暁の牙
店を開けてから、朝の列はもう珍しくなくなった。
冒険者が並ぶ。町の人も並ぶ。持ち帰り用の箱を抱えた客も並ぶ。ギルドマスターは店の前で、「鳥は午後だ」「袋を開けるな」「食うなら列に並べ」と怒鳴っている。
僕は油鍋の前で、通常鳥の肉に衣をつけていた。
「テオさん、次いけます!」
「いきます!」
肉を油へ入れる。
じゅわああっ。
「朝の音だ!」
「定番二つ!」
「食ってから依頼行くぞ!」
いつもの声が返ってくる。
そのはずだった。
列の後ろから、ふっと声が消えた。
ギルド通りの奥から、五人組が歩いてくる。
先頭の男は、旅の外套を片方の肩にかけていた。鎧は傷だらけで、飾りは少ない。後ろの四人も、誰も大声を出していないのに、列の冒険者たちが息をひそめている。
「……《暁の牙》?」
誰かが小さく言った。僕の手が止まった。
《暁の牙》。
王都を拠点にしている、Sランク冒険者パーティー。
黒の塔を攻略した五人。
黒の塔は、王都の北に立つ魔物塔だ。
上へ行くほど魔物が強くなり、誰も最上階まで戻れないと言われていた。
《暁の牙》は、その塔から五人全員で帰ってきた。
子どもの頃、僕はその記録を何度も見た。
黒い塔の前に立つ五人の絵。冒険者になりたいと思った時、最初に覚えた名前だった。
その人たちが、今、僕の店の前にいる。
「……本物だ」
「テオさん、焦げます!」
「うわっ!」
リリカさんの声で、僕は慌てて鍋へ目を戻した。
危なかった。黒の塔を攻略した人でも、鍋の中の肉は待ってくれない。
五人組の先頭が、列の最後尾で足を止めた。
「ここ、最後尾で合ってるか?」
「は、はい!」
「ありがとよ」
男はそのまま並んだ。
「並ぶのかよ」
「《暁の牙》が?」
「黒の塔の人が、俺の後ろに並んでるんだが」
ガイが列の途中で口を開けていた。
「うおお……本物の《暁の牙》だ……!」
「ガイ、口開いてる」
列の端にいたセラが、呆れたように言った。
ガイは本当に口を閉じた。珍しいものを見た。
ギルドマスターが店の前へ出た。
「……グレン。なんでお前がここにいる」
先頭の男が、にやっと笑った。
「久しぶりだな。相変わらず朝から怒鳴ってるのか」
「お前が来ると、怒鳴る仕事が増えるんだよ」
「今日は飯だよ。匂いに負けた」
「お前が飯だけで済んだことがあるか?」
列の冒険者たちが、さらにざわついた。
ギルドマスターと、《暁の牙》のグレン。二人は、昔から知っているらしい。
グレンは店の看板を見上げた。
「王都まで噂が来てたんだよ。鳥型魔物を揚げる店がある。生け捕りを持ってくると、また違うものが食える」
「噂ってのは、余計なものまで運ぶな」
「それと、帝王って店主がいるってな」
「テオです!」
思わず言ってしまった。
店の前で何人かが笑った。グレンも笑った。
「じゃあ、テオ。あとで頼む」
「はい!」
「おい、まだ順番じゃねぇぞ」
「分かってる。ちゃんと並ぶさ」
《暁の牙》は、本当に列に並んだ。
僕は揚げ続けた。
手は動いている。油も見ている。でも、胸の奥はずっと落ち着かなかった。
あの《暁の牙》に、自分のフライドチキンを出す。昔なら、同じ依頼を受けることも、同じ場所に立つことも考えられなかった。
順番が来た。
グレンが店の前に立つ。
近くで見ると、外套にも鎧にも細かい傷がある。黒の塔を攻略した人、という言葉が、急に絵物語ではなくなった。
「一番いいやつをくれ」
店の前が少しざわついた。
リリカさんが注文札を見て、すぐに答える。
「極みは、通常鳥もツノコッコも今日の分が終わっています! 今すぐ出せるのは、通常鳥の特製が一つと、ツノコッコの定番が一つです!」
「じゃあ、その二つをくれ」
「食べ比べですね!」
通常鳥の特製。
ツノコッコの定番。
店の基本と、魔物鳥の入口を一つずつ。
僕はまず、通常鳥の特製を用意した。
下処理まで僕が見た肉だ。定番より厚みがある。衣も少し変える。
相手は《暁の牙》でも、やることは変わらない。一番うまく揚げる。
油へ入れる。
じゅわああっ。
定番より低く、重い音がした。
肉の色を見て、泡の細かさを見て、引き上げる。
「まず、通常鳥の特製です。熱いうちに」
グレンは皿を受け取り、一口かじった。
ばりっ。
「……っ!」
グレンの目が見開かれた。
次の瞬間、残りを二口で食べきる。
「うまい!」
店の前が、一拍遅れて爆発した。
「《暁の牙》が叫んだぞ!」
「うまいって言った!」
「通常鳥の特製だ!」
「俺も特製にすればよかった!」
グレンは空になった皿を僕へ返して、後ろの四人を振り返った。
「全員、覚えとけ! この店は当たりだ!」
「グレンがそこまで言うのか?」
「言う! これは俺だけで判断する飯じゃない!」
ギルドマスターが口の端を上げた。
「お前、フライドチキンで仲間に号令出したのか」
「出すだろ。うまいものを見つけた時の判断は早い方がいい」
「黒の塔の時より判断が早くねぇか?」
「黒の塔は逃げない。揚げたては逃げる!」
店の前がまた沸いた。
「揚げたては逃げる!」
「名言っぽく言うな!」
「いや、分かる!」
「帝王、次の特製いつだ!?」
「テオです!」
言い返したけど、誰も聞いていなかった。
グレンは僕を見る。
さっきまでより、ずっと楽しそうな顔だった。
「次は、魔物鳥の方だな!」
コレットが奥から肉を出してくれた。
「テオさん、ツノコッコ定番用、こっちです!」
「ありがとう!」
ツノコッコの定番。
僕がとどめを刺した分だ。下処理と調理は店の手順に乗せる。でも、ツノコッコは普通の鳥とは違う。肉に少し荒さがある。香りも強い。
僕は厚みを見て、通常鳥より少し強めの衣をつけた。
油へ入れる。
じゅわああっ。
今度は、少し荒い音がした。
揚がった肉は、通常鳥より少し色が濃い。
「ツノコッコの定番です。癖があります」
「いいな。来い!」
グレンは迷わずかじった。
ばりっ!
「荒い!」
店の前の空気が止まった。
グレンはもう一口いった。
今度は、はっきり笑う。
「だが、いい! こっちは依頼帰りだ!」
ガイが列の途中で大きくうなずいた。
「だろ!? ツノコッコは暴れるからな!」
「ガイ、食べ物に勝った顔しないで」
セラがまた冷静に言った。
ガイは胸を張ったまま固まった。
グレンはツノコッコの定番を食べきり、空の皿を置いた。
「通常鳥の特製は、出る前に食う。こっちは帰ってきてから食う。疲れて、腹が減って、強い味が欲しい時だ!」
「リリカさん、今メニュー考えてます?」
「考えてます!」
リリカさんはもう注文札を見ていた。
グレンはギルドマスターを見る。
「持ち込みもありなんだって?」
ギルドマスターが嫌そうな顔をした。
「やっぱりそれか。飯だけで終わるわけねぇと思ったよ」
「終わらない! 終わらせる理由がない!」
グレンは即答した。
「しばらく、この町を拠点にする」
ギルドマスターの声が低くなった。
「……は?」
「王都の依頼が一段落した。次の大仕事まで少し空く。なら、ここで鳥を捕まえて、ここの飯を食う」
「お前、町を何だと思ってる」
「飯がうまくて、鳥がいる場所!」
「雑すぎるだろ」
グレンは悪びれなかった。
「宿は取る。ギルドにも顔を出す。勝手に暴れたりはしない」
「まずギルドで確認しろ。店の前に鳥を積むな」
「分かった。じゃあ、確認ついでに聞く」
グレンは少し考えてから、ギルドマスターに聞いた。
「この辺り、雷鳴ホロホロ鳥はまだ出るか?」
店の前が、また静かになった。
雷鳴ホロホロ鳥。
羽音だけで足がしびれる鳥型魔物だ。倒すより、生け捕りが難しい。
「……あれを生け捕りにするつもりか」
「揚げるなら、生きてた方がいいんだろ?」
グレンが僕を見る。
僕は、油鍋の前で息を吸った。
「できるなら……お願いします」
言ってから、自分でも驚いた。
相手は、子どもの頃から知っている黒の塔の攻略者だ。
でも今、僕は冒険者としてではなく、店主として頼んでいる。
グレンは笑った。
「いい顔になったな、テオ!」
リリカさんがすぐに言う。
「グレンさん、持ち込みは午後受付です。ギルド確認が先です。店の前に鳥を積まれたら困ります」
「分かった。店の前には積まない」
「町の前にも積むな」
ギルドマスターが割り込んだ。
「町の近くで雷を鳴らすな。捕まえるなら森の奥でやれ。あと、持ち込む前に必ずギルドを通せ」
「分かってる。町は荒らさない」
「その言い方が一番信用できねぇんだよ」
「昔よりは落ち着いた」
「自分で言うな」
グレンは店の看板をもう一度見た。
「通常鳥の特製。ツノコッコの定番。次は、こっちが鳥を持ってくる!」
僕は思わず返事をした。
「待ってます!」
《暁の牙》は食べ終わると、そのままギルドへ向かった。
列の冒険者たちは、しばらく誰も動かなかった。
最初に動いたのは、ガイだった。
「テオ! 俺も雷鳴ホロホロ鳥捕まえてくる!」
「ガイはやめて」
セラが即座に言った。
「なんでだよ!」
「ツノコッコを袋から逃がさない練習が先」
「じゃあ練習してから行く!」
「行かないで」
店の前に笑いが起きる。
「テオ! 雷鳴ホロホロ鳥って、うまいのか!?」
「食べたことないです!」
「じゃあ楽しみだな!」
僕は返事をしないまま、次の肉を油へ入れた。
じゅわああっ。




