四十、困惑
***
「ところで、ルティア様」
「はい?」
「王太子殿下とはどこまで進まれていますの?」
新しくお友達になったご令嬢たちと公園にピクニックに来ていたルティアは、中の一人に尋ねられて紅茶を噴き出した。
尋ねたのはマーベル子爵令嬢のローズだが、他の令嬢達も興味津々だ。
「私も聞きたかったのです!」
「キスはしましたの?」
「なっ……な……な……」
芝生に腰を下ろして、サンドイッチを食べながらゆったりと池を眺めていたというのに、何故いきなりそんな話になるのだ。と、ルティアは顔を真っ赤にして絶句した。
「皆様、ルティア様が困っておりますわ」
見かねたマチルダが救いの手を差し伸べた。
「それに、ルティア様は奥手な方ですもの。たとえ王太子殿下の腕に抱かれたとしても、そんなこと口に出せませんわよ」
違った。悪魔の手だった。
「それもそうですわね」
「でも、漆黒の王太子殿下の腕に抱かれるルティア様……絵になりますわ」
「本当ね。うちのお抱え画家に描かせようかしら」
パーゼム男爵令嬢フィオナとアヴァンド子爵令嬢ジョセフィンが手を取り合ってきゃっきゃっとはしゃぐ。
ルティアは何も言えずに顔を赤くしたままうち震えた。
(だ……抱かれるとか、キスとか……そんなこと……いや、いずれはそういうことも……でも、今はまだそんな……あ、でも、押し倒されたことは……いや、あれはなしなし!)
ルティアは頭をぶんぶん横に振った。
「そ、そういうことは何もないです!まだ!」
「ふふふ……ルティア様。私、知っておりますのよ。お城に、ルティア様のお部屋が用意されたとか」
「「「まー!」」」
マチルダの発言に、ローズとフィオナとジョセフィンが口を揃えて声を上げる。
ジュリエットは声は上げなかったものの、口元を押さえて赤面した。ちなみに彼女は「いざという時にいちいちドレスを脱ぐのが面倒くさい」という理由で本日は最初から男物の服を着ている。潔すぎるだろう、とルティアは思った。
「いや!ちがっ……違いますあれは!最近、魔王の件とかでガルヴィード達と話し合うことが多いから、ガルヴィード達の公務が終わるまで待つ場所が必要でしょって王妃様がっ!!」
「んまぁっ!王妃様がっ!」
ルティアの弁明に、ローズが華やいだ声で叫んだ。
「ローズ様、気がつかれました?これはもう、あれですわよね?王妃様から許可が出たってことですわよね。すなわち……」
「よ」
「ば」
「い!」
「……に行ってもいいぞ!っていうことよね!」
マチルダとローズ達三人が悪のりする。無口なジュリエットは真っ赤だ。
ルティアはもはや声も出ずに口をぱくぱくさせるだけだ。
「アルフリード様にお目にかかれる日を楽しみにしていますわ!」
「私も結婚しようかしら。婚約者にせがまれていますの」
ジョセフィンが頬に指を当てて小首を傾げる。
ルティアは頭を抱えて芝生にうずくまった。邪魔者が消えるまで夜這いの予定はありません!と叫びたい。いや、消えたとしても夜這いはしないけど。
うずくまったまま「うーうー」唸っていると、ふと、頭の上に陰が差した。
誰かの足が見えて、ルティアは顔を上げて前に立つ人を見上げた。
逆光が眩しくて、ルティアは目を細めた。前に立っていたのは壮年の男のようだった。格好からして平民のーーー
「ルティア様っ!」
マチルダが叫んだ。
ルティアはぎらりと光る何かを目にした。
次の瞬間、どんっと体を突き飛ばされて後ろに転がって尻餅を付いた。
ジュリエットがルティアの前に腕を広げて立ちはだかった。ローズとマチルダがルティアの体を抱きしめて自分の身で庇う。
男が振り下ろしたナイフを、体格のいい男性が剣で受け止めていた。城から派遣されているルティアの護衛だ。影らしく普段は姿を見せないが、常にルティアに付いて将来の王太子妃の身を守っている。
ナイフを持った壮年の男は影にあっさりと組み伏せられた。
「何者だっ!」
影に問い詰められ、男はくぐもった呻きを上げた。
「ルティア様、ご無事ですか!?」
「ああ、なんてこと……」
令嬢達は衝撃を受けていた。
まさか、ルティアを狙う者がこの国にいるだなんて。
「何を考えていますの……ルティア様を害しようなんて、この国を滅ぼすつもり?」
「……はっ!」
男が嘲笑った。
「偽の英雄の母だ!皆、騙されてんだよっ!!」
地面に押しつけられたまま、男は叫んだ。周りに人が集まってきて、何事かと眉をひそめている。
「信仰を破壊しようとする魔王の情婦め!!」
「貴様!!」
影が男を殴りつけ、男は咳き込んで黙った。駆けてきた憲兵に男を突き出し、影は何事か指示している。ルティアは茫然とそれを見ていた。
「ルティア様、ここから離れた方がよろしいわ」
「ええ。城へ送りましょう」
「でしたら私が、先に行って知らせて参ります」
ジュリエットが身を翻して駆け出した。
ルティアは立ち上がろうとしたが、足にうまく力が入らなかった。マチルダとローズに支えられてようやく立ち上がり、公園の外へ向かう。
頭がぐらぐらする。何か、大変なことがあったような気がするのだが、混乱して思考がまとまらない。
(なんだっけ?何か……)
魔王。
そうだ。あの男は、ルティアを「魔王の情婦」と呼んだ。「偽の英雄の母」とも。
つまり、あの男は、ガルヴィードを、この国の王太子を「魔王」と呼んだのだ。
(シスターコゼットの知り合い……?)
ガルヴィードを魔王と呼んだ修道女のことを思い出し、ルティアは眉根を寄せた。
***
シスターコゼットは大聖堂で静かに謹慎しており、外には出ていないということだった。大聖堂の関係者だけではなく、城から付けられていた見張りの兵士も証言したため、ルティアの殺害未遂についてコゼットは無関係と結論づけられた。
男は熱心な信徒だったため、市井に流れている噂を信じてしまったのだろうという報告を受けた国王は渋い顔をした。
「ルティアが無事で良かったが……こんなことが起きるのなら、影を増やし警備を厚くせねば」
王妃も心配そうにおろおろしている。ちなみに、ガルヴィードは話を聞くや否や飛び出していった。
「父上。市井の噂を取り締まるべきです」
アシュフォードは不快そうな顔で進言した。
「そして、あのシスターコゼットを捕らえて罰するべきです!」
「落ち着きなさい、アシュフォード」
逸る息子を、国王が宥める。アシュフォードは黙ったが、顔つきは不満だとありありと物語っていた。
城の中に用意された部屋に通されたルティアの元に、血相を変えたガルヴィードが駆け込んできた。
「ルティア!」
強く抱き締められて、ルティアは強ばっていた体から力を抜いて、ほっと息を吐いた。
「ルティア嬢から聞いたが、「偽の英雄の母」「魔王の情婦」と呼ばれたって……」
エルンストが申し訳なさそうに確かめてくる。ガルヴィードは眉間に皺を寄せて頷いた。
「シスターコゼットとは関係ないようだ。信仰心の厚い男が噂を耳にして思い詰めちまったってことらしい」
「あの夢以降、教会は肩身を狭くしていたからな……信者にとっては辛い日々だっただろう」
だからって、ルティア嬢を傷つけていいわけないけどな、とルートヴィッヒが頭を掻いた。
「しかし、こうなるとルティア嬢には今後、城で暮らして貰うことになるだろうな」
続けてルートヴィッヒが言った言葉に、ルティアは「え?」と首をひねった。
「その方が護衛がやりやすいだろ。ちょうど、部屋も用意されたことだし」
「伯爵夫妻は城に向かっているだろうし、許可を取って……ロシュアは反対しそうだな」
「いっそロシュアも城に住まわそうぜ。ガルヴィードへの牽制が出来るって言えば来るだろ」
話がとんとんとまとまっていって、ルティアが呆気にとられているうちに城で暮らすことが決められていた。表向きの名目は「王太子妃としての教育のため」にだ。城に駆けつけてきた両親と国王夫妻の前で、あの夢の直後に作成されて本人たちの記名を待つばかりになっていた婚約宣誓書にガルヴィードと共に名を書き入れ、ルティアは正式にガルヴィードの婚約者となった。
「今さら婚約か。どうせなら結婚しちまえばいいのに」
「ルティア嬢はまだ十五だからな」
ルートヴィッヒが言うように、ルティアはこの国の婚姻可能年齢に達していない。十六になったら即結婚かもしれない、とルティアは期待なのか恐怖なのかわからない感情にぶるぶるした。
両親は狙われたルティアを一頻り心配した後で婚約を祝ってくれた。本来なら王族の婚約ではパーティーなどでのお披露目があるのだが、今は国全体が非常時なので発表のみですまされることになった。
与えられた部屋は王妃の部屋の近くで、ガルヴィードの部屋とは少し離れている。「隣じゃなくてごめんなさいね」と王妃に謝られたが、ルティアは必死に首を横に振った。「正式に結婚したら離宮が王太子宮になるから、そこでは思う存分いちゃいちゃ出来るからね!」とも言われたが、ルティアは勢いよく首を横に振った。顔を真っ赤にして。
「ふう……」
一人になって、ルティアは息を吐いて体の力を抜いた。
あれよあれよという間に城で暮らすことになってしまったが、今さらながら自分が王太子妃になるんだという実感が湧いてきた。
ルティアはここのところ連日たくさんの令嬢と会って話した。美しかったり賢かったり社交的だったり、皆、ルティアよりずっと立派な王太子妃になれそうな令嬢達だ。
それに比べれば、自分は取り立てて優れたところがある訳ではない。
皆がルティアを認めたのは、ガルヴィードの関心が常にルティアの元にあったからだ。
言うなれば、ガルヴィードの愛頼みだ。
ルティアはむぅ、と口を尖らせた。
あれだけ喧嘩や勝負ばかり繰り広げて、互いに悪口雑言ぶつけあって、犬猿の仲と呼ばれていたのに、周りは皆、ガルヴィードの寵愛はルティアにあると思っていたのだ。
でも、ちょっと待って欲しい。
最初にガルヴィードの中にガルヴィードじゃないものがいるって気づいたのは自分だし、出会った日からずっと常にガルヴィードのことばかり考えてきた自信がある。だから、負けてない負けてない。ルティアの想いはガルヴィードに負けていない。
そう、ガルヴィードの中の「何か」にあれほど嫌悪を感じたのは、ルティアがガルヴィードそのものを誰よりも強く想っていたからだ。
「だから絶対っ、私のガルヴィードへの愛の方が大きいっ!!」
勝負ばかり繰り返してきたせいか、ついつい負けず嫌いを発揮してしまうルティアであった。
部屋の真ん中で一人で叫んで「ふんっ」と胸を張った。
そうしてくるりと向きを変えたルティアは、戸口で固まっているガルヴィードと側近達の姿を目にして、ぎしっと硬直した。
「……うん。あー……、何か、困ったことはないか?」
「……うん」
ぎこちなく尋ねてくるガルヴィードに、ルティアはがちがちに固まったままかろうじて答えた。
本音を言えば、「今まさに、困ってる」と言いたかったのだが。




