四十四、落下
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なんでも願いが叶うっていうならさ。
友が、希望を込めた瞳で言った。
この戦いを、終わらせてほしいって願ってみようか。
灰色の瞳の中の希望を見て、本当に、願いが叶えばいいと、そう思った。
***
祈りの儀式に参加するのだから、シンプルなドレスの方がいいよね、と自分に言い聞かせつつ、ルティアはレコスの絹で作られた白いドレスを身につけた。光の下では薄い桃色にも見える絹のドレスは王妃が国王の婚約者だった時代に着ていたものと同じデザインだ。
(私だって正式に婚約者になったんだし……これを着ても誰も変には思わないわよね。うん)
本日の主役は教会なのだが、国民は王太子が初めて婚約者を伴って公の場に現れるということで盛り上がっている。
ルティアは緊張しつつ、黒い礼装のガルヴィードと共に馬車に乗り込んだ。
「俺達は祈りが終わるまでじっとしていりゃいいだけだ。緊張すんな」
ガルヴィードはがちがちに畏まっているルティアの頭を撫でて苦笑いした。
もう一台の馬車にはアシュフォードが乗っており、二台の馬車の周囲を厳めしい顔つきの護衛騎士が取り囲んでいる。
馬車が通り過ぎると、人々は「早く英雄が生まれますように」と祈って見送った。
やがて大聖堂に到着しルティアがガルヴィードと共に馬車を降りると、集まっていた人々がわっと歓声を上げた。
ガルヴィードはさすがに慣れたもので、王太子らしく堂々と民衆に応えて歩み進んでいく。ルティアはわたわたしながらガルヴィードにくっついていった。
祭壇前に立つ大司教に礼を取り、王族用に設けられた席に立ち儀式の始まりを待った。
ルティアは緊張して失敗しないように気を張っていたが、漆黒の王太子にぴったりとくっつく小柄な少女は人々から微笑ましい目で見守られていた。二人の姿を見て夢の中のアルフリードの勇姿が思い出され、涙を拭う者もいる。
大陸神への祈りを捧げる儀式にも関わらず、多くの人々の意識と敬愛は英雄の父母となる年若い二人に捧げられていた。
儀式はいっさいの滞りなく進み、大司教の声が朗々と響き渡る。ルティアは目を閉じて祈った。
(どうか、ガルヴィードが打ち勝てるように。この国が、魔王に蹂躙などされないように)
その隣で、ガルヴィードは居並ぶ神官達の姿を眺めた。その中に、コゼットの姿がないことを確かめる。
まだ謹慎中なのか、魔王と信じる王太子が参加する儀式になど交わる訳にいかないのか、両方かもしれない。
耳に、ゴドランディアを讃える祝詞が流れる。
ずくずくと、腹の底が不満を訴えるように疼いた。自分ではない何かがそこにいる。
ガルヴィードは隣で熱心に祈るルティアの肩を抱いた。それだけで自分が強くなる気がする。
この儀式が終わったら、大司教に頼んでコゼットに会わせてもらおうとガルヴィードは決意した。
彼女がどうしてガルヴィードを魔王と信じるに至ったのかを聞き、その上でガルヴィードと魔王は違うものだと信じてもらわなければならない。
それから、城に戻ったら今度こそ父母と弟にすべてを打ち明けよう。
ーーー俺は一人じゃない。
ガルヴィードはルティアの肩を抱く手に力を込めた。
儀式は終盤を迎え、荘厳な大聖堂に人々の祈りが満ちる。
兄とその婚約者の少し後ろに立ち、アシュフォードは儀式の終わりを待っていた。
人々が祈っている。彼らの祈りのいくらかは神ではなく英雄の父母へ向けられているのだろう。アシュフォードは大きく息を吸い込み胸を張った。
それから、胸元をそっと手で押さえた。
そこにある硬い感触を確かめて、兄の背を見つめる。
もう少しで、兄の名誉を取り戻せる。
くだらない噂など打ち消して、そんなものに踊らされた連中を懲らしめられる。
そう思い、アシュフォードは儀式が終わりに近づくのをじりじりと待った。
「ゴドランディアの恩寵に感謝し、我らの御心を捧げます。大陸に光あれ」
大司教の声が響き、祈りの儀式が終わりを告げた。
「救国の英雄の父母となる二人に、ゴドランディアの加護をあらんことを」
大司教の前に進み出たルティアとガルヴィードに祝福が与えられ、人々から大きな拍手が沸き起こった。
歓声に応えて、ガルヴィードが民衆に手を振る。ルティアもどぎまぎしながら小さく手を挙げた。
そのまま歩いて、大聖堂の外に出て、周りに集まる民衆にも手を振る。
「兄上」
二人の少し後ろから付いてきたアシュフォードが、兄を呼んだ。
振り向いたガルヴィードの前で、アシュフォードは胸元に手を入れ、何かを取り出した。
ーーーこれで、証明できる。
アシュフォードはそう信じていた。
「これをーーー」
懐から取り出した赤い石を、兄の眼前にかざした。
その赤を目にした瞬間、
ガルヴィードの脳の奥に塞き止められてた映像が水の奔流のように勢いよく流れ出してきて、彼の頭の中をいっぱいにした。
知らない映像。ガルヴィードの記憶には無いそれらが、痛みと実感を伴って蘇ってくる。
怪我した足。差し伸べられた手。灰色の髪と目。繋いだ手。洞窟。黒い山。祈る人々。「ヒュゼル」。呼ぶ声。痛み。悲鳴。怒り。赤。
地に倒され抑えつけられる少年。寄ってたかって彼を切りつける男達。流れ出る血が、固まって石になる。
その石を、口に放り込み、噛み砕き、飲み下す、そいつらを。
絶対に許さないと誓った。
ぐわっ、と、何かにひっ掴まれて、勢いよく地の底に引きずり込まれていく感覚がした。
ガルヴィードは必死に手を伸ばした。
ーーー落ちる!落ちるっ……!
落ちていくガルヴィードとは反対に、何かが、勢いよく這い上っていった。
ーーーああ。違う。お前じゃない。上がるのはお前じゃない!止めろ。返せ!
伸ばした手は届かなかった。
「ルティアっ……!」
それを最後に、ガルヴィードの意識はぶつり、と途切れた。
「ガルヴィード?」
急に動かなくなってしまったガルヴィードを見上げて、ルティアは首を傾げた。
彼に何か赤い石を見せているアシュフォードも、怪訝な顔をしている。
「どうしたの?」
声をかけて顔を覗き込んだ。その時、何故かルティアは背中がぞっとした。
「……違う」
よろよろと後ずさって、アシュフォードに背中がぶつかった。
「ルティア嬢?」
「違う……これ、違う……」
ルティアはがちがちと歯を鳴らし涙を浮かべた。震えが止まらない。
(どうしてーーー?)
いったいどうして、今。ルティアがいたのに。隣にいたのに。
「どうしてっーーーガルヴィードを返してっ!」
震えながら叫んだ。
「何言ってる?兄上は……」
「違う!これはガルヴィードじゃないっ!!」
戸惑うアシュフォードの言葉を遮って、ルティアは力一杯叫んだ。
次の瞬間、ガルヴィードを中心に、ぶわっと強い風が吹き荒れて集まった民衆をことごとく吹き飛ばした。
「っ!!」
飛ばされそうになったルティアを、アシュフォードが受け止めた。
大聖堂の扉が壁に叩きつけられ、神官達の鮮やかな肩布が千切れて空に飛ばされる。
風が止んだ後、人々は何が起きたのかわからず恐る恐る顔を上げた。
地に倒れ、腰を抜かし、座り込んだ人々の真ん中で、ガルヴィードは一人すっくと立っていた。
その彼の体から、ずずず、と黒い焔のようなものが噴き上がって、人々はその禍々しさに声を失った。
「……返せ」
ガルヴィードが、ーーーガルヴィードではない何者かが、ガルヴィードの姿で言った。
「それに手を触れるな……薄汚い人間共め」
憎々しげに口元を歪め、それがアシュフォードを指さした。
「あ、兄上……?」
ガルヴィードの姿をした者の漆黒の目が、アシュフォードを射抜いた。
アシュフォードは心臓が凍り付くような恐怖を覚えた。息が出来ない。喉がひゅーひゅーと鳴った。
その手から、赤い石がこぼれ落ち、地に落ちてかつっと音を立てた。
ガルヴィードの姿をした男が舌を打って手を一振りした。すると、赤い石がふわっと宙に浮いて、ひとりで男の手の中に飛び込んでいった。
赤い石を握り締めて、男がぎりっと歯を噛み鳴らす。
「また、ユロクトを傷つけたのか……あの時と同じ……おぞましい人間共めっ!!」
怒りの形相で吠えた次の瞬間、男の手の中に背丈と同じほどの大きさの、黒い杖が出現した。
「!?」
アシュフォードは息を飲んだ。
なんだ今のは。ガルヴィードには魔法の素養はないはず。魔力値も低い。こんなこと、出来るはずがない。
こんなーーー
「ガルヴィードっ!!」
アシュフォードに黒い杖が向けられたのを見て、ルティアが男に飛びついた。
「戻ってきて!お願い!!目を覚まして!!」
ルティアは男の体を抑えつけ、その中にいるはずのガルヴィードに呼びかけた。
「負けちゃ駄目っ!!」
だが、男は冷たい目でルティアを見下ろすと、少女の体を煩わしそうに突き飛ばした。
「相変わらずうるさい女だ。貴様さえいなければ、戻ってくることなどなかったのに」
忌々しげに舌を打ち、男は地を蹴って宙に浮き上がった。
宙に浮かび立ち、男は声も無く見上げる人々を睥睨した。
「今度こそ、一人残らず殺してやる」
その言葉を最後に、男の姿が黒い影に覆われーーーその影が晴れた時には、男の姿は消えていた。
「ガルヴィード……っ」
ルティアは呆然と虚空を見上げて呟いた。
「な、なんたることだっ!!」
誰かが声を上げた。
「王太子殿下が魔王だったんだ!!」
その声を皮切りに、あたりは混乱と恐怖と嘆きの声で満ち溢れた。
「そんなまさかっ」
「騙されていた!!」
「あの夢は偽物だったんだ!!」
「信じられないっ」
「だが、あの禍々しい魔力は……っ」
「そうだ!噂は本当だったんだ!!」
ぎゃあぎゃあと渦巻く声の中で、ルティアは力なく立ち尽くしていた。
(どうして……)
ルティアにはわからなかった。
自分が傍にいたのに、どうしてガルヴィードは負けてしまったのだろう。どうして、傍に居たのに自分は何も出来なかったのだろう。
「どうして……」
その呟きに応えてくれる声は、どこにも無かった。




