドさんが改修している間、僕はエルナさんから卵の動かし方を教わった。
「印を見ながら、ゆっくり向きを変えてください。揺らさないように」
「これくらいですか?」
「もう少しだけ。そうです」
この卵がいつ産まれたのかは分からない。森ではすでに親鳥が温めていたはずだ。
だから、今から世話をしただけで、僕が卵から育てたことになるとは思えない。それでも、今できることから関わりたかった。
改修した孵化箱は、冷えると自動で熱を強くするようになった。
今度こそ大丈夫だと思った。
次の日、キアラさんが箱の前で叫んだ。
「熱くなりすぎてる!」
「止めろ!」
温度を戻そうとする仕組みが働きすぎていた。
また卵を出し、また箱を開ける。キアラさんが調整部分を細かくし、オルドさんが急に熱が変わらないよう作り直した。
「一回で成功しないんですね」
「誰も作ったことがないものじゃ。一回で正解を出せる方がおかしい」
「じゃあ次は成功させよ!」
「反省せんか、おぬしは」
卵だけではなかった。
飼育場へ入れた成鳥は、木の実にも水にも近づかなかった。
翌朝も減っていない。
「餌が違うんでしょうか」
僕が聞くと、エルナさんはすぐには答えなかった。飼育場の隅で身体を低くしている金羽キジと、僕たちの位置を交互に見る。
「一度、全員離れてみませんか。餌じゃなくて、人がいるから動けないのかもしれません」
飼育場の一部へ目隠しを増やし、僕たちは店の中から様子を見ることにした。
昼を過ぎても変化はない。
夕方、餌入れの木の実が一つだけなくなった。
「食べた……!」
エルナさんが帳面へ勢いよく書き込む。
「まだ一つです。これだけじゃ普段も食べるとは言えませんけど、少なくとも全部嫌いなわけじゃないです」
翌日には水も減った。
その次の日には、目隠しの近くで休む姿が見られた。
人が近づけば、まだすぐに隅へ逃げる。それでも、何をすれば少しだけ落ち着くのか、少しずつ分かり始めた。
孵化箱も、問題が出るたびに形を変えた。
温まり方を直し、空気穴を増やし、箱の中が乾きすぎないよう水を置いた。エルナさんが記録し、キアラさんが試し、オルドさんが壊れない形に直す。
僕も朝と夜に卵の向きを変え、帳面へ時間を書いた。
十日ほど過ぎた頃、エルナさんが卵を灯りへ透かした。
「二つは、中に影が見えます」
「もう一つは?」
エルナさんは答える前に、何度か角度を変えた。
「……変化がありません」
工房が静かになった。
「最初から孵らない卵だったのか、運ぶ途中で駄目になったのか、それとも私たちのやり方が悪かったのか……分かりません」
「捨てるのか?」
キアラさんが珍しく小さな声で聞く。
「もう少し待ちます。でも、他の二つとは分けます」
エルナさんは帳面へ、見えたことをそのまま書いた。
原因は不明。
失敗かどうかも、まだ分からない。
「全部残しておきます。次に卵が来たとき、同じことが起きるかもしれませんから」
それからさらに日が過ぎた。
孵化箱を作ってから、二十日ほど。
変化のなかった一つは、最後まで動かなかった。
残った二つも、本当に孵るのか誰にも分からない。卵がいつ産まれたのかさえ知らないから、待つしかなかった。
その朝も、僕は開店前に孵化箱を確認していた。
「温かさは昨日と同じですね」
「卵も動かしますか?」
「お願いします」
エルナさんが帳面を開いたときだった。
こつ。
小さな音がした。
僕たちは顔を見合わせる。
「今の……」
「静かに」
エルナさんが孵化箱へ耳を近づける。
こつ。
三つあった卵のうち、一つの殻に細いひびが走った。
「手を出さないでください。自分で出てくるのを待ちます」
僕もキアラさんも、息を殺して見守った。
もう一度、内側から殻が押される。
ひびが広がり、その隙間から金色の小さなくちばしが見えた。




