四十五、居場所
***
悲鳴が聞こえた気がした。
目を開けると、誰かが耳元で叫んでいた。
『ーーーああ!とうとうーーーくそっ、なんて馬鹿なことを……っ』
少年の声だ。
ユーリはゆらゆらと顔を上げた。床にうずくまって眠っていたらしい。
「アルフリード……?」
『ユーリ!逃げるんだ!!』
姿の見えない少年の声が、はっきりと聞こえた。
逃げろと言われて、自分が閉じこめられていたことを思い出した。魔法が封じられた部屋だ。
「逃げるって、どうやって……」
『君はこんなとこに閉じ込められるような奴じゃない!!君の力ならすぐに出ていける!急いで!!あいつが来る!!』
「あいつ……?」
『魔王……いや、』
アルフリードの声が、硬く強ばった。
『ヒュゼル・ヴィンドソーンが来る』
その名を耳にした途端、ユーリの心臓がどくんっと大きく音を立てて跳ね、脳裏に覚えのない光景がざあっと流れていった。
「う……?」
思わず頭を抱えて呻く。今の光景はなんだ?灰色の髪の少年と黒髪の少年が、出会って、手を取り合って、そしてーーー
不意に、全身を切り刻まれるような痛みを感じて、ユーリは自分の体を抱きかかえた。
それは一瞬で消え、気のせいだったのかと思われたが、何故かユーリはその痛みに覚えがあるような気がした。
『ユーリ、ユーリ。君ならすぐにこんなところ出ていける。思い出して。魔力は魂の力だ』
アルフリードが励ますように言い募った。
『君が「出たい」と強く、心の底から望めば、こんな扉すぐに吹き飛ばせる!』
ユーリは顔を上げて頑丈な扉をみつめた。
ーーー魔力は、魂の力。
立ち上がって、扉に向き合う。
ここから出たいと心から望めば、この扉を壊せる。本当だろうか。それほどの力が、自分にあるのだろうか。
ユーリの脳内に、アルフリードの強い声が響く。
『僕を信じて』
ユーリは目を閉じてアルフリードの声に集中した。
「ねぇ。どうして僕に話しかけてくるの?僕は、君とどんな関係だったの?」
魔王が現れたという未来で、自分とアルフリードはどんな関係だったのだろう。未来の自分は、アルフリードが魔王を倒すのを手助けしたりしたのだろうか。
『今は時間がない。とにかく、ここからーーーあいつから逃げて』
アルフリードがそう言うのならば、それを信じようとユーリは思った。
「……わかった。ここから、出る」
ユーリは両手を扉に突いて、神経を集中させた。
自分の魔力を具現化する時、杖を創り出した時の、あの感覚を思い出し、手のひらに力を集めていく。ここから出たい。ここから出る。絶対に。
手のひらが熱くなり、白く輝き出す。
大きく息を吸って、一度止めて、一気に吐き出した。
それと同時に、頑丈な扉にガラスのようにヒビが走り、あっという間に粉々に割れて崩れた。
ユーリは扉の残骸を跨いで部屋の外に出ると、手をかざして念じた。
すると、白い杖が手の中に現れる。
「よし!」
杖を握り、辺りを見回す。暗い廊下に人影はない。窓もないことから、どうやらここは地下だと思われた。
「訓練棟じゃなくて、総務棟かな……?それなら、上の階に大魔法使いがいるはず……」
ユーリはきゅっと口を引き結んだ。
魔力があると連れてこられ、あれこれと修行させられた結果、血を抜かれて閉じ込められたのではやっていられない。一言、文句と決別を言わせてもらいたい。
『ユーリ、お願いだ。サフォアに行ってま……き……くを……』
『……』
「アルフリード?」
また声が遠ざかった。何か喋りかけられているのはわかるが、小さくて聞き取れない。
次にはっきり会話出来たら、今度こそ未来のユーリについて尋ねようと心に決め、ユーリは廊下を走り出した。
***
王都の西側で突如膨れ上がった強大な魔力に、シャークローは音を立てて椅子から立ち上がった。
「ーーー何じゃ?」
びりびりと、空気が震えているような気がする。
「何じゃ?この、禍々しい魔力はっ」
今頃は、大聖堂での儀式が終わっているはずだ。首尾良く第二王子があの赤い魔石を王太子に見せ、ビクトルから伝えられたコゼットの言葉通りに王太子が本性を現したのだとしたら。
「これは……王太子の魔力なのか?」
王太子ガルヴィードこそが魔王であり、正体を暴く方法は一つだけ。
膨大な魔力の持ち主ならば、血の一滴にまで魔力が宿る。体から流れ出した血は魔力によって固まって魔石となる。
血で創られた赤い魔石は、白い魔石よりも遙かに強い力を持っており、悪しき者は目にしただけで苦しみたまらずに正体を現すのだ。
コゼットはそう大陸神から教えてもらったと主張しているそうだ。
シャークローは半信半疑だったが、それを伝えるビクトルも完全には信じていないように見受けられた。
シャークローは服の下の、包帯を巻いた腕を押さえた。
試したが、シャークローの血は固まらなかった。ユーリの血は固まり魔石となった。
あの魔石の正体はシャークローにもわからない。白い魔石とは違い、素手で触っても何も変化がなかった。
いったい、何が起きているというのだろう。魔王が復活する。英雄が生まれ、それを討つ。ただそれだけの、単純な話だったはずなのに。
未来には現れなかったはずの少年を見つけてしまった時から、何かが狂い始めた気がする。
とにかく、魔王を倒さなければならない。
シャークローは大きな瓶に閉じ込めた大量の白い魔石を取り出した。
ユーリに一日に二個ずつ創らせた魔石だ。これだけの量を吸収すれば、シャークローの魔力は何十倍にも増幅される。
ユーリ・シュトライザーも連れて行く。白い魔石が足りなければ創らせる。魔王が赤い魔石を厭うのならば、いくらでも創ればいい。
ユーリ・シュトライザーさえ居れば、シャークローは何者にも負けない。
そうだ。シャークローは負けない。ユーリ・シュトライザーは魔法協会のものなのだから。
シャークローは口の端に笑みを浮かべ、地下に閉じ込めているユーリの元へ向かおうとした。
だが、その前に部屋の扉が粉々に砕け散った。
「な……」
扉の残骸の向こうに立つ少年の姿を見て、シャークローは絶句した。
地下の部屋には六部卿とシャークロー自身で魔法を封じる術をかけていたはずだ。
ユーリが魔法を使えたはずがない。
「どうやって出たんだ……」
呻くシャークローを静かに睨んで、ユーリは口を開いた。
「僕は、ここを出ていく」
「ならん!」
シャークローは叫んだ。
「お前の力は魔法協会の下で使われねばならん!白い魔石も赤い魔石も、魔法協会が魔王を倒すために使われるべきなのだ!」
シャークローは瓶の栓を抜き、中の白い魔石を手のひらにあけた。白い魔石は手のひらに触れるなり溶けるように崩れ、シャークローは自らの内の力が膨れ上がるのをはっきりと感じ取った。
次々と身の内に吸収される白い魔石に、シャークローは笑いがこみ上げた。
「これだけの力があれば、魔王だって倒せるだろう……!」
元々強大だったシャークローの魔力が、白い魔石を大量に吸収したことにより恐ろしいほどに増幅されている。皮膚が弾け飛びそうなほど、体内に魔力が満ちている。シャークローは高揚を抑えきれなかった。
「行くぞ、シュトライザー。私が魔王を倒せば、人々は救われるのだ」
シャークローの体から溢れた魔力が、風圧となってユーリに吹き付けた。
だが、ユーリは少しも気圧されなかった。
八歳の少年は、偉大な大魔法使いを前にしても凪いだ表情でまっすぐに立っていた。
「あんたとは、行かない。僕は、僕の行くべきところへ行く」
「何を言う!お前の居場所はここにしかない!それだけの魔力を持って、ここ以外の場所で生きられると思うか!」
シャークローに一喝されても、ユーリは表情を変えなかった。
「……あんたの居場所はここにしかなかったのかもしれないけれど、僕はあんたとは違う」
ユーリが言うと、シャークローが笑みを消した。
「魔力があるからって、僕はあんたの所有物じゃない。魔力がある者は皆あんたに従わなきゃならない訳じゃない」
ざわめく人声が近づいてくる。じきに魔法使い達がユーリを取り囲むだろう。
その前に、ユーリははっきりと決別を告げた。
「ここは、あんたの場所で、僕の場所じゃない」
「……貴様っ!」
シャークローが杖を振り上げて魔法を放った。強い風の刃が生まれ、ユーリの周囲の壁や床をめちゃくちゃに切り刻んだ。
だが、風の刃はひとつとしてユーリを傷つけることはなかった。ユーリは一歩も動かずに、慌てることもなく立っていた。
「……さようなら」
ユーリは踵を返し、廊下の窓の前に立った。
「待て!」
シャークローが制止するが、ユーリは窓を開けると躊躇うことなく飛び降りた。自分の体に風をまとわせ、落ちる速度をやわらげて地面にふわりと着地した。
近くにいた魔法使い達がぎょっとして上から降ってきたユーリを見る。それに構うことなく、ユーリは走り出した。
「捕まえろ!!」
上からシャークローの怒声が降ってくる。ユーリは立ち止まらなかった。
植え込みを飛び越え、魔法協会の敷地から出ようとした時、焦った声が追いかけてきた。
「ユーリ?」
振り向くと、息を切らせたカークが走ってきて手前で立ち止まった。
「カーク」
「お前……、何してるんだ?」
カークは大きな騒ぎになっている総務棟を目にして、訓練棟から走ってきた。その途中でユーリの姿を見かけたのだ。
「何やってるんだ?どこに……」
「カーク。僕はここから出て行く」
ユーリが言うと、カークは眉根を寄せた。
「なんで……レコスに帰るのか?」
「うん。でも、その前に行くところがあるみたいだ」
「行くところ?」
カークは肩で息をしながら目を瞬いた。
「一人でか?……子供のくせに」
ユーリはふはっと笑い声を漏らした。
ここの人間は皆、ユーリのことを得体の知れない魔力の持ち主という目で見る。いまだに子供扱いしてくるのなんか、カークぐらいだ。
「ありがとうカーク。元気でね」
ユーリはひらりと手を振って、身を翻した。
だがその時、雷鳴のような音が響き渡り、空が一瞬で闇に覆われた。




