マルタ
ぎい、と床板が鳴った。
閉まった窓の奥で、誰かが動いている。ギルドマスターが扉を叩いた。
「マルタ婆さん。俺だ。ギルドマスターだ」
「声で分かるよ。扉を壊すんじゃない」
鍵が回り、扉が少しだけ開いた。白髪の小さなおばあさんが顔を出す。背は低いのに、目だけは鋭い。
「また冒険者が何か壊したのかい」
「今日は違う」
「今日は、ね」
マルタさんは、僕とリリカさんを見た。
「その子たちは?」
「ギルド前でフライドチキンの屋台をやってる二人だ。店を探してる」
「ああ、あの匂いの」
僕は頭を下げた。
「テオです。屋台では続けられなくなって、店を探しています」
リリカさんも、ぱっと頭を下げた。
「リリカです! テオさんと一緒にお店をやります!」
「まだ貸すとも言ってないのに、元気だねぇ」
「借りたいです!」
「早いよ」
マルタさんは呆れたように言って、扉を大きく開けた。
「ここはあたしの店だよ。今は使ってない。中に入りな」
中は古かった。
床板は何枚か色が違う。壁には大きな傷が残っている。でも、調理場は広い。棚も、水場も、火を使う場所も残っていた。
リリカさんが、入った瞬間に声を上げた。
「わっ、ここいいです!」
入口から調理場まで見て、ぱっと僕を振り返る。
「テオさん、ここでやりましょう! ここ、お店できますよ!」
「できますか!?」
「できます! 絶対できます!」
リリカさんは、もう空っぽの店に客が入っているみたいな顔をしていた。
「入口に看板を出して、ここでお客さんを迎えて、奥でフライドチキンを出すんです! ここ、すごくいいです!」
ギルドマスターが外を見た。
「ギルドの入口はふさがねぇか」
「ふさぎません! そこもいいです!」
「そこはかなりいい」
ギルドマスターは真顔でうなずいた。
マルタさんは、今度は僕を見た。
「あんたは何を見るんだい」
「調理場です!」
僕は調理場へ入った。
肉を切る台。水場。火を使う場所。揚げたものを置ける棚。
頭の中で、今日の音が鳴った。
じゅわっ。
ここなら、屋台より落ち着いて作れる。
定番も、特製も、極みも分けられる。
金羽キジみたいな試験品も、外から全員に見られながら作らなくていい。
「リリカさん!」
思わず声が大きくなった。
「ここ、店できますよ!」
「ですよね!」
「ここでやりましょう!」
「やりましょう!」
「まだ貸すとは言ってないよ」
マルタさんが、ふんと鼻を鳴らした。
リリカさんはすぐにマルタさんへ向き直る。
「マルタさん、ここ使わせてください! テオさんのフライドチキン、ここなら絶対もっとちゃんと出せます!」
「勢いだけはあるねぇ」
「勢いだけじゃないです! お客さんも来ます!」
外から、ちょうど声がした。
「ここか!?」
「フライドチキンの店、ここになるのか!?」
「まだ開いてねぇぞ!」
リリカさんが勝ち誇った顔をした。
「来ました!」
マルタさんは窓の外を見た。
「……本当に来てるじゃないか」
ギルドマスターが扉へ向かって怒鳴った。
「帰れ! まだ何も決まってねぇ!」
「匂いだけでも!」
「まだ揚げてません!」
リリカさんも扉の前に立った。
「今日は営業ではありません! 決まったら言います! 今は帰ってください!」
「決まったら来る!」
「決まってから来てください!」
リリカさんが扉を閉めると、店の中が少し静かになった。
マルタさんは、壁の大きな傷を指で叩いた。
「ここは前、飯屋だった。冒険者はよく食うし、よく騒ぐ。この傷は、酔った斧使いが椅子を投げた跡だよ。あれで閉める気になった」
「……すまん」
ギルドマスターが低い声で言った。
「次は止めな」
「止める。だからこいつらにも店を持たせたい。ギルド前で騒がれるより、こっちで客を受けた方がまだましだ」
「まだまし、ねぇ」
マルタさんは、僕たちに向き直った。
「使いたいなら使いな。その代わり、火事は出すんじゃないよ。店の中で喧嘩もさせるんじゃない。道をふさぐほど客をためたら、すぐ追い出すよ」
リリカさんが一歩前に出た。
「任せてください! 座らない人には売りません!」
「強いねぇ」
「お店を壊されたら困りますから!」
マルタさんは、リリカさんをじっと見たあと、少しだけ笑った。
「元気な子は嫌いじゃないよ」
僕は調理場を見た。
ここでフライドチキンを作る。
ここで客に出す。
ここに看板を出す。
考えただけで、胸の中で油の音が鳴った。
「マルタさん」
僕はもう一度、頭を下げた。
「ここで店をやりたいです!」
マルタさんは、鍵を手の中で鳴らした。
「だから、使いなって言ってるだろ」
「ありがとうございます!」
リリカさんが僕の横で、ぱっと笑った。
「テオさん! お店です! 本当に、お店になりますよ!」
僕も笑っていた。
「やりましょう。ここでフライドチキンを出しましょう」
ギルドマスターが扉の内側で頭を抱えた。
「喜ぶのはいいが、外の連中をどうにかしろ。こいつら、明日も来るぞ」
リリカさんは、もう入口の上を見ていた。
「じゃあ、名前を考えましょう! 看板がないと、あの人たちが勝手に呼びます!」
外から、また声がした。
「フライドチキンの店でよくねぇか!?」
リリカさんが扉越しに即答した。
「そのまますぎます!」
僕は、思わず笑った。




