三十二、目を開けろ
「……もう大丈夫?」
「あ〜、大丈夫だ。収まった」
心配げに顔を覗き込むルティアに、ガルヴィードは安心させるように頭を撫でてやる。
大丈夫、という割に、ルティアの膝に頭を載せたまま起き上がろうとしていない。ルティアの髪を撫でてご満悦の表情だ。
なんかこいつ、ちょっと調子扱いてないか?とルートヴィッヒは思った。
ーーー後でちょっと三人でヤキ入れとくか?
王太子の側近たるもの、調子に乗った主君を諫めるのも大事な仕事なのである。
そんな予定を立てられているとはつゆも知らないガルヴィードは、ルティアの肩につく長さで切りそろえられたまっすぐな金糸の髪を指に絡めて手触りを楽しんでいた。
「そんな顔すんな。俺は絶対に壊されたりしねぇよ」
不安を瞳いっぱいに湛えたルティアに、微笑んでみせる。
「でも……」
「それによ、未来の俺も、完全には壊されてなかったんじゃねぇか?」
ガルヴィードの言葉に、ルティアはぱちぱち目を瞬いた。
「たぶん、時々は俺に戻っていたんじゃねぇかな?その証拠に、アルフリードが生まれているだろ」
夢にみたあの少年は間違いなく自分の子どもだと、ガルヴィードは今は確信していた。間違っても、自分の中に居座っている得体の知れない存在の子どもなどではない。
恐らく、未来の自分は体の主導権を奪われながらも、人格が消滅したりはせず、抗っていたのだろう。そして、一時的に体を取り戻した際に、ルティアと。
「……そうか」
何かを思いついたように、ルートヴィッヒが呟いた。
ルティアとガルヴィードが目を向けると、彼は顎に手を当ててなにやら思案していた。
「いや、少し不思議に思っていたんだ。ガルヴィードの体を乗っ取るためにーーーガルヴィードの精神を壊すために、一番手っ取り早いのは、ルティア嬢を殺すことだろう?」
ガルヴィードが表情をなくして起き上がった。
「悪い。物騒なことを言うが……」
「構わん。続けろ」
ガルヴィードに命じられて、ルートヴィッヒは咳払いしてから続きを語った。
「お前の中にいる「何か」は、ずっとルティア嬢が邪魔だったはずだ。なら、お前の体を奪った時点で、真っ先に殺そうとするはずだろう?でも、ルティア嬢は少なくとも、アルフリード様を産むまでは生きていた。ガルヴィードの心が完全には死んでいなかったのなら、ルティア嬢を殺すことに抵抗したんだろう。だから、殺せなかった」
ルティアはごくりと息を飲んだ。幼い頃から、ガルヴィードの中から向けられてきた「何か」の敵意を思い出した。ルティアがガルヴィードに近づくほどに、それは強い嫌悪を向けてきたのだ。あれは確かに、殺意と呼んでいいほどのものだった。
だけど、ガルヴィードはルティアを殺したりしない。
(そうだ。ガルヴィードの心が死んでいないなら、例え乗っ取られても、また体を奪い返せばいいんだ!)
ルティアはぱあっと表情を明るくした。
「もしも、「魔王」が体を乗っ取っても、私がガルヴィードの体を取り返すわ!私がガルヴィードの心を決して見失わなければ、二人で一緒に戦って、体を取り戻せるはず!」
夢の中ではきっと、何が起きているかわからないうちに、ガルヴィードの体は乗っ取られてしまったのだろう。でも今は、ちゃんと心構えがある。もちろん、みすみす乗っ取らせるつもりはないが、万一そうなったとしても、決して諦めずにガルヴィードの精神を呼び戻す行動をとればいいのだ。
「ね?」
「簡単に言うけどな、どうやって呼び戻すんだよ」
「えーと……ガルヴィードの恥ずかしい秘密をばらす、とか言ったら慌てて戻ってくるんじゃない?」
そんなことで「魔王」の魂をねじ伏せて体の主導権を奪い返せたらある意味すごい。
「恥ずかしい秘密ってどんなだよ?お前がんなこと知ってんのか?」
「右の太股に三つ並んだホクロがあ……」
「あの時見てたんかテメェェェェェっ!!」
パンツ強奪事件を思い出したガルヴィードが真っ赤な顔でルティアに襲いかかった。
ぎゃあぎゃあと追いかけっこを始めた主君とその想い人を眺めながら、ルートヴィッヒは敢えて口にしなかった事実を胸の奥に閉じこめた。
あの夢の最後で、アルフリードは「魔王」を倒していた。「魔王」の姿は見えなかったが、何かに剣を突き立てている姿を見た。
「魔王」を、倒していたのだ。
アルフリードが。ルティアとガルヴィードの子どもが。
ーーーガルヴィードを、「魔王」にしてはいけない。
胸の奥で、ルートヴィッヒは強く強く、決意を固めた。
***
「ーーー……なんと、言った?」
聞くに堪えない言葉を聞いた気がして、アシュフォードは呆然と尋ね返した。
問われた修道女は、なんら悪びれることなく薄い微笑みを浮かべて繰り返す。
「ですから、アルフリード・ヴィンドソーンは英雄などではないと、申したのです」
ソファに座ってゆったりと首を傾ける儚げな修道女は、些かの揺るぎもない自信に満ちた言葉で語る。
その姿に、アシュフォードは冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
「……貴女は何を言っているんだ。国民全員が同じ夢をみたのだぞ。アルフリードが魔王を倒し、もっと多くの人を助けたかったという想いから過去の我々に警告を……」
「矛盾しておりますわ」
コゼットはふふ、と静かに笑い飛ばした。
「矛盾……?」
「ええ。真に過去の人間を想う警告ならば、三日もの間、一度たりとも魔王の姿が映らなかったのは不自然ですわ」
「それは……」
アシュフォードは言い返そうとして口を噤んだ。確かに、あの夢の中で魔王の姿は見えなかった。アルフリードが最後に魔王を倒す場面でさえ、魔王の姿は見えなかったのだ。
「魔王がどんな姿をしているのかがわかれば、心構えが出来るというもの。なのに何故、アルフリード・ヴィンドソーンは我々に魔王の容姿を教えてくれなかったのでしょう?」
コゼットが言う。
アシュフォードは何故彼女が自分にこんな話をしに来たのかわからず、眉根を寄せて目の前の修道女を見た。
コゼットの横では、魔法協会の職員の格好をした若い男が所在なさげに佇んでいる。その顔には怖れが見て取れるが、コゼットの方は何一つ怖れることはないというように自信に満ちた笑みを湛えていた。
「アシュフォード王子殿下、我々は騙されていたのですわ」
「何……?」
「あの三日間の夢は、未来からの警告などではなく、魔王の奸計なのです」
きっぱりと言い切られて、アシュフォードはひゅっと息を吸い込んだ。
いったい、何を言っているのだろう。訳がわからない。もしかして、彼女は魔王の蘇る未来を怖れるあまりに、気が狂ってしまったのではないかと、アシュフォードは危ぶんだ。
いずれにしろ、自分の手に負えるものではないと判断し、アシュフォードは部屋の隅に控える護衛騎士に目配せした。
「シスターコゼット。どうも、若輩の私には難しいお話のようです。別室で他の者がお話をお聞きしますので……」
「絶望と混乱の未来を見せ、それを打ち払う英雄を仕立て、人々の心を惑わせ支配しようとしているのです」
アシュフォードの言葉を遮って、コゼットが力強く言った。
「狡猾な罠なのです。私は、大陸神様の導きによって目を開くことが出来ました。そして、大陸神様の慈悲は、この国の人々が偽りの英雄と魔王の正体を見極め、悪しき敵を打ち倒し真の信仰に目覚めることを望んでおられるのです」
コゼットは胸の前で手を組んで目を閉じた。祈る姿は流石に堂に入っている。
しかし、アシュフォードは何故かぞっとした。
早く席を立ち、後のことは宰相に任せよう。そう考え、護衛騎士に宰相のデイビッド・デューラー侯爵を呼んできてもらおうとしたアシュフォードだったが、その前にコゼットの揺るぎない声が耳を打った。
「私は魔王の正体を知っています」
アシュフォードはコゼットを凝視した。
「大陸神様の偉大な慈悲により、私は智を与えられたのです。それを人々に広め諭すのが、私の使命です」
コゼットは目を閉じたまま、うっとりと口ずさむ。
「大陸神ゴドランディア様を信じるのです。さすれば、必ずやこの国に入り込んだ忌まわしき魂に惑わされぬ目を得られるでしょう」
「……当然ながら、王家は大陸神ゴドランディアを信仰している。この上、我々に何をしろというのか」
「偽りの英雄のなどに惑わされるのを止めなさい。ただ一心に、大陸神様にお縋りするのです」
アシュフォードは眉をひそめた。
「先ほどから、アルフリードのことを偽りの英雄などと呼ぶが、貴女はアルフリードの父が誰か理解しているのか。我が兄にして、ヴィンドソーン王国王太子ガルヴィード・ヴィンドソーンその人だぞ。まだ生まれていないとはいえ、不敬極まりない」
「アシュフォード様。どうぞ目をお開けください。貴方様は騙されているのです」
コゼットは目を開き、預言者のごとき態度で告げた。
「すべては魔王ーーーガルヴィード・ヴィンドソーンが大陸神様への信仰を人々に捨てさせるために仕組んだ謀なのです」
アシュフォードは目を見張った。言葉を失ったのは一瞬で、次の瞬間には立ち上がって叫んでいた。
「衛兵!この女を捕らえよ!!王族に対して見過ごせない発言があった!」
すぐさま部屋の隅に控えていた護衛騎士がコゼットに走り寄り、部屋の外からも待機していた護衛達が乗り込んでくる。
屈強な男達に囲まれてもなお、コゼットは緩やかに笑みを浮かべていた。
「連れて行け。大聖堂の修道女とはいえ、我が兄にして王太子に対する許されざる不敬、とうてい見過ごすことは出来ない」
護衛達に縄をかけられ、コゼットと付き添いの男はアシュフォードから遠ざけられた。
だが、部屋から出される直前、コゼットは通り過ぎざまにアシュフォードへこう述べた。
「よくお考えになられて。この国の命運は、貴方様の手に掛かっておりますのよ」
アシュフォードは不気味なものを見るような目で、連れ出されていくコゼットを見送った。




