二十八、確認の現在
***
朝一番でビークベル家を訪ねたガルヴィードは、玄関先で一時間待たされた。
これぐらいなら甘んじて受ける、と、穏やかな気持ちでルティアが出てきてくれるのを待った。
家の中では、ルティアが父と母と侍女に抑えられていた。
「なんで!?」
「まあまあ、もうちょっと待たせてやろう」
「そうよルティア。これぐらい待たせて当然よ」
「お嬢様、なんなら帰っていただきますか?」
やっとのことで彼らを振りきって玄関に出ていくと、ルティアを見たガルヴィードの目がほっと緩んだ。
「ルティア」
名を呼ばれると、ルティアも泣きたくなった。あの時とは全く違う、いつものガルヴィードの声だ。
ルティアは思わずガルヴィードに駆け寄って抱きついた。
「……悪かった」
ガルヴィードが静かに謝って、ルティアの髪を撫でた。
「一緒に戦うって、約束したのに……一人で戦おうとした挙げ句、負けそうになった。あいつらが止めてくれなきゃ、俺は完全に負けていた」
ルティアはガルヴィードの服をぎゅっと掴んだ。
今は何も怖くない。ルティアの知っているガルヴィードだ。
「一人では戦えない。だから、また一緒に戦ってくれ。今度は、あいつらも一緒に」
ルティアは顔を上げてガルヴィードをみつめた。
「俺の中のーーー「魔王」を倒すために」
***
「まず、ガルヴィードの中にガルヴィード以外の「何か」がいるという根拠だけど」
エルンストが手元の紙にさらさらと何事か書き付けてテーブルの真ん中に置いた。他の四人が顔を集めると、その紙には「ガルヴィード(幼少)・無愛想・冷酷・常に不機嫌」と書いてあった。
「ガルヴィードによると、何かに興味を持ったり喜んだりすると、急に苦しくなって笑ったり上手く喋ったり出来なくなった、と」
エルンストが余白に「興味・喜び」と書いてその横に矢印を書く。その先に「苦痛」と書く。
「そんなガルヴィードがルティア嬢と出会う」
エルンストが「ルティア」と書いた別の紙を先に置いた一枚の隣に置く。
「ルティア嬢が傍にいるとガルヴィードは元気」
さっきの紙の「苦痛」を「ルティア」の紙で隠す。
「ルティア嬢はガルヴィードの中にガルヴィードではない「何か」がいると気づく……これはどうしてそう思ったんだ?」
尋ねられて、ルティアはくりっと首を傾げた。
「うまく言えないけど……ガルヴィードと仲良くなるほどに、顔を合わせた瞬間に嫌悪感がこみ上げてくるようになったの。でも、そんなのおかしいでしょ?」
「つまり……自分に嫌悪感を起こさせる「何か」がガルヴィードの中にいるはずだ、と思った?」
ルティアは少し考えてから頷いた。エルンストが「何か」と書いた紙をテーブルの真ん中に置いた。
「じゃあ、「何か」がいると仮定して、こいつの正体は?」
「魔王……と呼ばれる予定の何かだ」
「……黒い魔法使い」
ガルヴィードの隣で、フリックがぼそっと呟いた。
「黒い魔法使い?」
フリックは魔法協会でタッセルから聞いた仮説をガルヴィードとルティアに説明した。
「そのおとぎ話なら知ってるけど……」
ルティアが困惑気味に眉根を寄せた。
白い魔法使いと黒い魔法使いが仲良く暮らしていたが、黒い魔法使いが悪に堕ち白い魔法使いに倒された。
たったそれだけの伝説だ。大陸中に同じ話が伝わっており、劇になったりもしているが、あちこちで脚色されたり作り替えられたりしているのでほとんど原型を止めていない。
そんな本当にいたかも定かじゃない伝説の登場人物が転生していると言われても、現実感がない。
「まあ、まだ正体が「魔王」なのか「黒い魔法使い」なのか「他の何か」なのか、なにもわからないな」
エルンストが前髪をくしゃっとかき混ぜた。
「ここまででわかっていることをまとめると、ガルヴィードは幼少の頃から自分の意思を表に出そうとすると胸が苦しくなる体質だった。そのため常にしかめ面で、周りとの間に壁があった。しかし、遠慮なく突っ込んでくるルティア嬢と出会ったことで徐々に苦しさを抑えて自分を表に出せるようになっていく。一方、ガルヴィードの意思を抑えておけなくなった「ガルヴィードの中の何か」はルティア嬢を邪魔に思い激しく嫌う。そいつが向けてくる敵意を感じ取ったルティア嬢もガルヴィードの中のそいつを嫌った」
エルンストが手に持ったペンをくるくる回した。
それから、ふと考え込むような仕草をして黙り込んだ。
「どうした?エルンスト」
「んん……いや、幼少の頃のガルヴィードを知っている身からするとさ。もしも、ルティア嬢と出会っていなかった場合、ずっとあのままだったんだろ。喜びも興味も感じるのに、そのたびに苦しめられ抑えつけられてを長年繰り返していたら……そんな状態で心が無事でいられるだろうか」
「どういうことだ?」
「つまり、ルティア嬢と出会わなかったら、ガルヴィードの精神はとっくに壊れていたんじゃないかって話」
ルティアははっと顔を上げてガルヴィードをみつめた。ガルヴィードは驚いた様子も見せずに涼しい顔をしていた。
「まあ、そうだろうな。俺の精神が壊れてしまえば、「魔王」が俺の体を自由に使えるようになる。それが目的だったんだろう」
ガルヴィードは平然とそう言った。ルティアは思わずガルヴィードの腕にくっついた。ガルヴィードの精神が壊されようとしてだなんて、恐ろしくて、許せなかった。
ルティアがぎゅうぎゅうくっつくと、ガルヴィードが落ち着けというように頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「逆に言うと、「魔王」といえども本来の体の主であるガルヴィードの精神を押しのけて体を支配することは出来ないということだな」
ルートヴィッヒが冷静な口調で言うが、それにフリックが口を挟んだ。
「ちょっと待て!そうすると、未来の夢の中では、三年後にガルヴィードの精神が壊されたということか?」
「……そうなるな」
夢の通りならば、三年後にガルヴィードの精神が破壊され、体は「魔王」に奪われる。
側近達は顔を青くし、ルティアはより一層強くガルヴィードの腕にしがみついた。
一人、ガルヴィードだけは眉一つ動かさなかった。
ガルヴィードは不安そうに自分に縋りつくルティアをみつめて目を緩ませた。大丈夫だ。ガルヴィードはそう思った。この何より大切な存在を手放しさえしなければ、己れの精神が壊されることはないという確信があった。
「俺の精神の壊し方なら、わかる」
ガルヴィードがなんてことのないように言うので、四人は目を丸くした。
「未来の俺は、ルティアを取り上げられたんだろう」
あっけらかんと言うガルヴィードを見上げて、ルティアはぽかん、と口を開けた。
いや、そんなことぐらいで精神が壊れたりしないだろう、と思ったのだが、ルティア以外の三人は真剣な表情で「なるほど」と頷いていた。
「前に、少し未来の俺が病人のように扱われていた夢をみた。その夢の俺はルティアに会いたがっていたが、「ルティアが傍にいると具合が悪くなる」と言って止められていた」
ルティアは「あ」と声を上げた。手を繋いでうたた寝した際にみた夢だった。
ガルヴィードはふんっと鼻を鳴らして笑った。
「いつまでたっても体を明け渡さない俺に痺れを切らしたのか、それとも俺が大人になったから頃合いよしと見て本格的にルティアを排除にかかったのか。どっちかは知らないが、ガキの頃と同じことをしたんだろう。ルティアが傍にいる時だけ、俺が苦しむようにしたんだ。周りから見れば、俺が発作でも起こしたように見える」
「……突然、子どもの頃みたいに顔をしかめたり苦しそうにしていれば、病気の発作にも見えるだろうな」
「それを繰り返せば、病人扱いされる。ルティア嬢の傍にいる時だけ発作が起きるなら、会わせないようにするのは理解できる。それ以前に、何の病気かわからなければ、当然王太子妃となる予定のルティア嬢は遠ざけられる。感染病だったら洒落にならないからな」
「それでルティア嬢と会えなくなって精神が壊れたのか?弱るぐらいならわかるけど……その前に、いくらなんでも王太子が望めば面会ぐらいは許されるだろう。完全に会えないなんて……」
エルンストが納得できないように眉をしかめた。
いくら会えなくなったといっても、一年や二年でガルヴィードの精神が壊れるはずがない。幼少の頃だって、ずっと辛かっただろうに、ガルヴィードは一人で耐えていたではないか。エルンストはその頃のガルヴィードの姿を良く覚えているだけに、納得が出来なかった。
エルンストに言われて、ガルヴィードは気まずそうな笑みを浮かべた。
「いいか、これは想像だぞ?ただの、可能性の話な。……たぶん、今回と同じことを俺がやらかしたんだろう」
ガルヴィードの言葉に、ルティアは首を傾げた。側近の三人も寸の間なんのことかわからないというように眉をひそめたが、ややあって「……あー」と乾いた声で呻いた。
ルティアは目をぱちぱち瞬いて彼らの顔を眺めたが、皆してさっと目を伏せられた。
「つまりだな……会えなくなって、しばらくしてから会えた時に俺が……飢えるだけ飢えさせられて、我を忘れたんだと……」
ルティアに目を丸くして見上げられたガルヴィードが、そっぽを向きつつごにゃごにゃと呟く。
「と、とにかく、それで俺は未来のルティアやお前達から愛想を尽かされたんだろう。……未遂で済まなかったら、ここでも今頃そうなっていただろうな」
ルティアはようやく彼がなんのことを言っているのか理解して顔を赤らめた。
真っ赤な顔で絶句するルティアから目を逸らすガルヴィードだが、彼の耳も真っ赤に染まっている。
その耳をみつめながら、ルティアも先日みた夢を思い出していた。
縋るガルヴィードを拒絶していた自分の姿。
あんな風に、拒絶したのかもしれない。あの夢の中で、確かにガルヴィードは絶望の表情を浮かべていた。
「それでガルヴィードの精神は弱って、「魔王」に体を乗っ取られて惨劇の幕開け、か。一応筋は通るな」
「想像にすぎないけどな」
冷静に話し合う側近達の言葉が耳に届くが、ルティアはいたたまれない気分でこの場から逃げ出したくなった。
もしも、ガルヴィードの推察通りだったとしたら、未来の自分がガルヴィードを拒んで追いつめてしまったせいで、魔王が目覚めてしまったのではないか。
もっと、ちゃんと、ガルヴィードに寄り添っていれば。
(私……一緒に戦うって、言ったのに……)
ルティアはぎゅっと唇を噛んだ。未来の自分は、肝心な時にガルヴィードを一人にしてしまったのだ。でもそれは、もしかしたら今の自分の身にも起きていたかもしれないことだ。もしも、側近達が止めに入ってくれなかったら、自分は……
「ルティア」
不意に、ガルヴィードがルティアの両肩を掴んで顔を覗き込んできた。ルティアははっと顔を上げた。ガルヴィードの漆黒の瞳が、すぐ目の前にある。
「三人には話したが、俺は未来の俺が父上を殺しアシュフォードに剣を向けられている光景を夢にみた。その夢の中で、俺は完全に俺ではないものになっていた」
ガルヴィードは真剣な表情でルティアに告げた。
「その夢をみて、俺は焦ったんだ。三年後に俺が俺じゃなくなるなら、お前と子どもを作るのは、俺じゃないんじゃないかって」
ルティアは目を見開いた。
そんな馬鹿な。そんなことあるわけが、ない。
「嘘!私、ガルヴィードじゃなかったら子ども作ったりしないもん!」
ルティアは幼子のようにぼろぼろ泣き出した。
「そこは俺じゃない俺が無理矢理したのかも……とにかく、俺は嫌だったんだよ。俺じゃない俺がお前を、って思ったら、頭がおかしくなりそうで、そうなる前に……って、それしか考えられなくなった」
ガルヴィードはふーっと息を吐いて頭を下げた。
「怖い想いをさせて、悪かった。お前に誓う。俺が、ちゃんと俺だけになるまで、お前には何もしない」
ルティアはぐずっと鼻をすすった。夢でみた我が子ーーーアルフリードの顔が思い浮かぶ。「僕を産んで下さい!」と懇願していた姿。
「……未来で何があったかはわかんないけど、でも、あの子は「魔王」の子どもなんかじゃない。アルフリードは、絶対にガルヴィードの子どもだよ!」
ガルヴィードもはっと顔を上げた。
「そうか……そうだな。あれは、俺達の息子だな」
「そうだよ!絶望する人達を鼓舞して、諦めずに戦い抜く勇ましさ……ガルヴィードにそっくりだもん!」
「いや、傷ついた人々に寄り添う優しさは、ルティア譲りだ。間違いなく」
「それを言うなら、あの子が……」
ルティアとガルヴィードは互いにみつめあったままアルフリードがいかに互いに似ているかを熱弁し合った。
取り残された三人は口を挟むことなく、二人の傍で茶をすすった。
王太子の側近たるもの、いざという時は家具や置物と同化して気配を消すぐらいの芸当は身につけているのである。
ただ、出来ればカップが空になる前に二人の世界から戻ってきてもらいたいものである、とは思ったが。




