三十七、赤い魔石
***
黒い、煙の塊みたいなものが、青空に突然出現した。
それに気づいた人々が、あれはなんだ?と指さした。
見上げる人々の頭上で、黒い塊はどんどん膨らんで大きくなってーーー
その黒い塊から、黒い矢のような物が無数に飛び出して見上げる人々の胸に突き刺さった。
黒い塊からは絶え間なく矢が発射され続け、一昼夜で大陸に生きる人々の多くが死に絶えた。
レコス王国とヴィンドソーン王国を除いて。
生き残った人々は恐怖し、混乱し、逃げまどった。
ヴィンドソーン王国歴383年。
その一日前、ヴィンドソーン国内では国王と第二王子、高位貴族が殺され、混乱のただ中にあった。
なんでこんなことになったのか。
ユーリは走りながら考えた。
二年前、突然現れた謎の黒い塊による虐殺の後、生き残った人々は無傷だったレコス王国へ逃げ込んできた。
小国レコスではなだれ込んできた大量の難民を支えられず、難民は略奪者と化した。
父と母とはぐれてしまった。この先、どこへ逃げればいいかわからない。ユーリは走りながら涙を拭った。
そのユーリの前に、大人の男が立ちはだかった。
「おい、ガキ。その荷物を寄越せ」
ユーリは背負った荷物を庇って後ずさった。男は抜き身の剣を携えている。どこかの国の、騎士崩れかもしれない。
二年前、あの黒い塊が放った矢に貫かれ命を落としたのは、魔力を持った人間だけだったと噂されている。生き残った者は魔力を持っていない者ばかりだったのだ。
レコスが攻撃されなかったのは、国の大半を構成するのが魔力を持たないレクタル族だからではないか。誰かがそんな風に言っていた。
ユーリは身を翻して走った。だが、すぐに男に捕まって地面に引き倒される。十三歳のユーリには大人の男に対抗する術がない。
男が荷物に手をかけ、剣を振り上げる。ユーリは目を瞑った。
どっ、
と、短い重低音がした。
目を開けたユーリが目にしたのは、腰から上が無くなったーーー男の残骸。
「ひっ……」
腰を抜かしたユーリの前に、人影が現れた。
冷たい目をした男が、ユーリを見下ろしていた。
見覚えがあった。あの日、二年前のあの日、ユーリの前に現れた男だった。
男はユーリと目が合うと、切れ長の目をふっと緩ませた。
「迎えにきたぞ」
男は微笑んで言った。
「ユロクト」
***
八歳のユーリは目を開けた。
寝台の上で上半身を起こし、荒い息を整える。
八歳だ。ユーリは今、八歳だ。
夢の中のユーリは十三歳だった。
ーーー未来の夢?
いや、それにしてもおかしい。十三歳のユーリはレコス王国に居て、魔法も使えない様子だった。
それに、あの男は、確か以前にみた夢の中にも出てきた。
今より少し成長したーーー十一歳ぐらいのユーリの前に現れて、「待っていろ」と言った男だ。
そうして、十三歳のユーリの前に「迎えに来た」と現れた。
あの男はいったい何だ。ユーリには心当たりがない。あんな男に会ったことはない。
ユーリが十三歳まで魔法を使えないままレコス王国で過ごしている未来の夢の中では、二年前ーーーつまりユーリが十一歳の時に大陸の国々が無数の矢を放つ黒い塊によって一昼夜で壊滅に追いやられている。
ユーリは大魔法使いに見せられた未来の光景を思い出した。
あれは、魔王とやらの仕業なのだろうか。だとしたら、ユーリのみた夢は、この国の連中の言う「魔王が復活した未来」の世界のユーリの姿だろうか。
しかし、あの男はいったいなんなんだ。
「ーーー……ユロクト」
ユーリのことを、ユロクトと呼んだ。
「ユロクトって、どっかで聞いたことある……」
首を捻ってみたが思い出せない。ユーリは息を吐いて寝台から降りた。
耳を澄ましてみたが、今日はアルフリードの声が聞こえない。聞こえたとしても、ほとんどは不明瞭で内容が聞き取れないのだ。どうせ聞こえるなら、もっとはっきり聞こえればいいのに。
部屋の外に出て食堂へ向かうが、すれ違う見習い達はユーリを見て眉をひそめたりあからさまに侮蔑の視線を送ってきたりする。
見習いはほとんどが十二から二十代の少年青年で、ユーリのような十にも満たぬ子どもはいない。いかに神経の図太いユーリであっても、自分を敵視する年上の少年達の中に混ぜられて平気ではいられなかった。アンソニーの一件があるまでは、ここまであからさまではなかったのだが、やはり蛮族が自国の貴族を傷つけた上に追い出したと思うとおもしろくないのであろう。
アンソニーの時の二の舞は御免なので、このところユーリは目立たないように隅っこで過ごしている。目立つ杖も、訓練で使う時以外は空間に仕舞いっぱなしだ。
「朝っぱらから辛気くさい顔してんなよ、ガキの癖に」
呆れたような台詞と共に現れたカークが向かいの席に座った。
「魔王が復活するんだから、皆ももっと辛気くさい顔するべきじゃないの?」
「ばーか。魔王の復活まで三年しかねぇんだぞ。んな顔してる暇があるかよ」
ユーリの軽口に応えて、カークは肩をすくめた。
アンソニーに楯突いてユーリを庇ってしまったせいで、カークまで孤立させてしまっている。ユーリは申し訳ないとも思うのだが、カーク本人はあまり気にしていないのか前と同じような態度で、嫌そうにしつつユーリの面倒をみてくれている。
最近、ビクトルの姿をみかけないので、余計にカークがユーリの世話係みたいに見えてしまっているのだ。
魔王の復活まで三年、という言葉に、ユーリは食事の手を止めてカークの顔を見た。
あと三年で、あの黒い塊が空に出現するのだろうか。
だとしたら、あれを防ぐ方法を皆に教えるべきなのではないだろうか。
「あのさぁ、カーク。こう……黒い塊を空に浮かべて、それから大量の矢みたいなものが発射されて人を突き刺す魔法ってあるの?」
「なんだその物騒な魔法は。知らねぇよ。そんな魔法、使えるとしたら大魔法使いか六部卿ぐらいだろ」
カークが嫌そうに眉をしかめた。
それもそうか、とユーリは食事を再開した。今日の分の魔石を創りに行った時に、聞いてみようと考えながら。
***
シャークロー・ゴトウィンは城で働く洗濯婦の子どもだった。父親はおらず、母親は時々家に帰ってきて食べ物を置いていってくれるだけの存在だった。
字の読み書きも出来ず親にも放置された子どもなぞ、野垂れ死ぬか狡賢い輩に利用されて使い捨てられるかのどちらかだ。気がつけば街の浮浪児に命じられて盗みを働くようになっていた。十を越える頃には立派に札付きになっていたし、その頃には母親もまったく帰ってこなくなっていたから、そのままならいずれ縛り首の運命だったであろう。
だが、十二になるかならないかの冬、商家に盗みに入った際に、シャークローは仲間達から囮にされて一人だけ捕まってしまった。
家人や使用人達から寄ってたかって殴られ蹴られ、ここで死ぬのだと覚悟したが、どういう訳かその家の主人はシャークローを憲兵に突き出すことなく、歩けるぐらいに怪我が治ると魔法協会に連れて行かれ魔力測定を受けさせられた。
測定をした職員は驚愕していた。これほどの魔力値は見たことがないと言われたが、シャークローにはよくわからなかった。
それまでシャークローには名前が無かった。あったのかもしれなが、母親から呼ばれたことがないので知らなかった。仲間達からは「クロ」と呼ばれていた。髪が黒かったからだ。
シャークロー・ゴドウィンという名で、勝手に見習い登録された。商家の主人の養子になったのだ。知らないうちに。
ゴドウィン商会はどうやら以前から魔法協会と繋がりを持ちたかったらしく、孤児院から子どもを連れてきては魔力値を測定させていたらしい。
そんな中に飛び込んできたシャークローが、とんでもない魔力値を持っていたのは運命だったのかもしれない。
幸運、だったのだろう。おそらく。双方にとって。
望んで入った訳ではない魔法協会での日々は、シャークローをまっとうな人間にした。
使えない魔法はなかった。どんな魔法でもすぐに修得し、教えられたより何倍も強い威力で魔法を打てた。
褒められ、讃えられ、恐れられ、妬まれ、崇められた。
気がつけば大魔法使いと呼ばれ、他の魔法使いを平伏させる存在になっていた。
魔法使いになってから、シャークローに出来ないことなどなかった。
魔法使いになってから、シャークローは誰かを見上げたことなどなかった。
他の魔法使いなど、皆いてもいなくても同じだった。
シャークローだけが特別で、シャークローさえいれば魔法協会は安泰だった。
それなのに。
あの夢の中で、魔法協会は何の役にも立っていなかった。
シャークローは見た。魔王に立ち向かったものの、他の有象無象と同じように、黒い魔力で貫かれて死んだ自分を。
夢から覚めたシャークローは憤った。そして、決意した。
魔王を倒すのは、魔法協会でなくてはならない。
そうでなくては。
シャークローは魔法協会で生きてきたのだから。
シャークローこそが、魔法協会の象徴なのだから。
シャークローよりすごい魔法使いなど、いないのだから。
ユーリ・シュトライザーだって、所詮は魔法協会の一員に過ぎないのだから。
魔法協会の中にいる限り、ユーリ・シュトライザーはただの見習いなのだ。
だから、魔王にも誰にも、魔法協会を潰させたりしない。
シャークローこそが、魔法協会を司る大魔法使いなのだから。
***
魔石を創るのはいつも大魔法使いと六部卿の前でだ。出来た魔石は彼らがどこかに持って行き保管しているようだ。
魔石を創るのは負担でもなんでもない。もっとたくさん創ったっていいのだが、ユーリの負担を心配して一日二個と決められている。
すっかり慣れた手つきで二個の魔石を創ったユーリは、夢で見た魔法について尋ねようと大魔法使いの方を向いた。
「あの……」
皆まで言う前に、ユーリの体が自由を失った。
「がっ……?」
体が固まり、声も出ない。
「な……、んっ……」
それでも、必死にもがこうとした。座っていた椅子から落ちて床に倒れ込んだが、誰もユーリを助け起こそうとはしなかった。
「すまぬな」
シャークローが口を開いた。
「お主に、もう一つ、創ってもらいたい魔石が出来た」
ユーリは床に伏したまま目だけを動かしてシャークローを睨み上げた。
魔石なら、言われれば創るのに、何故こんな。
「ビクトル」
シャークローに呼ばれ、部屋の隅に控えていたビクトルがゆらりとユーリの傍に寄った。
「大陸神ゴドランディアの教えだ。お前ならば、赤い魔石を生み出せるそうだ」
ビクトルは表情のない顔でぼそぼそと喋った。
何故かぞっとして、ユーリはなんとか逃げだそうともがいた。六部卿の誰かが呻いた。彼らは玉のような汗をかいてユーリに手のひらを向けていた。六人がかりで体の自由を奪う魔法を使っているのに、ユーリは床の上で起き上がろうともがいている。化け物、と誰かが呟いた。
ビクトルはユーリの横に屈み込み、その腕を取った。
「っ……!」
腕に走った痛みに、ユーリは顔をしかめた。ビクトルが、短剣でユーリの腕を切りつけたのだ。
彼は無表情のまま、たんたんと、傷口から流れる血を瓶で受けた。
ーーーなんなんだっ?
自分の血が瓶に溜まるのを見せられて、ユーリは気分が悪くなった。腕も痛いし、動けないのも気持ちが悪い。
ーーーなんで、僕がこんな目に。
やがて、血の溜まった瓶を手にビクトルが立ち上がった。
急に体が自由になって、ユーリは呻きながら傷口を抑えた。
ビクトルは、瓶の中の血をシャークローの眼前にかざした。
すると、奇妙なことが起こった。
瓶の中の血が、急速に固まり始めたのだ。真っ赤な血が、瓶の中で、赤い石へと変わっていく。
声もなく見守る一同の前で、ユーリの血は完全に赤い石と化し、瓶に当たってカラン、と音を立てた。
「……本当だった」
ビクトルが、虚ろな声で呟いた。
「ゴドランディアのお告げは、本当だった……」
ユーリはじくじくと痛む傷口を押さえて、ビクトルの持つ瓶をみつめた。
自分の血で出来ているはずの赤い石が、何故かひどく禍々しいものに感じられてならなかった。




